青年と母と娘、大凶の恋

羽翼綾人

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【第13話】悪役令嬢みたいな口調

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 僕は部屋に残され、耳を澄ませた。
 一階から、露西亜の明るく振る舞う声が聞こえてくる。

「お母さん、早かったね。残業じゃなかったの?」
「ええ。取引先の予定が変わって、早く帰れたの。……それより露西亜。玄関のあの靴は?」

 母親の声──桐川桐子の声は、離れていても、はっきりと聞き取れた。
 まるでニュースキャスターが原稿を読み上げるような、明瞭で、感情の波を感じさせない声だ。

「えっと……そ、それは……友達が来てるの」
「お友達? 男性用のスニーカーに見えたけれど」
「うん……まあ、そうなんだけど……」

 露西亜の歯切れが悪い。
 彼女は、萎縮している。
 このままでは彼女が問い詰められてしまう。
 僕は覚悟を決めた。
 彼女一人に矢面に立たせるわけにはいかない。
 僕は深呼吸をして乱れた呼吸を整えると、部屋を出て、わざとはっきり聞こえるように階段を降りていく。
 そして──。

「──お邪魔しています」

 僕が声をかけながらリビングへ顔を出すと、二人の視線がこちらに向いた。
 そこに立っていた母親の姿を見て、僕は息を呑んだ。
 写真で見た「就活生」のような面影はあったが、実物はより整って美しく見えた。
 清潔なダークネイビーのパンツスーツを着こなし、その背筋には緩みがない。
 あの家族写真から、十数年経っているはずなのに、三十代前半ぐらいに見える。高い知性と、近寄りがたい高潔さが一目でわかる。そんな人間、どこにでもいるものではない。

「はじめまして。娘がお世話になっております。母の桐子です」

 彼女は僕を見ると、丁寧にお辞儀をした。
 桐子さんの所作の美しさに、僕は慌てて頭を下げた。

「あ、はじめまして。小田原秀一といいます。……急におしかけて、すみません」
「いいえ。娘に友人ができるのは喜ばしいことです。……どうぞ、お座りください」

 彼女は微笑んだ。しかしそれは、まるで司会者が、次の進行を意識して作り出す理性的な笑顔であった。
 彼女は、迷彩柄のTシャツを着ておどおどしている露西亜に視線を向ける。
 そして、鼻を小さく鳴らした。

「露西亜……少し、汗臭いかな」
「えっ……」
「窓を閉め切って遊んでいたのでしょうけれど……お客様の前で、そんな匂いをさせて。恥ずかしいでしょう?」

 桐子さんの指摘は、あくまで事実を淡々と述べるトーンだった。
 だが、その「正論」は、露西亜の逃げ場を完全に塞いだ。
 露西亜は顔を真っ赤にして俯いた。何も言い返せないようだった。

「シャワーを浴びてらっしゃい。……今のあなた、少し臭うから」
「……うん」

 露西亜は僕を見ることもできず、逃げるように洗面所へと消えていった。
 リビングには、僕と、母親の二人だけが残された。
 彼女は何の違和感もなく、暖かいお茶を用意し、僕の前に置いた。

「改めまして。……娘とは、どのようなご関係で?」

 対面のソファに座った彼女は、美しい姿勢のまま尋ねてきた。
 その声は一音一音が粒立って聞こえる。

「お付き合いを、させていただいています」

 そう言うしかない。
 これで、僕と露西亜は、好意を抱き合う関係であることを宣言したようなものだ。
 もちろん、露西亜本人はそんなことを知らずに、シャワーの音を立て始めている。
 僕が答えると、彼女は「そうですか」と短く頷き、お茶を一口、味わった。
 そして、困ったような、諦めたようなため息をついた。

「小田原さん。……娘は、あなたの前では、今のような口調と同じでいるのでしょうか?」
「口調、というと?」
「時代がかった、お芝居のような言葉遣いです。『妾』とか『そなた』などと……まるで悪役令嬢みたいな口調でしょう?」

 桐子さんは、眉間をわずかに曇らせていた。
 娘の奇行に対する母親としての苦悩が滲んでいた。

「私の前では普通なのに、ここ数年、外ではあんな調子で……。実は先日も、夫の古い友人が宮司を務める神社から、連絡がありまして」
「神社から、ですか?」
「ええ。ご厚意で巫女のアルバイトをさせていただいているのですが……乱暴な参拝客の方に向かって『下郎』とか『呪われよ』などと口走ったらしくて。クレームが来ているのです」

 僕は言葉に詰まった。
 母親のように背筋をピンと伸ばし、優雅な所作は、神社の巫女としてとても似合っていたが、その中身は僕以外にもあのままだったのか。

「学校にも馴染めず、中退して……アルバイトも続かない。あの年頃の女の子が好むような流行にも興味を示さず、軍事だの古典文学だの、偏った知識ばかり詰め込んで」

 娘を愛していないわけではないようだ。
 だが、彼女は、娘を持て余している。
 それはそうだろう。露西亜は、母親が用意した人生コースをことごとく外れているに違いないからだ。
 桐子さんは、ビジネス界でそれなりに成功しているのだろう。社会適応能力が高い母親と、とてもそうはなれそうにない娘。もっとも近い肉親でありながら、誰よりも露西亜を理解できないでいるのだろう。

「小田原さん。……あの子は『普通』ができない子なんです」

 桐子さんの澄んだ瞳が、僕を射抜くように見つめた。

「あなたのようなしっかりした青年が、どうしてあの子と……いえ、あの子のどこに惹かれたのですか?」

 それは純粋な疑問であり、同時に、娘の価値を根本的に信じていないかのような、冷たい問いかけだった。
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