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第一章
第二十話 別れた各々
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木製のドアがゆっくり開く。
それを見て少年は花を咲かせたような笑みを浮かべた。
「母さん、お帰り!」
「ただいま…って、どうしたのよその服装は⁉」
少年が身に着けているものはいたって普通の庶民服だ。しかし母親はそれに身に覚えがない。自分たちの持っている服は決して多くないのだ。だがその服には身に覚えがない。いったいそれをどこで手に入れたのか、まさか良くないことがあったのではないかと心配になる。
「えっと、これは…今日起きたことも含めて説明するから」
「つまり…今日知り合った女の子がわざわざ服を買ってくれたの?」
「うん…断ったけど、つい勢いで」
少年は申し訳なさそうな顔をする。
幼いながらもこの行いがあまり良くないことだと理解しているのだろう。母親は複雑な思いだったが強く叱ることもできずため息をつく。
「あと『転んで服が汚れてたから』って言ったけど、本当は喧嘩でもしたんでしょう?」
「えっ…」
「ただ転んだだけじゃ体のあちこちに怪我はできないわ。虐められてるわけじゃないわよね?苦手な子と仲良くしろとは言わないけど、喧嘩っ早いところは直しなさい」
少年は言い返せないというように俯いてしまう。
(昔から感情的になりやすいのよね。まだ子供だし仕方ないのだけれど…やっぱり心配だわ。正義感は強いんだけど、思い込みが激しくて少し周りとずれているし)
母親は困ったようにため息をつく。
少し気まずい空気の中、外からコンコンと軽快なノックの音が聞こえてきた。もう夕方も過ぎる頃だというのに誰だろうと不思議に思う。
「はい、どちら様でしょうか?」
母親がドアを開けると、上質な薄いコートを身にまとい、白髪がかかった壮年の男性が立っていた。
こんな格好をしているということは、貴族か。またはそれに仕える使用人……商人という可能性もある。いずれにせよどうしてそんな人がここにいるのか、母親は理解できなかった。
(いきなりこんな時間に見慣れない人がやってくるなんて…。まさか今になって奴らが……!?)
悪い想像に嫌な汗が流れる。
しかし目の前に現れた彼は、にっこりと人のよさそうな笑みを浮かべる。
「突然申し訳ありません、驚かれたでしょう。私は『ベラル伯爵家』のしがない使用人です。私はそこの少年に用があり参った次第でして…」
「う、うちの息子に!?ひょっとして、何かご無礼を――!」
「いえ、心配なさらないでください。私の主人から『礼を受け取ってほしい』との言伝を預かっていまして」
「……礼、ですか?」
母親はその言葉に驚きぽかんとした表情になる。少年自身も身に覚えがなく首をかしげている。
「ええ、本日私たちはこの王都へ来ていたのですが、スリにあったのです。間が悪く私や他の使用人も離れている時、主人は子供たちにものを奪われてしまいました。気付いた時には子供たちがそれを持って走り去っていたようです。ですがこの少年がすぐに子供たちから奪い返してくれたというではありませんか」
そこまで聞いて少年は思い出す。確かに、今日老人から物を盗んだ同じくらいの年の子供たちを見た。そしてその卑怯な行いに怒った自分はそれを取り上げ、老人へ返した。さすがに二度物を盗る勇気はなかったのか子供たちは悔しそうに逃げて行った。
子供たちへの怒りであまり老人のことを考えていなかったが、まさか伯爵だったとは。そもそも王都では裕福な者が多く、貴族も珍しくはないが……。
しかしその後、その子供たちに逆恨みで喧嘩を売られ、空き地でボコボコにされてしまった。老人にした行いで怒っていた少年だったが、そんな中「俺たちは騎士になるんだから平民が逆らうな」と言われたのだ。自分が憧れる騎士を侮辱するような発言に少年はより怒り、あの老人とのことはすっかり忘れてしまっていた。
少年はこのことを思い出してすっきりしたような感覚と同時に、驚きの感情がこみ上げる。自分にとって何気ない行いだったのに、こんなことになるとは思わなかった。
ベラル伯爵家の使用人と名乗った男性は、少年を見て柔らかい笑みを浮かべる。
