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勘違いされていた私とステファンさん
しおりを挟む開店準備に取り掛かる前、まだ寝起きの私しかいないこの建物内のどこからかかつんかつんだったり、しゃかしゃかーだったりという謎の音が響く。
なんの音だかは分からないけれど、その音は段々と私のもとへと近付いてきている。
ステファンさんが居ないときに虫が出たとかだったら嫌だな。虫の駆除はステファンさんの仕事だし。
と、勝手に虫の駆除をステファンさんに押し付けつつ、音のほうへと意識を向ける。
するとびくびくと警戒心むき出しの私のすぐそばまで来たところでぴたりと音が止まった。
「え」
低いところで音がしていたなと思って視線を下げるとそこには柄のついた猫のおもちゃ、いわゆる猫じゃらしを口にくわえたダイダイちゃんが居た。
ダイダイちゃんはまんまるおめめをきらきらと輝かせながら私を見上げている。
なにをしてるの、と口を衝いて出そうになったところで、ダイダイちゃんが「んんっ」と小さな声を発してくるりと来た道を引き返し始めた。
そしてまた、かつんかつん、しゃかしゃかーという音がする。
あぁ、あの音、猫じゃらしの柄を引きずる音だったのかぁ。
なるほどなぁ、と思いながら猫じゃらしを引きずりながら小走り気味に離れていくダイダイちゃんの後ろ姿を見ていると、ダイダイちゃんはくるりと振り返る。
早く来いとおっしゃられていますね?
「遊ぶの?」
「んんっ」
猫じゃらしをくわえたまま喉から小さな声を発している。
しかし猫ってにゃーんって鳴くだけじゃないんだな。まぁ毎日ンーって鳴いてるのも聞いてるけれども。
そんなことを考えながらダイダイちゃんを追うと、ぴょこんぴょこんと走りながらソファのほうへと向かっている。
私もとりあえずソファに座ろう、そう思って近づくと、ダイダイちゃんは猫じゃらしをぽとりと落としてじゅうたんの上に寝転がった。
「ほい」
ダイダイちゃんが落とした猫じゃらしを拾って振ると、まんまるおめめが猫じゃらしの動きを追う。
「へいジャンプ!」
飛ぶ。
「ヒュー! もう一回ジャンプ!」
すごい飛ぶ。
「よいしょもう一回!」
いや本当に飛ぶ。
と、しばらく遊んで私が猛烈に楽しくなってきたあたりで、どうやらダイダイちゃんのほうが猫じゃらしに飽きたらしい。
「え、もうやってくれないの?」
猫という生き物は、とても気まぐれである。
そんなダイダイちゃんとの朝を過ごしてから数時間後、ステファンさんが出勤してきた。
「おはようございまーす……あれ?」
「おはようございます。どうかした?」
「いや、ダイダイがイリスさんの肩に乗ってないから」
「あぁ、今朝ちょっと激しめに遊んでたから眠くなったみたい」
遊んだ後ソファの上でなで回していたらいつの間にか眠ってしまっていたのだ。かわいい。
「ダイダイも激しく遊んだりするのか」
「今日は珍しくぴょんぴょん飛んでたよ」
と、私たちは笑い合った。
「さて、今日は昨日ほど暇じゃなければいいけど」
あんまり忙しいと猫たちが可哀想なんだけど、あんまり暇だとそれはそれで問題だし。
「一応姫たちがまだこの周辺に滞在してるらしいから、どうだろう」
「皆見物に行っちゃうかなぁ」
そう呟きながら店の外を見てみれば、やはりいつもほどの賑わいがないような気がした。
やはり皆見物に行っているのだろう。
二日連続臨時休業にするのもな、なんて思っていた午後のこと。
やっと待ちに待ったお客さんがやってきた。
しかも魔法学校帰りの学生たちといつもの男性客夫妻の二組が同時に。
学生さんグループは四人でやってきたので一気に店内の人口密度が増した。
「いらっしゃいませ」
「イリスお姉さんこんにちは!」
「はーいこんにちは」
二組が同時にやってきたので、私とステファンさんが手分けしてオーダーを聞くことになる。
「じゃあステファンさんはあちらをお願い」
「分かった」
ステファンさんにお願いしたのは男性客夫妻のほうだった。
相変わらず女性客には近寄りたくないみたいだから。
学生さんたちは何度も来ているから大丈夫だとは思うのだけれど。
「あっちのお兄さんも注文聞いたりするんだぁ」
オーダーを取り終えたところで、学生さんの一人がぽつりと零した。
「するする。え、初めて見た?」
「はい。だって私たちのとこにはいつもイリスお姉さんが来てくれるし」
そりゃそうだ。だってステファンさんがビビってるし。
「うーん、それがね、ステファンさんってば自分の顔が怖いから女の子を怯えさせるかもしれないって言って女の子にあんまり近付かないようにしてるみたいなのよね」
私がそう言うと、学生さんたちは皆「え~?」と言いながら笑っている。
笑うということは、怖いと思ってすらいないのでは?
「そんなことなくない?」
一人がそう言えば、他の三人も同意したらしくうんうんと頷いている。
ほら、怖がられてないじゃんステファンさん!
「いや、でも、そんなことなくもないけど」
なくもなかった。
「確かになくもない。単品で顔だけ見たら怖いかもだけど……」
単品て。
猫ちゃんとセットだから怖さが中和されてるのか?
「イリスさんに優しそうだから全然怖くないよね」
「分かる。しかもイリスお姉さんの旦那さんだし、奥さんが居る男の人って不用意に近付いてこない分安心だしね」
「優しそうなのと安心感が強いのとで顔が怖いのが相殺されてる感じ!」
猫ちゃんじゃなく私とセットだった。
じゃなくて。
「ちょっと待って、私とステファンさん、夫婦だと思われてたの?」
そう言って首を傾げた私を見て、学生さんたちがしばし無言になる。
「違うの!?」
「え!?」
無言から解き放たれたと思ったら、皆の驚きの声が立て続けに襲ってきた。
「夫婦じゃないし恋人ですらないよ!?」
「えぇ!?」
驚きの声は鳴りやまない。
ステファンさんのほうを見ると、この会話が聞こえていたらしくて彼も驚きに目を瞠っている。
あの顔はきっと目玉が飛び出すほど驚いている顔だ。
「二人で経営してるからてっきり夫婦なんだと思ってました!」
「なるほどね!」
確かに、この近辺にも夫婦でお店を開いている人は多い。
しかしまさか夫婦だと思われていたとは。
ちなみになぜ恋人をすっ飛ばして夫婦だと思われていたのかについては「いちゃいちゃしないから恋人時代はもう通り過ぎたのだろうと思ってた」とのことだった。
いちゃいちゃしないのは恋人ですらなかったからでした。
その後、今まで自分たちを怯えさせないように近付かなかったということが判明したからか学生さんたちは遠慮なくステファンさんにも絡んでいた。
ステファンさんは今までとはまた別の意味で彼女たちにビビっていたとかいないとか。
女子学生の集団はわりとテンションが高いからな。
その日の営業終了後、片付けをしていた私にモニカが近付いてきた。
『イリスさんとステファンさんが夫婦になるのもありだと思います』
なんて言いながら、私の足にすりすりと体をこすりつけている。
「そう?」
『いい人ですから』
「私もまぁ……ふふふ」
『ふふふ!』
私は言葉を濁しながら、モニカを抱き上げて、彼女にもふもふと頬ずりをしたのだった。
そろそろ日も暮れようかという頃、アランがやってきた。
前々から表情の少ない奴だとは思っていたが、今日はより一層無表情でやってきた。
何かあったのだろうか。
私はお姫様とケヴィンと例の女の続報が聞きたいのだが。
「アラン、大丈夫?」
「はい」
「えーっと、すぐ夕飯の準備も整うし、疲れてるだろうから座ってて。今日はオムライスとコーンポタージュだよ」
「はい」
返事しかしねぇな。
どうしたもんかと思っていたら、アランはサリー親子のところへと歩いて行った。
そして無言のまま三匹をわしゃわしゃとなで回し、子猫たちに甘噛みと猫キックを食らっていた。
夕飯を食べ始めてからもしばらく無言だったアランだが、オムライスを半分ほど食べ進めたところで、ふと口を開いた。
「今日、社長に対してキレ散らかしてきました」
「ええ」
普段は感情の起伏を感じないくらいのアランがキレ散らかしたらどうなるのだろう……?
