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第一章
第十七話 後悔2
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「はあああぁぁぁぁぁ」
「うるさい」
「…今はその言葉に敏感だからやめてくれ」
ミティアとエステルがひと悶着あった後、しばらくしてとある女騎士がエステルの部屋に連れ込まれていた。彼女の名前はミレーヌ。薄い紫髪が特徴の女性で、同期の騎士たちからは「美人で清楚だけど俺らより漢らしい」との評価をされている。実際、肝が据わっていて実力も騎士団の中でひときわ目立っている女性だった。
「ていうか騎士団の中ならまだしも、あんたの部屋にまで呼び出すのやめてくれる?こんなことして見つかったら怒られるの私なんだけど……」
「傷心中の親友をおいて何を言ってる。いいから付き合え」
「逆に聞くけど、奴隷商人を捕まえるっていう一仕事を終えて帰ってきた親友を捕まえて、急に部屋に連行してくるとか何なの?本当にこの第一王女(笑)は…」
「なんか、今馬鹿にしなかったか……?」
「気のせいよ」
神妙な顔をするエステルにミレーヌはばっさりと言い切る。
エステルは騎士団に入団してすぐ「私のことは皆と対等に扱ってくれ」と宣言した。当然ほとんどの者が王族なのに恐れ多いと拒否したが、そんな中真っ先にエステルを呼び捨てにしたのがミレーヌだ。ミレーヌがエステルと気安く話しているのを見て、周囲はそれに少しずつ馴染んでいった。今や騎士団にとってエステルは守るべき王女ではなく、一緒に戦う仲間である。そしてミレーヌはいつの間にかエステルの親友とも呼べる仲にまでなっていた。
だからこそエステルはこうやって彼女を自室に呼んでお悩み相談をしているのである。だが、ミレーヌにとっては割と本気で嫌な状況だった。悩んでいる親友の相談に乗るぐらいなら大したことではない。しかしそれは騎士団の中での話で、城の中に呼ばれるのは勘弁してくれという気持ちだった。
城の中ではエステルに対する騎士たちの態度に疑問を持つ者が多い。エステル自身がそれは自分がお願いしたことだと言っても、古い格式とやらを大切にする貴族はそれを理解してくれないことがほとんどだ。ミレーヌはもともと平民である。今の状況をそんな貴族に見られたら「これだから平民は」とケチを付けられることは火を見るより明らかなのだ。
しかしそれを踏まえて敬語で話そうとしても、今度はエステル自身に止められるだろう。
エステルと過ごすのは楽しいが、騎士として王女としてのメリハリをつけてほしい、というのがミレーヌの本音であった。
そんなミレーヌの心配をよそに、エステルは自身の悩みのことでため息をつく。
「それで、何を言って第二王女殿下と喧嘩になったの?」
「あぁそれは……って待て。私はミティアと喧嘩したなんて一言も言ってないぞ!?」
「あんたがそんなふうに悩むなんて、ミティア殿下についてぐらいでしょ。馬車に乗ってた時も見てたけど、外野がすぐに察せるぐらい空気悪かったわよ。あの後どうせあんたが余計なこと言ったんでしょ?まあ、今回はあんただけが悪いとは言えないかもしれないけど……」
そう吐き捨てたミレーヌに、エステルは恨めしそうな、何とも言えない表情を向ける。
「……なんでそこまでわかるんだ」
「わかるわよ。あんたデリカシーないし、空気読めないし、鈍感だし」
「ぐっ……」
「あんたの隣にいて、いつも笑ってるあの方が天使に見えるぐらいにはね」
――お姉様にはわからないわよ!
ミティアの言葉がエステルの脳内に蘇る。言われてすぐにはその言葉の意味を理解できなかったが、今こうしてみるとミレーヌの言う通り、日頃から気付かないうちにミティアに迷惑をかけていたのかもしれない。
そう考え始めると一気に不安が広がり、暗い思想が頭を支配する。「だいっっきらい」という衝撃的な言葉も、最初は喧嘩の中で出た突発的なものなのだと思っていた。しかしそれはただの自分の現実逃避で、今回の件で、いや、何ならもっと前から嫌われていたのでは。
ミティアに嫌われていたという最悪の可能性にエステルの脳は追い詰められる。
「そういえば聞きたいことがあったのよ。私があの建物に入った時、丸焦げになってた男がいたんだけど……あれ犯人あんたよね?ミティア殿下や子供たちの前で燃やしたんでしょう、あれ本当に止めて。普通の子供はトラウマになってもおかしくないし、過剰防衛はいらない反感を買うわよ。あんたならもっと上手く立ち回れたでしょうに」
「……ミティアが、その男に暴力を受けていたんだ」
酷く苛ついた顔で話すエステルに、セレーヌは納得したような気分になる。
「……ああなるほど。そりゃあ殺したいほど憎いわね。まあ今回のことはあまり公にできないから、王女にそんなことしたならあの男たちは秘密裏に処刑されるってところかしらね。そんなことよりあんた、大切なミティア殿下に怖がられる心配した方がいいんじゃない?」
「えっ」
「あんたいつもミティア殿下の前では優しい姉として振舞ってたんでしょ?その優しい姉がいきなり殺意剥き出しで人を焼くんだもの。私だったら全てが信じられなくなるわね」
告げられた慈悲なき警告に、いよいよエステルの脳が壊れそうになる。
あの可愛い妹が自分を恐ろしいものを見るような目で見たら。自分から逃げて、話さなくなってしまったら。嫌いと言われた通り、むしろ自分を憎むように接してきたら。
「……ミレーヌ」
「何よ」
「喧嘩の後の『仲直り』ってどうすればいいんだ……?」
頭を抱えて震えた声を出す親友に、ミレーヌは呆れたような声で話しかける。
「……まずはどんな喧嘩をしたのか教えなさい」
ミレーヌのその言葉で、エステルは今にも泣きそうな顔をがばっと上げた。
「あ、ありがとう、聞いてくれ!ミティアがいなくなって動揺していた私は、少し強くミティアを叱ってしまったんだ。ただそのせいで、ミティアを怒らせてしまったみたいで……」
「まあ、あんたあの時本当に死にそうな顔してたからね」
ミレーヌは少し前のエステルの様子を思い出す。侍女からミティアの失踪を告げられたらしいエステルは、それはもう酷く錯乱していた。いつも快活に笑う顔は青ざめ、一人で城から飛び出しそうな勢いだった。騎士団長はそれを止め、一緒に捜索するよう命じたのだ。そうしてミティアが奴隷商人に捕まっているかもしれないという情報を伝えられた時のエステルの様子といったら、本当に見ていられなかった。
しかしそれでもミレーヌは、全てミティアが悪いとは思えなかった。何しろ姉がいつも城を抜け出すような自由人である。エステルの性格を考えれば、それを楽しそうにミティアに話す姿は目に浮かぶようだった。だがそれはエステルは自信を守る力があったからそこまで大きな問題にならなかっただけで、残念だが魔法を発現できていないミティアには難しい話だった。
それでも毎日のように姉の自慢話を聞いていたら、自分も外に出たいと思うことは無理もない。それが十歳の少女なら、なおさら悪いとは言えないだろう。
だからミレーヌは、エステルがミティアの保護者のようなものだとしても、あまり叱責すると返って逆効果になると思っていたのだ。
「それで、ミティア殿下は何か言ってた?」
「えっと……『王女らしくしろなんて、何度も城を抜け出すお姉様に言う権利はない』『ずっと我慢していた』『お姉様みたいに外に出てみたかっただけ』というようなことを言われた。やっぱり、私のせいなのだろうか…」
ミレーヌは思わず「うわぁ」と声に出しそうになった。
ほとんど予想通りである。それにミティアの言うことはほとんど的を得ている。そして当のエステルはまだ気付いていないようだ。
鈍感もここまでくると本当に面倒くさい……。セレーヌはだんだん憂鬱になりながらエステルに続けて質問する。
「……ちなみに、あんたはなんて返したの?」
