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洗脳されかけたステファンさん

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 平日の午前中は、基本的に暇である。

「ダイダイちゃん、にーくきゅう」

 お客さんが来る気配がなかったので、私はソファを目の前にして座り、肩に乗っていたダイダイちゃんをソファに転がした。
 肩から降ろされたダイダイちゃんは最初こそ不服そうな雰囲気を醸し出していたけれど、私にわしゃわしゃとなでられたことで満更でもなさそうに喉をゴロゴロと鳴らし始める。
 お腹をなでたり喉元をなでたり額をなでたり、どこをなでてもかわいい。
 かわいい肉球をぷにぷにしようと人差し指で触れたら、ダイダイちゃんの小さな前足が私の指を掴もうとするように、にぎにぎと動いた。

「にーくきゅう」

 にぎ。

「にーーーくきゅう!」

 にぎ。
 かわいいが過ぎるー!
 もう一度肉球をつつこうとしたら、今度はダイダイちゃんが両方の前足で私の人差し指をきゅっと握りしめるような仕草を見せる。
 それだけで猛烈にかわいいというのに、ダイダイちゃんはそのまま私の人差し指をぺろぺろと舐め始めた。
 そして私の目をじっと見つめながら、ゆっくりとまばたきをしている。

「ダイダイちゃんかわいいの」

「ンー」

「ダイダイちゃん好きー」

「ンーー」

 私もダイダイちゃんの真似をして、ゆっくりとまばたきをする。
 するとダイダイちゃんは「んにゅあー」という謎の鳴き声を零しながらあくびを一つ。
 かわいすぎて胸が苦しい。
 ダイダイちゃんはどこをなでても嫌がらないので遠慮なくもふもふを堪能することが出来る。
 ただ、一度甘えん坊タイムに入るとそれからが長い。
 もふもふしている途中、ふいにステファンさんから声をかけられたのでダイダイちゃんをなでる手を止めて返答をしていると「手が止まってますけど」と抗議でもするかのように私の手を叩く。
 かわいい前足で、てしてしと。
 かわいすぎて胸が苦しい。
 そのてしてし抗議があまりにもかわいいので気付かないふりをしていると、小さな声で鳴きながら猫キックをし始める。
 その行動のかわいさに我慢出来ずに笑ってしまうと、ころりんとお腹を出してかわいいかわいい顔をする。
 もふもふせずにはいられない魅惑の顔だ。

「ダイダイちゃんのぽんぽーん」

 そう言ってダイダイちゃんのお腹をもっふもふにするも、一切嫌がらない。

「にゃーーん」

 嬉しそうにも見えるほどだ。

「にゃんにゃんのぽんぽんってことは、にゃんぽーん」

「んにゃーーー」

「ダイダイちゃんのにゃんぽーん」

「にゃーーーん」

 はぁぁかわいい!
 結局ダイダイちゃんは私がゆっくりまばたきを続けつつ小さめの声で話しかけながらなでなでマッサージをしていたら、寝落ちしてしまった。かわいい。
 手を離しても起きないくらいに眠ってしまったことを確認して顔を上げると、いつのまにかお隣のヴェロニカさんが遊びに来ていたようだ。
 全然気が付かなかったけど、ステファンさんの隣に並んでこっちを見ていた。
 極力音をたてないように立ち上がり、そーっとそーっとヴェロニカさんに近付く。

「いらっしゃいませ」

「ちょっと暇だったから遊びに来ちゃった」

 私の小声に釣られるように、ヴェロニカさんの声も小さくなる。

「何か食べます?」

「ちょっと早いけどお昼ごはん済ませたいし食べまーす、え!」

 小さな声のまま喋っていたヴェロニカさんがソファを見ながら驚きの声を零した。もちろんその驚きの声も小声だ。

「え、え、肩の上のお姫様がソファで寝てる! 珍しい!」

 肩の上のお姫様って、もしかしなくてもダイダイちゃんのことか。

「お姫様?」

「イリスちゃんにべったりだしイリスちゃんは見たことないと思うけど、その子たまにすごく気高いお姫様みたいな顔するのよねぇ」

 そうだったのダイダイちゃん。
 私気高いお姫様のお腹をなでまわしながらにゃんぽーんとか言ってたわ。

「ダイダイちゃんはお姫様だったのかぁ。あ、注文はどうします?」

「日替わりランチとカフェオレをお願いします! 時間は私の休憩が終わるまでか、呼び出されるまでで」

 遊んでないで早く戻ってこいって言われることもあるものね、ヴェロニカさん。
 それでもヴェロニカさんがお昼前に来るのは猫たちのおやつタイムを楽しむためだ。
 午前中はお客さんが少ないので猫たちもあまりおやつをもらっていない。
 なのでお昼前に来れば猫たちがおやつに食いつく勢いがなかなかに強い。
 ヴェロニカさんはその時に起きる猫ハーレム状態が大層お気に入りなのだ。
 かわいいもんなぁ、あれ。

「はーいお待たせしました、カフェオレと、日替わりランチです」

 本日の日替わりランチはショートパスタで作ったミートソースドリアとサラダだ。
 ひき肉とパスタが安かったから。
 冷蔵システムが優秀なので一度に大量のミートソースを作ればしばらく日持ちする。
 しかも結構評判がいいので余ることもないし私の心も傷つかない。
 ミートソース最強説。