「私の主人はこの少年の行動に感謝し、深く感動しておりました。そしてぜひ恩を返したいと考えたのですが、名も知らぬ少年を探すことは容易ではありません。しかし思い出したのです、以前王城付近であなたとその少年をお見掛けしたことを。まさか『エマール子爵家』の――」
「……っ!やめてください、私はただの平民です!それに…今は『レノー』ですから」
その言葉が出た途端、母親の顔が青くなる。それに気付いた男性は、すぐに深々と礼をする。
「……申し訳ございません、ご無礼をお許しください。主人は直接礼をしたかったようですが、多忙のため私を送りました。ですので、どうかこれを受け取っていただけないでしょうか?」
そう言うと、男性の横からもう一人の男が出てくる。そして母親の前で少し屈み、綺麗な箱を差し出す。母親はそれを恐る恐る受け取るが、小箱ながらやけに重みのあるそれに少し嫌な予感を感じた。そっと開けるとその箱の中には、微量ながらも一つ一つの価値が高いであろう宝石が綺麗に並んでいた。
「う、受け取れません!こんな高そうなもの…!」
母親はそれを見るとすぐに箱を閉じ、目の前の男へ返そうと差し出す。
「この少年が取り返してくれたものは主人の思い入れのあるものなのです。どんな宝石でも、主人にとってそれに勝るものはありません」
「で、ですが……私たちはお金に困ってはいませんし、そもそもこの子はお礼をいただくために行動したわけではありません。お気持ちはありがたいのですが、私たちには少し重すぎるものなのです。どうせなら、教会にいる貧しい子供たちのために使ってください」
母親の言葉に後ろにいる少年もこくこくと頷く。
男性はそんな二人を見て、よりいっそう優しそうな顔で目を細める。
「……とても謙虚な方々ですね。もちろん私共も無理やり押し付ける気などありません。断られた時の言葉も主人から仰せつかっています。この宝石はあなたの言う通り寄付金にあてましょう。そして礼ですが…何かあった時は我々を頼って欲しいのです」
「え!?そんな…自分で言うのもなんですが、あまり関わらない方が……」
「お気になさらないでください。あなたの危惧することが起こる確率は相当低いでしょう。あくまで保険程度にお考え下さい」
「……はい」
「ありがとうございます。では、私はこれで失礼します。何かありましたらここへ手紙を出してください。あなた方に幸運が訪れますように」
男性は母親へ小さいが上質な紙を渡す。それにはベラル伯爵家の所在地であろう住所がつづられていた。
そして男性ともう一人の男は紳士のように丁寧な礼をして、去って行った。
その背中を見えなくなるのを確認すると、母親は大きく息をついた。
突然のことで礼を断ってしまったが、受け取っておくべきだっただろうか。お金に困っているわけではないとはいえ、あの礼の相手は自分ではなくこの子である。自分の基準で判断して断ったが、あれを受け取ればこの子にもっと良い生活をさせてあげられたかもしれない。
(……いいえ、この子は褒美欲しさに行動する子ではないし、欲深い子でもないわ。これでいいのよ)
それに、何かあったら伯爵家が力になると約束してくれたのはありがたい。ただの口約束だし、万が一のことはないだろうが、そう考えると心強く感じる。
(大切な人を、また失いたくはないもの)
もういない人を思い出して、母親の顔が暗くなる。それを見た少年が心配そうに尋ねる。
「母さん、ごめん。俺が余計なことしたせいで…」
「え…あ、違うわ!あなたの行動は誇っていいことなのよ。仕事が終わって帰ってきたばかりだったから、ちょっと疲れちゃったのよ」
「……城で何かあったの?」
「そんなわけないじゃない。王妃様も城の使用人たちもみんな優しいもの――」
(しまった)
少年が「王妃」という単語を耳にした途端、表情が暗くなったことに気が付く。
「……ええと、その、さっき言ってた女の子だけど、家はわかるの?さすがに服を買ってもらうなんて申し訳ないから、私もお礼に行かないと」
咄嗟にあの話題からごまかしたが、これも大切な話だ。礼を言いたいのも本当だが、もしその女の子が貴族の子供だったなら、下手をすれば何かのトラブルに巻き込まれる可能性がある。
「今日会ったばかりだからわかんない。でも、多分王都に住んでる普通の子なんじゃないかな」
確かに、そう聞くと貴族の子ではないように思える。しかし見ず知らずの子供に服を買うお金があるなんて…裕福な商人の子供だろうか?