「ミティアに言われた通りなら、私が全て悪いと思ったんだ。だから『今回こうなった原因は私にある』と伝えた。あと、私の真似をしたかったと言われたから『お前と私は違う』と言ったんだ。そうしたら……き、嫌いだと言って出ていってしまった」
自分で言ってショックを受けるエステルをよそに、今度はミレーヌが頭を抱える。
何を言っているんだこの馬鹿は。十歳の女の子に対してそんな突き放すような返し方があるか。
エステルに散々文句をつけたいのを我慢して、とりあえず馬鹿にもわかるように説明する。
「…まあ、これはあくまで私の考えなんだけど、まずあんたが王女殿下を叱ったというのは、間違ってないと思うわ。あと今回の行動は良くないけど、私はミティア殿下のおっしゃってることは間違ってないと思うわ。あんたに比べるとお方の方がずぅっとご立派だもの。私ならあんたに王女らしくしろなんて言われたら、どんな理由があろうと間違いなくキレる」
「あ、ああ。もちろんわかっている。だからこそ今回の責任は私にあると告げたんだが、違うと言われてしまったんだ」
それはそうだろうとミレーヌは真顔で思った。あのお方はまだ幼いといっても、少なくとも目の前の単純馬鹿よりはずっと周りの空気を読んでいる。今回の行動も、周りに申し訳ないと思いながらやったに違いない。エステルが自分に責任があると言ったところで、結局自分に非があるとわかっている賢い王女は、苦しいだけだろう。
それにミレーヌはたまにその二人で歩いているのを見かけるが、ただ明るく笑うだけのエステルに対して、ミティアは時折うつむいて、辛そうな顔をしている時があった。それを見てミレーヌはミティアが姉に対して劣等感のようなものを感じているのかもしれないと思っていた。
無理もない。いくらエステルがデリカシーこそないが、武術、学術、ほぼ全ての面において天才だと言われる怪物だ。少なくともミレーヌはミティアが頭がいい方だと感じているが、、炎と風という魔法で民衆を白熱させる第一王女と、まだ魔法も使えない第二王女とでは周囲からの評価は雲泥の差だろう。
だからこそミレーヌはエステルに、もっと第二王女殿下の気持ちを考えた方がいいと進言したこともあったが「私とミティアは仲良しだぞ!」と本人が言うばかりで何の解決にもならなかった。ミレーヌ自身も余計なことを言って二人の関係を崩さない方がいいと思い、それ以上は何も言わなかったが……。
こんなことになるならあの時もっとはっきり言えば良かったと後悔してしまう。最も、今一番後悔しているのはエステルだろうが。
「……ミティア殿下はね、わかってるのよ、今回自分が悪いことをしたってことは。普段城を抜け出してるあんたにそれを言われて腹が立った気持ちもあるでしょうけど、一番はお前は悪くないなんて言われて悔しかったんでしょうね。馬鹿にされてると思ったのか、適当になだめられてると思ったのか……私も詳しくはよくわからないけど、まあそんなところでしょうね」
ミレーヌがそう言い終えると、エステルはぐっと唇を噛む。それは自分の行動への後悔が大きかった。
「ありがとう、ミレーヌ。なんだかすっきりした気がするよ。いやぁ、お前の頭が良いのか私の頭が悪いのか……」
「両方だバカ」
エステルはミレーヌのツッコミに苦笑する。自分がやらかしたことは理解できたが、それによって自分への嫌悪感が増してくる。それでも、理由がわかったからきっとやり直せるはずだと、エステルは明るく捉えていた。
しかしそんなエステルの心を折るような一言が降って来る。
「あ、ちなみに『お前と私は違う』っていう発言だけど、これ完全にアウトだから」
「え」
「今回のことでわかったでしょう、あのお方は椅子に座って愛らしく笑うだけの可愛い王女様じゃないって。ちゃんと自分で動けるし、自分の考えを持ってるのよ」
それはそうだ、とエステルは思う。
今回の突飛な行動には驚いたが、ミティアが椅子に座っているだけの王女だなんて思っていない。エステルはミレーヌの言いたいことがいまいちよくわからなくて首をひねる。
