JK、先生、年上カノジョ

羽田宇佐

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 美晴が連れて行かれた先は交番で、呼び出されたのは琴子だ。

 美晴は保護者の連絡先を尋ねられて、思わず琴子の電話番号を告げた。そして、交番にやってきた琴子の前で、母親の電話番号を告げるべきだったと後悔していた。

 公共の場では叔母さんと呼びなさい。

 琴子との約束によって、美晴は最も呼びたくない呼び方で琴子を呼ぶことになった。それでも警察官の前で喋るのはほとんどが琴子で、美晴が“叔母さん”と口にするシーンは数えるほどしかなく、それは不幸中の幸いと言えた。

「ご迷惑をおかけいたしました」

 ぺこりと琴子が頭を下げる。
 難しい顔をした警察官がぐだぐだとつまらないことを言って、琴子がもう一度頭を下げ、美晴も下げた。そして、ようやく交番を後にする。

「車できてるから」

 琴子がそう言って前を歩き、美晴は一緒に駐車場へ向かう。
 ごめんなさいと美晴が一言謝ると、琴子が心配したんだからと返した。そして、困ったような声で言った。

「美晴、ご飯食べて帰ろうか」

 普段、琴子は怒らない。だが、一度も怒ったことがないわけではない。過去に何度か怒っていて、そのとき、美晴は呼び捨てにされた。

「ごめんなさい。明日からちゃんと学校行く」

 夕方というよりも夜に近くなった街、車の前で美晴はもう一度謝って、許しを乞うように思ってもいない言葉を付け加える。

「美晴、なんで私が怒ってるかわかってないでしょ」

 琴子が学校の先生のように言う。

「……わかんない」
「とりあえず、乗って」

 琴子に促され、美晴は助手席のドアを開けて座る。運転席に乗り込んだ琴子がエンジンをかけ、車が静かに走り出す。

「子どもがこんなところを一人で歩いていたことを怒ってる」

 子ども、という言葉に、美晴の眉がぴくりと反応する。けれど、事実を否定することはできず、言い訳を口にした。

「まだ早い時間だったし」 
「いい? あの辺りは子どもが行く場所じゃないし、早い時間でも駄目。良くない大人が多いんだから。一人で歩いてたら危ないでしょ」
「そうだけど」
「美晴はまだ子どもで、女の子なんだよ」

 琴子がまた“子ども”という言葉をわざとと思えるような強い声で口にした。そして、美晴に喋る隙を与えずに言葉を続ける。

「最近は物騒なんだから。大人だって、なにされるかわからないんだよ。だから、子どもが一人で歩いてたら誰だって心配するし、姉さんだって心配するの。わかってる?」

 怒っているとき、琴子は美晴の母親のことを「お母さん」とは言わずに「姉さん」と言う。血の繋がりを意識させる言葉を選び、美晴に反省を促す。それはあまり良いやり方だとは思えないが、本気で怒り、心配しているときにしか言わない言葉だから文句は言えない。

「ごめん。反省してる」

 美晴は素直に謝る。
 琴子に怒られたくはないが、本気で自分のことを考えてくれているのだとわかるからたまに怒られると美晴は少し嬉しくなる。しかし、いつまでも琴子が怒るようなことをしていると嫌われてしまいそうで怖い。

「わかったならいい」

 いつもの優しい声で琴子が言う。

「早く大人になりたい」

 口に出すとやけに子どもっぽく思える。だが、美晴は言わずにはいられなかった。

「あと数年もしたら嫌でも大人になるから」
「そうじゃなくて、琴ちゃんに追いつきたい」

 美晴は、助手席の窓から四角く切り取られた外を見る。
 夜の色に染まりかけた景色が流れる中、ぽかりと浮かぶ月が美晴の目に留まる。

「追いつきたいかあ。はるちゃんと私は十八歳違って、それは絶対に縮まないし、絶対に私の方が先におばあちゃんになるの。それは仕方がないことだし、もう少ししたらはるちゃんはおばちゃんな私に飽きるよ」

 諦めたような声が聞こえてきて、美晴は隣を見た。

「そんなことない。私は琴ちゃんとずっと一緒にいるもん」
「はるちゃんがさ、今の私と同じ三十五歳になったとき、私は五十三だよ。もっと若い子の方がいいって思うよ、絶対に」
「絶対に思わない。私を信じてよ」

