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ため息曜日

9、続オフ会

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「すごかったわよ、本当にあの頃の『ガーベラ』さん…」

 とアンさんまでがそんなことを言う。鳩サブレーを手渡してくれた。

「キラキラしていてね、近寄りがたいほどだったわ。雅姫さんはほら隣りのスペースのとき、わたしに朝食の鯖寿司を分けてくれたわねよね。
 徹夜か真っ赤な目をして、ジャンガリアン・ハムスターみたいにぱんぱんに頬張りながら「食べません?」って。 そんな姿も何かかっこよくてまぶしかったわ。…千晶さんは何もくれなかったけど」

「…よく覚えてない」

 昔を手放しで褒められるのはひどく照れ臭い。ここには千晶もいないのに。

 卑下する訳ではないが、今のわたしはパートで家計を助ける子持ちの主婦だ。たまさかに昔を思い出して、また漫画を描いているだけのことで…。

 割った鳩サブレーを適当に口に詰め込んだ。

「ほら、そんな感じ」

 アンさんが自分の頬をちょんと指す。朝食に鯖寿司を頬張っていたという昔のシーンをいうのだろう。

「忘れちゃってるのは、雅姫さんだけよ」

 え。

 ぼそりとした何気ない声だった。でも、ぽんと顔の前で指でも鳴らされるような、ちょっとした衝撃があった。

 彼女にいろはさんは大きく頷いて同意を示す。

「覚えている人は多いですよ。パートナーでいらした千晶さんは今の真壁千晶先生ですし。それに、何ていったって『ガーベラ』さんは伝説なんですから!」

 力説する根拠は、きっと同人歴の長いという職場の先輩なのだろう。若い彼女が古い『ガーベラ』の存在を知ったのも、その辺りの入れ知恵なのかもしれない。

 ともあれ、過去をやたらに持ち上げられるのはむずがゆくてしょうがない。『ガーベラ』はわたし一人の個人サークルではなく、千晶という相棒がいてこそのものだった。その彼女のいない場所で、手柄顔に聞いていられる話ではなかった。

「あははは」

 やはり、わたしはから笑いで受け流す。

 いろはさんが興味を持ってくれているようなので、次のイベントでアンさんと出そうと決めた合同誌へ話題を変えた。

「それ、よかったら挿絵とか表紙くらい描かせてもらうかな。アンさんのイメージに合えば、だけど」

「え?! ゲスト寄稿不可。門外不出が絶対ルールの激シブチンサークル『ガーベラ』出身なのに。雅姫さんいいの? いいの?」

 身をのけ反らせて大げさにそう言う。まあ、当時はね。

 互い以外にはよそに描かないのが、千晶と決めた掟のようなものだった。理由は自分の原稿に忙しいのと、ゲスト寄稿をし合って起こるもめ事を避けるためだ。結構、人気サークルでも色々あったらしいのを耳にしていたから。

「合同誌のお話、早めにブログに載せちゃっていいですか? いや、ぎりぎりまで伏せた方が…」

 興奮気味にいろはさんが飛びつく。それには「お好きにどうぞ」と答えておいた。正直、わたしにはどっちでもいいことだった。

 その後楽しく話して、一時間弱ほどでお開きにした。

 別れ際、いろはさんが涙目を向け、

「読み専・書い専の分際で烏滸がましいのですが…、これでご縁が切れてしまうのは切なくって…」

 とSNSでつながりたいと言う。涙ぐむほどのことじゃないし、まさか「おこがましく」もない。総司の幼稚園のママ友とつながるようなノリで友だち登録し合う。

「うほっ」

 彼女はこぶしで胸をぽんと打つ。嬉しいようだ。ちびゴリラのようなガッツポーズがおかしい。


 その夜、さっそくいろはさんからメールが届いた。

『神々の語らいに~』から始まる本文は少々長いが、丁寧で熱い。彼女が書いている同人語りのブログの紹介もあった。

 夫が使う前にリビングのパソコンでのぞいてみた。

『イ・ロ・ハ・便り~同人誌の海に埋もれたい~』と題されたブログは、彼女が推すサークルの作品の感想にイベントのレポートなどぎっしりだ。更新もまめなよう。コメントも多くついている。アンさんが言っていたように、人気のあるブログらしい。

 ほんの斜めに眺めただけだが、苦笑しか出てこないような文面がちらちら目に入る。

『いろはイチオシ、大ファンを自認させていただくスーパー神と本日お会いすることができました。今もって、興奮が冷めません><。ひ~』。

『この神はハンパなくすんごい実績のあるお方でして(常連の方にはもうピンとくるかな(笑))。ですが、ですが!! お優しくて気さくで、本当に素敵な方でした。
 でもやっぱり神オーラは健在です!! ご本人は全っ然お気にされていないようでしたが……』

 これらの記事にはさっそく返のコメントがついている。

 はははは…。

「何してんの?」

 お風呂上がりの夫の声に、慌ててページを閉じた。

「ううん、何でもない」

 装飾が六十の錯覚が二十、誤解が十五ほどに、真実が五もあるだろうか…。交流あるサークルさんには似たような過剰に踊った文面を書いているはず。

 だけれども、恥ずかしさとおかしさの陰で、嬉しくて気持ちが跳ねるのも事実だ。

 同人って、やっぱり楽しい。



「いろはさん」が「いろはちゃん」に変わるまでにそう時間はかからなかった。

 幾度ものメールのやり取りに加え、またアンさんの邸宅で会うこともあり、ぐっと距離が縮まった。

 二十代の中頃と見ていた彼女が、もう三つほど上のアラサーであることも驚きだった。同人話のノリがよくて会話も(大げさだが)面白い。

 年齢通りきちんとしていて、うんと年上のわたしが「へえ」と感じ入るような卓見を口にすることもあった。

 その彼女からもらったアドバイスのメッセージに、

『~宣伝は重要だと思います。売れてる方はそっちもお上手な方が多いようです』

 とあった。

 前のイベントでアンさんに委託してもらった本は、ありがたく完売した。費用の面でカツカツなのもあり、五十部刷るのが精いっぱいだった。在庫はできれば持ちたくない。昔に比べれば「あは」というほどの数ではあるが、今のわたしにはそれが限度だ。

