黄昏乙女は電車で異世界へ 恋と運命のループをたぐって

帆々

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砂の城へ入場

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ダリアと言葉を交わせた出来事をさらは大事に胸にしまった。リリ達に話すこともしない。彼とは身分違いも甚だしい。そんな彼に恋をしているかのように受け取られるのも嫌だった。

 大好きな『廃宮殿の侍女』の中の登場人物になぞらえて、勝手に憧れているだけなのだから。

 あの出来事以降接点はない。彼は城に滞在中のクリーヴァー王子の相手に忙しいようだ。王子を伴って遠乗りや狩りに出かける姿は遠くから眺められた。

 そんな気配をうかがえるだけでさらは満たされている。

 日々は忙しく流れ、こちらの生活にも慣れた。元の暮らしを恋しく思うことは多いが、帰れないことに焦れて嘆くことはない。

(前は仕事帰りにくよくよして、落ち込んでいたりしたのに)

 個人の能力を圧倒的に超える現象には抗いようがない。そんな諦めが気持ちを太々しくさせているのだろうか。

 彼女が掃除に明け暮れている浴室は、内区でも領主家族の生活の中にある。ダリアの姉のキシリアとその娘のイアに声をかけられることもよくあった。母親のバラの姿にはメイド達に緊張が走った。威厳ある厳しい人で、ダリアも頭が上がらないのだとか。他、叔父夫妻が住まう。その彼ら六人が領主一家だった。

「キシリア様はご夫君を亡くされて婚家から出戻られたの。イア様がニ歳にもならない頃だからもう三年前ね」

「ご夫君の弟君との結婚を迫られて、騙し討ちのように婚儀を仕組まれたそうよ。それが嫌で逃げて帰って来られたの」

「お気の毒よね。イア様は返せと使者を寄越すからダリア様もお怒りになったわ。それ以来あちらとは没交渉よ」

 リリ、ココ、スーの話だ。この辺りは使用人周知のことだ。だがさらには初耳で興味深い。

 キシリアは儚げな印象の美しい人だ。この話を聞いた後では、その横顔に過去の一端がにじむような気もする。

「……ダリア様は、ご、ご結婚は?」

 さらの問う声がぎこちなく詰まった。話のついで、単にそれだけのことなのに変に緊張してしまう。

「まだお一人よ」

「和平の後であちらの王族のお一人を、というお話があったのだけれど、流れてしまったわね」

「それ以降は噂を聞かないわ。ガラハッド家は公爵家だから釣り合いとか家格とか難しいのだって、管理官が言っていたわ」

 管理官は内区の執事のような人物だ。癇癪持ちでメイド相手に威張り散らしている。元の世界の勤め先の意地悪理事長にそっくりで、さらは内心「理事長」と呼んでいた。

「そう」

 相槌を打ちながら心はほっと喜んでいた。ダリアが独身で結婚の予定もないのが、どうして嬉しいのか。なぜ「ほっと」なんかするのか。

(ファンの心理)

 ダリアに決まったパートナーがあったら興醒めだ。誰かの夫である彼を推したいのではないのだから。

 こんな話を洗濯ものを干しながらしていた時だ。使用人の物干し場は使用人部屋の並ぶ棟の裏手にある。そこへ見慣れない人物がふらりとやって来た。彼は辺りを見回している。短髪のきれいな黒髪が夕日を浴びていた。

 首に長いスカーフをなびかせたその姿は目を引いた。すぐに貴人とわかる佇まいだ。クリーヴァー王子に違いない。

 彼は物珍しげにきょろきょろと視線をさまよわせている。さら達の洗濯物を持つ手が止まった。頭を垂れ、控える。強いつむじ風が頭上で過ぎ去るのを待つのに似ていた。

 こんな場面はさらには未だ慣れない。やや頭を上げちらりと様子をうかがってみた。

 王子は生活感の溢れた光景を不思議そうに眺め、物干しロープに下がった誰かの靴下に触れていた。指で引いたそれがロープから外れて地面に落ちた。

 彼はそれを拾い下手な仕草で元に戻した。貴人であるのに繊細な人だとさらは感心した。その時、何気なく流した彼の視線と彼女のそれが重なった。

(しまった)

