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鍵を探す男
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よく見ると、職業の欄が抜けていた。メンタルヘルスに不調をきたす患者の多くは、仕事上のことで悩みを抱えているケースも少なくない。佐木はSF小説のことを一旦脇に置き、改めて患者に訊ねた。
「あの、すみません。ご職業は……」
佐木は一瞬躊躇った後で、口を開いた。
「お恥ずかしいですが、医師なんです。しかも、普段は患者の悩みを聞いて症状を和らげる立場なのに」
「……ははあ、つまり」
「ええ、そうなんです。私はメンタルクリニックの医師をやっているんです」
気まずそうに俯く佐木に、朝日出はデスクに片肘をついて処方を考えた。医師とはいえ人間であるゆえ、悩みを抱くことは普通である。しかしながら、SF小説が原因というのは奇妙なものだ。
ある日街中に巨大なシンクホールが発生し、徐々に世界を飲み込んでゆくといったストーリーらしいが、佐木はその小説を読了してから恐怖に苛まれるようになったという。確かに、怖い話とは言えなくもない。だが読んで一週間程度なら、この先もっと日が経つにつれ、嫌な記憶は薄らぐはずだ。
「私、……おかしいですよね。何処かにシンクホールが空いて、僕を飲み込んでしまう気がしてならないんです」
心配そうに話す同職の患者に、朝日出はつい笑い声を立ててしまった。途端に佐木の表情が曇る。
「失礼。何もおかしくないですよ。僕等は人の悩みを聞くことはあっても、反対に自分の気持ちを吐き出す機会はあまりないですから。きっと、ストレスが溜まっているだけですよ」
「……そう言って下さると助かります」
「睡眠薬だけ処方しておきましょう。じきに良くなりますよ」
診察を終えようとする朝日出に、佐木は前屈みになって懇願するような眼差しを向けてきた。
「……あの、また来てもいいですか?」
朝日出が微笑むと、佐木は初めて笑顔を見せた。朝日出の胸がとくんと脈打つ。
佐木はその後も度々訪れては、SF小説の他に仕事や私生活での悩みを朝日出に打ち明けにきた。あれから既に半年が経とうとしていた。殆ど無表情だった顔は、逢う度に緊張が溶け、今では視線を合わせるだけで口角が上がるようにもなった。
「もうすっかり症状が落ち着いたみたいですね」
「はい、おかげさまで。睡眠薬がなくても眠れるようになりました。といっても、仕事が忙しい日は眠る時間もないんですが」
佐木は大学病院に勤めているため、診療所にいる朝日出と違い夜勤がある。不規則な生活で睡眠のリズムが崩れるという経験は、以前に総合病院で働いていた朝日出にも起きたことだ。
「あの、すみません。ご職業は……」
佐木は一瞬躊躇った後で、口を開いた。
「お恥ずかしいですが、医師なんです。しかも、普段は患者の悩みを聞いて症状を和らげる立場なのに」
「……ははあ、つまり」
「ええ、そうなんです。私はメンタルクリニックの医師をやっているんです」
気まずそうに俯く佐木に、朝日出はデスクに片肘をついて処方を考えた。医師とはいえ人間であるゆえ、悩みを抱くことは普通である。しかしながら、SF小説が原因というのは奇妙なものだ。
ある日街中に巨大なシンクホールが発生し、徐々に世界を飲み込んでゆくといったストーリーらしいが、佐木はその小説を読了してから恐怖に苛まれるようになったという。確かに、怖い話とは言えなくもない。だが読んで一週間程度なら、この先もっと日が経つにつれ、嫌な記憶は薄らぐはずだ。
「私、……おかしいですよね。何処かにシンクホールが空いて、僕を飲み込んでしまう気がしてならないんです」
心配そうに話す同職の患者に、朝日出はつい笑い声を立ててしまった。途端に佐木の表情が曇る。
「失礼。何もおかしくないですよ。僕等は人の悩みを聞くことはあっても、反対に自分の気持ちを吐き出す機会はあまりないですから。きっと、ストレスが溜まっているだけですよ」
「……そう言って下さると助かります」
「睡眠薬だけ処方しておきましょう。じきに良くなりますよ」
診察を終えようとする朝日出に、佐木は前屈みになって懇願するような眼差しを向けてきた。
「……あの、また来てもいいですか?」
朝日出が微笑むと、佐木は初めて笑顔を見せた。朝日出の胸がとくんと脈打つ。
佐木はその後も度々訪れては、SF小説の他に仕事や私生活での悩みを朝日出に打ち明けにきた。あれから既に半年が経とうとしていた。殆ど無表情だった顔は、逢う度に緊張が溶け、今では視線を合わせるだけで口角が上がるようにもなった。
「もうすっかり症状が落ち着いたみたいですね」
「はい、おかげさまで。睡眠薬がなくても眠れるようになりました。といっても、仕事が忙しい日は眠る時間もないんですが」
佐木は大学病院に勤めているため、診療所にいる朝日出と違い夜勤がある。不規則な生活で睡眠のリズムが崩れるという経験は、以前に総合病院で働いていた朝日出にも起きたことだ。
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