恋だけがそれを知っている

羽田宇佐

文字の大きさ
1 / 41
友達と恋人

1

しおりを挟む
 二人きりの教室は、夕陽と同じ色に染まっていた。窓の外からは、部活動にいそしむ生徒たちの声が聞こえてくる。

 放課後、話したいことがあるから帰らないでと言われて、残った私に告げられたのは愛の言葉。

 予想もしなかった事態に、石みたいに体がかたまっていた。
 茜色に染まった教室での告白なんていうシチュエーションは、ロマンチックだと思う。私が乙女チックな女の子だったら、映画かドラマのワンシーンのようだと感じたのかもしれない。

 目の前にいるのが柴田鈴しばたすずでなければ。

 天真爛漫と言えば聞こえが良いが、彼女の素直さは純粋な者が持つ特有の無遠慮さを持っていて苦手なタイプだった。悪気はないけれど歯に衣着せぬ言葉で、ずけずけと人の心に踏み込んでくるところがある。
 男とか女とか、性別以前の問題だ。

『鈴木さんのことが好きだから、私の恋人になって欲しい』

 なにをどうしてそんな台詞が出てきたのか知らないが、それがついさっき私が柴田さんから聞いた言葉だ。
 彼女とは同じクラスだが、会話をしたことなんて数えるくらいしかなかった。席も離れているし、接点もない。授業で一緒に何かをするようなこともほとんどなかった。ただ、名前を知っているくらいで、他のことは誕生日だって、血液型だって知らない。
 二人きりになったとき、何を話せばいいのかもわからなかった。

 それなのに、私は二人でいるには広すぎる教室という空間で、柴田さんと向き合っている。
 彼女は、告白の返事を待っていた。
 私はかたまった体にネジを巻き、ロボットみたいにぎこちなく柴田さんの視線から逃げる。と言っても、逃げ場なんてどこにもないから、カーテンが中途半端に引かれた窓に近寄り、外を見た。

「えっと。……からかってたりする?」

 これは、私の願望だ。
 彼女のことは嫌いではないが、好きでもない。
 けれど、できれば近寄りたくない人間に分類される。

「からかったりしてないよ。本気で言ってる」

 柴田さんの声は硬かった。緊張しているのが私にも伝わってきて、告白が本気のものだとわかる。
 薄くちぎって伸ばして赤く染めたような雲を見ていた私は、視線を柴田さんへと向ける。
 夏の終わりの空が、柴田さんのふわふわの髪と頬を染めていた。
 グラウンドから聞こえてくる声がやけに耳に付く。私は、こんなときに口にする言葉を上手く見つけられずにいた。

「でも、鈴木さんも私を好きになってなんて言わないから」

 柴田さんの言葉に、私の周りから音が一瞬消える。
 想像することすらできなかった台詞に、私が出来たのは「へ?」と間抜けな声を出すことだけだった。

「ただ付き合ってくれるだけでいいの。私が好きだって言ったら、鈴木さんも好きだって返す。そういう関係になって欲しいだけ。簡単でしょ?」

 一緒に宿題をしよう、くらいの気軽さで柴田さんが言った。その羽が生えていそうなほど軽い言葉に、鈍っていた私の頭が働き出す。

「ただ付き合うって。それ、意味わからないから」
「わからないことないでしょ。恋人になるって意味以外にあるの?」
「いやいやいや。私は好きじゃないのに、柴田さんと付き合うんでしょ? それって、恋人じゃなくない? 恋人って好き同士がなるものでしょ」

 私は、自分の理解を超える柴田さんの発言に否定の言葉をいくつも重ねる。そして、世間一般が考えるところの恋人同士の定義を告げ、大きなため息を一つついた。

 そうだ。
 柴田さんは、少し変わったところがある人だった。

 クラスで見る柴田さんは、今のように常識を飛び越えるような発言をすることがあった。そのせいか、クラスでは浮いた存在になっている。突然の告白に、そんなことすら忘れていた。

「お互いの感情がどうあれ、恋人だって思えばその時点で恋人でしょ」

 私が彼女に提示した一般的な恋人の定義は耳に届いていないようで、世界中の誰もがそう考えていると言わんばかりの勢いで柴田さんが言った。

「それ、違うと思う」

 無駄だと思いながらも、もう一度自分の考えを口にしたが、彼女は考えを改めそうになかった。どうしたものかとこめかみを押さえて柴田さんを見ると、彼女は私に向かって小指を立てて見せた。

「何もしないって約束する」
「え?」
「絶対に何もしない」

 前触れもなく突きつけられた約束に、首をひねる。
 何もしないが何を指しているのか見当も付かなかった。もしかして、過去に彼女と何かあったのかと記憶を辿ってみたけれど、それらしい記憶はない。
 彼女と私はほとんどしゃべったことがないのだから、それは当然の結果だった。どんなに過去を遡っても、約束を交わすきっかけになるようなものは見つからないはずだ。

 厄介な人に好意を持たれた。

 ため息を百回ついても気分が晴れそうにない状況に、私は頭を抱えそうになる。けれど、今日はこれで帰ります、なんてことは許されそうにない。私に出来ることと言えば、柴田さんがどんな約束を交わそうとしているのか本人に尋ねてみることくらいだった。

「何もって、なんなの」

 呆れたような声になっていたと思う。でも、柴田さんは気にせずに答えた。

「キスしたり、エッチなことをしたりかな。そういうこと、絶対にしない」

 言葉にするなら、ふえ、が正しい。考えてもみなかった提案に、私の口から漏れた空気はかなり気の抜けた音を発した。
 柴田さんが口にした約束は、彼女にさほど興味がない私にとってありがたいものではあったけれど、恋人になるつもりがないから無意味な約束でもある。

 それに、私には彼女の考え方が理解できなかった。
 何かをすることだけが恋人ではないと思う。
 思うけれど、柴田さんの考える恋人は私が考える恋人と違っている。きっと、世間で言う恋人とも異なっているはずだ。

 私は柴田さんに一歩近づくと、小指に触れてその指を下ろさせた。指切りをしてしまったら約束を交わしたことになり、彼女と付き合うことになってしまう。

「……それ、恋人じゃなくて友達で良くない?」

 私は恋人にはなりたくないという意思を込めて、至極真っ当な答えだと思われるものを口にする。でも、柴田さんは私の言葉を受け入れなかった。

「良くない。何もしないけど、恋人になって欲しい」
「柴田さん、自分がめちゃくちゃなこと言ってるってわかってる?」
「めちゃくちゃじゃないよ。好きな人と付き合いたいって普通でしょ」

 確かに、好きな人と付き合いたいという欲求はめちゃくちゃなものではない。そこは、間違っていない。けれど、私は柴田さんのことを好きなわけでもないし、付き合いたいわけでもない。
 彼女から、私の気持ちが抜け落ちているということが問題なのだ。そこを理解して欲しいが、柴田さんには理解するつもりがないようだった。

 私は、柴田さんにわかるようにわざとらしくため息をついた。
 理解するつもりがない人に、自分の気持ちを理解してもらえる方法。
 それを探さなければと思考を巡らせていると、彼女が言った。

「毎日一緒に帰って、寄り道して。それくらいのことだから、他の人から見たら友達にしか見えないと思う。だから、鈴木さんには迷惑かけない」

 もうすでに迷惑がかかっている。
 そう言いかけて、止める。
 多分、彼女に言っても伝わらない。
 やっぱり、柴田さんは苦手なタイプだ。
 けれど、苦手な人に苦手だと言うのは難しい。言える人もいることはわかるけれど、私には出来そうにない。

「それ、友達と何が違うのかどうしてもわかんないんだけど」

 私が今出来そうなこと。それは、やんわりと恋人になることを否定することだった。

「私の中では違うの。鈴木さんに好きな人が出来るまででもいい。それまででいいから、私と付き合って」

 熱烈な愛情が感じられる物言いではない。どちらかと言えば、淡々としていた。でも、柴田さんの瞳には熱がこもっていた。
 茜色だった教室は夜に近づき、空には闇色が混じっている。
 ブラウスから伸びる柴田さんの白い腕。
 少しだけ緩められたネクタイ。
 額に汗をかいている私。
 教室が暑いわけではないのに、手のひらも湿っていた。
 柴田さんの熱が伝染したみたいで、居心地が悪かった。

「……なんで、そこまで私に固執するの?」

 話を聞けば、彼女の勢いに流されてしまうことは予想できた。私の悪い癖だ。話を聞けば聞くほど、断れなくなる。これまでに何度も、つまらないことを押しつけられてきている。今だって、柴田さんの勢いに押されて、ここまで話を聞いてしまった。
 それでも、彼女に聞いてみたかった。

「好きだから」

 返ってきたのは、単純な答え。
 柴田さんの言葉は、理解しやすくて理解しにくい。
 好きにはなれそうにないと思う。
 でも、嫌いではない。

「デートは、美味しいケーキがあるお店にするから」
「それ、いま関係ある?」
「鈴木さん、スイーツ系のお店一人で行くの苦手でしょ? 一緒に行く友達もいないみたいだし」
「……よく知ってるね」
「好きな人のことだから」

 柴田さんがさらりと言う。
 甘い物が好きだけれど、一人ではお店に入れない。
 休み時間を一緒に過ごす友達はいるけれど、一緒に寄り道をして帰るような友達はいない。いつから私を観察していたのか知らないが、柴田さんの言うことに間違いはなかった。

「鈴木さんが行きたいお店、一緒に行こうよ」

 彼女が私を恋人だと言っても、私が彼女のことを友達だと思っていれば問題ないんじゃないか。
 そんな考えが頭に浮かぶ。

 きっと、心の中までは見えない。

 私は一つにまとめてはいるけれど、長くなって少しばかり鬱陶しい髪に触れた。
 断ることが苦手な私がこのまま話続けても、彼女の告白を断ることはできない。それは、自信がある。
 私の心が折れるのは、新聞屋の朝より早かった。

「食べ歩き、付き合ってもらうからね」

 彼女の言う恋人なら、付き合ったところでごっこ遊びみたいなものだ。きっと、おそらく、たぶん、恋人同士になっても問題がない。

「鈴木晶」

 唐突に名前を呼ばれる。

「なに?」
鈴木晶すずきあきらは、今日から柴田鈴の恋人ね」

 柴田さんが楽しそうに宣言する。

「うん、まあ、そういうことで」

 曖昧に笑ってそう言うと、柴田さんは満面の笑みを私に向けた。

「じゃあ、早速デートしようよ」
「今から? あまり帰るの遅くなると怒られるんだけど」
「一緒に帰るだけでもデートでしょ」

 弾む声で柴田さんが言った。
 そうだね、と返すと、柴田さんが私に背を向ける。彼女が机の上から鞄を手に取ると、柴田さんの肩に付くか付かないかくらいの髪が嬉しそうにぴょんと跳ねた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【純愛百合】檸檬色に染まる泉【純愛GL】

里見 亮和
キャラ文芸
”世界で一番美しいと思ってしまった憧れの女性” 女子高生の私が、生まれてはじめて我を忘れて好きになったひと。 雑誌で見つけたたった一枚の写真しか手掛かりがないその女性が…… 手なんか届かくはずがなかった憧れの女性が…… いま……私の目の前ににいる。 奇跡的な出会いを果たしてしまった私の人生は、大きく動き出す……

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

嘘をつく唇に優しいキスを

松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。 桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。 だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。 麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。 そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...