「ねぇ、その子の名前はなんて言うの?」
もしかしたら名前でわかるかもしれない…そう思って聞くと、少年は先ほどとは打って変わってきらきらとした表情になる。
「ミティっていうんだ!長いブロンドヘアーで、宝石みたいに綺麗な赤い目だった!」
「へぇ、そうな――」
「そうなのね」と言い終わる前に、母親の口はピタッと止まる。
ブロンドヘアーに赤い瞳の少女。実際に見たことはないがその特徴を聞いたことがある。そして今日、自分が仕えるあの方が、珍しくその方に会いに行かれた。理由は聞かなかったが、今日のあの方の様子を見るに、いろいろとあったようだった。
(まさか…ね)
母親は自分の頭の中の想像をかき消す。一方、少年はまだあの女の子のことを思い出しながら、頬を赤く色づかせていた。
(また会えるよな?アイツ……最初はちょっと怖かったけど、かっこよくて綺麗な子だったな)
そんなことを思いつつ母親の方を見る。だが彼女は少し不安そうな顔をしていた。少年はふと「王妃」という言葉を思い出す。すると気分がどうしようもなく落ち着かなくなり、拳をぎゅっと握る。
(本当に……王族なんかよりずっと)
―――――
「おぉっとそこの嬢ちゃん、荷物置いてきな」
「……って、おい、コイツ荷物どころか何も持ってねぇぞ」
「はぁ!?マジかよ…じゃあどっかに売り飛ばしてやろうか?見てくれは悪くねえからな」
夜道を歩く子供の前に明かりを持った二人の男が立ちはだかる。その薄汚い風貌からして、こいつらは盗賊といったところだろうか、と子供は冷静に考える。
(気持ち悪い。性根が腐った奴ばっかり……)
今日はわざわざ奴隷商人なんかに捕まり、うっかり命の危険にさらされ、終いにはこの国の騎士たちから逃げてきたのに。王都付近といえどさすがに夜子供が出歩いていたら、こうなってしまうのは当然か。
「なんだその顔は。なめてんのか!?あぁ!?」
「うるさい」
指先を相手に向け、子供は水魔法を一人の男にぶつける。とはいっても殺すつもりはなかったので、ただ単に水の塊をそのままぶつけただけだった。それでも彼は後方に勢いよく倒れ、言葉を発さなくなった。少し強く頭を打って気絶したのか、または突然の魔法に驚きのあまり失神したのか。なんにせよ子供相手に情けない。
「て、テメェ!何しやがる!?」
もう一人の男が怒りを露にし、ナイフをこちらへ向けてくる。この様子では男は魔法を持っていないのかもしれない。そうなれば対処は簡単だ。
先ほどの男にしたように、もう一人に指先を向ける。すると男は恐怖に駆られたためか、叫びながらナイフを当てようとしてくる。その様子に子供は眉間に皺を寄せ、先程より強めの水魔法を放とうとする。
だが、その前に突如として横から一人の男が飛び出してきて、ナイフを持った男を抑えつけた。
「このっ……!早くこの男を拘束しろ!!」
そうすると今度は数人の男たちが現れる。だが彼らは子供に襲いかかろうとした盗賊のような風貌ではない。一人一人が綺麗な隊服を纏い、剣を持ち、真剣な顔付きをした「騎士」であった。しかしそれはアルカシアの騎士のものではなかった。
「こんなところにいたんですね…お怪我はありませんか?」
一人の騎士が近づいてきて、子供の身を案じる。子供はさすがに申し訳ない気持ちになる。自分の意志であの奴隷商人たちに捕まっていたとはいえ、この騎士たちがそんなことを知ったら卒倒してしまうだろう。そう思い、口を噤んでしまう。
騎士はその様子に苦笑する。
