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感情と行動
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テスト期間中は会わないという約束は、私の半分を拘束している。けれど、もう半分が右、左と足を動かす。私は出来損ないのロボットみたいにぎくしゃくと歩き、美術室がある三年生の校舎へと向かう。
廊下は、テストの話で盛り上がる生徒という名の障害物で溢れていた。私は家へ帰ろうとする群から離れ、下駄箱を通り過ぎて三年生の教室がある校舎に入る。そして一階の端、廊下の突き当たりにある美術室を目指す。
一階と二階を繋ぐ階段には青い上履きがたくさん見えるけれど、化学室や調理室が並ぶ一階は人気がない。ひんやりとした空気が漂う廊下に、上履きが立てるきゅっきゅっという音が響く。
急いでいるわけではないのに短い間隔で鳴る足音に合わせるように、心臓がリズムを刻む。二年生の校舎からそう遠くない美術室がすぐに見えきて、どくん、と体の奥から大きな音が聞こえた。
意識したわけではなかったけれど、機械的に動いていた足が止まる。
私は、窓の外を見た。
薄く雲がかかる空を見て、呼吸を整える。今度はゆっくりと足を進める。足音を立てないようにそっと床を踏み、廊下の端を歩く。悪いことをしているみたいだという思いに、罪悪感が芽生える。
私のしていることは鈴の秘密を暴く行為で、褒められたものではない。わかっていても、知りたいという気持ちが後ろめたい気持ちを覆い隠してしまう。
鈴がそこにいる確証はなかった。
それなのに、私は鈴がそこにいると考えている。
美術室に近づき、扉に付いている小窓から中を覗く。
四角く切り取られた教室には、見覚えのある顔が二つ。
それは、鈴と屋上へ続く階段で会った先輩だった。
二人はあの日のように制服が交わる距離にいて、先輩の手が鈴の柔らかな髪に触れていた。
反射的に、小窓から離れて壁に背を付ける。
鈴の表情はよくわからないけれど、先輩がそうすることを許していた。私と鈴の距離とは明らかに違う距離に、足の先が冷たくなる。
きっと、見てはいけないものだったと思う。
それでも私は立ち去ることができず、息を殺して、もう一度小窓から中を覗いた。
教室には、やっぱり二人がいる。
先輩の手は、鈴の髪ではなく頬に触れていた。
制服の混じり合った部分が増えていき、二人から目が離せなくなる。
薄い硝子の向こう側、二人の姿が重なる。
深い、深い、水の中にこぽこぽと落ちていく感覚。透明な青に沈められた廊下の下の下、薄暗い場所に閉じ込められてしまいそうな気がして、私は逃げ出すように駆け出した。
きゅっと床を蹴った音が響いたような気がしたけれど、かまわず走る。ロボットみたいに硬かった関節が驚くほどスムーズに動いて、私を運ぶ。下駄箱を通り過ぎて、二年生の校舎に戻って階段を飛ぶように上る。
屋上へと続く扉が見えて、私は足を止めた。
たくさん走って、息が乱れて、苦しくて、でも、呼吸の仕方を忘れたみたいに上手く息が吸えない。喉がひゅーひゅーと情けない音を出し続ける。膝が油が切れた機械みたいにガクガクと揺れて、私は手すりにもたれかかった。
目を閉じると、瞼の裏にさっき見た光景が再生される。頭を振っても追い出すことができなくて、記憶は私に張り付いたままだった。
二人はキスをしていた。
美術室に二人きり、私に内緒で。
行かなければ良かったと思う。
知らなければ良かったと思う。
私は焼き付いた記憶を剥がしたくて、制服のスカートに爪を立てる。けれど、鈴は私の中に居座ったままだった。好きじゃなかったはずなのに、まるで本当の恋人だったみたいに鈴のことが頭に浮かんで離れない。
多分、鈴からもらっていた“好き”という言葉が私を変えてしまったんだと思う。でも、鈴によって更新されていく毎日に、感情が追いついていなかった。わけがわからないまま気持ちだけが取り残されて、彼女の秘密を暴いた。
心臓に棘が刺さったみたいに胸の辺りがちくちくして、苦しい。制服のボタンを外して、胸を切り開いて、心臓を取り出してしまいたい。頭の中のものも全部出して、誰か別の人のものとかえてしまいたい。
私は出来もしないことをいくつも考えて、座り込む。
階段の半ば、見上げた先には厳めしい扉。
今は、鈴も先輩もいない。
あの日も二人であんなことをしていたのだろうかと考えて、その想像を頭の中から追い出した。それでも、その一瞬の想像は一つの答えを導き出す。
期末テストの期間中、会わないでおこうと鈴が言った理由。
美術室で見たもの。
二つが繋がって、体温が一度くらい下がった気がした。階段に漂う埃っぽい空気が纏わり付いて、手の先も足の先も冷たい。私は逃げていく体温を捕まえるように、震える手を擦り合わせて暖める。
好きじゃなかったはずの鈴は、いつの間にか私の中に入り込んでいた。彼女からもらった好きがナイフみたいに刺さって痛い。
今まで大抵のことは、笑って誤魔化しておけば良いと思っていた。面倒なことは嫌いだし、必要以上に人と親しくしたくなかった。目に見えない境界線を越えて踏み込めば、痛い思いをすることになる。だから、鈴とも距離を置いて付き合うつもりだった。
鈴の気まぐれに付き合って、彼女が飽きたらそれで終わり。
今だって、そうしたいと思っている。思っているけれど、実際はそうじゃない。
イルカとクジラの違いくらい曖昧な気持ち。
私は今、鈴に対してそれくらい微妙な感情を持っている。
これまでのことをなかったことにして昔のようにそれなりにクラスのみんなと上手くやっていこうという私と、鈴の気持ちを知りたい私がいる。
夕焼け色の教室。
告白された日のことは、よく覚えている。
あのとき鈴は、夕陽に染まった教室で「絶対に何もしない」と言った。キスもしないと言った。
でも、私とはキスをしない鈴は先輩とキスをしていた。
私は、鈴とどうなりたいのかよくわからない。けれど、彼女と話をしたかった。
廊下は、テストの話で盛り上がる生徒という名の障害物で溢れていた。私は家へ帰ろうとする群から離れ、下駄箱を通り過ぎて三年生の教室がある校舎に入る。そして一階の端、廊下の突き当たりにある美術室を目指す。
一階と二階を繋ぐ階段には青い上履きがたくさん見えるけれど、化学室や調理室が並ぶ一階は人気がない。ひんやりとした空気が漂う廊下に、上履きが立てるきゅっきゅっという音が響く。
急いでいるわけではないのに短い間隔で鳴る足音に合わせるように、心臓がリズムを刻む。二年生の校舎からそう遠くない美術室がすぐに見えきて、どくん、と体の奥から大きな音が聞こえた。
意識したわけではなかったけれど、機械的に動いていた足が止まる。
私は、窓の外を見た。
薄く雲がかかる空を見て、呼吸を整える。今度はゆっくりと足を進める。足音を立てないようにそっと床を踏み、廊下の端を歩く。悪いことをしているみたいだという思いに、罪悪感が芽生える。
私のしていることは鈴の秘密を暴く行為で、褒められたものではない。わかっていても、知りたいという気持ちが後ろめたい気持ちを覆い隠してしまう。
鈴がそこにいる確証はなかった。
それなのに、私は鈴がそこにいると考えている。
美術室に近づき、扉に付いている小窓から中を覗く。
四角く切り取られた教室には、見覚えのある顔が二つ。
それは、鈴と屋上へ続く階段で会った先輩だった。
二人はあの日のように制服が交わる距離にいて、先輩の手が鈴の柔らかな髪に触れていた。
反射的に、小窓から離れて壁に背を付ける。
鈴の表情はよくわからないけれど、先輩がそうすることを許していた。私と鈴の距離とは明らかに違う距離に、足の先が冷たくなる。
きっと、見てはいけないものだったと思う。
