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1章──本当のはじまり

6・先生と義姉

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****♡Side・岸倉 爽一(教師)

 その日、爽一は憂鬱だった。
 せっかく旅館で和馬と良い関係になれたと思ったのに、現状の立場を思い出したからである。
「えー。イヤだ」
 朝から、偽装の恋人関係である和馬の義姉から連絡を受け、
『拒否権ないわよ』
と冷たく言い放たれたのだった。

「別に車を運転しろとか、財布代わりになれとか言ってるわけじゃないのに、何がそんなに嫌なのよ」
と、自宅まで迎えに来た彼女に言われ、不服そうに彼女の車に乗り込む。
 確かに、一円の損もしない。しかし得もしないのだ、爽一としては。身体を求められるわけでもなく、ただ彼女の恋人のフリをしていれば良い。それだけなのだが。
「それに、この取引を持ちかけて来たのは、そっちじゃないの」
 ”全く……我儘なんだから”と、彼女に言われ、爽一はプイッとそっぽを向く。
「大人げない人ね」
 こうやってだいぶ年下の彼女に子供扱いされるのも、不満の一つなのだ。
 そこまで大きく年が離れていないとはいえ、自分は教師であり、彼女は大学生。年上としての威厳が欲しい。
 爽一には、変なプライドがあった。和馬は彼女とは違う。いつでも年上として、扱ってくれる。そこがまた、爽一の心をくすぐるのだ。
 つまり、爽一は大人になり切れていないのである。

「で? 今日は何処に付き合えって?」
 助手席で不満そうに頬杖をつきながら、目的地を問う。今はどうであるかは知らないが、かつて彼女は爽一に想いを寄せていたらしい。
 単に、自分に興味を示さなかった爽一が気に入らなかっただけの可能性もあるが。幻滅しているのではないだろうか、と爽一は思う。もしかしたら、見た目が好みなだけという可能性も捨てきれない。
「本屋。資料を買いたいのよ」
「なるほど」
 彼女は大学での研究に使用する資料を、一緒に選んで欲しいと言う。
「その後、食事に行きましょう」
 悪い話ではない。

 彼女の言う食事とは、お高い店。
 今までに数件連れ回されたが、その目的は食事をすることではない。恋人が居ることを印象付けるためである。
 何故そんなことが必要なんだと、最初は不思議でならなかったが、彼女の父は相当な資産家。そして彼女は美人。金目当てで近づいてくる輩を、牽制《けんせい》するのが目的。
 爽一は性格に問題はあるものの、見た目は悪くない。彼女と一緒に歩いていても、引けを取らなかった。
「今日は、何?」
と爽一が問えば、
「地中海料理」
と返って来る。ずいぶんと行きつけの店が多いんだなと、思う。

「さて、着いたわよ」
 デパートの駐車場に着くと、彼女が先に運転席から外へ出る。爽一もそれに続いた。恋人のフリをして腕を組むことに、慣れ始めているのが癪だが。
 エレベーターで目的地に向かいながら、”早く和馬が卒業すればいいのに”と爽一考えていた。
 この後、その和馬に目撃されるとも思わずに。
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