恋だけがそれを知っている

羽田宇佐

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友達と恋人

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 古びたテーブルの上には、茶色っぽい毛糸をくるくる巻いて置いたみたいなケーキが一つと紅茶のカップ。
 てっぺんにのせられたマロングラッセが主張しているように、お皿の上のケーキはモンブランだった。

 私は、ぎりりとモンブランを睨む。ケーキは好きだが、モンブランは苦手だ。それなのに、目の前にモンブランが鎮座しているのは柴田さんのせいだった。

「……私の行きたいって言ったお店じゃない」

 向かい側に座る柴田さんに、遠慮がちに主張する。

「そうだけど、ここのお店美味しいよ」
「そうかもしれないけど、私が行きたいお店に一緒に行くって話はどこにいっちゃったのかなって」
「どこにもいってないけど、鈴木さんに美味しいケーキ食べて欲しくて。ここのモンブラン、さっきも言ったけどおすすめなの」

 悪気の欠片もない笑顔とともに、柴田さんが言った。
 そう、それはお店に入って席に座ってすぐ聞いた。だけど、私は「モンブランは得意じゃない」と答えたはずだった。はずだったけれど、柴田さんが「絶対に美味しいから、一度食べてみて」と強引にすすめてきた結果、私の目の前にモンブランがそびえ立っている。

 柴田さんとの約束は、毎日一緒に帰って寄り道をするというものだったから、私は今日は、律儀に彼女との約束を守って二人で町外れのカフェに来ていた。
 告白された当日は二人で一緒に帰っただけだったから、きっとこれが第一回目のデートというものになるんだと思う。
 そこは問題ない。約束だから、一緒に寄り道をすることについては受け入れている。でも、柴田さんがマイペースすぎてついていけない。

 柴田さんは昨日、『鈴木さんが行きたいお店、一緒に行こうよ』と言っていたはずだけれど、蓋を開けてみれば私は柴田さんおすすめのお店にいる。

「とりあえず、食べてみてよ。鈴木さん、気に入ると思うから。あ、そうだ。食べさせてあげようか?」

 柴田さんがフォークを手にモンブランを切り分け始めて、私は慌てて「自分のを食べるから」と告げる。人に食べさせてもらうという行為は、まるで恋人みたいで気が引けた。

 私たちは恋人だけれど、恋人じゃない。

 これは恋人ごっこに近いものだ。少なくとも、私は柴田さんに恋心というものを持っていない。友達かどうかさえ怪しいと思う。だから、恋人がするような行為は、できるだけしたくなかった。何かをしなければいけないのなら、それは柴田さんと約束したものだけにしたい。

 私はぐるぐると巻かれた毛糸のようなクリームに、フォークを入れる。
 モンブランが苦手になった理由は、覚えていない。ただ、随分と長い間食べていなかった。もうモンブランがどんな味の食べ物だったのかも思い出せない。
 私はお皿の上のケーキが美味しいものであることを願いながら、茶色い山を一口大に切り分ける。そして、目を閉じて口の中に押し込んだ。

「美味しい?」

 期待に満ちた声で柴田さんが言った。
 口の中に広がる生クリームと栗の香り。それは、嫌いなものではなかった。

「意外に美味しい」

 フォークをぷすりとケーキに刺して、さっきよりも大きな塊を口の中に放り込む。ここのお店のモンブランだからなのか、モンブランすべてがそうなのかはわからなけれど好きな味だった。

「ね、言った通りでしょ?」

 柴田さんが誇らしそうに微笑む。

「そうだけど。なんか悔しい」
「喜ぼうよ。美味しいものに出会えたんだから」
「確かに、美味しくて嬉しいけど。ちょっと解せない」

 美味しいものを食べて幸せなはずなのに、素直に喜べないのは柴田さんのペースに乗せられたからだ。彼女と過ごす放課後は、私が考えていたものとはまったく違っている。

 お洒落なカフェで可愛いケーキを食べるはずだったのに、今、私がいるのはアンティークの家具が置かれた古めかしいお店だ。カフェというより、喫茶店と呼ぶべきお店に見える。
 外観は蔦が絡まり、何のお店かわからなくなっていて、中へ入ることを躊躇うほどだった。でも、落ち着いた店内は思ったよりも居心地が良い。それを素直に認めてしまうことは、柴田さんを認めることにもなるだろうから少しばかり複雑な気分だ。

「柴田さん、ちょっと自由すぎるんだよ。私が行きたいお店行くって言ってたのに」

 私は、はあ、と大きく息を吐いて、恨めしげな目で柴田さんを見る。だけど、柴田さんはにこにこと笑ったままだった。

「そう思いながらも、ついてきてくれたんだよね」
「ついていくしかないじゃん。手、引っ張って離さないし」
「そんなに強く掴んでないもん。違うお店、行こうと思ったら行けたでしょ」
「そうだけど、そこまでして違うお店に行く必要ないし」

 人に逆らうには、それなりの熱量が必要になる。
 柴田さんが引っ張る手に逆らう力や、違う店に連れて行くという熱意。そういったものを体の奥から持ち出してまで、自分が行きたいお店に向かう気力はない。釈然としない思いは残るけれど、そんな面倒なことをするよりは彼女に引っ張られていく方を選ぶ。

 私はカップを手に取って、冷めかけた紅茶をごくりと一口飲む。砂糖を入れない渋めの紅茶が、ケーキの甘さと混じり合って胃の中に落ちていく。

「鈴木さん、優しいよね」

 柴田さんが静かに言って、マロングラッセにフォークを刺す。

「別に、優しいわけじゃない」
「そういうところ、好き」

 柴田さんはそう言うと、フォークに突き刺したマロングラッセをこちらに差し出した。私はぶんっと勢いよく首を振ってマロングラッセを拒否してから、身を乗り出す。

「そういうこと、こういうところでは言わないで」

 私が小さな声で告げると、柴田さんはマロングラッセをぱくりと食べてから言った。

「恥ずかしいの?」
「恥ずかしいっていうか。なんていうか。……とにかく言わないで」
「外での方がいい?」
「外ならいいわけでもないけど、今はちょっと」
「じゃあ、いつならいいの? 約束したよね」

 したかったわけではないけれど、と言いたかったが、言っても無意味だからそれは黙っておく。

『私が好きだって言ったら、鈴木さんも好きだって返す』

 昨日したばかりの約束は、しっかりと私の脳に刻み込まれていた。すっと忘れられる脳天気な頭だったら良かったけれど、残念ながら瞬間接着剤で固定したみたいに言葉が脳にくっついている。
 柴田さんの黒目がちな目が、答えを催促するように私を見ている。返す言葉を見つけられずにいると、柴田さんがふわふわした髪に触れてから口を開いた。

「後からもう一度言うから、今度は鈴木さんも言ってね」

 そう言って、柴田さんはお皿の上のモンブランを胃の中に片付け始める。私も、残っているケーキを口の中に放り込んだ。

 柴田さんは何も喋らない。
 だから、私も喋らない。

 ときどき、窓の外を見る。窓際の席から眺める町の景色も悪くなかったけれど、沈黙が思考を沈ませる。
 あのとき、付き合っている人がいると言えば良かった。
 一瞬、そう思った。でも、私のことを観察していたらしい柴田さんに、そんな嘘が通じるはずがない。私は後悔してもどうにもならないことを考え続けることをやめ、カップの紅茶を飲み干す。
 かちゃりとカップをソーサーの上に置くと、ケーキを食べ終えた柴田さんが言った。

「そろそろ帰ろうか」

 私は頷いて、席を立つ。
 別々に会計を済ませて、外へ出る。
 帰り道は駅まで一緒で乗る電車が違うだけだから、二人で駅へと向かう。

 お店にいたのは、四十分ほどだった。恋人だったら、もっと話すことがあって、もっと長い時間を過ごしたりするのかもしれないとは思う。友達だったとしても、仲が良ければもう少し一緒にいたいと思うのかもしれない。でも、柴田さんのことをどちらにも思えない私には、四十分が長いのか短いのか判断がつかなかった。

「楽しかった?」

 隣を歩く柴田さんから尋ねられ、私は短く答える。

「それなりに」
「それなりでも楽しかったなら、良かった」

 柴田さんは弾んだ声でそう言ってから、おまけのように言葉を付け加えた。

「鈴木さん、好きだよ」

 さっき食べたモンブランよりも甘い声だった。
 人通りは少なくて、私たちの周りを歩く人もいない。けれど、駅へと向かう道を歩いている途中にこんなことを言われるとは思っていなかったから、驚いた声を出してしまう。

「え、突然すぎない?」
「こういうのは突然なの」

 柴田さんが大きく一歩踏み出す。
 私の前を柴田さんが歩く。
 秋色に変わろうとしている太陽の光に、ふわふわとした髪が透ける。日に透けた髪は、黒というよりは茶色に見えた。
 馬鹿みたいに柴田さんの柔らかそうな髪を見ていたら、くるりと彼女が振り向いた。

「鈴木さん」
「なに?」

 柴田さんの不満げな声に間の抜けた声で返事をすると、彼女は責めるような目で私を見た。

「約束。好きだって言ったら、好きだっていってくれないと」

 覚えていたけれど、果たすことを躊躇っていた約束を突き出される。出来れば、なんとなくやり過ごしてしまいたかったけれど、柴田さんの目はそれを許しそうになかった。

「約束、だよね」
「そう、約束。だから、言って」
「えっと、好き」

 ただの約束だから、真剣になる必要はないと思う。淡々と言えば良いはずだ。でも、そんなに器用な方ではないから、恥ずかしさにぼそぼそと歯切れが悪くなってしまう。その結果、私は柴田さんからダメ出しされることになる。

「えっと、とかいらない」

 はあ、と呆れたように息を吐き出し、柴田さんが歩き出す。私は鞄を握り直し、柴田さんの隣に並んだ。

「んー、その、好き」

「ん、とか、そのとかもいらない。好きだけでいいの。名前を呼んでくれたら最高だけど」
「なんか、注文多くない?」
 柴田さんの演技指導まで入りそうな勢いに、思わず文句が出る。けれど、彼女はそれくらい当たり前だというように言った。

「少しくらい多くてもいいでしょ」
「よくないってばっ」

 困って少しばかり乱暴にそう言うと、柴田さんが二歩分ほど近づいてきて私を見た。
 すぐに目が合う。
 視線をそらしたかったけれど、そらすより先に柴田さんが言った。

「鈴木さん、好きだよ」

 ふわりと笑った柴田さんから目をそらし、私は慌てて約束を果たした。

「あー、もう。私も好きだから」

 我ながら、愛想がない声だとは思った。でも、今のところはこれくらいが精一杯だ。

「合格とは言えないかな。……でも、今日のところはそれで許してあげる」

 わざとらしく顎に手をあてて考えるふりをしてから、柴田さんが笑う。

「今後も許してくれると嬉しいんだけど」
「だーめっ」

 軽そうな鞄をぶんっと振って、柴田さんが言った。
 太陽が、半袖から伸びる柴田さんの白い腕を照らす。
 明日は衣替えだというのに、まだ暑さを感じる。

「鈴木さん。明日の放課後も空けておいてね」
「わかった」

 私も柴田さんの真似をして鞄をぶんっと振ると、筆箱の中身ががしゃりと音を立てた。
 駅は、もう目の前だった。
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