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第二章
第三十一話 草木の記憶3
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マリーへの恋心を自覚したが、僕は自分の想いを告白するつもりはなかった。今のままでは彼女と一緒になることはできないからだ。何せ身分が違い過ぎる。この国ではそこまで身分に厳しいわけではないが、さすがに王子が準男爵家へ婿に行ったことはない。僕も一応王族としての務めを果たすため、いずれはどこかの令嬢と結婚することになるだろうとは思っていた。だがマリーへの想いは日々募るばかりだった。
マリーに出会ってから約一年後、そんな僕を試すような出来事がやってくる。
「私、縁談を貰ったの」
「え」
「なんと子爵家から、平民同然の準男爵家に!いやあ、驚きだよね」
「ちょ、ちょっと待って」
明るい口調で話すマリーの口から突如として最悪の出来事が伝えられる。僕は嫌にうるさく鳴る心臓を抑えながら、信じたくない気持ちで聞き返した。
「……子爵家から縁談を貰ったって?それは本当に大丈夫なの…?」
「……うん。前から少し交流があって、領地もそう遠くない子爵家なの。ちゃんと栄えてて裕福なところだよ。四男の令息がこっちに婿として来てくれるって。結婚したらもっと交流が増えて、利益になることも多いと思うの」
「それも大事かもしれないけど、その人は……良い人なの?それに、マリーの気持ちが一番大切だろう」
自分でもかなり甘いことを言っているのはわかっている。貴族間の結婚なんて、ほとんどが政略結婚だ。それにマリーの言う通り、子爵家から縁談を貰うなんてエーデル家とってはこの上ないチャンスだった。それでも、自分の恋が叶わなくても、せめて良い人と一緒になって欲しいと願っていたのだ。そんな僕に対してマリーは困ったように笑う。
「うーん…まだ会ったことはないけど、いい人だよ、多分。……まあ私より二十歳年上なんだけどね」
「二十歳⁉」
「あと三回ぐらい婚約破棄されてるって……」
「はぁ⁉」
自分らしくなく声を荒げてしまう。しかしこれはしょうがないだろう。想いを寄せている女性が、人間性的に危なそうな二十歳年上の男と政略結婚しそうになっているなんて……。だからマリーは気まずそうに言ったのだろう。僕がこういう反応をするとわかっていたから。
どうしよう。いつかはこんな日が来るとは思っていたが、あまりに突然の事態に自慢の頭はショート寸前だった。
「マリーはそれでいいの……?」
「言ったでしょ、私の夢はエーデル家を発展させることだって。それが叶うなら、どんな人が結婚相手だろうが構わない」
マリーは、優しく、でも強い口調で言った。
真剣な眼差しで僕を見つめるその瞳が好きだ。だから彼女の身に何かあって、その瞳が濁り暗くなってしまうのは耐えられない。
「……僕は君に誰よりも幸せになって欲しいよ」
「私は夢が叶えられるなら幸せだよ。ちょっと傷付いたって大丈夫」
「……っ、僕は君に少しも傷付いてほしくはない!」
マリーの長いまつげがぱちりと動く。
「どうして?どうして私をそんなに気にかけてくれるの?」
「それは……」
ぐっと息を呑んだ。この言葉は勢いに任せて言っていいものではない。しかしどうする。このままではマリーはその子爵家の令息と婚約してしまうだろう。彼女を婚約させたくはない。しかし王子である身分で、無責任に想いを明かしていいわけがない。
黙ったままの僕にしびれを切らしたのか、マリーは残念そうに笑う。
「心配してくれてありがとう。今日は遅いからもう帰った方がいいよ、じゃあね」
「――待って!」
つい慌てて帰ろうとするマリーの腕を掴む。マリーは動揺することもなく、じっと見つめて僕の言葉を待っている。僕だけが覚悟を決められていないようで、自分が恥ずかしくなる。迷っている暇なんてない。僕はうるさい心臓の鼓動を落ち着かせるように息をゆっくり吸い込んだ。
「マリー、君に結婚してほしくないのは……僕が君を好きだからだ」
シン…と辺りは静寂に包まれる。僕の言葉を聞いてうつむいたマリーの姿に、悪い予感が脳を支配し、緊張と不安でどうにかなりそうだった。そんな時間が数秒続いた後、マリーの肩が震え出した。まさか怒ってしまったのだろうかとショックを受けたが、がばっと上がったマリーの顔は喜びに溢れていた。
「やっったー‼」
