忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々

文字の大きさ
46 / 75
嵐の中で

5

しおりを挟む
 
 帰りの馬車で、アリスは手のひらに爪を食い込ませ続けた。離れに着く頃には、辺りはすっかり明るくなってしまっていた。行きと同じで塀の外に馬車が停まる。

 様子を中からうかがっていたらしく、すぐにに塀の壊れ目からミントが現れた。馬車から下りたアリスを抱えるように引き受けた。

「お会いできたの?」

 シェリーシュに問う。彼は頷いて応じ、長い騎馬に腕を伸ばす仕草を見せた。

「ちょっと待って」

 アリスを離れに連れて行き、すぐにミントはとって返して来た。シェリーシュへ紙の包みを渡す。飲み物と朝食を用意しておいたのだった

「帰りに馬の上ででも食べて」

 驚いた様子の彼へ、

 「姫様をどうもありがとう。お疲れ様」

 と声を投げ、さっさと背を向けた。彼女なりのねぎらいだった。




 アリスは寝室にいた。ベッドの縁に掛け、悄然としている。そこへミントが静かにやって来る。

「お朝食前でよろしゅうございましたわ。まだ母屋からメイドたちも参っておりません。もうじきやって来るでしょうから、はらはらとお待ちしておりました」

「悪かったわね、一人で……」

「とんでもございません」

 ミントはアリスの側で屈み、表情をうかがう。主人の顔色は青白く、彼女の自身が病気であるかのようだった。とてもひと時の逢瀬を楽しんだというようには見えない。

「お着替えしましょう。横におなりになっては?」

 侍女の手を借りて衣装を脱いだ。その時、胸元に挟んだきりのロエルの手紙が落ちた。ミントはそれを素早く拾う。アリスへ夜着をまとわせた。脱いだ衣装を手早く畳む際に、そこに一筋の髪を見つけた。金色のもので短い。

「ロエル様のお髪は金髪でいらっしゃるのですね」

 アリスはミントに示された髪の毛を手のひらに乗せた。ふっと吹けば、どこかに消えてしまいそうなごく軽い彼の影だった。ミントがそれを手紙と一緒にし、アリスのノートブックに挟んで仕舞う。

「ご様子は、いかがでした?」

「とてもお痩せになっていたわ、少し動くのもお辛いようだった」

「お若い方ですもの、ゆっくりお休みになったら、きっとご回復になりますわ」

「お元気になってとお願いしても、そのお返事を下さらない。何か、あきらめたみたいで……」

 アリスはそこで嗚咽をもらした。ロエルの側でも散々泣いただろうことは、赤く腫れた目を見ればすぐに知れた。頑健な若者でも不意の病に命を落とすことは往々にしてある。ミントの叔父でも一人いた。

 薄幸な主人の恋をミントは推してきた。秘めた美しい思い出の一つくらいあったって罰は当たらない。その終わりをロエルの心変わりであるとか、二人が納得した結果の別れ……、などであることを想定してきた。

 まさかロエルの死によっての終幕など、考えもしなかった。恐ろしいことだが、もし、もし仮にそういう事態を迎えてしまえば、アリスは立ち直れないのではないか。初めての恋だ。しかも実ったそれをそんな残酷な形で失ってしまえば、
 
(純粋な姫様の心は壊れてしまうのでは……?)

 今にも崩れそうに泣いている彼女を見て、次善を考えるのが常のミントも暗澹としてしまった。重い病床のロエルは気の毒であるが、それはさておき。

(そうなったら、どうお慰めしたらいいの?)

 恋人に先立たれたアリスの心境を先取り、やはり何も浮かばないのだった。




 日々は重く過ぎていった。ロエルからの便りはないが、その為知りたくない事実から遠ざかっていられるのだとも考えた。そして、届いた手紙はレイナからのものであっても開封をためらった。

(恐ろしいことを知らせるためかも……)

 書き物机に置き去りのそれらに、ミントは主人の許可をもらい目を通した。ロエルとは無縁のことで、アリスが知るべき事柄を伝える場合も大いにあるのだ。

「まあ、殿様が王宮のお役を賜るそうですわ。陛下の学問のご進講役だそうです。レイナ様のお父上もご出仕なさるとか。まあ、月下だけではなく、日輪の高家にもそんなお話があるのだそうですわ」

 無事な内容を確かめた後で、アリスは手紙に目を通した。そこにはミントが言ったより詳しい説明があった。現王妃の実家である虹彩の高家は国賊的な醜聞を引き起こした。長らく一族が有利な地位を王宮内で保っていたが、ほぼ失脚の体である。実質手を染めていなくても、面目を失い色を辞す者が続出した。

 その幾らかの穴を埋めるのが、今回の登用のようだった。三高家の扱いは明らかに均衡を欠いていた。それを是正しようという動きもあるのだとか。


『今回の件で、月下の暮らしぶりも改善するといいわ。期待をかけているの。母は急な出仕を迷惑そうにこぼしていたけれど、本心は違うわ。衣装の心配が嬉しそうよ……』


 レイナの平和な文章が心に沁みる。非日常にどっぷりと浸かり疲弊していた彼女に、普段のやり取りが暖かい。

「返事を書くわ」

「よろしゅうございます。殿様にもお祝いのお手紙を書かれては?」

「そうね」
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

【完結】気味が悪いと見放された令嬢ですので ~殿下、無理に愛さなくていいのでお構いなく~

Rohdea
恋愛
───私に嘘は通じない。 だから私は知っている。あなたは私のことなんて本当は愛していないのだと── 公爵家の令嬢という身分と魔力の強さによって、 幼い頃に自国の王子、イライアスの婚約者に選ばれていた公爵令嬢リリーベル。 二人は幼馴染としても仲良く過ごしていた。 しかし、リリーベル十歳の誕生日。 嘘を見抜ける力 “真実の瞳”という能力に目覚めたことで、 リリーベルを取り巻く環境は一変する。 リリーベルの目覚めた真実の瞳の能力は、巷で言われている能力と違っていて少々特殊だった。 そのことから更に気味が悪いと親に見放されたリリーベル。 唯一、味方となってくれたのは八歳年上の兄、トラヴィスだけだった。 そして、婚約者のイライアスとも段々と距離が出来てしまう…… そんな“真実の瞳”で視てしまった彼の心の中は─── ※『可愛い妹に全てを奪われましたので ~あなた達への未練は捨てたのでお構いなく~』 こちらの作品のヒーローの妹が主人公となる話です。 めちゃくちゃチートを発揮しています……

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

王妃となったアンゼリカ

わらびもち
恋愛
婚約者を責め立て鬱状態へと追い込んだ王太子。 そんな彼の新たな婚約者へと選ばれたグリフォン公爵家の息女アンゼリカ。 彼女は国王と王太子を相手にこう告げる。 「ひとつ条件を呑んで頂けるのでしたら、婚約をお受けしましょう」 ※以前の作品『フランチェスカ王女の婿取り』『貴方といると、お茶が不味い』が先の恋愛小説大賞で奨励賞に選ばれました。 これもご投票頂いた皆様のおかげです! 本当にありがとうございました!

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

【完結】悪役令嬢はご病弱!溺愛されても断罪後は引き篭もりますわよ?

鏑木 うりこ
恋愛
アリシアは6歳でどハマりした乙女ゲームの悪役令嬢になったことに気がついた。 楽しみながらゆるっと断罪、ゆるっと領地で引き篭もりを目標に邁進するも一家揃って病弱設定だった。  皆、寝込んでるから入学式も来れなかったんだー納得!  ゲームの裏設定に一々納得しながら進んで行くも攻略対象者が仲間になりたそうにこちらを見ている……。  聖女はあちらでしてよ!皆様!

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

白い結婚を終えて自由に生きてまいります

なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。  忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。  「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」 「白い結婚ですか?」 「実は俺には……他に愛する女性がいる」   それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。 私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた ――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。 ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。 「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」 アロルド、貴方は何を言い出すの? なにを言っているか、分かっているの? 「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」 私の答えは決まっていた。 受け入れられるはずがない。  自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。    ◇◇◇ 設定はゆるめです。 とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。 もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!

処理中です...