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4.王宮の晩餐会

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アリヴェル王子の近衛兵団の来襲とその風のような出立。それと共に消えたコレットのこと。


「あのおちびのコレットがアリヴェル王子様ですって?」

「魔法で子供になっていたって、本当にお嬢様はお信じになっているんですか?」

「冗談にしたって出来が悪いですよ」


誰も信じることはなかった。しょうがない。わたしだって未だに夢を見ていたかのような出来事なのだから。


結局、気まぐれを起こしたアリヴェル王子が、兵団を引き連れ領地にやって来たその帰り際に、誰かがコレットを伴って行ったのだろうという決着に落ち着いた。


義妹の婚礼準備に忙しくし、日々が過ぎた。


眠る際、そばに小さな身体がもういないのを寂しく思うことも、薄れていった。


そして、コレットが言っていたライナスへの不審感だ。


「あのとき、近衛兵とあなたのことを話したの。王宮の騎士団のどこに属していたのか知りたがっていたわ」


そんなことをさりげなく言うと、それからふつっと姿を消してしまった。成り行きに、コレットの言葉は本当だったのだと納得した。



そんな中、父から便りがあった。今度は何の要求かと、封を開く手が荒くなる。


文面には急ぎ帰宅せよとある。何の説明もない。継母に何かあったのかもしれない。もしくは義姉のセアラか義妹のシェリルに。


こんなことは、ここに来て九年以上経つが初めてだ。


愛情も感じないが、帰宅ついでに父に鉱山の採掘費用をもっと捻出を頼もうと思った。やっと貴青石の欠片が採れ、少し前から採掘を始めていたのだ。


馬車と馬を乗り継いで十日。途中、温泉地があったから少し寄って休んだ。これくらいの娯楽は許されるはず。


久しぶりの王都は往来も多くにぎわい、活気にあふれていた。田舎暮らしが続く目には、人々の様子も繁華な町も派手やかに映り、やや気疲れするような光景だ。


娘がまた一人消えた邸は、少しがらんとした印象だった。


九年ぶりに会う父は更に老いて、小さく感じた。逆にわたしが成長した。ここを出たときはまだほんの少女だったのに。


「ダーシー、旅は疲れなかった? あなたの部屋を整えてあるからよく休んでちょうだいね」


継母は妙に優し気だった。もうわたしは邪魔にはならないのだろう。それだけより他人になったのだと感じる。


「ありがとうございます」


帰郷を急いた要件を聞くと、二人は顔を見合わせた。間の後で、まず継母が、


「驚いたのよ、王宮からお使いが見えて」


と言い、次いで父がつないだ。


「家族そろって王宮よりの沙汰を待てとの命なのだ。わたしは王宮のお役を拝しておらぬ。今頃、何の御用か」

「ですから、何度も言うように、セアラの件に決まっているではないですか。とうとうアリヴェル王子がご婚約をお決めになったのですよ」


父は納得いかない様子だった。セアラが王子の初のダンスのお相手を務めて、もう十年の月日が経つ。それ以降何の進展もない。まだその望みを追うのは、無理があり過ぎる。


わたしは意見を言わず、黙っていた。二人の奥で、陰気そうに座ったままのセアラがいた。美人は変わらないが、無表情で冷酷そうな表情は継母によく似ている。母親の浮かれた声にも反応も見せない。