マリーは先ほどの真剣な表情が嘘のようにはしゃいで僕に抱き着いてきた。思ってもいなかった展開に僕は混乱するが、そんな様子を気にすることなく、マリーは満面の笑みを浮かべている。
「シュテルが言ってくれなかったらどうしようかと思った!ああもう緊張した、私が本当に婚約したらどうするつもりだったの?」
「え、婚約する気は……」
「あるわけないでしょ、シュテルが好きなのに!」
その言葉を理解するのにまた数秒かかる。そして理解した後、ボンっと恥ずかしいほどに顔が赤くなってしまった。
「な……」
「えへへ、ごめんね。騙すようなことしちゃって」
「ちょ、ちょっと待って。僕でいいの⁉」
マリーはきょとんと首をかしげるが、僕にとっては大事なことだった。マリーは僕を平民だと思っている。彼女の夢が家を発展させることと踏まえるなら、平民との結婚などありえないと考えていると思っていた。しかしこの言い方だとまるで、マリーが僕に最初から告白されることを望んでいたようである。
「当たり前でしょ?好きって言ったじゃない」
「でも、エーデル家を発展させたいんじゃ…」
「ああ、そんなこと?」
「そんなことって…」
困惑する僕に、マリーはいつもみたいににやっと笑って見せた。
「家が発展する方法は結婚だけじゃないのよ?私は自分自身の力で経済力を上げて、エーデル家を発展させたいの!好きでもない人と婚約している暇なんてないの!それにお父さんとお母さんだって、その縁談が来た時にすごい怒っちゃって、『身分なんて関係ないお前が幸せになるのが一番だ』って言ってくれたの!」
そう笑う彼女を見て、僕は胸が温かくなっていくのを感じる。僕たちは互いに微笑み合った。
(ああ、やっぱり僕にはもったいない人だな)
「ねえシュテル、私と結婚してくれる?」
「……うん、もちろんだよ」
こんなに素晴らしい女性、きっともう他に出会えない。白百合のように可憐で穢れなき彼女の笑顔を、何に代えても守りたいと思った。
……その誓いが、あまりにも儚く、純粋なものだったとは、まだ知らなかったんだ。
――――
「王国の輝かしい太陽、女王陛下にご挨拶申し上げます」
「ごきげんよう、シュテル。今日はどういった用件で来たのかしら?」
この国で最も高位の者が使う執務室で、女王ミティア・ノヴァ・ロワイヤルは美しく優しい声で僕に尋ねる。頭を下げながらも彼女を見る。絹のように細く滑らかな金色の髪は窓からの光でさらに輝いているように見え、肌は透き通るように美しい。そして宝石のように輝く赤い瞳はこの世のものとは思えないようだった。母も美しさには定評があったが、柔らかく微笑む彼女にはまた違う魅力を感じさせた。
第二王女が王位についてからというもの、周囲が心配していたようなことは起こらず、穏やかに毎日が流れて行った。おかげで彼女を散々馬鹿にしていた者たちは、今では彼女のご機嫌取りに必死になっている。確かに最近まで荒れていた国を十五歳という若さで治め、国民を思いやり人を差別しない彼女には感服の意を示せる。
しかし、僕はまだこの女王が苦手だった。他人の感情を悟るのが得意な僕が、彼女に関しては何を考えているか全く読めないのだ。それだけで邪険に扱うのは些か勝手すぎる気もするが、言葉では言い表せないような心の奥底で、彼女を受け入れることができないでいた。
それでも今日ばかりは駄々をこねていられない。僕は顔を上げ、女王に対して重い口を開いた。
「まず、無礼を承知で申し上げますが、少々言いにくい話ですので護衛を下げてもらうことはできませんか?」
「…魔法の使えない私にとって、それがどれだけ愚かな行為かわかるかしら」
「存じております」
「ふふ、冗談よ。あなたは私の大切な弟だもの。最初からそんな心配はしていないわ」
女王はそう言って手で合図を送り、護衛騎士を下がらせる。部屋の扉が閉まった音を確認して、さっそく口を開いた。
「ありがとうございます…今日は図々しくもお願いがあって参りました」
「言ってごらんなさい」
女王は美しく優雅で、それでいてどこかつかみどころない笑顔を向けてくる。その笑顔に気圧されるような気分になったが、負けずとはっきりとした口調で告げる。
「婚約を許していただきたいのです」
そう、自分の心からの願いを直接伝えた。正直に言うと、かなり迷った。いっそのこと平民に落としてくれだとか、城から逃げ出してしまおうかとか、散々悩んだ結果、素直に婚約をお願いしに行くのが一番良いと思ったのだ。周囲への影響、マリーの夢、今後の生活…様々な事柄を絡めて考えたが、王子という立場のまま彼女と結婚するべきだと。
