24 / 41
放課後と寄り道
24
しおりを挟む
ぎこちない空気を背負ったまま、靴を履き替える。自転車置き場へ向かった平野さんを待ってから、私たちは足並みを揃えて校門を通り過ぎる
「藤原。風邪、早く治さないと」
くしゅん、とくしゃみが聞こえて、平野さんが言った。
バス停へと続く歩道は広いけれど、四人並んで歩くほどの幅はない。自転車を押して歩く平野さんもいるから、必然的に二人ずつに分かれることになる。
「治さずに休む」
平野さんの隣で、藤原さんが力強く断言する。
「いやいやいや。早く治して」
「なんで?」
「スキー! もうすぐ修学旅行! 楽しみじゃないの?」
「あー。今月、修学旅行か。どうせならディズニーランドとか、ユニバーサルスタジオとかそういうところが良かった。県内でスキー行くところ、うちくらいでしょ」
「ええー、スキーいいじゃん。鈴木さんもスキーしたいよね?」
平野さんがくるりと振り向いて、期待に満ちた目で私を見た。
国内なら、スキー以外にも選択肢があるはずだ。学校によっては、海外に修学旅行へ行くところだってある。だから、寒い時期にわざわざ寒い場所へ行く理由がわからない。
鈴と修学旅行へ行くということ自体は楽しみにしたい気持ちもあるけれど、スキーは気乗りがしなかった。
「んー。私も、他のところが良かったかな。寒いの苦手だし」
大きく一歩踏み出して、空を見上げる。雪は降っていないけれど、目の端に映った太陽には冬の乾いた空気を暖めるほどの力はない。スキーが出来るような場所に行けば、太陽は今よりももっと役に立たなくて、今日よりも寒いということは簡単に想像できた。
「柴田さんは?」
未練がましくというよりは、恐る恐るといった様子で平野さんが尋ねる。
「寒いの嫌いだし、スキーも嫌い。休みたい」
冬の風ほどは冷たくないけれど、ぶっきらぼうに鈴が答えて会話が途切れる。車道を走るバイクのエンジン音が響いて、消えかけた会話を繋ぐように藤原さんが平野さんの背中をばんっと叩いた。
「三対一で平野の負けね。一人で行ってきて」
「そういうものじゃないから、修学旅行。みんな行くの!」
「何が楽しくて、修学旅行にスキー行かなきゃいけないの。もっと暖かい時期に観光地でしょ、普通」
「普通じゃないから、いいのに」
「そんなことないと思うけど」
藤原さんから「ねえ?」と同意を求めるように見られて、私はにこりと笑う。
「楽しくなかったら、平野さんに責任取ってもらうってことで」
「だってさ、平野」
「責任取るから、まかせて!」
勢いよく言って平野さんが笑って、藤原さんも笑う。
でも、鈴は笑わない。
続くのは、ぎこちない会話。
くるくると回る自転車のタイヤが前をゆく。
私たちは盛り上がっているようで、空回りしている。
鈴が私と二人でいるときのように少しくらい笑ってくれたら、会話が上手く回りだしそうだし、藤原さんや平野さんが持っているイメージが変わると思う。クラスメイトが考えているほど、近寄りがたい人間ではないことが伝わるはずだ。
同時に、私だけが知っている鈴を手放したくないとも思う。実際には私だけが知っているというわけではないのだろうけれど、出来るだけ秘密にしておきたいなんて狭量な考えに囚われる。
街のざわめきが遠くなりかけた頃、私の視界を占めていた自転車のタイヤが回転を止めた。
「柴田さん、聞いてもいい?」
平野さんが勢いよく振り向く。
「どうぞ」
素っ気ない声に、疑問がぶつけられる。
「どうして一緒に帰ろうと思ったの?」
「どうしてって。……三人でなに話してるか知りたかったから」
今までよりも柔らかな声が聞こえて、ほっとしたように平野さんが自転車を押し始める。うーん、という小さなうなり声の後に言葉が続く。
「なに話してるかかあ」
「そう」
「……藤原。私たち、いつもなに話してたっけ?」
「しょーもないこと。平野のおすすめの曲とか、おすすめの曲とか、おすすめの曲」
それが全てではないけれど、間違ってはいない日常を藤原さんが口にすると、「ええー」と情けない声が聞こえてきた。
「それ、私が馬鹿みたいじゃん」
「鈴木さん、平野って馬鹿じゃないの?」
「数学はどうにかした方が良いと思う」
「親切に良い曲を教えてあげているというのに。酷い奴らだな」
そう言うと、平野さんが急に自転車を歩道の端に寄せ、鞄をごぞごぞと漁り始める。
「せっかくだから、柴田さんにもおすすめのCDを」
「平野、あんた今日もCD持ってきてるの?」
始業式にまでと言いたげな呆れ声に、歯切れの良い「持ってきてる」という言葉が返される。私は呆れることはなかったけれど、尊敬の眼差しを向けたりすることもなく平野さんに声をかけた。
「宣教師の鏡だよね」
「平野さん、布教活動が趣味なんだ」
鈴の声に、興味がありそうな響きはなかった。でも、平野さんにとってはそんなことは関係ないらしく、鈴の前にCDが何枚か差し出される。
「布教でも趣味でもなくて、ただのおすすめ。CD、聴く?」
「遠慮しとく。音楽、それほど聴かないし」
「そっか。残念」
気を遣っているのかいないのか。愛想が足りない鈴の言葉に、平野さんがにこりと笑顔を返して信号を指さす。
「私たち、こっちだから」
「平野、青になった。鈴木さん、柴田さん、また明日」
藤原さんが手を振りながら走り出して、平野さんがその後を追う。慌ただしく去っていく二人に手を振ると、「ばいばーい」と威勢の良い声が聞こえてきて、その背中を見送った。
道行く人の話し声や、車のエンジン音。
聞こえてくる音はいくつもあるのに、二人きりになると街が突然静かになったような気がした。
「いつもあんな感じ?」
視界が開けた歩道をゆっくりと歩く鈴が、私に問いかけてくる。
「まあね」
「楽しい?」
「楽しいよ」
ふーん、と気のない返事が聞こえて、少し歩くスピードが上がる。薄い鞄が揺れる。イルカと猫のキーホルダーがぶつかり合って、かちゃかちゃと小さな音が聞こえた。
藤原さんと平野さんと一緒に帰りたいと言い出したのは鈴のはずなのに、二人のことには触れない。私たちは、くだらない話をしながら駅に向かう。
「鈴、一つ聞いてもいい?」
声をかけると、歩調が緩む。
「一つならね」
「電話番号、教えて。話したいことあるから」
メールで事足りるからと、今まで聞かずにいたことを口にする。私のスマートフォンに詰まっているのは、今は連絡を取らなくなった友達の番号ばかりで鈴の電話番号はどこにもない。
「今じゃ駄目なの? 話なら聞くけど」
「今でも明日でもなくて、今日、もう少しゆっくり話したい」
駅が見えてきて、鈴が足を止めた。
鞄からスマートフォンを取り出して、何かを打ち込む。
鈴は何も言わなかったけれど、鞄の中で私のスマートフォンがメールの着信を知らせる。
「じゃあね」
メールを確認する前に、鈴が手を振って改札に消えていく。
スマートフォンを取り出せば、メールが一通。
そこには、彼女の電話番号が書かれていた。
家に帰ってからは、昨日よりも少しだけ重いような気がするスマートフォンと何度もにらめっこをすることになった。
夕飯の前と後。
お風呂の前と後。
いつ鈴に電話をしようかと散々迷ってから、十時を過ぎる前に登録したばかりの電話番号を活用することを決める。
机の上のマグカップから、お茶を飲む。
座り直して電話をかけると、四回目の呼び出し音がなる前にスマートフォンから鈴の声が聞こえてきた。
「話したいことって?」
「今日のこと、聞きたくて。朝のこととか、四人で帰ろうって言ったこととか。全部、今までの鈴とは違うから」
一気に喋って、鈴の答えを待つ。
「朝も言ったけど、挨拶するのに理由がいるの?」
「いらないけど」
「大体、挨拶くらい誰でもするでしょ。それほどおかしなことでもないと思うけど」
「おかしくはないけど、今まで鈴からおはようって言ってきたこと一度もなかったから」
「そういう日もあるってこと。もういいでしょ」
ぴしゃりと鈴が言い切って、話を打ち切ろうとする。けれど、疑問は二つ。今、解決したとは言い難いものの、解決したことになった疑問とは別に知りたいことがもう一つある。
「じゃあ、帰りはなんだったの?」
問いかけると、スマートフォンの向こう側が静かになった。何かしているのかかちかちと硬い音がしてから、鈴の声が聞こえてくる。
