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しおりを挟む数ヶ月前。
「あ、朝陽、ごめん。財布忘れた」
店のテーブルでそう口にした瞬間、朝陽の黒い瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「え?財布?……なんで?謝るの?光くんがお金なんて払う必要ないし、謝る必要もないよ」
慌てたように首を横に振り、言葉を早口で継いでくる。
「わざわざここまで来てくれたんだもん。仕事忙しいのに、本当にありがとう」
「ここまでって言っても、俺の家からタクシーで十分程度なんだけど」
軽く肩を竦めて返すと、朝陽は気恥ずかしそうに笑った。白い頬がうっすら紅潮し、その表情に素直な喜びが滲む。
「久々の休みを僕のために使ってくれただけでも嬉しいんだ。家に帰ってゆっくり休んで」
そう言いながら朝陽はウエイトレスを呼び、迷いなくカバンから財布を取り出した。カードを伝票の間に差し込み、丁寧に差し出す仕草は慣れたもので、同時にどこかぎこちなくも見える。
支払いを終え、店を出た二人は入り口で向かい合った。
スーツを颯爽と着こなした浪岡朝陽と、長身でマスクにキャップ、眼鏡、さらにフードまで深く被った滝口光。並んで立つ姿は、第三者から見れば不思議な組み合わせで、関係性を正しく当てられる者は少ないだろう。
朝陽は何百回と顔を合わせてきたはずなのに、いまだにまともに光の顔を見られない。ちらちらと視線を泳がせながら、頬をさらに赤く染めていた。
「今日は本当にありがとうね」
「うん、ご馳走様」
光は不意に首を傾け、朝陽の表情を覗き込む。その途端、朝陽は唇に力を込め、俯いた顔を真っ赤にする。からかうように、光の手がすっと彼の首筋を撫でた。
しかし光の顔には、なんの感情も浮かばない。
「じゃあね」
「あっ……うんっ!じゃあね!……あっ、待って、タクシー代!」
慌てて財布を開く朝陽。取り出した札は明らかに多すぎたが、彼は気にする様子もなく光の手首を掴み、そのまま手のひらに札を押し込んだ。
(……金ならもう十分持ってるけど)
光は内心で冷めたように呟きながらも、その紙幣をしばらく眺め、やがて口元にかすかな笑みを浮かべた。
「ありがとう」
その一言を残して、ポケットに札を突っ込み、朝陽の黒髪を荒々しく撫でる。指の間をすり抜けるさらさらとした髪に、一瞬だけ柔らかさを感じた。
「また連絡して」
その言葉を聞いた瞬間、朝陽の顔がぱっと華やいだ。抑えきれない喜びが全身に広がり、笑みが止まらない。
「うん!わかった!また連絡する!」
光が背を向けて歩き出すと、角を曲がって姿が見えなくなるまで大きく手を振り続ける。その口元には隠しきれない笑みが残り、手のひらで必死に押さえ込んでいた。
一方、角を曲がって姿が消えた光は、無言で携帯を取り出し、発信ボタンを押す。
「悪い、電話出れなくて。……うん、いいよ。いつもの場所で」
通話を切るとタクシーを拾い、家とは別の目的地へと向かった。
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