女王に伝えるのは時期尚早かもしれないが、またマリーが縁談を持ちかけられるかもしれないし、僕もそろそろ結婚相手を探されてもおかしくない。どうせ言うなら早めに言っておいた方がいいだろうと今伝えてみたが、強いて言うなら目の前の女王がどんな反応をするのか全く見当もつかないのが不安であった。
「婚約ねぇ……そろそろあなたの結婚相手を探そうと思っていたけれど…。社交界で気になる相手でもできたのかしら?」
「いえ陛下、添い遂げたいと思う方はいたのですが、身分の違いがありまして」
「あら」
僕はかなり真剣に重い話をしているつもりなのだが、返って来る反応が軽くて調子が狂ってしまう。それでも真面目さを感じさせる口調で告げる。
「僕が想いを寄せている方は…平民なのです」
これは半分嘘で半分真実だった。本当なら平民と言わず準男爵家だと伝えるべきなのだろうが、そう言うとどこの家柄かと聞かれることは間違いない。いずれ結婚するとしても、なんとなくこの女王にマリーのことを伝えるのは嫌だった。
「まあ…それはロマンチックね。素敵だわ」
予想していたよりずっと好印象な言葉にほっとする。しかし女王は打って変わって強い口調で「でも」と続けた。
「王族としての責務があるのはわかるわよね?あなたの恋の相手はきっと素敵な子だと思うけれど…それだけじゃみんな納得はしないわ」
「……はい。その通りだと思います」
「だから…二年間時間をあげるわ。その間に頑張って働いて、王族としての責務を果たすの。そしてあなたの働きが証明できたら…その後は婚約でも結婚でも好きにすればいいわ」
「……ほ、本当ですか?」
二年間。一見長く感じられるが、僕らに降りかかる様々な障壁を考えれば、とても短いものだ。二年間でマリーとの安全な生活が手に入るのだ。彼女を待たせてしまうのは申し訳ないが、もともとそんなに早く結婚するつもりもなかったし、大丈夫だろう。
「シュテル、ちなみに相手はおいくつなの?」
「僕と同い年です」
「そう、じゃあ問題ないわね」
「はい……!」
この国の婚姻可能年齢は諸外国より少し遅く十六歳からだ。だが女王から結婚が許された今、焦る必要はないと考えていた。これからのことはマリーの気持ちを何よりも大切に、僕らのペースで考えていけばいい。
「ふふ、シュテルも大きくなったわね。あなたの大切な人のためにも、頑張って働かないとね?」
「はい、もちろんです……!」
苦手だった女王のからかうような口調にまでこれからの幸せを感じてしまう。だから…すっかり浮かれていた僕は気が付かなかった。女王の口元が歪んでいたことに。
マリーに出会ってから約一年後、そんな僕を試すような出来事がやってくる。
「私、縁談を貰ったの」
「え」
「なんと子爵家から、平民同然の準男爵家に!いやあ、驚きだよね」
「ちょ、ちょっと待って」
明るい口調で話すマリーの口から突如として最悪の出来事が伝えられる。僕は嫌にうるさく鳴る心臓を抑えながら、信じたくない気持ちで聞き返した。
「……子爵家から縁談を貰ったって?それは本当に大丈夫なの…?」
「……うん。前から少し交流があって、領地もそう遠くない子爵家なの。ちゃんと栄えてて裕福なところだよ。四男の令息がこっちに婿として来てくれるって。結婚したらもっと交流が増えて、利益になることも多いと思うの」
「それも大事かもしれないけど、その人は……良い人なの?それに、マリーの気持ちが一番大切だろう」
自分でもかなり甘いことを言っているのはわかっている。貴族間の結婚なんて、ほとんどが政略結婚だ。それにマリーの言う通り、子爵家から縁談を貰うなんてエーデル家とってはこの上ないチャンスだった。それでも、自分の恋が叶わなくても、せめて良い人と一緒になって欲しいと願っていたのだ。そんな僕に対してマリーは困ったように笑う。
「うーん…まだ会ったことはないけど、いい人だよ、多分。……まあ私より二十歳年上なんだけどね」
「二十歳⁉」
「あと三回ぐらい婚約破棄されてるって……」
「はぁ⁉」
自分らしくなく声を荒げてしまう。しかしこれはしょうがないだろう。想いを寄せている女性が、人間性的に危なそうな二十歳年上の男と政略結婚しそうになっているなんて……。だからマリーは気まずそうに言ったのだろう。僕がこういう反応をするとわかっていたから。
どうしよう。いつかはこんな日が来るとは思っていたが、あまりに突然の事態に自慢の頭はショート寸前だった。