「――晶のこと、知りたかったから」
感情が読めない平坦な言葉の後、誰の曲かは知らないけれど音楽が流れ始める。
「それで、何かわかった?」
「藤原さんと平野さんが、あんなにおしゃべりだなんて知らなかった」
「それ、私のことじゃないんだけど」
「晶の友達のことなんだから、晶のことを知ったみたいなものでしょ」
「……大雑把すぎない?」
鈴の隣で流れているであろう音楽を遮るように言うと、即座に答えが返ってくる。
「すぎない。どんな人と仲が良いのかとか、そういうことも大事だと思うし。でも、しばらくは四人で帰るのやめとく。すごく疲れた」
「無理しない方がいいよ。藤原さんと平野さんも驚いてたし」
重苦しい雰囲気を何とかすべく会話の糸口を探し、不自然に言葉を紡いでいた平野さんを思い出して、私は笑う。
今日、あったことはあまりないことで、ぎこちないながらも面白くはあったし、いつもとは違う鈴が嬉しくもあった。でも、無理をしてまで続けることもない。また、寄り道をしながら二人で帰れば良いと思う。
私は、冷え切ったお茶を喉に流し込む。
机にマグカップを置くと、猫のイラストが目に入った。
「そうだ。猫のキーホルダー、いつ買ったの?」
マグカップの猫を撫でながら尋ねる。
「冬休みが終わるちょっと前」
「犬が好きだって言ってたのに」
「猫、嫌いだとは言ってないでしょ。それとも、クマが良かった?」
スマートフォンから聞こえてくる言葉に、雑貨屋で見たクマのマグカップと鈴の部屋にあったクマのぬいぐるみが重なる。クマは好きだったけれど、今はそれほどでもない。むしろ、避けたいものになりつつあった。
「猫がいい」
そう答えてから、言葉を続ける。
「明日、帰りに本屋寄ってもいい? 買いたい本があるから」
「いいよ」
私は躊躇いのない肯定の言葉を聞いて、ベッドに寝転がった。
枕に頭を預けて、鈴ともう少し話たいなんて思う。けれど、何を話せばいいのかわからなくて、「話はこれだけ」と彼女に伝えた。
「じゃあ、切るね」
鈴がやっぱり躊躇いなく言うから、電話を切られる前に約束を果たしてもらうことにする。
「一つ忘れてる」
「なに?」
「鈴、好きだよ」
少しだけ小さな声で伝えると、同じように少しだけ小さな声が返ってくる。
「うん、私も好き」
決められた言葉が返ってきて、私から電話を切った。
二人だけの決めごとは、相手も自分も洗脳するみたいなものだと思う。
スマートフォンを投げ出して、目を閉じる。
私が鈴を好きになったみたいに、鈴も私を好きになればいいのになんて考えが浮かんですぐに消えた。
「藤原。風邪、早く治さないと」
くしゅん、とくしゃみが聞こえて、平野さんが言った。
バス停へと続く歩道は広いけれど、四人並んで歩くほどの幅はない。自転車を押して歩く平野さんもいるから、必然的に二人ずつに分かれることになる。
「治さずに休む」
平野さんの隣で、藤原さんが力強く断言する。
「いやいやいや。早く治して」
「なんで?」
「スキー! もうすぐ修学旅行! 楽しみじゃないの?」
「あー。今月、修学旅行か。どうせならディズニーランドとか、ユニバーサルスタジオとかそういうところが良かった。県内でスキー行くところ、うちくらいでしょ」
「ええー、スキーいいじゃん。鈴木さんもスキーしたいよね?」
平野さんがくるりと振り向いて、期待に満ちた目で私を見た。
国内なら、スキー以外にも選択肢があるはずだ。学校によっては、海外に修学旅行へ行くところだってある。だから、寒い時期にわざわざ寒い場所へ行く理由がわからない。
鈴と修学旅行へ行くということ自体は楽しみにしたい気持ちもあるけれど、スキーは気乗りがしなかった。
「んー。私も、他のところが良かったかな。寒いの苦手だし」
大きく一歩踏み出して、空を見上げる。雪は降っていないけれど、目の端に映った太陽には冬の乾いた空気を暖めるほどの力はない。スキーが出来るような場所に行けば、太陽は今よりももっと役に立たなくて、今日よりも寒いということは簡単に想像できた。
「柴田さんは?」
未練がましくというよりは、恐る恐るといった様子で平野さんが尋ねる。