「そうだわ。ダーシー、あなたもいい年でしょう。わたしの甥が妻を求めていて、あなたが条件にぴったりなのよ。これを逃しては次がないわ」


「いいえ。わたしは結婚するつもりがありません」

「もうお話を進めてあるのに、勝手を言わないでちょうだい」


優し気だったのは、自分に都合のいい縁談をわたしに進めるためだったようだ。すでに継母はひたいに青筋を立てている。


昔と違い、それを見てもわたしは震えることも怯えることもない。



「やっぱりわがままな娘ね。はい継母様お任せします、がなぜ言えないの。甥はお金持ちですよ。婚儀が整えば、我が家を助けてくれると言ってくれているのに」


「我が家を助ける? どういう意味ですか?」


わたしは父へ向き直った。父は面倒そうに説明をした。元々裕福でなかったところに、シェリルの婚儀の際に散財し、その支払いのため領地を一つ手放したところだという。


計画が狂ってしまった。


父に頼み、鉱山の採掘費用を調達するのが帰宅の目的だったのに。


継母の甲高い声など耳に入らない。一緒に帰宅した領地管理のマットと相談しないと。タタンの蓄えで追加の採掘費が捻出できるだろうか。


王宮からの使いが現れたのは、帰宅して翌日だった。


「令嬢ダーシー殿、今宵の晩餐会へのお招きでございます。お仕度をされ、参られますように」


命を伝える使いの他に衣装を用意した女官の姿もある。


「アリヴェル殿下よりの贈り物でございます」


やはり、と思った。


王宮からの命は、とっくに時季外れのセアラへのものではなく、アリヴェル王子のわたしへの礼なのだ。

女官に継母はくってかかる。


「セアラのお間違えでは? ダーシーなどではなく。セアラでしょう? 王子がお招きになったのは」

「間違いなく、殿下より直にお名を頂戴いたしました。タタンで領主代理をなされるダーシー殿だと」


ぴしゃりとした女官の返しに、継母はひぃっと悲鳴を上げた。無表情のセアラを抱きしめ、うめいている。


「おかしいわ。こんなことがあっていいはずが。恐ろしい間違いが起こったのよ」


その取り乱し方が滑稽で、笑いをこらえるのに苦労した。


置物のような父も、さすがに継母の振る舞いが無礼なのでとがめた。


「馬鹿を言うものではない。王宮に限って間違いなどない」


アリヴェル王子からの贈り物のドレスは、素晴らしい品だった。首飾りまで用意されていて、これが彼の「責任」の取り方なのだと納得した。


ドレスはともかく、首飾りは高価すぎる。後で返品しないといけない。


クリーム色のレースが華やかなドレスは驚くほど身体になじんだ。胸のサイズや腰のラインまでぴったりだ。


「まあ、まことに美しゅうございます。豊かなお胸からほっそりとしたお腰が何とも優美で。アリヴェル様もお喜びになられますわ」


女官がほめてくれるが、彼にここまで身体のサイズを把握されているのが、恥ずかしいし腹立たしい。なぜこんなに正確に記憶しているのか。


どれだけじろじろ見られたのか、といたたまれなくなる。


仕度を整えて、迎えの馬車に乗った。貴族の令嬢ではあるが、王宮など初めてだ。機会はすべて継母がセアラにのみ与え、わたしは常に留守番を強いられてきた。


照明のきらめく宮殿は、人々でにぎやかにざわめいていた。


晩餐用の大テーブルの決められた席に案内された。すでに招かれた多くの人々がおり、わたしの両隣りは初めて会うどこかの婦人だった。


王太子殿下の乾杯により、食事が始められた。


「まあ、領地で暮らされているの?」

「田舎暮らしはお寂しくはない?」


「いえ。慣れてしまえば別に」

「では、王都はお久しぶりなのね。社交は楽しまれて?」


和やかな会話と食事。普段のシンプルな料理も大好きだけど、たまのご馳走もおいしい。


ちらりと周囲に目をやっても、アリヴェル王子がどこにいるのかわからない。いないのかもしれない。


食事の後では、場を移し室内楽の鑑賞が始まった。しばらく参加し、頃合いを見てわたしはそっと抜け出した。これ以上いても意味がない。


受付でケープを受け取り、ドレスの上から羽織る。ついでに、首の飾りも王子に返してほしいと渡しておいた。


静かに流れる音楽を背後に、速足でお庭を横切った。門兵がいたが、招かれた令嬢のドレス姿では簡単に出ることができる。


王宮の外はしばらく行けば繁華な通りになる。夜が更け始めても、まだにぎわいを見せている商家もあり、人声もあちこちに聞かれる。


それらを眺めながら歩いた。明日にはもうタタンの領地へ向かおう。その前に、父にはもう領地を売ることはしないでほしいと、改めて念を押しておかないと。


と、そのとき腕を引かれた。


ぎょっとなり顔を向けると知らない男だった。


「きれいなお嬢さん。一緒に楽しもうぜ」


酔った息を吹きかけられて、不快さに身を引いた。つかまれた手を払う。


「止めて」

「おい、つれないな」

「どうした?」


もう一人出て来た。後ろにもまだいるようだった。


貴族の娘とわからないのか。しかし、貴族の令嬢は夜に独り歩きなどしない。タタンの地と同じような感覚でいたわたしがうかつだった。


逃げよう。そう決め、わたしはドレスの裾をつかみ、走り出した。逃げ出せば男たちもあきらめるだろう。


慣れない靴でどれだけか走った。角を曲がってもう少し、のところですぽっとかかとから靴が脱げてしまった。


前のめりに転んだ。ひじをすりむいた感触があった。それよりも恐怖だったのは、男たちに囲まれたことだ。


「逃げるなよ」


一人が屈み、わたしの顔をのぞき込んだ。再び腕をつかまれそうになったとき、不意に男が手を止めた。

気づけば、その男の後ろを取る別な誰かの姿があった。男ののど元に刃を突き付けている。


「あ、あ…」


震える声をもらす男を置いて、他の者たちが散っていく。


刃が男の喉から離れた。どんっと地面に突き倒され男が伏せた。


「消えろ」


誰かの低い声に、わたしに絡んだ男は身を起こすや、足をもつれさせ走り去って行った。


呆然とするわたしに手を差し伸べたのは、アリヴェル王子だった。
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