「……もうやめてくださいね?一人でこんな遅くまで外を出歩くなんて。びっくりしますよ、気付いたらいらっしゃらないんですから。まあ俺たちも多少慣れてきましたけど…」
「……それに関しては悪かった。次から気を付ける」
「その言葉も聞きなれましたよ」と騎士は軽く笑う。本当はそんなに軽くすまされないようなことなのだが、子供が先程のように魔法で護身できることもあり、そこまで心配されていないのかもしれない。
「馬車じゃなくて馬しかないですが、我慢してくださいね」
「そんなこと今更気にしない」
わかってるくせに、と思いながらも場を和ませようとする騎士を好ましく感じる。
馬に乗ると、冷たい夜風に青い髪がなびく。ふと上を向くと海のように深いサファイアの瞳に夜空が映った。無数に輝く星々が美しい。それらを見ていると今日出会った、星のように輝く髪と瞳を持った少女を思い出した。
(少し不思議な子だった。でも、二度と会うことはないだろう)
そもそも住んでいる国も身分も違うのだろう。しかし少し一緒に過ごしただけでも楽しいと思えるような明るい子だった。もしまた会えるならばあのような殺伐とした場所ではなく、あの子のように明るい場所で話したいものだ。
「殿下、どうぞこの馬に乗ってください」
「……ああ」
王都を一度見て、騎士の方へ振り返る。
「それでは行きましょう、リウス第二王子殿下」
◇◆◇
ここまで読んでくださりありがとうございました。
第二章開始までしばらくお待ちください。
それを見て少年は花を咲かせたような笑みを浮かべた。
「母さん、お帰り!」
「ただいま…って、どうしたのよその服装は⁉」
少年が身に着けているものはいたって普通の庶民服だ。しかし母親はそれに身に覚えがない。自分たちの持っている服は決して多くないのだ。だがその服には身に覚えがない。いったいそれをどこで手に入れたのか、まさか良くないことがあったのではないかと心配になる。
「えっと、これは…今日起きたことも含めて説明するから」
「つまり…今日知り合った女の子がわざわざ服を買ってくれたの?」
「うん…断ったけど、つい勢いで」
少年は申し訳なさそうな顔をする。
幼いながらもこの行いがあまり良くないことだと理解しているのだろう。母親は複雑な思いだったが強く叱ることもできずため息をつく。
「あと『転んで服が汚れてたから』って言ったけど、本当は喧嘩でもしたんでしょう?」
「えっ…」
「ただ転んだだけじゃ体のあちこちに怪我はできないわ。虐められてるわけじゃないわよね?苦手な子と仲良くしろとは言わないけど、喧嘩っ早いところは直しなさい」
少年は言い返せないというように俯いてしまう。
(昔から感情的になりやすいのよね。まだ子供だし仕方ないのだけれど…やっぱり心配だわ。正義感は強いんだけど、思い込みが激しくて少し周りとずれているし)
母親は困ったようにため息をつく。
少し気まずい空気の中、外からコンコンと軽快なノックの音が聞こえてきた。もう夕方も過ぎる頃だというのに誰だろうと不思議に思う。
「はい、どちら様でしょうか?」
母親がドアを開けると、上質な薄いコートを身にまとい、白髪がかかった壮年の男性が立っていた。
こんな格好をしているということは、貴族か。またはそれに仕える使用人……商人という可能性もある。いずれにせよどうしてそんな人がここにいるのか、母親は理解できなかった。
(いきなりこんな時間に見慣れない人がやってくるなんて…。まさか今になって奴らが……!?)