「寒いの嫌いだし、スキーも嫌い。休みたい」
冬の風ほどは冷たくないけれど、ぶっきらぼうに鈴が答えて会話が途切れる。車道を走るバイクのエンジン音が響いて、消えかけた会話を繋ぐように藤原さんが平野さんの背中をばんっと叩いた。
「三対一で平野の負けね。一人で行ってきて」
「そういうものじゃないから、修学旅行。みんな行くの!」
「何が楽しくて、修学旅行にスキー行かなきゃいけないの。もっと暖かい時期に観光地でしょ、普通」
「普通じゃないから、いいのに」
「そんなことないと思うけど」
藤原さんから「ねえ?」と同意を求めるように見られて、私はにこりと笑う。
「楽しくなかったら、平野さんに責任取ってもらうってことで」
「だってさ、平野」
「責任取るから、まかせて!」
勢いよく言って平野さんが笑って、藤原さんも笑う。
でも、鈴は笑わない。
続くのは、ぎこちない会話。
くるくると回る自転車のタイヤが前をゆく。
私たちは盛り上がっているようで、空回りしている。
鈴が私と二人でいるときのように少しくらい笑ってくれたら、会話が上手く回りだしそうだし、藤原さんや平野さんが持っているイメージが変わると思う。クラスメイトが考えているほど、近寄りがたい人間ではないことが伝わるはずだ。
同時に、私だけが知っている鈴を手放したくないとも思う。実際には私だけが知っているというわけではないのだろうけれど、出来るだけ秘密にしておきたいなんて狭量な考えに囚われる。
街のざわめきが遠くなりかけた頃、私の視界を占めていた自転車のタイヤが回転を止めた。
「柴田さん、聞いてもいい?」
平野さんが勢いよく振り向く。
「どうぞ」
素っ気ない声に、疑問がぶつけられる。
「どうして一緒に帰ろうと思ったの?」
「どうしてって。……三人でなに話してるか知りたかったから」
今までよりも柔らかな声が聞こえて、ほっとしたように平野さんが自転車を押し始める。うーん、という小さなうなり声の後に言葉が続く。
「なに話してるかかあ」
「そう」
「……藤原。私たち、いつもなに話してたっけ?」
「しょーもないこと。平野のおすすめの曲とか、おすすめの曲とか、おすすめの曲」
それが全てではないけれど、間違ってはいない日常を藤原さんが口にすると、「ええー」と情けない声が聞こえてきた。
「それ、私が馬鹿みたいじゃん」
「鈴木さん、平野って馬鹿じゃないの?」
「数学はどうにかした方が良いと思う」
「親切に良い曲を教えてあげているというのに。酷い奴らだな」
そう言うと、平野さんが急に自転車を歩道の端に寄せ、鞄をごぞごぞと漁り始める。
「せっかくだから、柴田さんにもおすすめのCDを」
「平野、あんた今日もCD持ってきてるの?」
始業式にまでと言いたげな呆れ声に、歯切れの良い「持ってきてる」という言葉が返される。私は呆れることはなかったけれど、尊敬の眼差しを向けたりすることもなく平野さんに声をかけた。
「宣教師の鏡だよね」
「平野さん、布教活動が趣味なんだ」
鈴の声に、興味がありそうな響きはなかった。でも、平野さんにとってはそんなことは関係ないらしく、鈴の前にCDが何枚か差し出される。
「布教でも趣味でもなくて、ただのおすすめ。CD、聴く?」
「遠慮しとく。音楽、それほど聴かないし」
「そっか。残念」
気を遣っているのかいないのか。愛想が足りない鈴の言葉に、平野さんがにこりと笑顔を返して信号を指さす。
「私たち、こっちだから」
「平野、青になった。鈴木さん、柴田さん、また明日」
藤原さんが手を振りながら走り出して、平野さんがその後を追う。慌ただしく去っていく二人に手を振ると、「ばいばーい」と威勢の良い声が聞こえてきて、その背中を見送った。
道行く人の話し声や、車のエンジン音。
聞こえてくる音はいくつもあるのに、二人きりになると街が突然静かになったような気がした。
「いつもあんな感じ?」
視界が開けた歩道をゆっくりと歩く鈴が、私に問いかけてくる。
「まあね」
「楽しい?」
「楽しいよ」
