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ケヴィンの婚約者は、成り代わったつもりでいた

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 私、エーヴァ・ノルドストレームは過去に一度死にかけた。
 食べ物を喉に詰まらせて。
 その時に思い出した。前世の記憶を。
 そういや正月になると決まって餅を喉に詰まらせて死ぬ年寄りのニュースを見ていたな、なんて、なんともくだらないきっかけで。
 しかし当時は前世の記憶を思い出したというだけだった。
 ここは王族貴族が存在し、魔法に溢れた日本とはまったくもって無関係な世界だったから思い出したところで特に意味はないと思っていたのだ。
 そんなある日、我が家のメイドがどこかで見覚えのある材質の食器を持っているのを見た。
 あれは、前世でよく使っていたプラスチックのコップではないだろうか。
 それに気が付いた私はそのメイドにコップの詳細を尋ねた。
 すると小さな雑貨屋で買ったものだと答える。
 よくよく聞いてみると、その雑貨屋には安価で便利なものがあれこれ揃っているのだという。
 そして私のような貴族の娘には不釣り合いかもしれないが、庶民であるメイドたちの中ではとても流行っているという話だった。
 雑貨屋の名前はルーチェ。店主の名前はケヴィン。

 雑貨屋ルーチェ……そこで働いているケヴィン……どこかで聞いた名……あれ、私の最推しキャラじゃね?

 前世の私がハマっていた漫画に出てくる最高にカッコイイ、あの人生で一番ハマったキャラじゃね?

 彼はまぁメインキャラクターではなかったけど主人公にドの付く猫型ロボットに匹敵するレベルで便利な道具を作ってくれる役どころでまあまあ出番はあった。
 グッズも、そりゃあ主人公御一行様ほどたくさんではないけどちらほら出ていたはず。
 私は数少ないそれらを無限回収したりして祭壇を作り上げたりしていたっけ。
 確か連載何周年だかでキャラクター人気投票が開催され、私はせっせと彼に投票して順位を押し上げた。
 順位を押し上げた結果、少し出番が増えて、最終的にはこの国の第……何番目だかのお姫様と結婚した。
 確か雑貨屋で一緒に働いてるのが女の子で、その子とくっ付くもんだと思っていたのだが、なぜかお姫様と結婚してしまったのだ。
 そして当て馬となった女の子は"神の使い"の声が聞けるとかで竜のところへと連れていかれてしまう。可哀想に。
 私がケヴィンを人気キャラへと押し上げなければずっと雑貨屋で働いていられただろうに。……いや、まぁそれは作者のみぞ知るってところだろうけど。

 と、そんなことを思い出した私は、推しを一目見るためにこっそりと雑貨屋ルーチェに行ってみることにしたのだ。
 一目見るだけでいい、そんな思いを胸に。
 でも、ダメだった。
 推し本人を目の前にしたら、声が聞いてみたくなった。
 声を聞いたら、その手に、その肌に触れてみたくなった。
 そのぬくもりに触れたら、彼が生きているのだと実感したら、離れたくなくなってしまった。
 完全に、沼にハマっていくようだった。
 ケヴィンに向けた思いが恋心だったのかも分からないまま、私は貴族という身分を存分に利用して彼に近付いた。
 彼が私に向けた思いが恋心だったのかだって分からない。彼は私の貴族という身分に惹かれたのかもしれなかったし。
 それでも、彼の側に居られるのなら、私はそれでよかった。

 そして、私はのちに当て馬となる女の子、イリスをこの場から遠ざけた。
 二人がとても親密そうに見えたから、近くに居てほしくなかったのだ。将来くっつかないことを知っていたはずなのに。
 それでも二人を引き離したのは私のただのわがままな嫉妬で、正当な理由なんか一つもなかった。
 しかし私のわがままで彼女をクビにするのだから、もっと揉めるだろうと思っていたのに、彼女は案外あっさりと去っていった。
 もしかしたら、彼女は自分が当て馬だということに気が付いていたからかもしれない。
 だって、この雑貨屋、どう見ても百円ショップなんだもの。
 ケヴィンに聞いたら商品のデザインなんかは彼女がすべて請け負っているって言っていたし、彼女も私みたいに前世の記憶があって、それを利用していたに違いない。
 だから私は、彼女は前世の記憶を持っていて、ケヴィンや自分が出てくる漫画を読んでいたのではないだろうかと推測した。
 そうだとしたら、竜のところへ連れていかれることなくこの場から離脱出来たんだから私に感謝してるくらいなのでは?
 竜のところへ連れていかれた後、彼女がどうなるのかは描かれていなかったはずだけど、竜のところになんか連れていかれたくないでしょう。
 近くに魔物だの魔族だのがうようよ居るのだから。
 確かイリスはそれほど強い魔法を使えたわけでもなかったはずだし、あんなところに連れていかれたらどうなるか分からない。
 やっぱり私は感謝されてしかるべきなのよね。

 結局のところ私はイリスを押しのけて、ケヴィンの婚約者となった。
 要するに、あの漫画でケヴィンと結婚するはずのお姫様のポジションに成り代わったのだ。
 これでずっと、ケヴィンの側にいられる。
 その時の私は簡単に考えていた。何もかもを、自分の都合のいいように。

 お姫様成り代わり生活が始まってしばらく経ったが、なぜか私とケヴィンの結婚話が先に進まない。
 お互いの両親も反対はしていないし、先に進めても構わない状態なのに、本当になぜだか進まない。
 しかし婚約者であることに変わりはないしケヴィンも優しくしてくれるし、と私はただただこの幸せを享受していた。

 そんなある日のこと。
 ケヴィンと、イリスの元補佐であるアランの会話が聞こえてきた。
 どうやら漫画でケヴィンと結婚するはずのお姫様がこの店に来ることになっているらしい。
 お姫様の名は、確かミカエラ。
 彼女がどうやってこのルーチェを知ったのかは知らないが、彼女がここに来るなんて絶対に嫌だった。
 だって、あの漫画の通りケヴィンとミカエラが結婚してしまうかもしれないもの。
 私がお姫様のポジションに成り代わったのだから、ケヴィンとミカエラを出会わせてはいけない。
 今更このポジションをミカエラに返したくはない。

 それから私は必死で妨害を試みた。
 ケヴィンの心を繋ぎとめるための努力もした。
 けれど、私の中の不安が消えることはない。
 必死な私に気付いているのか、アランがたまに私を鬱陶しそうな目で見ていたのも分かっていたが、私はなりふり構っていられなかった。

 結局私の妨害はすべて空振りに終わり、ミカエラがこの店にやってくることになった。
 せめてケヴィンとの結婚が出来ていれば良かったのに。
 元々進まなかった結婚話は、ミカエラが来ることになったせいで完全に止まってしまっていたのだ。

「私は、このままケヴィンと結婚出来ないままなのかしら」

 ぽつりと独り言を零したつもりが、近くにいたケヴィンの耳にも届いてしまったらしい。

「なぜ?」

「だって、婚約してから長い時間が経ったのに結婚出来ていないもの」

 私のその言葉を聞いたケヴィンは曖昧な笑顔を浮かべるだけで何も言わなかった。
 その顔を見て、私の心の中の不安が今までとは比べ物にならないくらい大きくなった。
 もう、不安に押しつぶされてしまいそうだ。

 私はお姫様に成り代わったはずだった。
 お姫様に成り代わったつもりでいた。
 でも、それはすべて私の勘違いだったのかもしれない。
 こんなことなら、ケヴィンになんか近付かなければ良かった。
 前世のように、この世界のモブですらないただの読者のままでいれば良かった。
 ケヴィンの長いまつげも、耳に心地いい声も、思ったよりも大きな手のぬくもりも、彼がいつも飲んでいる紅茶の香りも、何もかも知らないままでいたほうが良かった。
 だってこの先きっと忘れることなんて出来ない。
 彼はきっとその辺に掃いて捨てるほどいるような貴族の小娘のことなんかすぐに忘れてお姫様と幸せになる。
 それだけではない。私は平民に婚約破棄された惨めな令嬢というレッテルを貼られてこの国に留まることも出来ないかもしれないのだ。
 それに気づいた瞬間、私は己の人生の終わりを悟った。

 一体何が悪かったのだろう。
 無理矢理ケヴィンに近付いたこと?
 無理矢理イリスをクビにしたこと?
 お姫様に成り代わるだなんて大それたことを考えついたこと?

