74 / 79
甘やかな月(18)
しおりを挟む
「では、お客間にご案内いたします」
「火を起こさないように。居心地よくなどされては困る」
倦んだガイの声。
院での面倒で長い理事会の後で、わたしの件で、会いたくもない夜のお客の対応だ。
彼はくわえたばこで、伸びをしながらぶらぶらと歩いている。
しばらくそうしていて、暖炉にたばこを投げ入れた。
「僕を待たなくていいですよ。好きに休んだらいい」
ガイが部屋を出て、わたしはほどなく立ち上がった。
寝室に上がろうと思った。
嫌な一日で、ひどく気分が疲れていた。
バスの後で暖炉の前でぬれた髪をふいた。
着替えを手伝ってくれるリンが、
「あんなにお怒りのご様子の旦那さまは初めてです」
と言った。彼女がお茶の対応をしたのだという。
客間のガイがいすに掛けもせず、マントルピースにもたれ、無言で腕を組んでいた。その前で、彼ににらまれたお客が二人、しきりに何か弁解していたらしい。
リンは自分が叱られたわけでもないのに、首をすくめている。
一人になり、ベッドに横になった。
さっきのリンの話が頭を去らない。ガイに不快な思いをさせて申し訳なく思った。
それにつれて、ミカ少尉の言葉も引き出されてくる。
胸の悪くなるような侮蔑を受けた。
わたしが、レディ・アリナの後の妻としてふさわしくないというのは、いい。あんな人と比べることすら意味がないから、腹も立たない。
秘書だったわたしがガイをたぶらかして、妻の座を得たというのも、そういう見方もあるのかもしれないと、我慢もできる。
「妻から噂を聞いて」と言っていたから、あの人個人の見解ではなく、そういう話は飛び交っているのかもしれない。
わたしのことはいいのだ。
色ガラスの指輪が安物で、わたしに似つかわしいとあざ笑われたのも、聞き流せる。
けれど、あの人は、ガイについても侮辱した。
軽はずみで、まるでおろかな好色漢であるように彼までののしったのだ。
許せなく思った。
そればかりは、譲れないほど腹立たしい。
ジア先生は、わたしがレディ・アリナにさらわれた際のガイが、どれほど度を失っていたのかを教えてくれた。
いすを蹴り上げ、銀時計を壁に投げつけたという。
冷静なガイをそれほどに追い詰めたあの事件を、ミカ少尉はわたしの狂言だと決めつけた。
どれほどの思いで、わたしを探して救ってくれたのか。
あの夜、彼は再会したわたしを抱きしめ、こう言ったのに。
「あなたが消えて、僕は気が違いそうになった」。
胸にくすぶる嫌な憎しみで、唇を痛むほど噛んだ。
そして、悔しかった。
あんな人の前ですっかり怯えてしまい、何も言い返せなかった自分が悔しいのだ。
「どうしたの? 泣いているの?」
ベッドの中でひざを抱えていた。いつしかガイがやって来ていた。
身体を曲げたわたしの顔を彼がのぞき込む。
ほろほろこぼれる涙は、自分を哀れんでのものではない。
後悔の涙だ。
「かわいそうに。怖かったでしょう。あなたに何の落ち度もないのに」
「…狂言だったと、認めなくてはいけないの?」
「馬鹿な」
ガイは上着を脱ぎながら、強く抗議しておいたと言った。
わたしの遭ったあの事件は、形だけ訴えを上げ、その後すぐに家名やわたしのプライバシーをはばかってなどの理由で、取り下げられている。
要は泣き寝入りの幕引きで、事件そのものが、実態はあっても表になっていない。
首謀者がレディ・アリナであり、彼女のおびただしい余罪の最奥には、ルリ姫の被害がある。とても騒ぎ立てるなどできないのだ。
「忘れることはできないだろうけど、今は考えないで。僕もそうするから」
わたしをくるむ掛布をガイがはいだ。タイを外しながら、口づける。
「火を起こさないように。居心地よくなどされては困る」
倦んだガイの声。
院での面倒で長い理事会の後で、わたしの件で、会いたくもない夜のお客の対応だ。
彼はくわえたばこで、伸びをしながらぶらぶらと歩いている。
しばらくそうしていて、暖炉にたばこを投げ入れた。
「僕を待たなくていいですよ。好きに休んだらいい」
ガイが部屋を出て、わたしはほどなく立ち上がった。
寝室に上がろうと思った。
嫌な一日で、ひどく気分が疲れていた。
バスの後で暖炉の前でぬれた髪をふいた。
着替えを手伝ってくれるリンが、
「あんなにお怒りのご様子の旦那さまは初めてです」
と言った。彼女がお茶の対応をしたのだという。
客間のガイがいすに掛けもせず、マントルピースにもたれ、無言で腕を組んでいた。その前で、彼ににらまれたお客が二人、しきりに何か弁解していたらしい。
リンは自分が叱られたわけでもないのに、首をすくめている。
一人になり、ベッドに横になった。
さっきのリンの話が頭を去らない。ガイに不快な思いをさせて申し訳なく思った。
それにつれて、ミカ少尉の言葉も引き出されてくる。
胸の悪くなるような侮蔑を受けた。
わたしが、レディ・アリナの後の妻としてふさわしくないというのは、いい。あんな人と比べることすら意味がないから、腹も立たない。
秘書だったわたしがガイをたぶらかして、妻の座を得たというのも、そういう見方もあるのかもしれないと、我慢もできる。
「妻から噂を聞いて」と言っていたから、あの人個人の見解ではなく、そういう話は飛び交っているのかもしれない。
わたしのことはいいのだ。
色ガラスの指輪が安物で、わたしに似つかわしいとあざ笑われたのも、聞き流せる。
けれど、あの人は、ガイについても侮辱した。
軽はずみで、まるでおろかな好色漢であるように彼までののしったのだ。
許せなく思った。
そればかりは、譲れないほど腹立たしい。
ジア先生は、わたしがレディ・アリナにさらわれた際のガイが、どれほど度を失っていたのかを教えてくれた。
いすを蹴り上げ、銀時計を壁に投げつけたという。
冷静なガイをそれほどに追い詰めたあの事件を、ミカ少尉はわたしの狂言だと決めつけた。
どれほどの思いで、わたしを探して救ってくれたのか。
あの夜、彼は再会したわたしを抱きしめ、こう言ったのに。
「あなたが消えて、僕は気が違いそうになった」。
胸にくすぶる嫌な憎しみで、唇を痛むほど噛んだ。
そして、悔しかった。
あんな人の前ですっかり怯えてしまい、何も言い返せなかった自分が悔しいのだ。
「どうしたの? 泣いているの?」
ベッドの中でひざを抱えていた。いつしかガイがやって来ていた。
身体を曲げたわたしの顔を彼がのぞき込む。
ほろほろこぼれる涙は、自分を哀れんでのものではない。
後悔の涙だ。
「かわいそうに。怖かったでしょう。あなたに何の落ち度もないのに」
「…狂言だったと、認めなくてはいけないの?」
「馬鹿な」
ガイは上着を脱ぎながら、強く抗議しておいたと言った。
わたしの遭ったあの事件は、形だけ訴えを上げ、その後すぐに家名やわたしのプライバシーをはばかってなどの理由で、取り下げられている。
要は泣き寝入りの幕引きで、事件そのものが、実態はあっても表になっていない。
首謀者がレディ・アリナであり、彼女のおびただしい余罪の最奥には、ルリ姫の被害がある。とても騒ぎ立てるなどできないのだ。