ふーん、と気のない返事が聞こえて、少し歩くスピードが上がる。薄い鞄が揺れる。イルカと猫のキーホルダーがぶつかり合って、かちゃかちゃと小さな音が聞こえた。
藤原さんと平野さんと一緒に帰りたいと言い出したのは鈴のはずなのに、二人のことには触れない。私たちは、くだらない話をしながら駅に向かう。
「鈴、一つ聞いてもいい?」
声をかけると、歩調が緩む。
「一つならね」
「電話番号、教えて。話したいことあるから」
メールで事足りるからと、今まで聞かずにいたことを口にする。私のスマートフォンに詰まっているのは、今は連絡を取らなくなった友達の番号ばかりで鈴の電話番号はどこにもない。
「今じゃ駄目なの? 話なら聞くけど」
「今でも明日でもなくて、今日、もう少しゆっくり話したい」
駅が見えてきて、鈴が足を止めた。
鞄からスマートフォンを取り出して、何かを打ち込む。
鈴は何も言わなかったけれど、鞄の中で私のスマートフォンがメールの着信を知らせる。
「じゃあね」
メールを確認する前に、鈴が手を振って改札に消えていく。
スマートフォンを取り出せば、メールが一通。
そこには、彼女の電話番号が書かれていた。
家に帰ってからは、昨日よりも少しだけ重いような気がするスマートフォンと何度もにらめっこをすることになった。
夕飯の前と後。
お風呂の前と後。
いつ鈴に電話をしようかと散々迷ってから、十時を過ぎる前に登録したばかりの電話番号を活用することを決める。
机の上のマグカップから、お茶を飲む。
座り直して電話をかけると、四回目の呼び出し音がなる前にスマートフォンから鈴の声が聞こえてきた。
「話したいことって?」
「今日のこと、聞きたくて。朝のこととか、四人で帰ろうって言ったこととか。全部、今までの鈴とは違うから」
一気に喋って、鈴の答えを待つ。
「朝も言ったけど、挨拶するのに理由がいるの?」
「いらないけど」
「大体、挨拶くらい誰でもするでしょ。それほどおかしなことでもないと思うけど」
「おかしくはないけど、今まで鈴からおはようって言ってきたこと一度もなかったから」
「そういう日もあるってこと。もういいでしょ」
ぴしゃりと鈴が言い切って、話を打ち切ろうとする。けれど、疑問は二つ。今、解決したとは言い難いものの、解決したことになった疑問とは別に知りたいことがもう一つある。
「じゃあ、帰りはなんだったの?」
問いかけると、スマートフォンの向こう側が静かになった。何かしているのかかちかちと硬い音がしてから、鈴の声が聞こえてくる。
「――晶のこと、知りたかったから」
感情が読めない平坦な言葉の後、誰の曲かは知らないけれど音楽が流れ始める。
「それで、何かわかった?」
「藤原さんと平野さんが、あんなにおしゃべりだなんて知らなかった」
「それ、私のことじゃないんだけど」
「晶の友達のことなんだから、晶のことを知ったみたいなものでしょ」
「……大雑把すぎない?」
鈴の隣で流れているであろう音楽を遮るように言うと、即座に答えが返ってくる。
「すぎない。どんな人と仲が良いのかとか、そういうことも大事だと思うし。でも、しばらくは四人で帰るのやめとく。すごく疲れた」
「無理しない方がいいよ。藤原さんと平野さんも驚いてたし」
重苦しい雰囲気を何とかすべく会話の糸口を探し、不自然に言葉を紡いでいた平野さんを思い出して、私は笑う。
今日、あったことはあまりないことで、ぎこちないながらも面白くはあったし、いつもとは違う鈴が嬉しくもあった。でも、無理をしてまで続けることもない。また、寄り道をしながら二人で帰れば良いと思う。
私は、冷え切ったお茶を喉に流し込む。
机にマグカップを置くと、猫のイラストが目に入った。
「そうだ。猫のキーホルダー、いつ買ったの?」
マグカップの猫を撫でながら尋ねる。
「冬休みが終わるちょっと前」
「犬が好きだって言ってたのに」
「猫、嫌いだとは言ってないでしょ。それとも、クマが良かった?」
スマートフォンから聞こえてくる言葉に、雑貨屋で見たクマのマグカップと鈴の部屋にあったクマのぬいぐるみが重なる。クマは好きだったけれど、今はそれほどでもない。むしろ、避けたいものになりつつあった。
「猫がいい」
