無信

けん主

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土と泥

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僅か1畳にも満たないこのスペースで、赤ん坊が母親に抱かれているかの様にうずくまりながら寝ているのは、何回目だろう。 白賓荘司はふいに考えた。しかし、考えるのはすぐにやめた。隣から聞こえてくるいびきによって、考えることすら億劫になったのだ。地元から少し離れた場所にある漫画喫茶で荘司の1日が始まる。
白賓荘司は、石川県の中でも田舎の中で生まれた。 赤ん坊の時は分からなかったが、少しづつ
だが、父親の自分に対する態度の変貌に気付き始めた。5歳の頃に叩かれながら髪を掴まれ、押し入れの中に1時間ほど入れられた。
8歳の頃には、家族で映画館に行ったとき、トイレの個室の中で「ムカつくから来い」と言われ叩かれた事もあった。父親は、自分の母親、
つまり、白賓の祖母が勤めている土木関係の会社で働いていたが、タバコが原因で肺を手術することになり、手術後に精神病にかかり、仕事をやめてしまった。その後は働きもせず、自宅に白賓のためにと祖母が買ってくれたパソコンでネットオークションをして、フィギュアを買う毎日であった。また、お金は祖母から月に18万円ほどもらい、電気、ガス、水道代も祖母が払っていた。そんな父親に疑問を感じ始めたのは白賓が中学校に入り初めてからだ。母親がどうしても運動部に入ってほしいということと、白賓自身もバスケットボールに興味があったため、バスケ部に入部したのだが、父親はなんとも納得したが納得しきれない感じの顔をしていた。そこで白賓は、「父さんが働いた金が自分に使えなくなるのは分かるけど、少しくらい出してよ」と何気なく言うと、父親の左手が白賓の右頬を強く弾かれたのは今でも忘れられない記憶だ。その時から、なんとなく父親が働いてないことに気が付いた。前までは夜の7時頃に帰ってくるのに、学校がテスト期間で早く帰っても父親が死んだ用な顔をしてパソコンの前で張り付いている風景。土曜日も日曜日も決められた時間に医者から月に1度もらっている精神安定剤を飲んで、またパソコンの前で何時間もいる風景。 なんだこれは。そう感じたのは中学3年の夏頃だ。部活も引退し、周りは受験ムードに入っているなか、父親の疑問と、それから逃げるかの様にパートに行く母親。そして、家にはお金がないから、安くて勉強しなくても行ける高校に行けと言う父親に従う自分。
この時からだ。心の中の一部に蓋をし、愛想笑いと、その場に合った言葉を言うようになったのは。
中学校を卒業し、偏差値が石川県で下から数えた方が早い高校に入学した。案の定、この高校では、部活は盛んでなく、全くと言っていいほど、部活数が少ない。普通の高校なら、もっとあるだろうと思うのだが、ここには中学校の部活より少ないんじゃないかと疑問を抱くくらい部活数が少なかった。そして、白賓は無所属を選んだ。これは、入りたい部活がなかったからと言えば、嘘になる。 理由は、父親だ。父親は、夜に高校について話しているとき、母親からの部活のことについて聞かれたときこう言い放った。「高校で部活は入れさせん。もういいだろ。大人しく家に帰っとれや。」 なんだこの人は。と一瞬殺意すら芽生えた。しかし、もうこの時点で自分の意思にすら蓋をしていた白賓は、静かに頷く事しかできなかった。 そして、高校3年になると、就職か進学かを決める、言ってしまえば、人生の分岐点だろう。
しかし、この人生の分岐点さえも、父親によって決められてしまう。白賓は取り分け頭が悪いわけでなく、推薦であれば大学も行けるだろうと先生に言われていた。しかし、白賓が「進学をしたい。」と告げると、父親はこう言った。
「やりたいこともないお前みたいな奴に金を払うくらいならネットオークションでフィギュア買うわ。」 独特な口調で言ったこの一言が、
白賓の中にあった微かな信じていた気持ちに
完全に扉が閉まったのだ。 あぁ、俺の人生は
フィギュア以下なんだな。と、考えることすら
放棄したのだ。そして静かにだが、確かに、人格が壊れていったのだ。
そこからの進路の決め具合は早いものだった。
父親が学校からの就職の資料を見て、「お前はこれしかできない。」と言っても決めた工場に決められ、学校に行き、嘘の希望に満ちた眼差しを担任に送り、成績が良かったので推薦状が、工場に送られ、夏休みの終わった9月の終わりに、工場から学校に採用通知が送られて来た。 先生は少し涙を浮かべていたが、父親に家に帰り、見せると、「ああ、そう」の二言で終わった。もうこの時には父親に対する気持ちは、激しい怒りと憎しみと殺意だけだった。
だが、ここから3カ月後に、全てが崩れることになるとは、白賓自身もわかっていなかった。
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