隠れM女の私には、年下の執着男子が効きすぎる

内海 あゆむ

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第一章 誰にも見せない蜜の夜

1-1 カーテンの内側で溺れていた

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『志保先輩は、責めに布地を濡らすあさましいM女冴子を見下ろしていた』

 生意気な冴子を、もっと罰してください……。

 その一節を綴った指先が、まだ震えている。
 キーボードを叩くたびに欲望が文字になり、文字が快楽になって指先から逆流してくる。読み返すたびに鼓動が速まり、ブラウスの合わせ目が呼吸に押し上げられて波打つ。無意識にスカートの生地を軋ませ、太腿を強く擦り合わせた。
 カーテンを閉め切った部屋。モニターの白光だけが、私の肌を舐めていた。

 誰にも見せない。誰にも知られてはいけない。

 画面越しの会議で生活感を隠してくれるグリーンカーテンは、とうに壁際へ追いやった。剥き出しになったベッドが背中越しに気配を投げてくる。湿り気を帯びた、甘い誘いのような空気。
 まだ仕事の緊張が椅子に染みついている。その上で、私は自らの欲望を綴り、自らを汚している。読ませる相手などいない。名前も一切偽りのない、私だけの告白。

 志保先輩……。

 現実では慈愛に満ちた志保さんが、この世界では冷酷なドミナとして、私――冴子――を厳しく責め立てる。
 仕事中、私の不遜な態度に彼女が悲しげな視線を向けるたび、胸の奥は疼き、罰してほしいという甘い痛みに絡め取られる。
 その望みのままに綴る言葉が、理性をじりじりと焼き溶かしていく。

 約束の時間は、とうに過ぎている。時間に正確な彼が今日に限って遅れている。その「いつ来るかわからない」時間が、私の指をいっそう淫らにさせてきた。
 いけないと知りながら止まれない。この数ヶ月、その一線がどんどん曖昧になっている。

 今日は読み返すだけでは足りなかった。気がつけば、新しい場面を書き足していた。

『――M女冴子は、冷徹な弟様の足元で、自らの秘部を晒した。その顔は羞恥で赤く染まり、涙が頬を伝う』

 数ヶ月前から物語に現れた「弟様」――その存在を思い浮かべた瞬間、タガは完全に外れた。
 弟様の手が振り上げられる場面まで書きかけて、指がキーボードから離れた。文字にするより先に、身体が想像に追いついてしまった。

 唇を噛んでも、喉の奥から細い声が漏れる。自分の指が刻むリズムに合わせて、呼吸が浅く、甘く壊れていく。

 意識を白濁させるほど激しく、自分自身を追い詰めていく。いつもとは比べものにならない深さで、繰り返す絶頂に溺れ意識さえ手放していった。

 快楽だけを求めて、そこに潜む危うさにあえて目を瞑り、欲望に溺れていく事ほど心地いい物を私は知らない。

 その深い泥濘から、寝室のドアが開く、乾いた音が私を引き戻した。

「冴子さん」

 彼氏、知己君の、あまりにも明るい声。
 官能に沈み切っていた身体は、氷を流し込まれたように凍りつき、指先一つ動かすことができなかった。

 凍りついた身体を、本能的な恐怖が無理やり突き動かす。
(いけない、見られる、見られる、見られる……!)
 心臓が喉元まで跳ね上がり、呼吸が浅く、鋭くなる。
 彼の声に振り返ることもできず、震える指先をキーボードへ伸ばし、半狂乱でウィンドウを閉じようとした。

 けれども、寸前まで自ら与える快楽に溺れていた身体は、指先さえ思うように動かない。
 いっそ電源を切ろうかとも思ったが、PCが壊れることを恐れて、指が止まる。
(ああ、惨めだわ……)
 機械の故障など、このアラサー女の欲望を彼に見られることに比べれば、ずっとマシなはずなのに。

 気が付いたときには、すでに遅かった。
 背中越しに、彼の身体の温もりがじりじりと伝わってくる。
 モニターには『M女冴子』の文字が画面いっぱいに並び、書きかけの一行の末尾で、カーソルが静かに点滅していた。  
 どうにでもなれと力なく電源に伸ばした手を、背後から伸びてきた少女のような手に阻まれた。

「……動かないで……。隠さなくていいですよ、冴子さん」

 耳元で響いたのは、いつもと変わらない甘い声。
 それなのに、全身の毛穴が逆立つような戦慄が走る。ブラウス越しに伝わる知己君の体温が、私の背中をじりじりと焼き焦がす。
 その、どこか女性的な声が、私の淫らな本性を読み上げ始めた。背後の彼がどんな表情をしているのか、それがわからないことが、何より怖かった。

「『……M女冴子は、冷徹な弟様の命令で、志保先輩に自らの秘部を晒した』。……志保先輩……これ、姉さんのことですよね」

 なにも答えられず震えていると、知己君はさらに追い討ちをかける。

「『弟様』……志保姉さんの弟。……これ、僕のことですよね?」

 残酷な朗読が繰り返されるたび、指先から感覚が消えていく。氷の礫を流し込まれたような冷たさ。
 それなのに、顔だけは火を噴くほど熱く、じわりと滲んだ涙が視界を歪ませる。
 ブラウスの背中が、嫌な汗でじっとりと張り付くのを感じて、私は絶望に目を瞑った。

 かつて、志保先輩に喜んでほしくて、隣に座るあの子にがむしゃらに勉強を教えていたあの頃。そして、今は頼れる年上の彼女として積み上げてきた知己君へのプライドを、彼の静かな一言が粉々に打ち砕く。

「これが、冴子さんの本当に望んでいることなんですね」

 知己君の指でカチ、カチ、と乾いた音を立ててマウスのホイールが回る。
 何度も何度も書き直し、一年以上も密かに研ぎ澄ませてきた文章。それを一つ一つ、知己君は慈しむように、そして残酷に読み解いていく。
 寝室の静寂を切り裂くのは、液晶の白々とした光と、知己君の喉から漏れる重い吐息だけ。
 いつもは彼を迎えて明るい声が響く部屋が、いまや彼が私の醜い本性を一つ一つ読み上げていく、冷たい裁きの場に変わっていた。
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