「マリーはそれでいいの……?」
「言ったでしょ、私の夢はエーデル家を発展させることだって。それが叶うなら、どんな人が結婚相手だろうが構わない」
マリーは、優しく、でも強い口調で言った。
真剣な眼差しで僕を見つめるその瞳が好きだ。だから彼女の身に何かあって、その瞳が濁り暗くなってしまうのは耐えられない。
「……僕は君に誰よりも幸せになって欲しいよ」
「私は夢が叶えられるなら幸せだよ。ちょっと傷付いたって大丈夫」
「……っ、僕は君に少しも傷付いてほしくはない!」
マリーの長いまつげがぱちりと動く。
「どうして?どうして私をそんなに気にかけてくれるの?」
「それは……」
ぐっと息を呑んだ。この言葉は勢いに任せて言っていいものではない。しかしどうする。このままではマリーはその子爵家の令息と婚約してしまうだろう。彼女を婚約させたくはない。しかし王子である身分で、無責任に想いを明かしていいわけがない。
黙ったままの僕にしびれを切らしたのか、マリーは残念そうに笑う。
「心配してくれてありがとう。今日は遅いからもう帰った方がいいよ、じゃあね」
「――待って!」
つい慌てて帰ろうとするマリーの腕を掴む。マリーは動揺することもなく、じっと見つめて僕の言葉を待っている。僕だけが覚悟を決められていないようで、自分が恥ずかしくなる。迷っている暇なんてない。僕はうるさい心臓の鼓動を落ち着かせるように息をゆっくり吸い込んだ。
「マリー、君に結婚してほしくないのは……僕が君を好きだからだ」
シン…と辺りは静寂に包まれる。僕の言葉を聞いてうつむいたマリーの姿に、悪い予感が脳を支配し、緊張と不安でどうにかなりそうだった。そんな時間が数秒続いた後、マリーの肩が震え出した。まさか怒ってしまったのだろうかとショックを受けたが、がばっと上がったマリーの顔は喜びに溢れていた。
「やっったー‼」
マリーは先ほどの真剣な表情が嘘のようにはしゃいで僕に抱き着いてきた。思ってもいなかった展開に僕は混乱するが、そんな様子を気にすることなく、マリーは満面の笑みを浮かべている。
「シュテルが言ってくれなかったらどうしようかと思った!ああもう緊張した、私が本当に婚約したらどうするつもりだったの?」
「え、婚約する気は……」
「あるわけないでしょ、シュテルが好きなのに!」
その言葉を理解するのにまた数秒かかる。そして理解した後、ボンっと恥ずかしいほどに顔が赤くなってしまった。
「な……」
「えへへ、ごめんね。騙すようなことしちゃって」
「ちょ、ちょっと待って。僕でいいの⁉」
マリーはきょとんと首をかしげるが、僕にとっては大事なことだった。マリーは僕を平民だと思っている。彼女の夢が家を発展させることと踏まえるなら、平民との結婚などありえないと考えていると思っていた。しかしこの言い方だとまるで、マリーが僕に最初から告白されることを望んでいたようである。
「当たり前でしょ?好きって言ったじゃない」
「でも、エーデル家を発展させたいんじゃ…」
「ああ、そんなこと?」
「そんなことって…」
困惑する僕に、マリーはいつもみたいににやっと笑って見せた。
「家が発展する方法は結婚だけじゃないのよ?私は自分自身の力で経済力を上げて、エーデル家を発展させたいの!好きでもない人と婚約している暇なんてないの!それにお父さんとお母さんだって、その縁談が来た時にすごい怒っちゃって、『身分なんて関係ないお前が幸せになるのが一番だ』って言ってくれたの!」
そう笑う彼女を見て、僕は胸が温かくなっていくのを感じる。僕たちは互いに微笑み合った。
(ああ、やっぱり僕にはもったいない人だな)
「ねえシュテル、私と結婚してくれる?」
「……うん、もちろんだよ」
こんなに素晴らしい女性、きっともう他に出会えない。白百合のように可憐で穢れなき彼女の笑顔を、何に代えても守りたいと思った。
……その誓いが、あまりにも儚く、純粋なものだったとは、まだ知らなかったんだ。
――――
「王国の輝かしい太陽、女王陛下にご挨拶申し上げます」
「ごきげんよう、シュテル。今日はどういった用件で来たのかしら?」
この国で最も高位の者が使う執務室で、女王ミティア・ノヴァ・ロワイヤルは美しく優しい声で僕に尋ねる。頭を下げながらも彼女を見る。絹のように細く滑らかな金色の髪は窓からの光でさらに輝いているように見え、肌は透き通るように美しい。そして宝石のように輝く赤い瞳はこの世のものとは思えないようだった。母も美しさには定評があったが、柔らかく微笑む彼女にはまた違う魅力を感じさせた。
