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【第六部】長い夜の始まり
その勝負、受けてあげる
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夫、妻、そして愛人。
三人が、出光浩一と英恵の「寝室」に揃った。
英恵はベッドの縁に腰掛け、浩一はドアのそばで立ち尽くし、芽衣はその間に立っている。
「ここで、三人。朝まで、時間を過ごします」
英恵がそういうと、芽衣は壁際に立つ浩一に向かって、深々と頭を下げた。
「先生、今夜は、私のわがままにお付き合いいただき、ありがとうございます」
浩一は、英恵の前で芽衣が自分に「先生」という呼び名を使ったことで、本当に芽衣が二人の関係を隠すつもりがないことを知った。
ついで彼女は英恵にも、とても深く頭を下げた。
「英恵さん。先生には、絵の描き方、男女の歓びをご指導いただきました。おかげで、私とっても幸せです……」
浩一は、愕然とした。
英恵は笑顔を浮かべているが、その胸の底に冷たいものが潜んでいるのが、浩一にはひしひしと感じ取れた。
「芽衣……どうして、こんな……狂ったことを?」
浩一が、この異常な状況を拒絶する声を絞り出す。
だが、芽衣は、怯える生徒の仮面を脱ぎ捨て、冷ややかに浩一を見つめ返した。
「狂ってる? 先生が望んだんじゃないですか」
「僕が? 一体、僕が、何を……望んだって?」
「わたしを『指導』して、私の官能画を『最高傑作』だと喜んで……。あの和室で、この寝室で、わたしに『責任を取る』と言ってくれたのは、先生ご自身ですよね?」
「……責任?」
言われて思い出した。
芽衣が炎上を吹き飛ばした時、彼女は浩一に『見捨てないでください。……責任、取ってください。先生……』と泣きついてきた。
浩一は、喜びのあまり『責任なら、いくらでも取ってやる』と答えてその細い身体を強く抱きしめた。
あの時の言葉を──この女は戯れではなく、生真面目に受け止めていた。
「私、先生の『最高傑作』ですよね? 作品が作り手から独立するなんて、著作権違反になります。だから、永遠に先生のものでいたいんです」
浩一は、床に腰を下ろして手をついた。
「二人とも、僕が悪かった。全ての責任は僕にある。芽衣さんの魅力に負けて、僕は彼女を愛人にしたんだ」
ベッドに座っている英恵は、顔色も変えないで、夫の哀れな姿を見下ろしていた。
「英恵、離婚してくれ。僕は死ぬまで慰謝料を支払い続ける」
「わたしと離婚して、芽衣ちゃんと結婚するの?」
「……いや、彼女の旦那さんにもお詫びをする。二人に慰謝料を支払う。不自由のない金額を必ず」
そこで芽衣は、「そんなこと望んでいません」と、浩一の肩を抱いて首を左右に振った。
そして、ベッドに座る英恵に顔を向けて言った。
「英恵さん」
「何……? 彼の提案通りにするの?」
英恵の声は、静かだがこの部屋にはよく通る声だった。
「いいえ」
芽衣は、か細くもはっきりとした声で、答えた。
「私……もうすぐ、夫が……単身赴任から帰ってくるんです」
その言葉は、浩一と英恵の顔を、固まらせた。
「夫が帰ってきたら、もう先生とは会えなくなってしまいます……。私、そんなの耐えられない。先生が『開発』してくれた、この身体もこの才能も失いたくないんです」
芽衣は泣きそうな顔で、二人に懇願した。
「奥さんが公認してくださったら、私、これからも夫に内緒で、先生の作品として先生のおもちゃになれます」
赤らんだ頰に手を当てて、上目遣いで二人を見つめる。
「そして先生と奥さんが、このままでいてくださったら、私、自分のものにならない先生を思い続けて、悶える気持ちを、世界に一つしかない自分のオリジナルの情念として、官能作品に仕上げられるんです」
彼女は、浩一の手に手を重ねて続けた。
「だから、先生。不幸な選択なんて考えなくていいんですよ。このまま、奥さんと娘さんと仲睦まじく、ご家庭を守っていて。そして、私の身体をこれまで通りおもちゃにして。先生は永遠に変わらなくていいの」
英恵は、「その手を離して」と言った。
芽衣は、英恵に目も向けずに言った。
「英恵さん……今夜、決着をつけさせてください。私と、英恵さんで」
「……決着……って?」
芽衣は、静かな笑みを浮かべた。
