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【第14話】あなたに父親を見ている
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「……不器用なところですかね」
桐子さんの問いに、僕は迷いながらも正直に答えた。
「彼女は、自分の決めたルールや設定に縛られて、生きづらそうにしています。でも、それを守ろうと必死で……そういう、真っ直ぐすぎて不器用なところが、放っておけないっていうか」
僕の言葉を聞いて、桐子さんはふと瞬きした後、ふふっと柔らかく笑った。
それは初めて見せる、自然な女性らしい笑みだった。
「放っておけない、ですか。……ふふ。やっぱり、似ていらっしゃるかもしれません」
「え? 誰にですか?」
「私の亡くなった夫……露西亜の父親に、です」
彼女は懐かしむように目を細めた。
──僕が、あの写真の男性に似ている?
顔立ちは系統が同じかもしれないが、性格まで似ているのだろうか。
「あの人も、損をするくらい真っ直ぐで、不器用なものを愛でる人でした。……そう。あの子は、あなたに父親を見ているのかもしれませんね」
そうか、ファザコンか……。
露西亜の部屋にあふれる軍事グッズや、父親への崇拝ぶりを思い出せば、納得できる話だった。
彼女が僕に求めているのは、恋人としての情熱よりも、父のような庇護と許容なのかもしれない。
そう考えると、彼女が性的な行為に対して「儀式」だの「条例」だのと理由をつけて、決定的な一線を越えるのを怖がる理由もちょっとだけわかる気がした。
──それもあと数ヶ月で、タイムリミットだけどね。
洗面所の奥から、シャワーの音が響き続けている。
桐子さんは、壁掛けの時計に視線をやった。主婦らしいポニーテールが揺れる。その長い黒髪は、露西亜とほぼ同じぐらいだろう。
「……あと、十分ほどです」
「え?」
「あの子は、こういう時、きっかり十八分間シャワーを浴びるんです」
彼女は、ニュース番組の進行時間を読むように、淡々と言った。
「十八分?」
「ええ。頭の先から爪先まで、よく洗って、徹底的に匂いを消すのです。……自分が汚れていると感じた時は、必ずそうするんです」
ドキリとした。
彼女は、先ほどの「汗臭い」という指摘が、単なる汗のことではないと勘づいている──。
そして、露西亜が今、浴室で必死になって僕の痕跡──匂いや、触れられた感触──を洗い流していることも、全て把握しているのだ。
その口調には、娘の生態を完全に掌握しているような冷徹な響きがあった。
「小田原さん。……また、よかったら、あの子のことを聞かせてもらえますか?」
桐子さんが向き直り、真剣な眼差しを向けてきた。
「私は母親ですが、あの子の世界には入れません。あの子が外でどんな『設定』で生きているのか、何を考えているのか……あなたを通してなら、知ることができる気がするのです」
「え、ええ……僕でよければ」
「ありがとうございます。では、連絡先を教えていただけますか?」
彼女はスマートフォンの画面を提示した。
最新の機種だ。画面には、ビジネスライクな壁紙が設定されている。
LINEの連絡先を交換した。『桐川桐子』という文字が、僕の友達リストに追加される。
それはまるで、露西亜の裏アカウントを閲覧可能になったような、背徳的な高揚感を伴っていた。
「それと……今日は、もうお帰りになった方がいいです」
桐子さんはスマートフォンをしまうと、諭すように言った。
「露西亜がお風呂から上がってきた時、私とあなたが並んで待っていたら、あの子は混乱してしまいます」
「露西亜さんの、キャラクターのことですね」
「ええ。あの子は私の前では『良い子』を演じようとします。でも、あなたの前では例の悪役令嬢みたいな女の子でいたいのでしょう? 二人が同時に存在すると、あの子はキャラクターを崩すのを恐れて、貝のように押し黙ってしまうでしょうから」
その通りだと思った。
露西亜にとって、母親と僕が談笑している空間は、二つの異なる世界設定が衝突するバグのようなものだ。
「……わかりました。では、帰ります」
「ええ。また……お話させてください」
彼女は玄関まで、僕を見送りに出てくれた。
廊下に出ると、シャワーの音が一際大きく聞こえる。
僕の後ろ姿を、桐子さんがじっと見ている。
スニーカーを履いていると、なんだか外出を奥さんに見送られているような、変な気分になった。
露西亜に「帰る」とも言わずに去るのは心が痛んだが、今の僕には、この完璧な母親の指示に従うことが、最善の選択だと思った。
桐子さんの問いに、僕は迷いながらも正直に答えた。
「彼女は、自分の決めたルールや設定に縛られて、生きづらそうにしています。でも、それを守ろうと必死で……そういう、真っ直ぐすぎて不器用なところが、放っておけないっていうか」
僕の言葉を聞いて、桐子さんはふと瞬きした後、ふふっと柔らかく笑った。
それは初めて見せる、自然な女性らしい笑みだった。
「放っておけない、ですか。……ふふ。やっぱり、似ていらっしゃるかもしれません」
「え? 誰にですか?」
「私の亡くなった夫……露西亜の父親に、です」
彼女は懐かしむように目を細めた。
──僕が、あの写真の男性に似ている?