第二王女が王位についてからというもの、周囲が心配していたようなことは起こらず、穏やかに毎日が流れて行った。おかげで彼女を散々馬鹿にしていた者たちは、今では彼女のご機嫌取りに必死になっている。確かに最近まで荒れていた国を十五歳という若さで治め、国民を思いやり人を差別しない彼女には感服の意を示せる。
しかし、僕はまだこの女王が苦手だった。他人の感情を悟るのが得意な僕が、彼女に関しては何を考えているか全く読めないのだ。それだけで邪険に扱うのは些か勝手すぎる気もするが、言葉では言い表せないような心の奥底で、彼女を受け入れることができないでいた。
それでも今日ばかりは駄々をこねていられない。僕は顔を上げ、女王に対して重い口を開いた。
「まず、無礼を承知で申し上げますが、少々言いにくい話ですので護衛を下げてもらうことはできませんか?」
「…魔法の使えない私にとって、それがどれだけ愚かな行為かわかるかしら」
「存じております」
「ふふ、冗談よ。あなたは私の大切な弟だもの。最初からそんな心配はしていないわ」
女王はそう言って手で合図を送り、護衛騎士を下がらせる。部屋の扉が閉まった音を確認して、さっそく口を開いた。
「ありがとうございます…今日は図々しくもお願いがあって参りました」
「言ってごらんなさい」
女王は美しく優雅で、それでいてどこかつかみどころない笑顔を向けてくる。その笑顔に気圧されるような気分になったが、負けずとはっきりとした口調で告げる。
「婚約を許していただきたいのです」
そう、自分の心からの願いを直接伝えた。正直に言うと、かなり迷った。いっそのこと平民に落としてくれだとか、城から逃げ出してしまおうかとか、散々悩んだ結果、素直に婚約をお願いしに行くのが一番良いと思ったのだ。周囲への影響、マリーの夢、今後の生活…様々な事柄を絡めて考えたが、王子という立場のまま彼女と結婚するべきだと。
女王に伝えるのは時期尚早かもしれないが、またマリーが縁談を持ちかけられるかもしれないし、僕もそろそろ結婚相手を探されてもおかしくない。どうせ言うなら早めに言っておいた方がいいだろうと今伝えてみたが、強いて言うなら目の前の女王がどんな反応をするのか全く見当もつかないのが不安であった。
「婚約ねぇ……そろそろあなたの結婚相手を探そうと思っていたけれど…。社交界で気になる相手でもできたのかしら?」
「いえ陛下、添い遂げたいと思う方はいたのですが、身分の違いがありまして」
「あら」
僕はかなり真剣に重い話をしているつもりなのだが、返って来る反応が軽くて調子が狂ってしまう。それでも真面目さを感じさせる口調で告げる。
「僕が想いを寄せている方は…平民なのです」
これは半分嘘で半分真実だった。本当なら平民と言わず準男爵家だと伝えるべきなのだろうが、そう言うとどこの家柄かと聞かれることは間違いない。いずれ結婚するとしても、なんとなくこの女王にマリーのことを伝えるのは嫌だった。
「まあ…それはロマンチックね。素敵だわ」
予想していたよりずっと好印象な言葉にほっとする。しかし女王は打って変わって強い口調で「でも」と続けた。
「王族としての責務があるのはわかるわよね?あなたの恋の相手はきっと素敵な子だと思うけれど…それだけじゃみんな納得はしないわ」
「……はい。その通りだと思います」
「だから…二年間時間をあげるわ。その間に頑張って働いて、王族としての責務を果たすの。そしてあなたの働きが証明できたら…その後は婚約でも結婚でも好きにすればいいわ」
「……ほ、本当ですか?」
二年間。一見長く感じられるが、僕らに降りかかる様々な障壁を考えれば、とても短いものだ。二年間でマリーとの安全な生活が手に入るのだ。彼女を待たせてしまうのは申し訳ないが、もともとそんなに早く結婚するつもりもなかったし、大丈夫だろう。
「シュテル、ちなみに相手はおいくつなの?」
「僕と同い年です」
「そう、じゃあ問題ないわね」
「はい……!」
この国の婚姻可能年齢は諸外国より少し遅く十六歳からだ。だが女王から結婚が許された今、焦る必要はないと考えていた。これからのことはマリーの気持ちを何よりも大切に、僕らのペースで考えていけばいい。
「ふふ、シュテルも大きくなったわね。あなたの大切な人のためにも、頑張って働かないとね?」
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