「はい。ずっと……ルールを考えていました。正々堂々とした間違いのない平等なルール」
彼女は、寝室のダブルベッドを指差した。
「今から、朝まで。このベッドで浩一さんをより多く『絶頂』に導いた方が勝ちです」
「おい……何を、言ってるんだ……!」
浩一が、顔を上げる。
「先生、今夜は私たちの決闘ですから。先生は、ただの舞台になってください」
英恵が立ち上がった。
彼女は、芽衣の顔をじっと見つめている。
(……この子は、正気じゃない。……けれど)
英恵は、あの夜のことを思い出していた。
彼女がこの女を演じた時、忘れていたはずの熱が、確かに自分と夫の間に戻ってきた。
(この女の土俵……に乗るのは、嫌。でも、ここで逃げたら、わたしは「妻」としても「女」としても、あの子に負ける)
「……面白いわね」
英恵の声は、怒りを通り越し、不思議なほどの落ち着きを放っていた。
「いいわよ、芽衣ちゃん。その勝負、受けてあげるね」
「英恵!?」
浩一が、信じられないという顔で妻を見た。
英恵は浩一を無視し、芽衣に笑いかける。
「でも、ひとつ、お願いがあるの」
「……なんでしょう」
「わたしに、勝者の報酬を決めさせて」
「どういう報酬ですか?」
「……わたしが勝ったら、芽衣ちゃんはきれいさっぱり浩一のことを忘れて、二度と連絡を取らない。できるよね?」
英恵は、芽衣を射抜くように見つめた。
「でも……もし、あなたが勝ったら……」
英恵は、唇を噛む。
「わたしは……あなたの望む『関係の継続』を考える……どうかしら?」
芽衣は、一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにいつもの慎ましやかな笑顔に戻って、頭を下げた。
「英恵さん! ……ありがとうございます!」
その声には、素直な女性の透明感だけがあった。
「それと、先生の身体も心配ですから、一時間以内に、一度でも『絶頂』に達したら、その時点で行為終了。次の時間まで、全員で休憩することにしましょうね。ここをはっきりしないと、ただの乱交になっちゃいますから」
芽衣の言葉を聞いた英恵は、羽織っていたカーディガンを、肩から滑り落として、浩一に微笑んだ。
浩一は、唾を飲み込んだ。
「それじゃあ……早速、始めましょうか。『奥さん』の私からでいいよね?」
三人が、出光浩一と英恵の「寝室」に揃った。
英恵はベッドの縁に腰掛け、浩一はドアのそばで立ち尽くし、芽衣はその間に立っている。
「ここで、三人。朝まで、時間を過ごします」
英恵がそういうと、芽衣は壁際に立つ浩一に向かって、深々と頭を下げた。
「先生、今夜は、私のわがままにお付き合いいただき、ありがとうございます」
浩一は、英恵の前で芽衣が自分に「先生」という呼び名を使ったことで、本当に芽衣が二人の関係を隠すつもりがないことを知った。
ついで彼女は英恵にも、とても深く頭を下げた。
「英恵さん。先生には、絵の描き方、男女の歓びをご指導いただきました。おかげで、私とっても幸せです……」
浩一は、愕然とした。
英恵は笑顔を浮かべているが、その胸の底に冷たいものが潜んでいるのが、浩一にはひしひしと感じ取れた。
「芽衣……どうして、こんな……狂ったことを?」
浩一が、この異常な状況を拒絶する声を絞り出す。
だが、芽衣は、怯える生徒の仮面を脱ぎ捨て、冷ややかに浩一を見つめ返した。
「狂ってる? 先生が望んだんじゃないですか」
「僕が? 一体、僕が、何を……望んだって?」
「わたしを『指導』して、私の官能画を『最高傑作』だと喜んで……。あの和室で、この寝室で、わたしに『責任を取る』と言ってくれたのは、先生ご自身ですよね?」
「……責任?」
言われて思い出した。
芽衣が炎上を吹き飛ばした時、彼女は浩一に『見捨てないでください。……責任、取ってください。先生……』と泣きついてきた。
浩一は、喜びのあまり『責任なら、いくらでも取ってやる』と答えてその細い身体を強く抱きしめた。
あの時の言葉を──この女は戯れではなく、生真面目に受け止めていた。
「私、先生の『最高傑作』ですよね? 作品が作り手から独立するなんて、著作権違反になります。だから、永遠に先生のものでいたいんです」
浩一は、床に腰を下ろして手をついた。
「二人とも、僕が悪かった。全ての責任は僕にある。芽衣さんの魅力に負けて、僕は彼女を愛人にしたんだ」