「これは私の推測っていうかほぼ事実だと思うけど、ミティア殿下は自分が魔法を使えないことを相当気に病んでると思うわよ。だって、ちゃんと聞こえているのよ。周りが自分のこと姉と比べてをどう思っているか。それなのに『お前と私は違う』なんて言われたら、相当ショックでしょうね。あんたにそのつもりがなくても、ミティア殿下にとっては、才能がないと言われているのと同じよ。今までずっと悩んできた問題をそんな言葉で吐き捨てられるなんて、嫌いと言われてもどうしようもな――」
「――悪いミレーヌ‼急用ができたから帰っていてくれ‼」
「ちょ…」
突如として風のように部屋から出ていくエステル。
親友を置いていなくなるという無礼に、いつものミレーヌなら怒っていたところだが、呆れても不思議と嫌な気分ではなかった。ミティアは急に謝りにきた姉をどう思うだろうか。エステルがまた余計なことを言わないか心配だが、まあ大丈夫だろう。なんたって、エステルのミティアへの愛は本物だ。エステルがミティアの本音に気付いた手前、今よりこじれることはないだろう。
だから、きっと大丈夫よ。
「まあ頑張りなさい、馬鹿エステル」
ミレーヌはエステルに出されたお菓子をつまみ、美味しそうに微笑んだ。
「うるさい」
「…今はその言葉に敏感だからやめてくれ」
ミティアとエステルがひと悶着あった後、しばらくしてとある女騎士がエステルの部屋に連れ込まれていた。彼女の名前はミレーヌ。薄い紫髪が特徴の女性で、同期の騎士たちからは「美人で清楚だけど俺らより漢らしい」との評価をされている。実際、肝が据わっていて実力も騎士団の中でひときわ目立っている女性だった。
「ていうか騎士団の中ならまだしも、あんたの部屋にまで呼び出すのやめてくれる?こんなことして見つかったら怒られるの私なんだけど……」
「傷心中の親友をおいて何を言ってる。いいから付き合え」
「逆に聞くけど、奴隷商人を捕まえるっていう一仕事を終えて帰ってきた親友を捕まえて、急に部屋に連行してくるとか何なの?本当にこの第一王女(笑)は…」
「なんか、今馬鹿にしなかったか……?」
「気のせいよ」
神妙な顔をするエステルにミレーヌはばっさりと言い切る。
エステルは騎士団に入団してすぐ「私のことは皆と対等に扱ってくれ」と宣言した。当然ほとんどの者が王族なのに恐れ多いと拒否したが、そんな中真っ先にエステルを呼び捨てにしたのがミレーヌだ。ミレーヌがエステルと気安く話しているのを見て、周囲はそれに少しずつ馴染んでいった。今や騎士団にとってエステルは守るべき王女ではなく、一緒に戦う仲間である。そしてミレーヌはいつの間にかエステルの親友とも呼べる仲にまでなっていた。
だからこそエステルはこうやって彼女を自室に呼んでお悩み相談をしているのである。だが、ミレーヌにとっては割と本気で嫌な状況だった。悩んでいる親友の相談に乗るぐらいなら大したことではない。しかしそれは騎士団の中での話で、城の中に呼ばれるのは勘弁してくれという気持ちだった。
城の中ではエステルに対する騎士たちの態度に疑問を持つ者が多い。エステル自身がそれは自分がお願いしたことだと言っても、古い格式とやらを大切にする貴族はそれを理解してくれないことがほとんどだ。ミレーヌはもともと平民である。今の状況をそんな貴族に見られたら「これだから平民は」とケチを付けられることは火を見るより明らかなのだ。
しかしそれを踏まえて敬語で話そうとしても、今度はエステル自身に止められるだろう。
エステルと過ごすのは楽しいが、騎士として王女としてのメリハリをつけてほしい、というのがミレーヌの本音であった。
そんなミレーヌの心配をよそに、エステルは自身の悩みのことでため息をつく。
「それで、何を言って第二王女殿下と喧嘩になったの?」
「あぁそれは……って待て。私はミティアと喧嘩したなんて一言も言ってないぞ!?」
「あんたがそんなふうに悩むなんて、ミティア殿下についてぐらいでしょ。馬車に乗ってた時も見てたけど、外野がすぐに察せるぐらい空気悪かったわよ。あの後どうせあんたが余計なこと言ったんでしょ?まあ、今回はあんただけが悪いとは言えないかもしれないけど……」
そう吐き捨てたミレーヌに、エステルは恨めしそうな、何とも言えない表情を向ける。
「……なんでそこまでわかるんだ」
「わかるわよ。あんたデリカシーないし、空気読めないし、鈍感だし」
「ぐっ……」
「あんたの隣にいて、いつも笑ってるあの方が天使に見えるぐらいにはね」
――お姉様にはわからないわよ!
ミティアの言葉がエステルの脳内に蘇る。言われてすぐにはその言葉の意味を理解できなかったが、今こうしてみるとミレーヌの言う通り、日頃から気付かないうちにミティアに迷惑をかけていたのかもしれない。
そう考え始めると一気に不安が広がり、暗い思想が頭を支配する。「だいっっきらい」という衝撃的な言葉も、最初は喧嘩の中で出た突発的なものなのだと思っていた。しかしそれはただの自分の現実逃避で、今回の件で、いや、何ならもっと前から嫌われていたのでは。
ミティアに嫌われていたという最悪の可能性にエステルの脳は追い詰められる。
「そういえば聞きたいことがあったのよ。私があの建物に入った時、丸焦げになってた男がいたんだけど……あれ犯人あんたよね?ミティア殿下や子供たちの前で燃やしたんでしょう、あれ本当に止めて。普通の子供はトラウマになってもおかしくないし、過剰防衛はいらない反感を買うわよ。あんたならもっと上手く立ち回れたでしょうに」
「……ミティアが、その男に暴力を受けていたんだ」
酷く苛ついた顔で話すエステルに、セレーヌは納得したような気分になる。
「……ああなるほど。そりゃあ殺したいほど憎いわね。まあ今回のことはあまり公にできないから、王女にそんなことしたならあの男たちは秘密裏に処刑されるってところかしらね。そんなことよりあんた、大切なミティア殿下に怖がられる心配した方がいいんじゃない?」
「えっ」
「あんたいつもミティア殿下の前では優しい姉として振舞ってたんでしょ?その優しい姉がいきなり殺意剥き出しで人を焼くんだもの。私だったら全てが信じられなくなるわね」
告げられた慈悲なき警告に、いよいよエステルの脳が壊れそうになる。
あの可愛い妹が自分を恐ろしいものを見るような目で見たら。自分から逃げて、話さなくなってしまったら。嫌いと言われた通り、むしろ自分を憎むように接してきたら。
「……ミレーヌ」
「何よ」
「喧嘩の後の『仲直り』ってどうすればいいんだ……?」
頭を抱えて震えた声を出す親友に、ミレーヌは呆れたような声で話しかける。
「……まずはどんな喧嘩をしたのか教えなさい」
ミレーヌのその言葉で、エステルは今にも泣きそうな顔をがばっと上げた。
「あ、ありがとう、聞いてくれ!ミティアがいなくなって動揺していた私は、少し強くミティアを叱ってしまったんだ。ただそのせいで、ミティアを怒らせてしまったみたいで……」
「まあ、あんたあの時本当に死にそうな顔してたからね」
ミレーヌは少し前のエステルの様子を思い出す。侍女からミティアの失踪を告げられたらしいエステルは、それはもう酷く錯乱していた。いつも快活に笑う顔は青ざめ、一人で城から飛び出しそうな勢いだった。騎士団長はそれを止め、一緒に捜索するよう命じたのだ。そうしてミティアが奴隷商人に捕まっているかもしれないという情報を伝えられた時のエステルの様子といったら、本当に見ていられなかった。
しかしそれでもミレーヌは、全てミティアが悪いとは思えなかった。何しろ姉がいつも城を抜け出すような自由人である。エステルの性格を考えれば、それを楽しそうにミティアに話す姿は目に浮かぶようだった。だがそれはエステルは自信を守る力があったからそこまで大きな問題にならなかっただけで、残念だが魔法を発現できていないミティアには難しい話だった。
それでも毎日のように姉の自慢話を聞いていたら、自分も外に出たいと思うことは無理もない。それが十歳の少女なら、なおさら悪いとは言えないだろう。
だからミレーヌは、エステルがミティアの保護者のようなものだとしても、あまり叱責すると返って逆効果になると思っていたのだ。
「それで、ミティア殿下は何か言ってた?」
「えっと……『王女らしくしろなんて、何度も城を抜け出すお姉様に言う権利はない』『ずっと我慢していた』『お姉様みたいに外に出てみたかっただけ』というようなことを言われた。やっぱり、私のせいなのだろうか…」
ミレーヌは思わず「うわぁ」と声に出しそうになった。
ほとんど予想通りである。それにミティアの言うことはほとんど的を得ている。そして当のエステルはまだ気付いていないようだ。
鈍感もここまでくると本当に面倒くさい……。セレーヌはだんだん憂鬱になりながらエステルに続けて質問する。
「……ちなみに、あんたはなんて返したの?」
「ミティアに言われた通りなら、私が全て悪いと思ったんだ。だから『今回こうなった原因は私にある』と伝えた。あと、私の真似をしたかったと言われたから『お前と私は違う』と言ったんだ。そうしたら……き、嫌いだと言って出ていってしまった」
自分で言ってショックを受けるエステルをよそに、今度はミレーヌが頭を抱える。
何を言っているんだこの馬鹿は。十歳の女の子に対してそんな突き放すような返し方があるか。
エステルに散々文句をつけたいのを我慢して、とりあえず馬鹿にもわかるように説明する。
「…まあ、これはあくまで私の考えなんだけど、まずあんたが王女殿下を叱ったというのは、間違ってないと思うわ。あと今回の行動は良くないけど、私はミティア殿下のおっしゃってることは間違ってないと思うわ。あんたに比べるとお方の方がずぅっとご立派だもの。私ならあんたに王女らしくしろなんて言われたら、どんな理由があろうと間違いなくキレる」
「あ、ああ。もちろんわかっている。だからこそ今回の責任は私にあると告げたんだが、違うと言われてしまったんだ」
それはそうだろうとミレーヌは真顔で思った。あのお方はまだ幼いといっても、少なくとも目の前の単純馬鹿よりはずっと周りの空気を読んでいる。今回の行動も、周りに申し訳ないと思いながらやったに違いない。エステルが自分に責任があると言ったところで、結局自分に非があるとわかっている賢い王女は、苦しいだけだろう。
それにミレーヌはたまにその二人で歩いているのを見かけるが、ただ明るく笑うだけのエステルに対して、ミティアは時折うつむいて、辛そうな顔をしている時があった。それを見てミレーヌはミティアが姉に対して劣等感のようなものを感じているのかもしれないと思っていた。
無理もない。いくらエステルがデリカシーこそないが、武術、学術、ほぼ全ての面において天才だと言われる怪物だ。少なくともミレーヌはミティアが頭がいい方だと感じているが、、炎と風という魔法で民衆を白熱させる第一王女と、まだ魔法も使えない第二王女とでは周囲からの評価は雲泥の差だろう。
だからこそミレーヌはエステルに、もっと第二王女殿下の気持ちを考えた方がいいと進言したこともあったが「私とミティアは仲良しだぞ!」と本人が言うばかりで何の解決にもならなかった。ミレーヌ自身も余計なことを言って二人の関係を崩さない方がいいと思い、それ以上は何も言わなかったが……。
こんなことになるならあの時もっとはっきり言えば良かったと後悔してしまう。最も、今一番後悔しているのはエステルだろうが。
「……ミティア殿下はね、わかってるのよ、今回自分が悪いことをしたってことは。普段城を抜け出してるあんたにそれを言われて腹が立った気持ちもあるでしょうけど、一番はお前は悪くないなんて言われて悔しかったんでしょうね。馬鹿にされてると思ったのか、適当になだめられてると思ったのか……私も詳しくはよくわからないけど、まあそんなところでしょうね」
ミレーヌがそう言い終えると、エステルはぐっと唇を噛む。それは自分の行動への後悔が大きかった。
「ありがとう、ミレーヌ。なんだかすっきりした気がするよ。いやぁ、お前の頭が良いのか私の頭が悪いのか……」
「両方だバカ」
エステルはミレーヌのツッコミに苦笑する。自分がやらかしたことは理解できたが、それによって自分への嫌悪感が増してくる。それでも、理由がわかったからきっとやり直せるはずだと、エステルは明るく捉えていた。
しかしそんなエステルの心を折るような一言が降って来る。
「あ、ちなみに『お前と私は違う』っていう発言だけど、これ完全にアウトだから」
「え」
「今回のことでわかったでしょう、あのお方は椅子に座って愛らしく笑うだけの可愛い王女様じゃないって。ちゃんと自分で動けるし、自分の考えを持ってるのよ」
それはそうだ、とエステルは思う。
今回の突飛な行動には驚いたが、ミティアが椅子に座っているだけの王女だなんて思っていない。エステルはミレーヌの言いたいことがいまいちよくわからなくて首をひねる。
「これは私の推測っていうかほぼ事実だと思うけど、ミティア殿下は自分が魔法を使えないことを相当気に病んでると思うわよ。だって、ちゃんと聞こえているのよ。周りが自分のこと姉と比べてをどう思っているか。それなのに『お前と私は違う』なんて言われたら、相当ショックでしょうね。あんたにそのつもりがなくても、ミティア殿下にとっては、才能がないと言われているのと同じよ。今までずっと悩んできた問題をそんな言葉で吐き捨てられるなんて、嫌いと言われてもどうしようもな――」
「――悪いミレーヌ‼急用ができたから帰っていてくれ‼」
「ちょ…」
突如として風のように部屋から出ていくエステル。
親友を置いていなくなるという無礼に、いつものミレーヌなら怒っていたところだが、呆れても不思議と嫌な気分ではなかった。ミティアは急に謝りにきた姉をどう思うだろうか。エステルがまた余計なことを言わないか心配だが、まあ大丈夫だろう。なんたって、エステルのミティアへの愛は本物だ。エステルがミティアの本音に気付いた手前、今よりこじれることはないだろう。
だから、きっと大丈夫よ。
「まあ頑張りなさい、馬鹿エステル」
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