顔立ちは系統が同じかもしれないが、性格まで似ているのだろうか。
「あの人も、損をするくらい真っ直ぐで、不器用なものを愛でる人でした。……そう。あの子は、あなたに父親を見ているのかもしれませんね」
そうか、ファザコンか……。
露西亜の部屋にあふれる軍事グッズや、父親への崇拝ぶりを思い出せば、納得できる話だった。
彼女が僕に求めているのは、恋人としての情熱よりも、父のような庇護と許容なのかもしれない。
そう考えると、彼女が性的な行為に対して「儀式」だの「条例」だのと理由をつけて、決定的な一線を越えるのを怖がる理由もちょっとだけわかる気がした。
──それもあと数ヶ月で、タイムリミットだけどね。
洗面所の奥から、シャワーの音が響き続けている。
桐子さんは、壁掛けの時計に視線をやった。主婦らしいポニーテールが揺れる。その長い黒髪は、露西亜とほぼ同じぐらいだろう。
「……あと、十分ほどです」
「え?」
「あの子は、こういう時、きっかり十八分間シャワーを浴びるんです」
彼女は、ニュース番組の進行時間を読むように、淡々と言った。
「十八分?」
「ええ。頭の先から爪先まで、よく洗って、徹底的に匂いを消すのです。……自分が汚れていると感じた時は、必ずそうするんです」
ドキリとした。
彼女は、先ほどの「汗臭い」という指摘が、単なる汗のことではないと勘づいている──。
そして、露西亜が今、浴室で必死になって僕の痕跡──匂いや、触れられた感触──を洗い流していることも、全て把握しているのだ。
その口調には、娘の生態を完全に掌握しているような冷徹な響きがあった。
「小田原さん。……また、よかったら、あの子のことを聞かせてもらえますか?」
桐子さんが向き直り、真剣な眼差しを向けてきた。
「私は母親ですが、あの子の世界には入れません。あの子が外でどんな『設定』で生きているのか、何を考えているのか……あなたを通してなら、知ることができる気がするのです」
「え、ええ……僕でよければ」
「ありがとうございます。では、連絡先を教えていただけますか?」
彼女はスマートフォンの画面を提示した。
最新の機種だ。画面には、ビジネスライクな壁紙が設定されている。
LINEの連絡先を交換した。『桐川桐子』という文字が、僕の友達リストに追加される。
それはまるで、露西亜の裏アカウントを閲覧可能になったような、背徳的な高揚感を伴っていた。
「それと……今日は、もうお帰りになった方がいいです」
桐子さんはスマートフォンをしまうと、諭すように言った。
「露西亜がお風呂から上がってきた時、私とあなたが並んで待っていたら、あの子は混乱してしまいます」
「露西亜さんの、キャラクターのことですね」
「ええ。あの子は私の前では『良い子』を演じようとします。でも、あなたの前では例の悪役令嬢みたいな女の子でいたいのでしょう? 二人が同時に存在すると、あの子はキャラクターを崩すのを恐れて、貝のように押し黙ってしまうでしょうから」
その通りだと思った。
露西亜にとって、母親と僕が談笑している空間は、二つの異なる世界設定が衝突するバグのようなものだ。
「……わかりました。では、帰ります」
「ええ。また……お話させてください」
彼女は玄関まで、僕を見送りに出てくれた。
廊下に出ると、シャワーの音が一際大きく聞こえる。
僕の後ろ姿を、桐子さんがじっと見ている。
スニーカーを履いていると、なんだか外出を奥さんに見送られているような、変な気分になった。
露西亜に「帰る」とも言わずに去るのは心が痛んだが、今の僕には、この完璧な母親の指示に従うことが、最善の選択だと思った。
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