 と思い、慌てて目を伏せる。叱られるのではないかとびくびくしたが、何もなかった。

 翌日、そのことを忘れた頃だ。メイドの一人がさらに声をかけた。領主家族付きのメイドの一人で、これまでも接触がない。

「キシリア様がご用だそうよ。遊戯室でお待ちなの。急いで」

 それだけを伝えて彼女はさらの前から去って行った。キシリアはダリアの姉で声をかけられたこともままあった。

 待機中だったからそのことをリリ、ココ、スー、に告げて遊戯室に向かった。急ぐとのことだったから、中庭を小走りに横切った。遊戯室付近まで来て息を整えるためにゆっくりと歩く。

「失礼します。お呼びとうかがいました」

 扉の前から声をかけるが返事がない。どうしたものかとしばらく待ってみると、扉のノブが回った。すっとそこから腕が伸びさらの手首を強くつかんだ。思いがけず部屋に引っ張り込まれ、小さい悲鳴が上がった。
 
 彼女を引き入れたのはクリーヴァー王子だった。彼女の後ろで重い扉は自然に閉じた。

 夕暮れを過ぎ室内は灯りもなく薄暗かった。王子はさらの手首をつかんだまま彼女を引き寄せた。彼の手が背中をまさぐるに及び、さらは事態をようやく理解した。

(キシリア様の呼び出しなんかじゃない)

 さらは気が動転しながらも王子の力に抗った。こんな風に意味もなく彼の欲望の捌け口にされるのは嫌だった。

 華奢に見えた王子だが、背も高く体格も力もさらにはとても敵わない。彼は彼女の抗いを許さずにカードテーブルに押し倒した。

 覆いかぶさりながら、

「僕の意に逆らうのか?」

 と睨むように見つめた。

 その瞳の冷たい瞬きに彼女は恐怖と共に悲しみが込み上げた。たとえ逆らったとしても力でねじ伏せられるだけだ。悲鳴を上げたとて、王子の彼の意向に誰が刃向かってくれるというのか。

 意図せず涙が溢れ出す。秀麗な彼の顔がにじんでぼやけて見える。

「委ねるのなら乱暴にはしない」

 王子の唇が彼女のそれと重なった。強引に唇が割られた。舌を吸われながら、メイドの仕事にはこれも含まれるのだろうかと思った。リリ、ココ、スーに聞いたことはなかったが、貴人の気まぐれな欲望に付き合うのは当たり前のことなのかもしれない。

(ここで暮らしていくには……)
 
 諦めたくはないが、他に道がない。

 彼の手が服の中に入った。ひやりとした手がぎこちなく乳房に触れる。

 そこで何かが胸の中で弾けた。体は抵抗できなくても心が嫌だと悲鳴を上げる。組み敷かれながらさらは嗚咽を止めなかった。止められなかった。

 ふと、王子の手が肌の上で止まった。

 逡巡する彼の気配がさらにも伝わる。ため息のような吐息の後で、いきなり部屋の扉が開いた。外の光が入り王子の髪を一瞬煌めかせた。再び音を立て扉が閉まる。

「何をなされている?」

 闖入者に王子は弾かれたようにさらから身を剥がした。重しを外されて彼女もテーブルから滑るように降りた。乱れた胸元を手で隠した。

 誰だろうが助かった。彼女は背を向けて衣服を直した。

「流行りの自由恋愛だ」

 王子がバツが悪そうにむくれた声を出した。

「他家のメイドに無理を強いるのが、あなたのそれか?」

「うるさい」

 その時には部屋に入ってきたのがダリアだとさらにも気づいた。そのことが彼女の気を更に動転させた。よりによって一番見られたくない人だった。

 ダリアはさらを一瞥し、手だけで外へ出るように促した。王子と彼のやりとりはどうでも良かった。彼女は小走りに部屋の外へ飛び出した。
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