そう答えてから、言葉を続ける。
「明日、帰りに本屋寄ってもいい? 買いたい本があるから」
「いいよ」
私は躊躇いのない肯定の言葉を聞いて、ベッドに寝転がった。
枕に頭を預けて、鈴ともう少し話たいなんて思う。けれど、何を話せばいいのかわからなくて、「話はこれだけ」と彼女に伝えた。
「じゃあ、切るね」
鈴がやっぱり躊躇いなく言うから、電話を切られる前に約束を果たしてもらうことにする。
「一つ忘れてる」
「なに?」
「鈴、好きだよ」
少しだけ小さな声で伝えると、同じように少しだけ小さな声が返ってくる。
「うん、私も好き」
決められた言葉が返ってきて、私から電話を切った。
二人だけの決めごとは、相手も自分も洗脳するみたいなものだと思う。
スマートフォンを投げ出して、目を閉じる。
私が鈴を好きになったみたいに、鈴も私を好きになればいいのになんて考えが浮かんですぐに消えた。
0
あなたにおすすめの小説
【純愛百合】檸檬色に染まる泉【純愛GL】
里見 亮和
キャラ文芸
”世界で一番美しいと思ってしまった憧れの女性”
女子高生の私が、生まれてはじめて我を忘れて好きになったひと。
雑誌で見つけたたった一枚の写真しか手掛かりがないその女性が……
手なんか届かくはずがなかった憧れの女性が……
いま……私の目の前ににいる。
奇跡的な出会いを果たしてしまった私の人生は、大きく動き出す……
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
嘘をつく唇に優しいキスを
松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。
桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。
だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。
麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。
そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
一億円の花嫁
藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。
父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。
もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。
「きっと、素晴らしい旅になる」
ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが……
幸か不幸か!?
思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。
※エブリスタさまにも掲載
俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛
ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎
潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。
大学卒業後、海外に留学した。
過去の恋愛にトラウマを抱えていた。
そんな時、気になる女性社員と巡り会う。
八神あやか
村藤コーポレーション社員の四十歳。
過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。
恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。
そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に......
八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる