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第六章
第三十四話
しおりを挟む「綾は絶対に連れていかせない」と言った南帆の顔には、涙が浮かんでいた。
彼女には、なにか心の中で決めていることがあるのかもしれない。
それがなにかは想像できないが、どうやら元水原中三年生が全員揃うことが条件のようだ。
けど、それはもう永遠に叶うことはない。それは俺自身が一番よくわかってる。
気丈にも南帆は、涙を落とすことなく拭った。そのままの手で平川の手を握る。
「綾。行こう」
「行こうってどこに……」
平川の疑問には答えなかった。その代わり、俺に対してこう言った。
「一希。ちょっと付き合って」
こちらの顔を見ることはなかった。
* * *
幽霊二人のあとをついていった結果、辿り着いた場所は川だった。
「ほらほら! 置いてっちゃうよ!」
南帆は小学生のようにはしゃいでいる。
「ちょ、ちょっと南帆! あなたそのままの格好で川に入ったら濡れちゃうじゃない!」
手を引かれる平川が慌てて言う。
突然南帆は真顔になる。
「いいじゃん。どうせ私達幽霊だよ?」
そんな身も蓋もないことを……。
それで平川が納得するとは思えないが、抵抗するのは諦めたようだ。
「ほらー! ずっきーと咲姫ちゃんもおいでー!」
「えっと、私はちょっと……」
いくら残暑が厳しいとはいえ、この時期に生身の人間が川遊びは厳しいものがある。
咲姫がちらっと視線を送る。
「今枝君、行ってきたら?」
「……勘弁してくれ」
中学生が川遊びしているだけでも恥ずかしいのに、女子二人の中に入るとか……。しかもあの二人は幽霊だから、周りの人が見ているのは……。想像もしたくない。
「ふふふっ。一回こういうのやってみたかったんだよね~」
南帆は一人で嬉しそうにしている。
「それなら、水原でもよかったんじゃない?」
そう言う平川もだんだん吹っ切れてきたようだ。南帆まだとはいかないが、それなりに楽しそうだ。
「違う違う。水原から出て遊んだことないでしょ? あそこのじいちゃんばあちゃん厳しいもんね~」
それを聞くと胸がチクリと痛む。あそこの老人達にいい思い出はない。平川も異論はないようだった。
「あのさ咲姫」
「ん? どうした?」
日が傾いてきた。ここまで長く川に浸かっていると寒くなるはずだが、実体のない彼女達はそんなもの、微塵も感じていないらしい。
「結局のところ、南帆はなにしに来たんだろ?」
かなり前のこととはいえ、あいつとは喧嘩中だった。仲直りはしていない。……というか、俺にそんな余裕がなかった。
あいつが俺のことを許したとは考えにくい。なら、それ以上の理由があるのだろう。
この学年に二人しかいなかった女子生徒は、昔から仲がよかった。二人が対立したのは、南帆が無視されていた俺のことを庇ったときだけだ。
あの頃の平川は結構老達に毒されていたからな。あまり得意になれずにここまできてしまった。
「あのね、今まで黙ってたんだけど」
咲姫が改まって言った。
「私ね、君達が喧嘩した後、何回か南帆ちゃんに会ってるの」
「え!?」
思わず叫んだ俺を南帆達が見た。なんでもないと手を振ってみせる。
「それっていつから?」
「んーと、七月くらい」
二ヶ月も前の話だ。
「……居場所を知ってたなら、なんで教えてくれなかったんだよ」
責めるような言い方をしてしまったが、彼女は気にしていないようだ。
「君、その時期大変そうだったじゃん」
「…………」
七月というと、そうか。怨霊化さた彼の魂を消した頃か。
「……ごめん」
「いいのいいの。気にしないで」
これ以上喋る気にもなれず、二人共黙ったまま、はしゃいでいる幽霊の影を見続けた。
* * *
「ねえ綾」
日が落ちてきて、ようやく気が済んだのか、二人は川から上がってきた。
「なによ。改まって」
平川が聞き返しても、南帆はしばらく口を開かなかった。
「ここも、いい場所でしょ?」
「ええ、まあ……」
平川は南帆の意図がわからず困惑している。
「じゃあ、もう少しここに残って」
「…………」
その声に、誰も応えることはできない。
南帆は、魂が闇雲に現世に留まる危険性を知らない。だから、こんなことが言えるのだ。
今までの三人は、かなり早い段階で限界が来ていたから話したけど、彼女にそんな気配はない。
伝えるべきなのか、あの話を。
「止めた方がいいよ」
咲姫が小声で囁いた。
「たまに、現世に残るためだけに頑張ってる魂が存在する。もし南帆ちゃんがそうだったら……。取り返しのつかないことになりかねない」
当分は成り行きに任せる選択をしたのだ。
「ねえ綾、気付いてる? 私達ね、もう水原に戻ることはできないの」
「え……」
平川の目が大きくなる。
生まれも育ちも水原という人間は、ほとんどが中学まで「外」の世界を知らない。放り出されたとき、真っ先に目指すのはあの集落なのだ。
「何度も試したけど駄目だった。私達がこの世にい続けようと思っても、あの場所は私達を拒み続ける。だから──」
「──なら尚更、ここにいる理由はないじゃない」
返ってきたのは、冷たい返事だった。
「嘘……。綾、どうして……?」
南帆は信じられないというように首を振っている。
平川は、至極冷静だった。
「あたし達は、ここにいていい存在じゃない。それはわかるでしょ?」
「…………」
反論は返ってこなかった。
納得したんじゃない。平川の決意を変えるだけの言葉がないのだ。
「そう。わかった」
小さく呟く。
「私は、いつも空振りばかりだね。もう、どうしようもないのはわかってるのに」
そんな弱気なことを言ったのも束の間、次の瞬間には笑顔を浮かべている。
「それじゃ、またね! ……あ、さよならの方がいいのかな?」
平川が口を挟む隙もなく、南帆は踵を返す。落ちてきた闇雲に呑まれて、あっという間に見えなくなった。
「これで、よかったの?」
咲姫が恐る恐る声をかける。
「いいのよ。……未練がないとはいい切れないけど、あの子も頑固だからね。これくらいが丁度いいのかも」
口ではそう言う平川の顔には、隠し切れない後悔が浮かんでいた。
「ああそうだ。一希」
平川は意外にも吹っ切れた表情で言う。
「大分時間が経っちゃったけど、ごめんね。あたし、南帆に言われるまでなにも気が付かなかった。あいつの分まで、謝っとく」
突然の謝罪に、言葉を失った。
「あんたねえ、わかりやすいのよ。あたしとあいつだけ名字で呼んでさ。やりすぎたこっちが悪いのはわかってるけど」
「それは……ごめん……」
結局、そこに帰結してしまった。
平川は「なんであんたが謝るの」と笑っている。冷徹な級長のイメージばかりだったから、そんな顔は記憶になかった。
「ところで、成仏するってどうしたらいいの?」
突然の話題変換。
「あ、それならこの人がなんとかしてくれるよ」
と咲姫が指でさしてくる。
「え……」
今度は平川が絶句する。それも束の間。
「あんた、そんなキャラだった?」
かなり本気で心配された。
「……俺にも色々あったんだよ」
* * *
あたりはすっかり暗くなっている。街灯の少ないこの町では、隣にいる人の顔さえよく見えない。
生徒手帳の裏に忍ばせてある札を一枚手に取る。
よくよく考えてみれば、怨霊ではないと言い切れる魂の相手をするのは美也さん以来だった。
そのまま札を、平川の額に押し付ける。もう、他に言うことはない。
爪先から、だんだん薄くなっていく。
「あ……。これなら言えるのね」
なにかに気付いたような呟き。
「あのね、あの人はあたし達がよく知ってる人だった」
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