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しおりを挟む「俺は……」
光は言葉を口にする前に、自分の胸の奥を探るように目を伏せた。
元来、光は来るものを拒まずの性格だ。これまでの人生でも、告白されたら断る理由がなければ受け入れてきた。しかも今回相手は舞子。誰もが振り返るほどの魅力を備えた存在だ。彼女の告白に応えることは、自然な流れだと頭では思えた。だが、その瞬間、不意に浮かんでしまうのは朝陽の顔だった。
もし自分と舞子が付き合ったと知ったら、朝陽はどうなるだろう。朝陽のことだ、平気な顔をして見せるかもしれないが、その心の奥で深く傷つくに違いない。どこか遠くへ行ってしまうかもしれない。
それでも光には妙な自信があった。自分から突き放さない限り、朝陽はきっと自分のそばにいる。そういう信頼にも似た、しかし確かな根拠のない確信。それがあったからこそ、舞子に応えるべきなのか、朝陽を選ぶべきなのか、心は揺れ続けていた。
「ごめん。俺、舞子の気持ちに応えられない」
口から出た言葉は、自分でも驚くほど冷静だった。
「今は仕事に集中したいんだ。」
言い訳のような台詞だった。光の印象は世間的に高評価だ。爽やかで誠実、誰に対しても優しい。そんなイメージを崩さず、舞子のように同じく好感度の高い存在と並んで歩けば、週刊誌にスクープされてもむしろ祝福されるだろう。批判の声は少ないはずだ。
なのに、なぜ。
なぜ自分は断ったのか。理屈では答えが出ているはずなのに、心が違う返事を選んでしまった。朝陽を切ってしまえばいい。なんの刺激もなく、ただ平凡で、特別に輝いているわけでもない朝陽より、支え合って生きていけそうな舞子の方がずっと「正解」に思えるのに。
これは朝陽への義理か。それとも、言葉にできない何かに縛られているのか。光自身にも、その理由はわからなかった。
数秒の沈黙の後、舞子が小さな声で口を開いた。
「……そっか。私こそ、いきなりこんなこと言ってごめんね」
彼女の瞳がうるみ、瞬きを繰り返すたびに光を反射してきらめく。その涙の気配に、光の胸が痛んだ。
「本当にごめん」
「もう、何回も謝らないで。余計に悲しくなるよ」
そう言った光の声に、舞子は困ったように笑みを浮かべた。だがその笑みは、どこかで必死に自分を保とうとしているようにも見えた。
「二人きりになったら……なんか、気持ちが暴走しちゃった」
瞳に涙を滲ませながらも、彼女は無理やり明るさを取り戻そうとする。
「その代わり、今日は失恋記念日だから。いっぱい飲ませてよね!」
そう言ってグラスを持ち上げ、ワインを喉に流し込んだ。赤い液体がグラスの中で揺れ、そのたびに彼女の気丈さと脆さが同居しているのを光は感じ取る。
それから数時間が経ち、夜は更けていった。
「光、好きだよ」
舞子は酔いに赤らんだ顔で、何度も同じ言葉を繰り返す。
「ん、ありがと」
光は笑みを作って返すしかなかった。すっかり酔っ払ってしまった彼女を一人で帰すのは不安だ。タクシー乗り場まで付き添おうとしたところ、マイコが光の手をぎゅっと握り、決して離そうとしなかった。仕方なく、光も同じタクシーに乗り込むことになった。
隣に座ったマイコは、ぴたりと体を寄せてきた。その距離感はまるで「離れたくない」と言っているようだった。舞子の指先が光の手に触れる。
「舞子、大丈夫?飲みすぎで気持ち悪くなったりしてない?」
「うん、大丈夫」
舞子は子供のように機嫌のいい声を出し、光を見上げてにこりと笑う。その笑顔は酔いで赤みを増していて、無防備さがかえって胸をざわつかせた。
「光が仕事してる時の、あの真剣な目……私、すごく好き」
「ありがとう」
その言葉は、以前に朝陽から聞いたことと同じものだった。だが今、同じ言葉が光の胸に残すのは心地よさではなく、得体の知れないモヤモヤだった。どうしてだろう。答えは見つからない。
舞子はまるで、堰き止めていた感情のダムが決壊したかのように言葉を溢れさせていく。
「ねえ、光からの『大好き』は?」
「そんなのないよ」
「もう……なんで!」
舞子は頬をぷくりと膨らませ、子供のように拗ねた。その表情さえも愛らしいと光は感じてしまう。心の奥で「かわいい」と思う一方で、同時に罪悪感が膨らんでいく。
次の瞬間、舞子は光の腕を強く引いた。予想外の力にバランスを崩した光の身体が傾き、唇に柔らかい感触が触れる。
視界の先には、潤んだ舞子の瞳。
そこでようやく光は理解した。いま、自分は舞子とキスをしているのだと。
舞子と恋愛ドラマで共演した際に唇を重ねることはあった。だが、それとは全く違う熱を含んでいる。
唇がゆっくりと離れていき、二人はしばし無言のまま見つめ合った。外の夜景が窓越しに流れ、タクシーの振動がかすかに身体を揺らす。そのすべてが、今の二人の鼓動を際立たせる効果音のように感じられた。
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