【完結】金の王は美貌の旅人を逃がさない

ゆらり

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本編第一部「金の王と美貌の旅人」

23 泥濘

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 ――目覚めたキュリオは、随分と落ち着いていた。
 
 俺の名の意味を、王である事実を知っていて尚、態度を変えずに親しみを込めてリヤと呼んでくれていた唇が、酒に混ぜた薬の所為か、捕らえられたという恐怖からか……、今は血の気を失っていて青ざめていた。 

「……今までに口にした通りだ。お前を手元に置きたい」

 肌へ熱を移す心持ちで、指先で唇に触れて感触を確かめ、掌で頬を覆う。

「お前が俺の掌中にあるというだけで、こんなにも満たされる」

 伝わる熱が心地良いのか、翡翠の瞳を細めているキュリオはされるままだ。

「逃がしはしない」

 シーツの上に横たわらせ、すんなりとした首筋を辿り、留め紐を解いて夜着の前を大きく肌蹴けさせると、引き締まってはいるが薄い胸へと手を触れる。穏やかな脈動を刻む心臓が、この男が今、己が身に起こっていることに動揺していないのを如実に伝えてくる。

「お前を、誰の手にも触れさせない」
「そうか……。ふふ……」

 その顔には恐れはなく、慈しみすら滲ませてキュリオが淡く微笑む。それが、愛おしさを通り越して憎らしくもある。眼前に横たわる彼の、美しい躰を手酷く痛めつけて苦しませてやろうかと思う程に。

「キュリオ……」

 初めてまともに触れた素肌。体温が低い肌に指を滑らせ、細身ではあるがしなやかに鍛えられた腹を、臍へ向けて撫で下ろす。滑らかで、まるで絹のように指の腹に吸い付く肌が、酷く官能を刺激した。

「ん……っ」
 
 くすぐったそうに眉根を寄せて身を震わせるが、キュリオは逃げる素振りを見せはしない。 

「なぜ、抗おうとしない。退けられぬ程にか弱くはあるまいに」
  
 触れる手はそのままに、首筋をやんわりと噛んでも、怯える様子もない。

「旅も何かと物騒だから、荒事を選ぶこともそれなりにあったのだがね……。何分にも、人は酷く脆い。何かの弾みで呆気なく壊れて、すぐに儚く失われてしまう。……傷つけるのをためらうことも多かったよ。それに君には……、どんなことをされても、手を上げたくはない」
「無残に嬲られるとしてもか」
「それが最善であるなら、やぶさかではないな。どの道、私は壊れはしない」

 儚く微笑んでキュリオは平然と告げる。

 その面に色欲に溺れる者の淫らさや自虐の影は微塵もなく、清廉ささえも漂わせていた。限りある命を持つ人間を深く慈しみ、あまつさえ我が身を安易に贄として差し出してしまえる程の哀しいまでの諦観が、キュリオの内に在ったのだ。

 死に行くように緩やかに翡翠の瞳が閉じていくのを見て、俺は背筋に冷たい物が走るのを感じた。

「どうとでも好きに扱いと良い。君の気の済むように、いつまででも……。今までもそうだったから……。私は、君にどうされようとも、構わない」

 すうっと、眠るように呼吸をして、俺の手に白く冷たい手を重ねた。

 ゆっくりと脈打っていたキュリオの心臓とは真逆に、激しく脈打ち始めていた己の心臓に痛みが走ったのを感じた。それは、目に見えぬ鋭い刃が突き刺さったかのような、灼熱とも極寒ともつかない激痛だった。

「黙れ!」

 絶叫した俺に驚いたキュリオが、瞳を開いて心配気にこちらを見上げてくる。

「……幾度も嬲られてきた私の身体など気に入らないかね」
 
 重ねられた手はそのままに、キュリオが囁くように己を卑下する言葉を吐く。 

「そうでなはい! このような姿を、見たかったのではないのだ!」

 ではどんな姿なら見たかったのか。

 自分でも訳が解らないままに、喉が裂けんばかりに叫ぶ事を止められない。

 俺がしたのはキュリオが受けてきたであろう理不尽な仕打ちと何ら変わりがないことなのだ。狡猾な貴族の手によって捕らえられ、おぞましい欲望を満たさんがために身を切り刻まれ、幾度も刺されて、咽返るような死の臭いに包まれて血の海に横たわっていた彼の姿が、鮮明に思い出された。
 
 俺と、あの醜い貴族のどこに違いがある? 血こそ流させてはいないが、違いなどないのだ。嘲けるほどに愚かしい男に貴様は成り下がったのだと、今まさに突き付けられているのだ。

「……失望したのかね? だとしたら済まないことだ」
「黙れと言っている!」

 存在の異質さゆえに孤独で寄る辺なく何も持たない、持とうとしない旅人。そんなキュリオが俺の想いに応えて、深い慈愛を向けてくれたというのに、彼を失いたくないがために一時の激情に駆られ、薬で眠らせて捕らえてまでも自由を奪った。

 身勝手な欲の汚らわしい泥濘の中に、清廉な彼を堕としたのだ。

 ――その罪から滴ったのは、激しい苦痛をもたらす猛毒だった。

「リヤスーダ……」

 キュリオが、また俺の名を呼ぶ。リヤとは、もう呼ぶ気はないらしい。それが更に痛みを強くさせる。

 憎まれようと構わない。ただ己のそばに居させられるだけで、掌中に閉じ込めるだけで、それで満たされると思った。だがどうだ! 現実の彼が見せた、自身を安易な贄のごとく投げ出してまで微笑む儚い姿を前にして、安易な想いなど容易く砕け散った。

 血を吐くような別離の苦しみの方が、まだ生易しいものだった。置いて行かれることへの憎しみと悲しみよりも、茨のように心に絡みつく激しい後悔だけが意識のすべてを埋め尽くし、俺を苛む。

 いつかに聞いた楽し気に笑う軽やかな声も、口付けの後に見せたあえかな微笑みも、慈愛に満ちた慰撫と別れの言葉も……、全てが俺を責め立てる苦い記憶になり果てていく。

 二人の間で、確かに繋がっていたはずの愛おしく尊い絆を、無残に引き千切り踏みにじったのは、別れを告げたキュリオではない。

 ――俺が、泥に塗れさせたのだ。

 キュリオの白い肌から手を離し、寝台から離れる。

「食事は後で持ってこさせる」

 怒鳴りつけてしまう己をどうにか抑えて、早急にこの場を去りたい一心で言葉を絞り出す。キュリオの目に映っている俺の姿はさぞや醜いのだろうと思うと、居た堪れなくて眩暈すら覚えていた。

「好きに過ごすがいい。ここから出ることは許さないが、出来得る限りの願いは叶えよう。侍女には不自由のないように計らえと既に伝えてある」

 この期に及んでも、まだ未練がましく彼を手放すという選択をしない自分に嫌気がさす。

 身体をぐらつかせながらも健気に寝台の上で起き上がり、こちらを見つめるキュリオ。衣が大きく肌蹴たままのしどけない姿だが、それでさえもどうしてか図られたように美しくて、抱き締めたいほどに無防備だったが、手を伸ばすことははばかられた。

 目をそらして己の胸元で拳をきつく握りしめながら、俺はその場から逃げ出した。
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