ベッドに座っている英恵は、顔色も変えないで、夫の哀れな姿を見下ろしていた。
「英恵、離婚してくれ。僕は死ぬまで慰謝料を支払い続ける」
「わたしと離婚して、芽衣ちゃんと結婚するの?」
「……いや、彼女の旦那さんにもお詫びをする。二人に慰謝料を支払う。不自由のない金額を必ず」
そこで芽衣は、「そんなこと望んでいません」と、浩一の肩を抱いて首を左右に振った。
そして、ベッドに座る英恵に顔を向けて言った。
「英恵さん」
「何……? 彼の提案通りにするの?」
英恵の声は、静かだがこの部屋にはよく通る声だった。
「いいえ」
芽衣は、か細くもはっきりとした声で、答えた。
「私……もうすぐ、夫が……単身赴任から帰ってくるんです」
その言葉は、浩一と英恵の顔を、固まらせた。
「夫が帰ってきたら、もう先生とは会えなくなってしまいます……。私、そんなの耐えられない。先生が『開発』してくれた、この身体もこの才能も失いたくないんです」
芽衣は泣きそうな顔で、二人に懇願した。
「奥さんが公認してくださったら、私、これからも夫に内緒で、先生の作品として先生のおもちゃになれます」
赤らんだ頰に手を当てて、上目遣いで二人を見つめる。
「そして先生と奥さんが、このままでいてくださったら、私、自分のものにならない先生を思い続けて、悶える気持ちを、世界に一つしかない自分のオリジナルの情念として、官能作品に仕上げられるんです」
彼女は、浩一の手に手を重ねて続けた。
「だから、先生。不幸な選択なんて考えなくていいんですよ。このまま、奥さんと娘さんと仲睦まじく、ご家庭を守っていて。そして、私の身体をこれまで通りおもちゃにして。先生は永遠に変わらなくていいの」
英恵は、「その手を離して」と言った。
芽衣は、英恵に目も向けずに言った。
「英恵さん……今夜、決着をつけさせてください。私と、英恵さんで」
「……決着……って?」
芽衣は、静かな笑みを浮かべた。
「はい。ずっと……ルールを考えていました。正々堂々とした間違いのない平等なルール」
彼女は、寝室のダブルベッドを指差した。
「今から、朝まで。このベッドで浩一さんをより多く『絶頂』に導いた方が勝ちです」
「おい……何を、言ってるんだ……!」
浩一が、顔を上げる。
「先生、今夜は私たちの決闘ですから。先生は、ただの舞台になってください」
英恵が立ち上がった。
彼女は、芽衣の顔をじっと見つめている。
(……この子は、正気じゃない。……けれど)
英恵は、あの夜のことを思い出していた。
彼女がこの女を演じた時、忘れていたはずの熱が、確かに自分と夫の間に戻ってきた。
(この女の土俵……に乗るのは、嫌。でも、ここで逃げたら、わたしは「妻」としても「女」としても、あの子に負ける)
「……面白いわね」
英恵の声は、怒りを通り越し、不思議なほどの落ち着きを放っていた。
「いいわよ、芽衣ちゃん。その勝負、受けてあげるね」
「英恵!?」
浩一が、信じられないという顔で妻を見た。
英恵は浩一を無視し、芽衣に笑いかける。
「でも、ひとつ、お願いがあるの」
「……なんでしょう」
「わたしに、勝者の報酬を決めさせて」
「どういう報酬ですか?」
「……わたしが勝ったら、芽衣ちゃんはきれいさっぱり浩一のことを忘れて、二度と連絡を取らない。できるよね?」
英恵は、芽衣を射抜くように見つめた。
「でも……もし、あなたが勝ったら……」
英恵は、唇を噛む。
「わたしは……あなたの望む『関係の継続』を考える……どうかしら?」
芽衣は、一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにいつもの慎ましやかな笑顔に戻って、頭を下げた。
「英恵さん! ……ありがとうございます!」
その声には、素直な女性の透明感だけがあった。
「それと、先生の身体も心配ですから、一時間以内に、一度でも『絶頂』に達したら、その時点で行為終了。次の時間まで、全員で休憩することにしましょうね。ここをはっきりしないと、ただの乱交になっちゃいますから」
芽衣の言葉を聞いた英恵は、羽織っていたカーディガンを、肩から滑り落として、浩一に微笑んだ。
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