「忘れることはできないだろうけど、今は考えないで。僕もそうするから」
わたしをくるむ掛布をガイがはいだ。タイを外しながら、口づける。
0
あなたにおすすめの小説
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
理想の男性(ヒト)は、お祖父さま
たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。
そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室?
王太子はまったく好みじゃない。
彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。
彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。
そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった!
彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。
そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。
恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。
この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?
◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。
本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。
R-Kingdom_1
他サイトでも掲載しています。
俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜
ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。
そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、
理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。
しかも理樹には婚約者がいたのである。
全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。
二人は結婚出来るのであろうか。
『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』
透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。
「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」
そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが!
突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!?
気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態!
けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で――
「なんて可憐な子なんだ……!」
……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!?
これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!?
ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆
【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。
たまこ
恋愛
公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。
ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。
※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。
【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!
雨宮羽那
恋愛
いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。
◇◇◇◇
私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。
元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!
気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?
元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!
だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。
◇◇◇◇
※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。
※アルファポリス先行公開。
※表紙はAIにより作成したものです。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
『完結・R18』公爵様は異世界転移したモブ顔の私を溺愛しているそうですが、私はそれになかなか気付きませんでした。
カヨワイさつき
恋愛
「えっ?ない?!」
なんで?!
家に帰ると出し忘れたゴミのように、ビニール袋がポツンとあるだけだった。
自分の誕生日=中学生卒業後の日、母親に捨てられた私は生活の為、年齢を偽りバイトを掛け持ちしていたが……気づいたら見知らぬ場所に。
黒は尊く神に愛された色、白は"色なし"と呼ばれ忌み嫌われる色。
しかも小柄で黒髪に黒目、さらに女性である私は、皆から狙われる存在。
10人に1人いるかないかの貴重な女性。
小柄で黒い色はこの世界では、凄くモテるそうだ。
それに対して、銀色の髪に水色の目、王子様カラーなのにこの世界では忌み嫌われる色。
独特な美醜。
やたらとモテるモブ顔の私、それに気づかない私とイケメンなのに忌み嫌われている、不器用な公爵様との恋物語。
じれったい恋物語。
登場人物、割と少なめ(作者比)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる