忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々

文字の大きさ
59 / 75
霧中

1

しおりを挟む

 昼下がり、アリスはロフィのシャツに刺繍をしていた。小鳥をねだられて、胸元に入れている。小姓見習いの間で流行っているのだとか。

 考え込むことも多く、このところ眠りが浅くなってしまっている。細かな作業をしていると、つい眠気がさした。

「姫様、よろしいでしょうか?」

 ミントが来客を告げる。離れに来る者など限られている。フーかシェリーシュか……、くらいなものだ。でも彼らはミントにすれば「客ではない」。

「小リスが参っておりますわ。お通ししてよろしゅうございますか?」

 返す理由もなく彼女は頷いた。こちらにやって来るのはどういう風の吹き回しか。以前はロフィの世話を押し付けにやってきた時だから、もう五年近くも前になる。

 もしや、また子供が出来てその養育を手回しよく任せにやってきたのかもしれない。そんな想像はミントにもつくらしく、早々腹立たしそうにしている。

 居間に入ってきたブルーベルは、案内を待たずにアリスの対面の椅子に掛けた。ドレスの皺を指で伸ばし、アリスに微笑んだ。

「趣味のお邪魔して悪いわね。まあ上手に出来るのね、青い鳥が可愛いわ」

 アリスの膝の刺繍をのぞき込んで褒めた。これには彼女もミントも面食らう。ブルーベルからこんな如才のなさを向けられたことがないからだ。見下した言葉しか飛んでこなかったのに。

「お茶にしましょうよ。ゆっくり話したいことがあってね」

 まだ時間にしては早かったが、ねだられてはしょうがない。ミントに頷いて用意を頼んだ。ミントはメイドにそれを伝え、ほどなく支度が整った。茶菓子類は昼食時に一緒に届くし、お茶の準備は離れのキッチンでも十分だ。

「あんた達、下がってちょうだい。邸内の切り盛りの話をするから聞かれちゃ困るのよ」

 お茶を運んで来たメイドにブルーベルが命じた。メイドはミントを見てミントが頷く。ミントに任せれば楽が出来るので、素早く居間から下がって行った。

「あんたは……、お姫様にくっ付いたものだから、まあいいわ」

 控えることを許可されたミントは、当然とした表情でアリスの背後に立った。

 アリスより先にティーポットに手を出し、自分のカップになみなみとお茶を注ぎ、そのついでにアリスの分も満たしてくれた。

「あら、お茶に差はないのね。まあいいわ。お茶くらい安いもんだし。他で差をつけているのなら、構わないのよ、全然」

「何のご用でしょう?」

 ミントが問う。無礼なブルーベルには敢えてアリスが言葉をかけてやる必要はないと断じている。

「そうよ、ご用よ。わたしね、この邸を出ることにしたの」

「どちらへお出かけで?」

「夜会や何かに行くのとは違うのよ。ディアーと別れてこの邸を出ていくと言ったの。もう決めたのよ」

 ここでアリスとミントは顔を見合わせた。にわかには信じ難い。けれど、めったと顔を合わせないブルーベルがやって来たのだから、相応の理由はあるはずだ。

 驚いて見つめる二人の視線を嬉しげに受け、一呼吸の後ブルーベルは嘆息して見せた。

「上手くいっていなかったのよ、この頃。遊び暮らすのにも飽きちゃったしね。そろそろ古巣が懐かしくなってきたの。技量が錆びつかない前に舞台に戻るわ」

「……それはディアー様も了解されていますの?」

 やっとアリスも声が出た。ブルーベルは頷いてから茶菓子に手を出した。口に入れるでもなく皿の上で崩し弄んでいる。苛立つことの少ないアリスだが、その仕草だけは嫌だった。食べ物で遊ぶ人は好きではない。

 ミントとまた見合った。ディアーも承知なのであれば、正式な別れに違いない。それは二人の問題で口を挟む気も起きなかった。アリスが不安なのはロフィのことだ。まさかとは思うが、邸を出る際に連れて行きたいなどと言い出すのではないかと、胸が騒いだ。

「ロフィ坊っちゃまは正式に姫様のお子になっておられますわよ。ドリトルン家の跡取りですもの、この家を離れることは許されませんわ」

 ミントがぴしゃりと告げた。そのままアリスの思い通りだが、別な角度でつきんと胸を刺すような痛みもある。

 ブルーベルは汚れた手をナフキンでぬぐい、手を振った。

「いいの。それはそちらでお好きにどうぞ。ただね……」

 やはりあっさりと実子を切り捨てるブルーベルに嫌悪感が湧く。この意味のない対面に嫌気がさした。彼女には珍しくはっきりと不快な表情を顔に出す。ミントを振り返り、

「ご挨拶がお済みのようよ」

 と辞去を促した。

「ちょっと待ってよ。待ってったら。まだ話は終わっていないの。ここからが本題よ。……あなた少し見ない間に雰囲気が変わったわね。前は人形みたいだったのに」

「手短にお願いしますよ」

 アリスの不快を知ってミントが釘を刺す。

「いいわ。明瞭に話すのは得意なの。あのね、ここを出るに当たって、まとまった資金を頂戴したいの。ディアーは駄目よ。あの人にその権利がないの。だから、あなたからフーに頼んでくれない?」

「ご自分で頼めばよろしいのでは? 姫様がお取り継ぎになる理由がありません」

 ミントの言葉にブルーベルは首を振った。フーとの交渉を諦め切っている様子がアリスには不思議だった。これまでドリトルン家で贅沢三昧に暮らしてきた。ディアーの権利がなくても、フーからその資金は出ていただろうに。同じように頼めば済む話に思えた。

「好きにお金が使えたのはディアーが当主を降りる前までよ。その後はまともにドレスだってあつらえてもらえない。三月に一度、しつこくしつこく言ってやっと一着よ。同じドレスで同じ人の前に立つ惨めさったらないわ」

 意味のない奢侈は無駄で下品にもなる。それが常識のアリスには理解し難い話だ。ともかく、フーがブルーベルへの資金を出し渋るというのはわかった。

「わたしだって、あなたに頼みたくてここにいるのじゃないわ。わたしじゃ埒が開かないのよ。あいつ、あなたには甘いから強めに言ってやって頂戴」

 ここでまた主従で顔を見合わせた。フーが離れのアリスに甘いなど、おかしな話だった。義父の命もあったが、自由を奪われ縛りつけられてきたというのに。

「衣装屋に聞いたのよ。わたしがドレスを一着やっと新調したら、あなたには一度に五着も与えたのよね。頭に来るじゃない。問い詰めてやったら「姫君は責務を果たしていらっしゃる、必要があるから許可したまでのこと」ですって! ディアーもいつか言っていたわ。「あいつ、アリスには甘いからな」って」

 フーとディアーのセリフを器用に声真似して再現するから、二人はちょっと笑った。すぐに笑いを引っ込めたミントが、

「確かに姫様はご自分の責務を立派に果たされておいでです。けれど、それでもってフーがこちらに甘いなんて、あなた方の誤解です。外出も制限を受けていて、お好きにあちこちお出かけできるあなたとは違います」

 その制限も亡義父の許可で緩んだことをミントは口にしなかった。しかし、外泊や旅行などは今もって許されていない。

「それは過保護から来るのではない? あなた、世間知らずで頼りないから」

 さすがに「過保護」には失笑が出た。世間知らずで頼りないのは自覚しているが。

「あなたの言葉ならあいつも耳を貸すから、お願いよ。満足のいく額を引き出してくれたら、ロフィには今後関わらないわ。その念書を書くつもりよ。これも交渉材料になるのじゃない?」

 再びアリスはミントと見合う。労に見合う条件に思えた。のち、ブルーベルが実母の権利を振りかざしに現れても、その念書があれば追い返すことが出来る。

 アリスが頷くとミントも頷きを返した。

「では、今からこちらに呼びましょうか? あなたも同席して……」

「それは止めておく。結果を知らせてくれればいいから。この程度は欲しいのよ」

 ブルーベルはミントの言葉を遮り望む金額を提示した。不自然な拒絶で違和感がある。「フーはアリスに甘い」と言うのなら、彼女を手切金の交渉の場に連れてくれば事が足りる。アリスを盾にフーに要求を突きつければいいのに。

 アリスは違和感以上に思い至らないが、ミントはその不自然な点を突いた。強気なブルーベルらしくない逃げ腰だ。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】気味が悪いと見放された令嬢ですので ~殿下、無理に愛さなくていいのでお構いなく~

Rohdea
恋愛
───私に嘘は通じない。 だから私は知っている。あなたは私のことなんて本当は愛していないのだと── 公爵家の令嬢という身分と魔力の強さによって、 幼い頃に自国の王子、イライアスの婚約者に選ばれていた公爵令嬢リリーベル。 二人は幼馴染としても仲良く過ごしていた。 しかし、リリーベル十歳の誕生日。 嘘を見抜ける力 “真実の瞳”という能力に目覚めたことで、 リリーベルを取り巻く環境は一変する。 リリーベルの目覚めた真実の瞳の能力は、巷で言われている能力と違っていて少々特殊だった。 そのことから更に気味が悪いと親に見放されたリリーベル。 唯一、味方となってくれたのは八歳年上の兄、トラヴィスだけだった。 そして、婚約者のイライアスとも段々と距離が出来てしまう…… そんな“真実の瞳”で視てしまった彼の心の中は─── ※『可愛い妹に全てを奪われましたので ~あなた達への未練は捨てたのでお構いなく~』 こちらの作品のヒーローの妹が主人公となる話です。 めちゃくちゃチートを発揮しています……

