53 / 79
最後のページ(16)
しおりを挟む
「どうしてすぐに彼女と離婚しなかったの?」
「出来なかった。離婚には双方の同意か、一方なら十分な理由が必要で、僕の申し出はすべて却下されたのです」
「え」
「誰も僕の話を信じないのですよ。あれがどれほど妻として不適格か、根拠を付けて訴えても、誰も信じない。恐ろしいことに、この邸の誰もが彼女の信者になった」
「え」
「場面ごとの効果的な振る舞い方を心得ていて、完璧に使い分けていた。あなたの前のフィリップには、師父のように恭しく接していましたよ。どうやれば、僕を孤立させられるか、あれはよく理解していた」
幾つかの季節を経るまでもなく、ガイは、彼女への批判の何一つ、周囲がくみ取ってくれないと気づいた。
「自分が何を言っても通らないと感じると、どうでもよくなる。その頃から、僕はあれの望むように適当に合わせ出した。そうしていれば、僕のまわりだけは静かだったから」
淡々と語る言葉の端ににじむ、わずかないらだち。すてばちになり、絶望した彼の心の流れがよくわかる。
そんな完璧な人心収攬などできるのだろうか。
「完璧でなくていいのですよ。「あのレディ・アリナがまさか」と、そう思わせればいい。社交界は有力者が一人それを広めれば、しおれるようにみながならう」
離婚を申し出た彼を、彼女はあざ笑ったという。
「離婚はしない。春告げる伯爵家のメリットをまだ得ていないじゃない」。
メリット。
そもそもレディ・アリナ自身が子爵令嬢で、高い身分の出だ。資産家でもあろうし、ガイとの結婚で得られる別なメリットが、わたしにはわからない。
「王宮との接点です。縁故があり、僕は当時王子の後見を務めていました。その関係を使い、彼女は王宮に食い込みたかった」
「え」
その理由が問えなかった。
だってわかるから。
人を狩りたい彼女が、普通の獲物に飽きれば、より大きなターゲットを狙うことは想像できる。
それがルリ姫だったのではないか。
ガイの手を外し、わたしは自分の口元をおおった。
そうでもしないと、おかしな悲鳴をあげそうだったのだ。
「なぜあなたは知っているの? 誰がもらしたの?」
わたしは首を振った。彼が秘密のもれを疑うことはない。
ガイの言葉や女官のそれに、自分の体験が合わさり、それらを勝手に組み立てただけのことなのだ。
ガイは吐息した。
「あなたはなんて敏いのだろう。なよやかに見えて勇敢で、強い」
「違うの。わたしが逃げ出せたのは、眠り薬が効かなかったせい。あれはきっとお酒の強さが関係するの。わたしはお酒に酔えない体質なのが、ラッキーだっただけ」
そして、逃げた先に運よくガイが助けに現れてくれた。
自分の恵まれた状況に比して、ルリ姫はどうだったのか。
最悪な結末が透けて見えるから、その先が怖い。
「僕は、あれが王宮に行きたがるのが、単なる見栄や派手好みからだと高をくくっていたのです。それ以上は考えが及ばなかった」
ガイがつき合うこともあれば、そうでないこともある。
王族の方々に外面を上手く使い取り入っているのを、ガイは冷めた目で見ていた。
ルリ姫は、生まれつき頬にあざがあり、それをとても気に掛けていたという。それでふさぎがちになり、その態度も父王からよく思われなかった。
「陛下は、皇太子のシュリ王子が長らくご病弱気味なのをお悩みでした。姉君のルリ姫がその王子を扶助なさらないことがご不満であられた」
そんなことから、父娘の関係は冷めたものになっていたという。
ルリ姫は、その状況を自分の顔のあざが根本原因だとねじれて取り、頑なになっていく。
姫が、家族からも孤立気味であるところにつけ込んだのが、レディ・アリナだった。
ガイの妻であるから信用度は抜群で、王宮内で誰一人彼女をうろんな目で見る者はない。
聖女のような振る舞いで、姫を篭絡していったという。
そこには、姫が恋する相手として用意された若者の姿があったらしい。
「あれが連れてきた駆け出しの画家で、見た目は純朴そうで真面目に見えた。姫を描きたいとぬけぬけと言い、純情なルリ姫を口説き落としたのです」
ルリ姫が画家の若者に恋するのは早く、ガイが気づく間もなかった。
彼の知らぬ間に姫は王宮を抜け出し、レディ・アリナの手引きで若者との逢瀬が始まった。
のちに、その頃二人がやり取りした手紙の一部を彼は読むことになる。
「そこで終わればまだよかった。何とでも手が打てたから」
ガイはそこで、話を切った。
重い話で疲れたのかと思った。
「出来なかった。離婚には双方の同意か、一方なら十分な理由が必要で、僕の申し出はすべて却下されたのです」
「え」
「誰も僕の話を信じないのですよ。あれがどれほど妻として不適格か、根拠を付けて訴えても、誰も信じない。恐ろしいことに、この邸の誰もが彼女の信者になった」
「え」
「場面ごとの効果的な振る舞い方を心得ていて、完璧に使い分けていた。あなたの前のフィリップには、師父のように恭しく接していましたよ。どうやれば、僕を孤立させられるか、あれはよく理解していた」
幾つかの季節を経るまでもなく、ガイは、彼女への批判の何一つ、周囲がくみ取ってくれないと気づいた。
「自分が何を言っても通らないと感じると、どうでもよくなる。その頃から、僕はあれの望むように適当に合わせ出した。そうしていれば、僕のまわりだけは静かだったから」
淡々と語る言葉の端ににじむ、わずかないらだち。すてばちになり、絶望した彼の心の流れがよくわかる。
そんな完璧な人心収攬などできるのだろうか。
「完璧でなくていいのですよ。「あのレディ・アリナがまさか」と、そう思わせればいい。社交界は有力者が一人それを広めれば、しおれるようにみながならう」
離婚を申し出た彼を、彼女はあざ笑ったという。
「離婚はしない。春告げる伯爵家のメリットをまだ得ていないじゃない」。
メリット。
そもそもレディ・アリナ自身が子爵令嬢で、高い身分の出だ。資産家でもあろうし、ガイとの結婚で得られる別なメリットが、わたしにはわからない。
「王宮との接点です。縁故があり、僕は当時王子の後見を務めていました。その関係を使い、彼女は王宮に食い込みたかった」
「え」
その理由が問えなかった。
だってわかるから。
人を狩りたい彼女が、普通の獲物に飽きれば、より大きなターゲットを狙うことは想像できる。
それがルリ姫だったのではないか。
ガイの手を外し、わたしは自分の口元をおおった。
そうでもしないと、おかしな悲鳴をあげそうだったのだ。
「なぜあなたは知っているの? 誰がもらしたの?」
わたしは首を振った。彼が秘密のもれを疑うことはない。
ガイの言葉や女官のそれに、自分の体験が合わさり、それらを勝手に組み立てただけのことなのだ。
ガイは吐息した。
「あなたはなんて敏いのだろう。なよやかに見えて勇敢で、強い」
「違うの。わたしが逃げ出せたのは、眠り薬が効かなかったせい。あれはきっとお酒の強さが関係するの。わたしはお酒に酔えない体質なのが、ラッキーだっただけ」
そして、逃げた先に運よくガイが助けに現れてくれた。
自分の恵まれた状況に比して、ルリ姫はどうだったのか。
最悪な結末が透けて見えるから、その先が怖い。