 完売したのは嬉しいが、その売り上げのほとんどは製本代に相殺して消えた。少しの残りは総司に服と水着を買ってやっておしまい。次の本のお金などとてもとても…、賄えるものではない。

 夫の就職も未だ上手くいかず、失業保険もとうとう切れた。パートの給料では毎月の出費に足が出る分を、叶うなら同人活動で補えたら、もし…、とそんなことを切実に考え出した。

 間違っているかもしれないし、不純かもしれない。でも、趣味に家計の足しになる程度の実益が付くのは、そう非難されることではないと思う。

 お金のないことは悪ではない。でも、ないことでお金があらゆる余裕を運んでくれていたことに気づかされてしまう。気持ちのゆとり、責めない優しさ、先への希望……、数えればきっときりがない。

 結局、同人誌の製本代にと、もう最後、次できり…、と都度思う『紳士のための妄想くらぶ』もまだ辞められないでいる。

 せっぱつまったような思いが、いろはちゃんへの問いにも出たのだろう。『どうやったら、もうちょっと本が売れるかな?』と。

 彼女からの助言はわたしには斬新だった。これまで、ただ描いて本にして売ることのみを考えてきた。

 宣伝か…。

「イベントでのオフ活動の告知ページくらいは、今は絶対必要ですよ!! 通販の~』

 とも書いてくれた。

 ネットの知識はほとんどない。ショッピングや何かの申込程度で、どうやってそんなものを作るのか、そこからもうちんぷんかんぷんだ。

 そんなわたしを見越してか、彼女は親切にも申し出てくれた。

『ブログなら無料で作れますよ。今度わたしがお教えしますから、一緒に作りませんか? 散らかったあばら屋ですが、うちでならゆっくりできますし、マイPCもあります。ぜひよろしければおいで下さいませ。ぺこり』

 無料。

 という訳で、ありがたく彼女の言葉に甘えることにした。


 その日はパートが休みだった。

 夫と軽い口論をした後で家を出た。いつもの通り『紳士のための妄想くらぶ』でバススタッフを三時間ほどこなした。

 夏間近のこの時期、ユニットバスでの仕事はかなりきつい。指名上がりの都度、水分補給に備え付けの(おそらくスガさんの自腹)お茶やイオン飲料を飲まないと身体が持たないくらいだ。

 いろはちゃんは自宅近くの目印となるテイクアウト専門の一口餃子の店の前まで出てくれていた。そこから彼女の家まで歩いて五分とない。

 洒落たマンションだった。エクステリアや内装から賃貸ではなさそうだ。きれいに片付いた室内は、落ち着いたインテリアで統一されている。素敵なリビングのあちこちにリラックマが見えるのは、彼女らしくて微笑ましい。

 テーブルに置いたノートパソコンで作業が始まった。といっても、彼女の指が華麗に動くのをわたしは横で眺めているだけだ。

「デザイン、これどうですか?」

 と聞かれれば、「うん、いいと思う」。

「こっちの方が雅姫さんぽいかも…?」

 とくれば、「ぽいかも」。

 ひと段落し、彼女が入れてくれた紅茶とわたしが持参したケーキで休憩だ。いろはちゃんはブログの管理について教えてくれながら、ふと目を閉じ、深く息を吸い込む。

「雅姫さんて、いつも湯上がりみたいなしゃぼんのいい匂いがする…。神はまとう空気感からして違いますね」

「ははは…」

 本当に風呂上がりだから。

「あ、そうだ。うちとリンクしてもいいですか? そこからお客が流れてくれると、イベントのときとかもスペースの賑わいが違うと思いますよ」

「本当? お願い」

 お茶をしつつ、彼女のブログ『イ・ロ・ハ・便り~』にリンクをつないだり、ささっと短い時間に「神ブログが開設されました!!~」と記事を上げる。あなたの方が、絶対に「神」だと思う。

 そのとき玄関の方から鍵を開けるような音がした。

「あ、帰ってきた」

 といろはちゃんがつぶやいた。家族の誰かが帰宅したのだろう。これ以上居座っては迷惑かもしれない…。わたしは「そろそろ…」と今日の礼を述べた。

「そうですか? じゃあせっかくだから、駅までご一緒に。お送りしますね」

「そんな、ここでいいよ」

 そこへ、床に大きな荷物を置く音に続き、人の気配だ。何気なく振り返り、背後に立った家族の男性に頭を下げた。

「お邪魔しています」

「いろはの友達ですね。慌ててお帰りにならず、どうぞごゆっくり…」

「いえ、もうそろそろ…」

 バックを肩にかけながら顔を上げた。コットンのパンツの足、白いポロシャツが目に入った。何気なく目が合った。

「…雅姫か?」

 記憶と今が焦点を結ぶのに、わたしは彼よりも時間がかかった。彼の声にこそ、わたしは昔を鮮やかに見た。

 え。

 日に焼けた肌。少し眠そうにほっそりと見える瞳。形のいい唇はわたしの名を呼んだまま、ほのかに開いて…。

「沖田さん?」

 どうして彼がここに…。
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