【完結】憧れの人の元へ望まれて嫁いだはずなのに「君じゃない」と言われました

Rohdea
恋愛
特別、目立つ存在でもないうえに、結婚適齢期が少し過ぎてしまっていた、 伯爵令嬢のマーゴット。 そんな彼女の元に、憧れの公爵令息ナイジェルの家から求婚の手紙が…… 戸惑いはあったものの、ナイジェルが強く自分を望んでくれている様子だった為、 その話を受けて嫁ぐ決意をしたマーゴット。 しかし、いざ彼の元に嫁いでみると…… 「君じゃない」 とある勘違いと誤解により、 彼が本当に望んでいたのは自分ではなかったことを知った────……

俺の婚約者は地味で陰気臭い女なはずだが、どうも違うらしい。

ミミリン
恋愛
ある世界の貴族である俺。婚約者のアリスはいつもボサボサの髪の毛とぶかぶかの制服を着ていて陰気な女だ。幼馴染のアンジェリカからは良くない話も聞いている。 俺と婚約していても話は続かないし、婚約者としての役目も担う気はないようだ。 そんな婚約者のアリスがある日、俺のメイドがふるまった紅茶を俺の目の前でわざとこぼし続けた。 こんな女とは婚約解消だ。 この日から俺とアリスの関係が少しずつ変わっていく。

その発言、後悔しないで下さいね?

風見ゆうみ
恋愛
「君を愛する事は出来ない」「いちいちそんな宣言をしていただかなくても結構ですよ?」結婚式後、私、エレノアと旦那様であるシークス・クロフォード公爵が交わした会話は要約すると、そんな感じで、第1印象はお互いに良くありませんでした。 一緒に住んでいる義父母は優しいのですが、義妹はものすごく意地悪です。でも、そんな事を気にして、泣き寝入りする性格でもありません。 結婚式の次の日、旦那様にお話したい事があった私は、旦那様の執務室に行き、必要な話を終えた後に帰ろうとしますが、何もないところで躓いてしまいます。 一瞬、私の腕に何かが触れた気がしたのですが、そのまま私は転んでしまいました。 「大丈夫か?」と聞かれ、振り返ると、そこには長い白と黒の毛を持った大きな犬が! でも、話しかけてきた声は旦那様らしきものでしたのに、旦那様の姿がどこにも見当たりません! 「犬が喋りました! あの、よろしければ教えていただきたいのですが、旦那様を知りませんか?」「ここにいる!」「ですから旦那様はどこに?」「俺だ!」「あなたは、わんちゃんです! 旦那様ではありません!」 ※カクヨムさんで加筆修正版を投稿しています。 ※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法や呪いも存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。 ※クズがいますので、ご注意下さい。 ※ざまぁは過度なものではありません。

突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。

橘ハルシ
恋愛
 ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!  リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。  怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。  しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。 全21話(本編20話+番外編1話)です。

恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました

あい
恋愛
両親を失ったあの日、 赤子の弟を抱いて家を出た少女がいた。 それが、アリア。 世間からは「若い母」と呼ばれながらも、 彼女は否定しなかった。 十六年間、弟を守るためだけに生きてきたから。 恋も未来も、すべて後回し。 けれど弟は成長し、ついに巣立つ。 「今度は、自分の人生を生きて」 その一言が、 止まっていた時間を動かした。 役目を終えた夜。 アリアは初めて、自分のために扉を開く。 向かった先は、婚姻仲介所。 愛を求めたわけではない。 ただ、このまま立ち止まりたくなかった。 ――けれどその名前は、 結婚を急かされていた若き当主のもとへと届く。 これは、 十六年“母”だった女性が、 もう一度“ひとりの女”として歩き出す物語。

いいえ、望んでいません

わらびもち
恋愛
「お前を愛することはない!」 結婚初日、お決まりの台詞を吐かれ、別邸へと押し込まれた新妻ジュリエッタ。 だが彼女はそんな扱いに傷つくこともない。 なぜなら彼女は―――

お姉さまに婚約者を奪われたけど、私は辺境伯と結ばれた~無知なお姉さまは辺境伯の地位の高さを知らない~

マルローネ
恋愛
サイドル王国の子爵家の次女であるテレーズは、長女のマリアに婚約者のラゴウ伯爵を奪われた。 その後、テレーズは辺境伯カインとの婚約が成立するが、マリアやラゴウは所詮は地方領主だとしてバカにし続ける。 しかし、無知な彼らは知らなかったのだ。西の国境線を領地としている辺境伯カインの地位の高さを……。 貴族としての基本的な知識が不足している二人にテレーズは失笑するのだった。 そしてその無知さは取り返しのつかない事態を招くことになる──。

処理中です...