「僕は、あれが王宮に行きたがるのが、単なる見栄や派手好みからだと高をくくっていたのです。それ以上は考えが及ばなかった」
ガイがつき合うこともあれば、そうでないこともある。
王族の方々に外面を上手く使い取り入っているのを、ガイは冷めた目で見ていた。
ルリ姫は、生まれつき頬にあざがあり、それをとても気に掛けていたという。それでふさぎがちになり、その態度も父王からよく思われなかった。
「陛下は、皇太子のシュリ王子が長らくご病弱気味なのをお悩みでした。姉君のルリ姫がその王子を扶助なさらないことがご不満であられた」
そんなことから、父娘の関係は冷めたものになっていたという。
ルリ姫は、その状況を自分の顔のあざが根本原因だとねじれて取り、頑なになっていく。
姫が、家族からも孤立気味であるところにつけ込んだのが、レディ・アリナだった。
ガイの妻であるから信用度は抜群で、王宮内で誰一人彼女をうろんな目で見る者はない。
聖女のような振る舞いで、姫を篭絡していったという。
そこには、姫が恋する相手として用意された若者の姿があったらしい。
「あれが連れてきた駆け出しの画家で、見た目は純朴そうで真面目に見えた。姫を描きたいとぬけぬけと言い、純情なルリ姫を口説き落としたのです」
ルリ姫が画家の若者に恋するのは早く、ガイが気づく間もなかった。
彼の知らぬ間に姫は王宮を抜け出し、レディ・アリナの手引きで若者との逢瀬が始まった。
のちに、その頃二人がやり取りした手紙の一部を彼は読むことになる。
「そこで終わればまだよかった。何とでも手が打てたから」
ガイはそこで、話を切った。
重い話で疲れたのかと思った。
0
あなたにおすすめの小説
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
理想の男性(ヒト)は、お祖父さま
たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。
そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室?
王太子はまったく好みじゃない。
彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。
彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。
そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった!
彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。
そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。
恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。
この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?
◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
R-Kingdom_1
他サイトでも掲載しています。
俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜
ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。
そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、
理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。
しかも理樹には婚約者がいたのである。
全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。
二人は結婚出来るのであろうか。
『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』
透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。
「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」
そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが!
突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!?
気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態!
けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で――
「なんて可憐な子なんだ……!」
……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!?
これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!?
ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆
【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。
たまこ
恋愛
公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。
ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。
※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。
【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
『完結・R18』公爵様は異世界転移したモブ顔の私を溺愛しているそうですが、私はそれになかなか気付きませんでした。
カヨワイさつき
恋愛
「えっ?ない?!」
なんで?!
家に帰ると出し忘れたゴミのように、ビニール袋がポツンとあるだけだった。
自分の誕生日=中学生卒業後の日、母親に捨てられた私は生活の為、年齢を偽りバイトを掛け持ちしていたが……気づいたら見知らぬ場所に。
黒は尊く神に愛された色、白は"色なし"と呼ばれ忌み嫌われる色。
しかも小柄で黒髪に黒目、さらに女性である私は、皆から狙われる存在。
10人に1人いるかないかの貴重な女性。
小柄で黒い色はこの世界では、凄くモテるそうだ。
それに対して、銀色の髪に水色の目、王子様カラーなのにこの世界では忌み嫌われる色。
独特な美醜。
やたらとモテるモブ顔の私、それに気づかない私とイケメンなのに忌み嫌われている、不器用な公爵様との恋物語。
じれったい恋物語。
登場人物、割と少なめ(作者比)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる