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将は火を焚き風を吹かせる
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ザキは毎日一回、昼過ぎにシューニャの様子を見に行く。
瞑想の邪魔をしないように洞窟の入り口から中を覗いて、異常がなければ帰るだけだ。
しかし、その日は異常があった。
洞窟の中にシューニャの姿はなく、気を失った身重の妹と、斬殺されたラーマの死体が転がっていたのだ。
「ム……なんとしたことか」
ザキは強く後悔した。
何が起きたのかは、状況を見ればおおよそ分かる。
ラーマの気性を考えれば八つ当たりや復讐に出るのは当然といえる。
妹と出くわしたのは偶然であり、こうなってしまったのも偶然の果てであろうが──
ザキの才覚ならば予測できたはずだ。
否、敢えて楽観視していたのだ。
未然に事態を防ぎたいなら、ラーマを早々に始末しておくのが最善だった。
なんならシューニャが最初に落ちてきた時に、ラーマを殺してしまえば良かった。
だが、それは出来なかった。
暗愚のアワド太守の威を借りるチンピラ同然のラーマにすら情けをかけてしまった、ザキの甘さが間接的にこの結果をもたらしたのだ。
「これもまた……運命というものか」
ザキは重く沈んだ表情で、妹を介抱した。
抱き起し、「ふんっ」と首へ気合を打ち込むと、妹は意識を取り戻した。
「あぁ……兄(あに)さま!」
普段は気丈でザキを嫌う妹も、この時ばかりは恐怖の表情で兄にもたれかかった。
妹が説明した状況は、ザキの予想した通りだった。
自ら無に還ろうとしたシューニャは、剣という執着に存在を縛られてしまったのだ。
「こうなってはもう……誰もあの者を止められぬ……」
後悔と悲しみがザキの心を覆った。
そして個人の意思では抗えない流れが起こり始めたことを……すぐに思い知ることになった。
夕刻──妹を家に送ってから寺に戻ると、伝令の者が来ていた。
ザキが日頃から軍事教練を施している、商人組合の伝令だった。
「ザキ先生! アワドの街でえらい騒ぎが起きてます!」
「不明瞭な……報告はするな」
常日頃からそう教えている。
一人前に軍隊を名乗りたいなら、不明瞭な報告は厳禁であると。
しかし、騒ぎの内容についてはザキも察していた。
「シューニャが原因だな……」
「あっ……はい! あのシューニャという御仁がふらりと現れて、太守の雇ってるチンピラと酒場で揉めて……」
「何人……斬られた」
ザキは目を細めて、顔を覆った。
太守が民と議会を恫喝するために雇った半端な腕のヤクザ者どもでは、シューニャに敵うはずがない。ラーマのように力量の差すら理解できずに挑みかかり、屍を晒すだけだ。
伝令は一瞬、呆気に取られてから慌てて報告を続けた。
「あの、ええと……数えられるだけで20人はやられたと……」
「多勢相手にか」
「最初はタイマンだったみたいですが、5人ほど斬られたあたりでぐるりと取り囲まれたそうで……」
伝令は言葉に詰まった。
「あの、その……なんと言いますか……凄くボヤけた報告になってしまうのですが……」
「どうなったのだ」
「次の瞬間には一人が斬られて、また次の瞬間には一人斬られて、瞬きをする内にシューニャさんを囲んでた連中が一人ずつ順番に死んでいったそうです。始終見てた店のオヤジは、何が起きたのか全く分からなかった、と錯乱してて……」
正気を疑うような報告だった。
一般的に、一対多の戦闘は包囲された時点で極めて不利となる。
シューニャほどの剣者ならば、走り回って包囲されることを未然に防ぎ、乱戦に持ち込んで各個撃破するといった戦術は知っているはずだ。
だが報告を鵜呑みにすれば、まるで魔術を使ったように包囲した連中が順に斬殺されたという。
普通なら疑うところであるが──
「シューニャは……この世とは別の理を持っている。故に、我らの理は通用せぬのだ」
「はあ……?」
伝令は理解できずに呆然とした。
素人に分かるように説明をするには、今は時間がない。
「して、シューニャはどうなった」
「そのまま太守の屋敷に向かっていったと……」
報告を聞き終えて、ザキは地面に向かって「はぁ~~……」と深い溜息を吐いた。
シューニャと自分の運命を悟ったのだ。
ザキが俯いて、顔を上げるまで、ほんの五秒ほどの間があった。
五秒間──それがザキが全てを諦め、全てを受け入れるのに要した時間だった。
「ああ……やりたくないのぉ……」
口の中で誰にも聞こえぬように告白して……ザキは決心した。
この混乱の嵐に乗じる。時の運きたり、と。
「立つ時が来たのじゃ。この機に太守を討つ」
「えっ、い……今ですか?」
「戦を起こす時期が来たのじゃ。この日のために練磨してきたのだろうが。各部隊の長に伝えよ。『南西の季節風が吹く』とな」
ザキの声は凛と張り詰め、既に隠者のそれではなかった。
将として、男は煩悩の満ちる俗世に還る決意をした。
日が落ちる。
夜が訪れる。
ザキと彼の部隊は、慌ただしく行動を始めた。
彼らは常日頃から暗愚の太守を倒し、アワド藩都を制圧する計画を立てていた。
ザキは街の中央にある商人宅を指揮所とし、各方面に走らせた斥候からの情報を集め、指揮を出した。
「太守の屋敷はどうなっておる?」
「シューニャという男が正面から門を破り──」
「ならば捨て置け。じき太守はくたばる。我が主力は南の兵舎に『季節風を吹かせる』」
ザキは確信していた。
シューニャの剣技と異界の理の前には、どんな武芸者も数も無意味であると。
あれはそういう存在なのだと、おおよその察しはついていた。
制御の効かぬ嵐を戦術の一部に組み込むのである。
戦力で劣るザキ達には、情報と兵を展開するスピードこそが肝要。
「季節風を吹かせる」とは、夏の嵐のように早く、騒々しい軍事行動を指す暗号だった。
ほどなく、アワド藩都の南に位置する軍の兵舎を、ザキの部隊は松明を掲げて取り囲んだ。
商人の協力で祭事に使う篝火を改造し、一人で五人分の松明を持てるようにした。
そして軍旗は十倍の数を用意し、声を大きく拡声する筒を持たされて、部隊が一斉に鬨の声を上げた。
「ウオオオオオオオ!」
夜間では正確な数も計れず、兵舎の見張りは自分達が大軍に囲まれたと錯覚した。
ザキの部隊の実数は200人程度だったが、それを十倍以上の数に見せかける幻術を用いたのである。
アワド藩軍の士気が低い、ということもザキは知り尽くしていた。
給料は100年前から変わらず、兵たちは常に困窮し、賄賂が横行する原因になっていた。
まともな糧食も配給されず、兵舎の内外に畑を作って屯田紛いの有様が見て取れる。
彼らも太守への不満と不信が溜まっていた。
そこに外からの連絡を断ち、孤立させることでアワド藩軍の不安を煽る。
市街では火を焚き、炎上しているように見せかける。
心理戦で血を見ずに勝てるのなら、それに越したことはない。
更に夜が更け、兵舎の中から打って出てくる気配がないのを見計らって、ザキの部隊は降伏を勧める使者を送った。
「我らは暗愚の太守を討ち、正常なアワド議会を取り戻すのが目的であるから、諸君らが抵抗しなければ危害を加える気はない。事態収束までの武装解除と、この場での拘留を受け入れて貰えるなら、身の安全は保障する」
かなり穏便な要求だったので、兵舎の指揮官は容易くこれを受け入れた。
「承知した。約束を違えなければ……我々も無駄な争いはしない」
彼としても太守に思う所があったのだろう。
給料もロクに払わない太守に忠誠心などあるわけがない。
太守が征伐されて藩政が改善されるなら願ってもないことだ。
夜が明ける頃には、勝敗は決していた。
「ザキ先生! 太守の屋敷が……」
斥候からの報告は困惑気味だった。
どうなったかは予想がつく。
「うむ。陥落したか。我らの勝ちと見て良いだろうな」
ザキは将として、静かに勝利を宣言した。
指揮所の幹部たちから歓声が上がったが──
ザキは無表情のまま感情を硬直させていた。
議会の掌握は幹部たちに任せ、ザキは副官及び少数の護衛らと共に太守の屋敷に視察に向かった。
人の抗争など知らぬ小鳥たちが、屋敷の庭園で囀っている。
爽やかな晴れの朝だった。
そんな自然とは不釣り合いに、豪奢なる白亜の屋敷は血まみれだった。
「まあ……こうなるであろうな」
ザキは諦めたように呟いた。
太守の屋敷は、死体の山だった。
まず門番の死体がザキたちを出迎え、屋敷に続く回廊に雇われゴロツキ十人分の死体。
玄関には斬殺された死体の血がべったりと張りつき、屋敷内は死臭が充満していた。
「むっ……きついですな」
ザキが護衛に連れてきたサハジ副官が、思わず鼻を覆った。
それなりに場馴れした男だが、屋内に圧縮された血と臓物の臭いは耐え難いものがある。
屋敷内は、そこら中に食客として飼われていたチンピラ紛いの武芸者たちが斃れ、相当な手練れと思しき者も驚愕の表情のまま絶命していた。
二階の奥の部屋では、豚のように太った太守が死んでいた。
護身用の短剣を握ったまま、頸動脈を突かれて、豪奢な絨毯の上で死んでいた。
「ザキ先生、これは一体……」
サハジ副官が困惑していた。
この惨状、どう見ても人の技ではない。
「我らが触れて良い存在ではなかったのだ。しかし触れてしまった。起こしてしまった。もう止められんだろう」
ザキは息を吐いて、屋敷を見渡した。
「ここのクソ太守、女子(おなご)らをハーレムに飼っていたそうだが?」
「人の気配はありませんし……逃げ出したのでしょう」
サハジ副官は「おい」と護衛の兵を呼んで、屋敷内に人が残っていないか一応の探索を指示した。
だがいずれにせよ、もうシューニャはここにはいない
ザキは窓から外を眺めようとしたが、挿す光が存外に眩しく、目を細めた。
「時は動き始めた。もう止められん。各部隊に伝えよ。シューニャという男には絶対に近づくな。そして斥候に彼の者を追わせ、監視させよ」
「監視……ですか?」
「いかにも。あれは人ではない。自然現象だ。魔物が山野を歩むように、夏に嵐が南から吹くように。行動に何かの法則性があると見た。それを……見極めねばなるまい」
ザキは、シューニャという歩く災厄を戦略に利用する算段をつけていた。
「驕れる魔法使いは、自らが使役する魔神に食われる──というのが昔話の定番じゃ。だがこれは天候を読むようなものじゃて」
「天地もまた人に御せるものではありますまい」
サハジ副官は遠慮なくザキに言葉を挟んだ。
「驕れる者は、人知を超えた自然に押し潰されるものです」
こういう男だから、ザキは傍に置いている。
「潮の満ち引きの周期は分かる。天地の理を知るのもまた兵法なり」
瞑想の邪魔をしないように洞窟の入り口から中を覗いて、異常がなければ帰るだけだ。
しかし、その日は異常があった。
洞窟の中にシューニャの姿はなく、気を失った身重の妹と、斬殺されたラーマの死体が転がっていたのだ。
「ム……なんとしたことか」
ザキは強く後悔した。
何が起きたのかは、状況を見ればおおよそ分かる。
ラーマの気性を考えれば八つ当たりや復讐に出るのは当然といえる。
妹と出くわしたのは偶然であり、こうなってしまったのも偶然の果てであろうが──
ザキの才覚ならば予測できたはずだ。
否、敢えて楽観視していたのだ。
未然に事態を防ぎたいなら、ラーマを早々に始末しておくのが最善だった。
なんならシューニャが最初に落ちてきた時に、ラーマを殺してしまえば良かった。
だが、それは出来なかった。
暗愚のアワド太守の威を借りるチンピラ同然のラーマにすら情けをかけてしまった、ザキの甘さが間接的にこの結果をもたらしたのだ。
「これもまた……運命というものか」
ザキは重く沈んだ表情で、妹を介抱した。
抱き起し、「ふんっ」と首へ気合を打ち込むと、妹は意識を取り戻した。
「あぁ……兄(あに)さま!」
普段は気丈でザキを嫌う妹も、この時ばかりは恐怖の表情で兄にもたれかかった。
妹が説明した状況は、ザキの予想した通りだった。
自ら無に還ろうとしたシューニャは、剣という執着に存在を縛られてしまったのだ。
「こうなってはもう……誰もあの者を止められぬ……」
後悔と悲しみがザキの心を覆った。
そして個人の意思では抗えない流れが起こり始めたことを……すぐに思い知ることになった。
夕刻──妹を家に送ってから寺に戻ると、伝令の者が来ていた。
ザキが日頃から軍事教練を施している、商人組合の伝令だった。
「ザキ先生! アワドの街でえらい騒ぎが起きてます!」
「不明瞭な……報告はするな」
常日頃からそう教えている。
一人前に軍隊を名乗りたいなら、不明瞭な報告は厳禁であると。
しかし、騒ぎの内容についてはザキも察していた。
「シューニャが原因だな……」
「あっ……はい! あのシューニャという御仁がふらりと現れて、太守の雇ってるチンピラと酒場で揉めて……」
「何人……斬られた」
ザキは目を細めて、顔を覆った。
太守が民と議会を恫喝するために雇った半端な腕のヤクザ者どもでは、シューニャに敵うはずがない。ラーマのように力量の差すら理解できずに挑みかかり、屍を晒すだけだ。
伝令は一瞬、呆気に取られてから慌てて報告を続けた。
「あの、ええと……数えられるだけで20人はやられたと……」
「多勢相手にか」
「最初はタイマンだったみたいですが、5人ほど斬られたあたりでぐるりと取り囲まれたそうで……」
伝令は言葉に詰まった。
「あの、その……なんと言いますか……凄くボヤけた報告になってしまうのですが……」
「どうなったのだ」
「次の瞬間には一人が斬られて、また次の瞬間には一人斬られて、瞬きをする内にシューニャさんを囲んでた連中が一人ずつ順番に死んでいったそうです。始終見てた店のオヤジは、何が起きたのか全く分からなかった、と錯乱してて……」
正気を疑うような報告だった。
一般的に、一対多の戦闘は包囲された時点で極めて不利となる。
シューニャほどの剣者ならば、走り回って包囲されることを未然に防ぎ、乱戦に持ち込んで各個撃破するといった戦術は知っているはずだ。
だが報告を鵜呑みにすれば、まるで魔術を使ったように包囲した連中が順に斬殺されたという。
普通なら疑うところであるが──
「シューニャは……この世とは別の理を持っている。故に、我らの理は通用せぬのだ」
「はあ……?」
伝令は理解できずに呆然とした。
素人に分かるように説明をするには、今は時間がない。
「して、シューニャはどうなった」
「そのまま太守の屋敷に向かっていったと……」
報告を聞き終えて、ザキは地面に向かって「はぁ~~……」と深い溜息を吐いた。
シューニャと自分の運命を悟ったのだ。
ザキが俯いて、顔を上げるまで、ほんの五秒ほどの間があった。
五秒間──それがザキが全てを諦め、全てを受け入れるのに要した時間だった。
「ああ……やりたくないのぉ……」
口の中で誰にも聞こえぬように告白して……ザキは決心した。
この混乱の嵐に乗じる。時の運きたり、と。
「立つ時が来たのじゃ。この機に太守を討つ」
「えっ、い……今ですか?」
「戦を起こす時期が来たのじゃ。この日のために練磨してきたのだろうが。各部隊の長に伝えよ。『南西の季節風が吹く』とな」
ザキの声は凛と張り詰め、既に隠者のそれではなかった。
将として、男は煩悩の満ちる俗世に還る決意をした。
日が落ちる。
夜が訪れる。
ザキと彼の部隊は、慌ただしく行動を始めた。
彼らは常日頃から暗愚の太守を倒し、アワド藩都を制圧する計画を立てていた。
ザキは街の中央にある商人宅を指揮所とし、各方面に走らせた斥候からの情報を集め、指揮を出した。
「太守の屋敷はどうなっておる?」
「シューニャという男が正面から門を破り──」
「ならば捨て置け。じき太守はくたばる。我が主力は南の兵舎に『季節風を吹かせる』」
ザキは確信していた。
シューニャの剣技と異界の理の前には、どんな武芸者も数も無意味であると。
あれはそういう存在なのだと、おおよその察しはついていた。
制御の効かぬ嵐を戦術の一部に組み込むのである。
戦力で劣るザキ達には、情報と兵を展開するスピードこそが肝要。
「季節風を吹かせる」とは、夏の嵐のように早く、騒々しい軍事行動を指す暗号だった。
ほどなく、アワド藩都の南に位置する軍の兵舎を、ザキの部隊は松明を掲げて取り囲んだ。
商人の協力で祭事に使う篝火を改造し、一人で五人分の松明を持てるようにした。
そして軍旗は十倍の数を用意し、声を大きく拡声する筒を持たされて、部隊が一斉に鬨の声を上げた。
「ウオオオオオオオ!」
夜間では正確な数も計れず、兵舎の見張りは自分達が大軍に囲まれたと錯覚した。
ザキの部隊の実数は200人程度だったが、それを十倍以上の数に見せかける幻術を用いたのである。
アワド藩軍の士気が低い、ということもザキは知り尽くしていた。
給料は100年前から変わらず、兵たちは常に困窮し、賄賂が横行する原因になっていた。
まともな糧食も配給されず、兵舎の内外に畑を作って屯田紛いの有様が見て取れる。
彼らも太守への不満と不信が溜まっていた。
そこに外からの連絡を断ち、孤立させることでアワド藩軍の不安を煽る。
市街では火を焚き、炎上しているように見せかける。
心理戦で血を見ずに勝てるのなら、それに越したことはない。
更に夜が更け、兵舎の中から打って出てくる気配がないのを見計らって、ザキの部隊は降伏を勧める使者を送った。
「我らは暗愚の太守を討ち、正常なアワド議会を取り戻すのが目的であるから、諸君らが抵抗しなければ危害を加える気はない。事態収束までの武装解除と、この場での拘留を受け入れて貰えるなら、身の安全は保障する」
かなり穏便な要求だったので、兵舎の指揮官は容易くこれを受け入れた。
「承知した。約束を違えなければ……我々も無駄な争いはしない」
彼としても太守に思う所があったのだろう。
給料もロクに払わない太守に忠誠心などあるわけがない。
太守が征伐されて藩政が改善されるなら願ってもないことだ。
夜が明ける頃には、勝敗は決していた。
「ザキ先生! 太守の屋敷が……」
斥候からの報告は困惑気味だった。
どうなったかは予想がつく。
「うむ。陥落したか。我らの勝ちと見て良いだろうな」
ザキは将として、静かに勝利を宣言した。
指揮所の幹部たちから歓声が上がったが──
ザキは無表情のまま感情を硬直させていた。
議会の掌握は幹部たちに任せ、ザキは副官及び少数の護衛らと共に太守の屋敷に視察に向かった。
人の抗争など知らぬ小鳥たちが、屋敷の庭園で囀っている。
爽やかな晴れの朝だった。
そんな自然とは不釣り合いに、豪奢なる白亜の屋敷は血まみれだった。
「まあ……こうなるであろうな」
ザキは諦めたように呟いた。
太守の屋敷は、死体の山だった。
まず門番の死体がザキたちを出迎え、屋敷に続く回廊に雇われゴロツキ十人分の死体。
玄関には斬殺された死体の血がべったりと張りつき、屋敷内は死臭が充満していた。
「むっ……きついですな」
ザキが護衛に連れてきたサハジ副官が、思わず鼻を覆った。
それなりに場馴れした男だが、屋内に圧縮された血と臓物の臭いは耐え難いものがある。
屋敷内は、そこら中に食客として飼われていたチンピラ紛いの武芸者たちが斃れ、相当な手練れと思しき者も驚愕の表情のまま絶命していた。
二階の奥の部屋では、豚のように太った太守が死んでいた。
護身用の短剣を握ったまま、頸動脈を突かれて、豪奢な絨毯の上で死んでいた。
「ザキ先生、これは一体……」
サハジ副官が困惑していた。
この惨状、どう見ても人の技ではない。
「我らが触れて良い存在ではなかったのだ。しかし触れてしまった。起こしてしまった。もう止められんだろう」
ザキは息を吐いて、屋敷を見渡した。
「ここのクソ太守、女子(おなご)らをハーレムに飼っていたそうだが?」
「人の気配はありませんし……逃げ出したのでしょう」
サハジ副官は「おい」と護衛の兵を呼んで、屋敷内に人が残っていないか一応の探索を指示した。
だがいずれにせよ、もうシューニャはここにはいない
ザキは窓から外を眺めようとしたが、挿す光が存外に眩しく、目を細めた。
「時は動き始めた。もう止められん。各部隊に伝えよ。シューニャという男には絶対に近づくな。そして斥候に彼の者を追わせ、監視させよ」
「監視……ですか?」
「いかにも。あれは人ではない。自然現象だ。魔物が山野を歩むように、夏に嵐が南から吹くように。行動に何かの法則性があると見た。それを……見極めねばなるまい」
ザキは、シューニャという歩く災厄を戦略に利用する算段をつけていた。
「驕れる魔法使いは、自らが使役する魔神に食われる──というのが昔話の定番じゃ。だがこれは天候を読むようなものじゃて」
「天地もまた人に御せるものではありますまい」
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