というかアランがキレ散らかすということはきっと何かあったのだろう。まずはそこから聞かなければ。
「人生で一番大きな声が出た気がしました」
「アランって大きい声とか出せるんだ」
「はい」
大きい声を出しているアランなんか見たことなかったから。
「アランさん、なぜ大きな声を……?」
と、ステファンさんが問う。
「あの人が、イリスさんが帰ってきてくれないかなみたいなことを言ったので、ふざけないでください、と」
私もステファンさんも絶句した。
自分で追い出したくせに何を言っているんだあいつは。
「というか、あの、例の女? 連れていかれたのよね? それについては?」
私のことを考える前にあの女について考えるものじゃないのだろうか。
「あぁ、あの人についても一応驚いてはいたみたいですよ。ただ、呆然としているというか、抜け殻になってるみたいでちょっとよく分からなかったんですけど」
まぁ、急に連れていかれたわけだから、抜け殻にもなるか。
「しかし、その女が居なくなったからと言って即座にイリスさんを……その男、本当にふざけているな」
ふとステファンさんが呟いた。
彼もじわっと怒っているらしい。
「まぁあいつがなんと言おうと、私はもうここを閉める気なんてさらさらないから」
だから怒気を引っ込めてほしい。
「それはそうでしょうけど」
引っ込まんか。
「それで? 結局例の女が怯えてたみたいにケヴィンとお姫様とは、何かありそうなの?」
怒気が引っ込まないのなら無理矢理話題を変えるしかないだろう。
まぁただ聞きたいだけとも言うけれども。
「あぁ、まったくそんな気配はありませんでしたけど」
なんだ、面白くないな。
「結構怯えてたみたいなのに?」
「はい。あの女の怯え損だったみたいですね。そもそもケヴィンさんは抜け殻ですし」
まぁ、ケヴィン的には貴族と結婚して後ろ盾を得たうえで自分も貴族として店が経営出来ると思っていただろうし、それが唐突に奪われたのだから抜け殻にもなるだろうよ。
「ルーチェの将来は、あまり明るくないかもしれません」
アランはそうぽつりと零した。
「まぁ、アランに何かあったらうちで働けばいいから心配しないでね」
「……ありがとうございます」
追い出されたとはいえ自分が作った店なので潰れるのは残念だし、続いてほしいとは思うけど。
「例の女は、やはり二度と帰ってこないのですか?」
「そうらしいです。ケヴィンさんがそう言われているのを聞きましたから」
ステファンさんのお母さんみたいに、竜のところに連れていかれたら帰ってこない、というのは今も変わらないらしい。
「例の女に唆されたばっかりに、ケヴィンとやらは貴族という地位も大切なデザイナーも失ったわけですね」
「はい。唆していたあの女が居なくなってやっと正気に戻って、イリスさんが戻ってくることを望んだんでしょう。それで、俺が怒鳴った、という流れです」
ケヴィン、踏んだり蹴ったりだな。
「私は絶対に戻らないけど、頑張ってねアラン」
「……はい」
返事をした声が、ちょっと不服そうだった。
「イリスさんを理不尽に追い出した罰が当たったんだなぁ」
ステファンさんがそう言いながらコーンスープを飲んでいる。
飲んでいるからはっきりとは見えないが、なんとなく口角が上がっている気がした。
「罰が当たったと考えるなら、これだけではぬるいですけどね」
アランの口角は普通に上がっていた。
あのアランがにっこりと笑うなんて、明日は雨が降るかもしれない。
返す言葉が見つからなかった私は明日の天気に思いを馳せることでその場をやり過ごしたのだった。
応援ありがとうございます!
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