悪い想像に嫌な汗が流れる。
しかし目の前に現れた彼は、にっこりと人のよさそうな笑みを浮かべる。
「突然申し訳ありません、驚かれたでしょう。私は『ベラル伯爵家』のしがない使用人です。私はそこの少年に用があり参った次第でして…」
「う、うちの息子に!?ひょっとして、何かご無礼を――!」
「いえ、心配なさらないでください。私の主人から『礼を受け取ってほしい』との言伝を預かっていまして」
「……礼、ですか?」
母親はその言葉に驚きぽかんとした表情になる。少年自身も身に覚えがなく首をかしげている。
「ええ、本日私たちはこの王都へ来ていたのですが、スリにあったのです。間が悪く私や他の使用人も離れている時、主人は子供たちにものを奪われてしまいました。気付いた時には子供たちがそれを持って走り去っていたようです。ですがこの少年がすぐに子供たちから奪い返してくれたというではありませんか」
そこまで聞いて少年は思い出す。確かに、今日老人から物を盗んだ同じくらいの年の子供たちを見た。そしてその卑怯な行いに怒った自分はそれを取り上げ、老人へ返した。さすがに二度物を盗る勇気はなかったのか子供たちは悔しそうに逃げて行った。
子供たちへの怒りであまり老人のことを考えていなかったが、まさか伯爵だったとは。そもそも王都では裕福な者が多く、貴族も珍しくはないが……。
しかしその後、その子供たちに逆恨みで喧嘩を売られ、空き地でボコボコにされてしまった。老人にした行いで怒っていた少年だったが、そんな中「俺たちは騎士になるんだから平民が逆らうな」と言われたのだ。自分が憧れる騎士を侮辱するような発言に少年はより怒り、あの老人とのことはすっかり忘れてしまっていた。
少年はこのことを思い出してすっきりしたような感覚と同時に、驚きの感情がこみ上げる。自分にとって何気ない行いだったのに、こんなことになるとは思わなかった。
ベラル伯爵家の使用人と名乗った男性は、少年を見て柔らかい笑みを浮かべる。
「私の主人はこの少年の行動に感謝し、深く感動しておりました。そしてぜひ恩を返したいと考えたのですが、名も知らぬ少年を探すことは容易ではありません。しかし思い出したのです、以前王城付近であなたとその少年をお見掛けしたことを。まさか『エマール子爵家』の――」
「……っ!やめてください、私はただの平民です!それに…今は『レノー』ですから」
その言葉が出た途端、母親の顔が青くなる。それに気付いた男性は、すぐに深々と礼をする。
「……申し訳ございません、ご無礼をお許しください。主人は直接礼をしたかったようですが、多忙のため私を送りました。ですので、どうかこれを受け取っていただけないでしょうか?」
そう言うと、男性の横からもう一人の男が出てくる。そして母親の前で少し屈み、綺麗な箱を差し出す。母親はそれを恐る恐る受け取るが、小箱ながらやけに重みのあるそれに少し嫌な予感を感じた。そっと開けるとその箱の中には、微量ながらも一つ一つの価値が高いであろう宝石が綺麗に並んでいた。
「う、受け取れません!こんな高そうなもの…!」
母親はそれを見るとすぐに箱を閉じ、目の前の男へ返そうと差し出す。
「この少年が取り返してくれたものは主人の思い入れのあるものなのです。どんな宝石でも、主人にとってそれに勝るものはありません」
「で、ですが……私たちはお金に困ってはいませんし、そもそもこの子はお礼をいただくために行動したわけではありません。お気持ちはありがたいのですが、私たちには少し重すぎるものなのです。どうせなら、教会にいる貧しい子供たちのために使ってください」
母親の言葉に後ろにいる少年もこくこくと頷く。
男性はそんな二人を見て、よりいっそう優しそうな顔で目を細める。
「……とても謙虚な方々ですね。もちろん私共も無理やり押し付ける気などありません。断られた時の言葉も主人から仰せつかっています。この宝石はあなたの言う通り寄付金にあてましょう。そして礼ですが…何かあった時は我々を頼って欲しいのです」
「え!?そんな…自分で言うのもなんですが、あまり関わらない方が……」
「お気になさらないでください。あなたの危惧することが起こる確率は相当低いでしょう。あくまで保険程度にお考え下さい」
「……はい」
「ありがとうございます。では、私はこれで失礼します。何かありましたらここへ手紙を出してください。あなた方に幸運が訪れますように」
男性は母親へ小さいが上質な紙を渡す。それにはベラル伯爵家の所在地であろう住所がつづられていた。
そして男性ともう一人の男は紳士のように丁寧な礼をして、去って行った。
その背中を見えなくなるのを確認すると、母親は大きく息をついた。
突然のことで礼を断ってしまったが、受け取っておくべきだっただろうか。お金に困っているわけではないとはいえ、あの礼の相手は自分ではなくこの子である。自分の基準で判断して断ったが、あれを受け取ればこの子にもっと良い生活をさせてあげられたかもしれない。
(……いいえ、この子は褒美欲しさに行動する子ではないし、欲深い子でもないわ。これでいいのよ)
それに、何かあったら伯爵家が力になると約束してくれたのはありがたい。ただの口約束だし、万が一のことはないだろうが、そう考えると心強く感じる。
(大切な人を、また失いたくはないもの)
もういない人を思い出して、母親の顔が暗くなる。それを見た少年が心配そうに尋ねる。
「母さん、ごめん。俺が余計なことしたせいで…」
「え…あ、違うわ!あなたの行動は誇っていいことなのよ。仕事が終わって帰ってきたばかりだったから、ちょっと疲れちゃったのよ」
「……城で何かあったの?」
「そんなわけないじゃない。王妃様も城の使用人たちもみんな優しいもの――」
(しまった)
少年が「王妃」という単語を耳にした途端、表情が暗くなったことに気が付く。
「……ええと、その、さっき言ってた女の子だけど、家はわかるの?さすがに服を買ってもらうなんて申し訳ないから、私もお礼に行かないと」
咄嗟にあの話題からごまかしたが、これも大切な話だ。礼を言いたいのも本当だが、もしその女の子が貴族の子供だったなら、下手をすれば何かのトラブルに巻き込まれる可能性がある。
「今日会ったばかりだからわかんない。でも、多分王都に住んでる普通の子なんじゃないかな」
確かに、そう聞くと貴族の子ではないように思える。しかし見ず知らずの子供に服を買うお金があるなんて…裕福な商人の子供だろうか?
「ねぇ、その子の名前はなんて言うの?」
もしかしたら名前でわかるかもしれない…そう思って聞くと、少年は先ほどとは打って変わってきらきらとした表情になる。
「ミティっていうんだ!長いブロンドヘアーで、宝石みたいに綺麗な赤い目だった!」
「へぇ、そうな――」
「そうなのね」と言い終わる前に、母親の口はピタッと止まる。
ブロンドヘアーに赤い瞳の少女。実際に見たことはないがその特徴を聞いたことがある。そして今日、自分が仕えるあの方が、珍しくその方に会いに行かれた。理由は聞かなかったが、今日のあの方の様子を見るに、いろいろとあったようだった。
(まさか…ね)
母親は自分の頭の中の想像をかき消す。一方、少年はまだあの女の子のことを思い出しながら、頬を赤く色づかせていた。
(また会えるよな?アイツ……最初はちょっと怖かったけど、かっこよくて綺麗な子だったな)
そんなことを思いつつ母親の方を見る。だが彼女は少し不安そうな顔をしていた。少年はふと「王妃」という言葉を思い出す。すると気分がどうしようもなく落ち着かなくなり、拳をぎゅっと握る。
(本当に……王族なんかよりずっと)
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「おぉっとそこの嬢ちゃん、荷物置いてきな」
「……って、おい、コイツ荷物どころか何も持ってねぇぞ」
「はぁ!?マジかよ…じゃあどっかに売り飛ばしてやろうか?見てくれは悪くねえからな」
夜道を歩く子供の前に明かりを持った二人の男が立ちはだかる。その薄汚い風貌からして、こいつらは盗賊といったところだろうか、と子供は冷静に考える。
(気持ち悪い。性根が腐った奴ばっかり……)
今日はわざわざ奴隷商人なんかに捕まり、うっかり命の危険にさらされ、終いにはこの国の騎士たちから逃げてきたのに。王都付近といえどさすがに夜子供が出歩いていたら、こうなってしまうのは当然か。
「なんだその顔は。なめてんのか!?あぁ!?」
「うるさい」
指先を相手に向け、子供は水魔法を一人の男にぶつける。とはいっても殺すつもりはなかったので、ただ単に水の塊をそのままぶつけただけだった。それでも彼は後方に勢いよく倒れ、言葉を発さなくなった。少し強く頭を打って気絶したのか、または突然の魔法に驚きのあまり失神したのか。なんにせよ子供相手に情けない。
「て、テメェ!何しやがる!?」
もう一人の男が怒りを露にし、ナイフをこちらへ向けてくる。この様子では男は魔法を持っていないのかもしれない。そうなれば対処は簡単だ。
先ほどの男にしたように、もう一人に指先を向ける。すると男は恐怖に駆られたためか、叫びながらナイフを当てようとしてくる。その様子に子供は眉間に皺を寄せ、先程より強めの水魔法を放とうとする。
だが、その前に突如として横から一人の男が飛び出してきて、ナイフを持った男を抑えつけた。
「このっ……!早くこの男を拘束しろ!!」
そうすると今度は数人の男たちが現れる。だが彼らは子供に襲いかかろうとした盗賊のような風貌ではない。一人一人が綺麗な隊服を纏い、剣を持ち、真剣な顔付きをした「騎士」であった。しかしそれはアルカシアの騎士のものではなかった。
「こんなところにいたんですね…お怪我はありませんか?」
一人の騎士が近づいてきて、子供の身を案じる。子供はさすがに申し訳ない気持ちになる。自分の意志であの奴隷商人たちに捕まっていたとはいえ、この騎士たちがそんなことを知ったら卒倒してしまうだろう。そう思い、口を噤んでしまう。
騎士はその様子に苦笑する。
「……もうやめてくださいね?一人でこんな遅くまで外を出歩くなんて。びっくりしますよ、気付いたらいらっしゃらないんですから。まあ俺たちも多少慣れてきましたけど…」
「……それに関しては悪かった。次から気を付ける」
「その言葉も聞きなれましたよ」と騎士は軽く笑う。本当はそんなに軽くすまされないようなことなのだが、子供が先程のように魔法で護身できることもあり、そこまで心配されていないのかもしれない。
「馬車じゃなくて馬しかないですが、我慢してくださいね」
「そんなこと今更気にしない」
わかってるくせに、と思いながらも場を和ませようとする騎士を好ましく感じる。
馬に乗ると、冷たい夜風に青い髪がなびく。ふと上を向くと海のように深いサファイアの瞳に夜空が映った。無数に輝く星々が美しい。それらを見ていると今日出会った、星のように輝く髪と瞳を持った少女を思い出した。
(少し不思議な子だった。でも、二度と会うことはないだろう)
そもそも住んでいる国も身分も違うのだろう。しかし少し一緒に過ごしただけでも楽しいと思えるような明るい子だった。もしまた会えるならばあのような殺伐とした場所ではなく、あの子のように明るい場所で話したいものだ。
「殿下、どうぞこの馬に乗ってください」
「……ああ」
王都を一度見て、騎士の方へ振り返る。
「それでは行きましょう、リウス第二王子殿下」
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