それでも私は立ち去ることができず、息を殺して、もう一度小窓から中を覗いた。
教室には、やっぱり二人がいる。
先輩の手は、鈴の髪ではなく頬に触れていた。
制服の混じり合った部分が増えていき、二人から目が離せなくなる。
薄い硝子の向こう側、二人の姿が重なる。
深い、深い、水の中にこぽこぽと落ちていく感覚。透明な青に沈められた廊下の下の下、薄暗い場所に閉じ込められてしまいそうな気がして、私は逃げ出すように駆け出した。
きゅっと床を蹴った音が響いたような気がしたけれど、かまわず走る。ロボットみたいに硬かった関節が驚くほどスムーズに動いて、私を運ぶ。下駄箱を通り過ぎて、二年生の校舎に戻って階段を飛ぶように上る。
屋上へと続く扉が見えて、私は足を止めた。
たくさん走って、息が乱れて、苦しくて、でも、呼吸の仕方を忘れたみたいに上手く息が吸えない。喉がひゅーひゅーと情けない音を出し続ける。膝が油が切れた機械みたいにガクガクと揺れて、私は手すりにもたれかかった。
目を閉じると、瞼の裏にさっき見た光景が再生される。頭を振っても追い出すことができなくて、記憶は私に張り付いたままだった。
二人はキスをしていた。
美術室に二人きり、私に内緒で。
行かなければ良かったと思う。
知らなければ良かったと思う。
私は焼き付いた記憶を剥がしたくて、制服のスカートに爪を立てる。けれど、鈴は私の中に居座ったままだった。好きじゃなかったはずなのに、まるで本当の恋人だったみたいに鈴のことが頭に浮かんで離れない。
多分、鈴からもらっていた“好き”という言葉が私を変えてしまったんだと思う。でも、鈴によって更新されていく毎日に、感情が追いついていなかった。わけがわからないまま気持ちだけが取り残されて、彼女の秘密を暴いた。
心臓に棘が刺さったみたいに胸の辺りがちくちくして、苦しい。制服のボタンを外して、胸を切り開いて、心臓を取り出してしまいたい。頭の中のものも全部出して、誰か別の人のものとかえてしまいたい。
私は出来もしないことをいくつも考えて、座り込む。
階段の半ば、見上げた先には厳めしい扉。
今は、鈴も先輩もいない。
あの日も二人であんなことをしていたのだろうかと考えて、その想像を頭の中から追い出した。それでも、その一瞬の想像は一つの答えを導き出す。
期末テストの期間中、会わないでおこうと鈴が言った理由。
美術室で見たもの。
二つが繋がって、体温が一度くらい下がった気がした。階段に漂う埃っぽい空気が纏わり付いて、手の先も足の先も冷たい。私は逃げていく体温を捕まえるように、震える手を擦り合わせて暖める。
好きじゃなかったはずの鈴は、いつの間にか私の中に入り込んでいた。彼女からもらった好きがナイフみたいに刺さって痛い。
今まで大抵のことは、笑って誤魔化しておけば良いと思っていた。面倒なことは嫌いだし、必要以上に人と親しくしたくなかった。目に見えない境界線を越えて踏み込めば、痛い思いをすることになる。だから、鈴とも距離を置いて付き合うつもりだった。
鈴の気まぐれに付き合って、彼女が飽きたらそれで終わり。
今だって、そうしたいと思っている。思っているけれど、実際はそうじゃない。
イルカとクジラの違いくらい曖昧な気持ち。
私は今、鈴に対してそれくらい微妙な感情を持っている。
これまでのことをなかったことにして昔のようにそれなりにクラスのみんなと上手くやっていこうという私と、鈴の気持ちを知りたい私がいる。
夕焼け色の教室。
告白された日のことは、よく覚えている。
あのとき鈴は、夕陽に染まった教室で「絶対に何もしない」と言った。キスもしないと言った。
でも、私とはキスをしない鈴は先輩とキスをしていた。
私は、鈴とどうなりたいのかよくわからない。けれど、彼女と話をしたかった。
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