 未来のことはわからない。
 確実なことは何一つない。

 だが、美晴は十年先も二十年先も琴子を想う気持ちは変わらないと信じている。流れる景色の中で輝き、形を変えても存在は変わらない月のように、変わらずにいられると信じている。しかし、琴子が美晴と同じように信じてくれるとは限らない。

 んー、と琴子が唸る。美晴は、フロントガラスの向こう側に見える街を見ながら琴子の言葉を待つ。

「じゃあ、はるちゃんが今の私と同じ年になって、それでも私のことが好きなら一緒に住もうか」

 琴子がのんびりと言う。

「今も住んでるじゃん」
「今は姪としてだけど、恋人として、ね」
「それって、十八年後ってこと?」
「そう。恋人として一緒に住むことになったらそれ以上の年月を二人で過ごすことになるんだから、たった十八年くらい我慢しなさい」

 初めて美晴を恋人だと認めるような言葉を口にした琴子が、随分と長い時間を一瞬のことのように言って微笑む。

「十八年って、私が今まで生きてきた年数より長いんだよ。長過ぎじゃない?」

 ついさっき、十年先も二十年先も琴子への気持ちは変わらないと強く想ったはずの美晴が情けない声を上げる。

「長いよ。それくらい私とはるちゃんの年は離れてる」
「琴ちゃん、好きって言ってよ。そしたら、十八年待てる」

 十八年は長い。
 それでも、待てば恋人として認めてくれるというなら待てる。ただ、そんなにも長い時間待つなら、琴子の今の正直な気持ちを聞きたいと美晴は思う。

「好きって言ってるでしょ、いつも」
「そういう好きじゃなくてさ」

 琴子が口にする好きは、いつだって恋人としてのものではない。心の中でなにを思っていたとしても、必ず「姪」という言葉がついてくる。

「どういう好きでも好きは好き。それに、言わなきゃ待てないようなら待たなくていいから」

 拗ねたように言って、琴子が飴を出してとバッグを指さす。
 美晴が言われたとおりに飴を取り出し、包み紙を剥がして渡そうとすると琴子が大きな口を開けた。

 その横顔は大人というより子どもに見えて、美晴には琴子がやけに可愛く思える。そして、望む意味で好きだと言ってくれないことも許してしまいたくなってしまう。

「琴ちゃん、本当は私のこと好きじゃないでしょ」

 美晴は大きな口に飴を放り込んで、琴子をじっと見る。

「好きに決まってるでしょ。というか、これ昨日も言ったし、一昨日も言ったでしょ」

 琴子が明らかに困ったような顔をする。

「だって、琴ちゃん子ども嫌いじゃん」
「意思疎通のできない小さい子どもが苦手だってだけで、はるちゃんぐらいの年齢なら大丈夫」
「子どもの頃、私に会いに来なかったくらいだもんね」
「それは言わないの。そんなことより、はるちゃん。なに食べたい? 好きなお店、連れて行ってあげる」

 琴子が誤魔化すように言って、車のスピードを上げる。少し考えて美晴が「ハンバーグ」と答えると、琴子が「やっぱり子どもだ」と笑った。

 子どもだと言われたくはないが、美晴は大人になる方法がわからない。なにか今できそうな大人に近づく方法はないかと考えて、口を開く。

「明日から学校、行こうかな」
「無理しなくていいんじゃない」

 美晴にとって琴子の声は特別だ。
 彼女の声一つで気持ちが上がったり、下がったりと忙しい。泣きたくなることもあるし、勇気がでることもある。今日は、学校へ行きたくなる声に聞こえる。

「一日だけしか行けないかもだけど、明日は行けそうな気がする」
「じゃあ、行ったら学校の話聞かせて」
「つまんないでしょ、そんな話」
「はるちゃんの話は全部面白いよ」

 琴子に言われたら、彼女になにか少しでも伝えるために一時間でも二時間でも学校へ行こうと思える。

 美晴が高校生として過ごせる時間は二年。

 琴子と恋人として暮らせるようになるまでの十八年のうち、たった二年だ。いや、もう二年もない。そう考えると少しだけ気持ちが楽になった。
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