「エーヴァ」

 ケヴィンが不安や絶望に苛まれている最中の私の名を呼んだ。
 もしかしたら、私が沈んだ顔をしているから慰めてくれるのかもしれない。

「王族の方を迎え入れるのに、そんなに暗い顔をしていてはいけないよ」

「そう、よね」

 そう、何もかもが悪かった。
 私はきっと選択を間違えた。

 無理矢理笑顔を貼り付けて迎え入れたお姫様、ミカエラはそれはもう美しい人だった。
 ちらりと伺ったケヴィンの瞳はきらきらと輝きながらミカエラを捉えている。
 あんな瞳、私にも向けてくれたことなんかなかった。
 なんだかもうどうでも良くなってきた、なんて思いながら視線をミカエラからずらすと、そこには月白、紅緋という英雄の姿があった。
 彼らはこの漫画の人気キャラ上位に君臨する「四天王」の中の二人だ。ちなみに残りの二人は主人公と魔族の長である。生で見たことはないけれど。
 まぁ、確かに皆かっこよかったよな。
 隠れ転生者である主人公がチート能力を使って竜を味方につけて魔族を討伐しようとして。
 でも魔族の長だって魔族が住まう国をきちんと守っているいい奴で。

「あなたが、エーヴァ・ノルドストレームか」

 いい漫画だった、と物思いに耽っていたところ、突然いい声でフルネームを呼ばれた。
 誰だろうと思ったら、紅緋の隼だった。
 ケヴィンほどではないけど本当に顔がいいな。

「はい、そうですが……」

「それでは、あなたを連行する」

「……はい?」

 なぜ私が紅緋に連行されなければならないのだろう?
 理解が出来なかった私は、ただただその場で首を傾げる。

「あなたは、"神の使い"の声が聞けるな?」

「は?」

 神の使いの声が聞けるって設定持ってるのはイリスでしょ。

「聞けるな?」

「聞けませ」

「嘘は通用しない」

 嘘じゃない!

「な、なぜ私が」

「タレコミがあった。あなたが人間には絶対に懐かないという銀狼を手名付けている、と」

「銀……ん……?」

 銀狼ってあれか、デカい犬みたいなやつ。
 そういえば、ケヴィンとの婚約が決まった頃、ルーチェの周辺にいたな。
 前世で曽祖父が飼っていたハスキー犬にそっくりだったから、軽く焼いた牛肉をそっと与えたらなでさせてくれたっけ。

「心当たりがあるようだな」

「え、違、いや確かになでたけど」

「行くぞ」

「ちょ、ちょっと待って、いや、ケヴィン!」

 すがるような気持ちでケヴィンのほうを見たけれど、彼は助けてくれようともしなかった。
 仕方のないことだとでもいうように。

「大人しくしろよ」

 紅緋は心底面倒臭そうに言い放つ。

「違う! それは私じゃない! 私じゃなくて!」

「静かに」

 私は、お姫様に成り代わったつもりでいた。
 だけど、それはただの勘違いだった。
 しかも、それだけじゃなく、私はいつの間にか当て馬に成り代わっていたのだ。

「違うのに……当て馬は、イリスなのに……!」



 ◆◆◆◆◆


 一方そのころ猫カフェ「虹と花」では。

「おーよしよしダイダイちゃんはかわいいねぇ」

 暇を持て余したイリスがテーブルの上に乗せたダイダイに顔を寄せていた。

「あ、ぺろぺろしてくれるの? かわいいー嬉しいー、あ、ちょっと待って痛い、瞼ぺろぺろだけはやめて瞼は痛いダイダイちゃんちょっと待って」

 猫に瞼をなめられると痛いらしい。

「ねぇステファンさん誰かに瞼なめられたことある?」

「いや、ない」

「地味に痛いからちょっとなめられてみてよ!」

「……丁重にお断りします」




 
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