「はぁぁおいしい~!」

 ほら、ヴェロニカさんも喜んでくれている。

「ねぇ、ステファンさんって毎日イリスちゃんのお料理食べてるのよね?」

 ヴェロニカさんが私とステファンさんを交互に見ながら「ね? ね?」と言っている。

「えぇ、まぁ、ほぼ毎日」

 ステファンさんが答えると、ヴェロニカさんが大きなため息を零した。

「いいなぁ! 羨ましいわぁ!」

 さっきのため息は感嘆のため息に近かったようだ。

「羨ましいですかね」

 という私の言葉に、ヴェロニカさんが数度頷く。

「羨ましいわ! こんなに美味しいんだもの。可愛いイリスちゃんがいて、美味しいごはんを作ってもらって、猫にも囲まれて……羨ましいわぁ」

 と、ヴェロニカさんに言われて、ステファンさんは軽く狼狽えている。

「た、確かに、俺は贅沢なのかもしれない……」

「贅沢よ贅沢」

 あぁステファンさんがヴェロニカさんの話術によって洗脳されていく……。
 というかその話で洗脳されるってことは、私のこと可愛いと思ってるってことになりかねないけど大丈夫だろうか。
 ごはんは作ってるし猫にも囲まれてるけど、可愛い私ってのは否定しなきゃでしょステファンさん。

「ステファンさん、ちゃんとイリスちゃんにお礼とか言ってる?」

「えっ、言……ってる、と思います一応」

「一応って。じゃあちゃんと感謝の気持ちを表す贈り物とか用意してる?」

「え、贈り、贈り物は」

「用意してないの!? ダメじゃないのそんなんじゃ!」

 なんかヴェロニカさんによるお説教が始まってしまった。
 あのカフェオレ、アルコール入れたっけ? いや入れてない。

「イリスちゃんがいつまでも独り身でそこにいてくれると思ったら大間違いよ?」

「は、はい」

 完全に押し負けたステファンさんがこくこくと頷いていた。頷いた後でちょっと首を傾げてはいたけれど。
 しかし心配しなくても私はまだまだ独り身でここにいるつもりである。

「分かればよろしい。はぁ、美味しかった。ごちそうさまでした、イリスちゃん」

「はーい。じゃあいつものでいいですか?」

 いつもの、とはもちろん猫たちのおやつのこと。
 そして猫たちもヴェロニカさんが「ごちそうさま」というとおやつの時間だと学習しているのでそわそわし始めている。

「……にゃおん、にゃおん」

 おっとこの声はダイダイちゃんだ。
 他の猫たちがそわそわし始めた気配で起きてしまったのだろう。
 あの鳴き方は私を探している鳴き方だ。

「ダイダイちゃん私こっちー」

「にゃおん」

 キッチンからひょっこりと顔を出し、ソファのほうを見ると、やっとダイダイちゃんと目が合った。

「んにゃっ」

 掛け声のような鳴き声を零しながら、勢いよくこちらへと駆け寄ってくる。
 駆け寄ってくるダイダイちゃんを待ち構えるようにしゃがんでいたら、そのままの勢いでぴょーんと肩に飛び乗ってきてくれた。かわいいなーちょっと痛いけどなー。

「じゃあダイダイちゃんも一緒におやつの用意しようね」

「ンー」

 ふんすふんすと私の耳元の匂いを嗅ぎながら、ダイダイちゃんがお返事をする。
 お返事はしっかりしているのだけれど、ダイダイちゃんはあまりおやつをもらいに行かない。
 なぜなら私の肩から降りたくないから。
 口元まで持ってきてくれる人がいれば、その人からは貰っている。
 ……なるほど、それこそが気高いお姫様ということなのだなダイダイちゃん!
 自分から受け取りに行くことはないけど貢物ならいただこう、と。

「ヴェロニカさん、おやつの準備出来ましたよ」

 茹でて裂いたささみを入れたプラスチック風の素材で出来たカップをヴェロニカさんに手渡す。

「わーいありがとう! あ、じゃあこれはお姫様の分ね」

 と、ヴェロニカさんはささみを少しだけ私にくれた。ダイダイちゃんが降りてこないことを心得ているからだ。

「良かったねダイダイちゃん」

「ンー」

 なんて会話をしながら、ダイダイちゃんにささみをあげる。
 するとダイダイちゃんの「はぐはぐ」という咀嚼音が鼓膜にダイレクトアタックをかましてきた。
 かわいくてかわいくて胸が苦しい。寿命が縮む。
 ダイダイちゃんは「はぐはぐ」と噛んで「んぐ」と飲み込むんだな。かわいいな。

「ダイダイちゃんおいしい?」

「ンー」

 私たちがそんなほのぼのおやつタイムを楽しんでいると、少し離れた場所から「いたたた」という声が聞こえてきた。
 ステファンさんの声だ。
 どうしたのだろうと様子を窺えば、どうやらアオとアイがステファンさんに突進していったらしい。
 おやつの奪い合いで興奮した二匹が走り出した結果丁度そこにステファンさんがいたからとりあえず突っ込んだ、といったところだろうか。
 アオとアイは子猫たちの仲でもトップクラスのやんちゃっぷりを誇っているからな。
 カーテン昇降運動だってあの二匹が率先してやっているし。
 ダイダイちゃんは私にべったりだけれど、あの二匹は多分私よりもステファンさんのほうが好きだ。
 ちなみにムラサキとキーロは甘やかしてくれる人なら大体皆好きなので今はヴェロニカさんの側にいる。
 アカとミドリの白子猫コンビは誰よりもアランが好き。
 こうやって見ると、猫それぞれ性格も思考も様々なのだなぁと感心する。
 飼うまでは、猫は皆同じだと思っていたもの。

「ヴェロニカ!」

 おっと、ヴェロニカさんが呼ばれている。

「あああ呼び出しだわ。それじゃあ私は帰りまーす。二人ともお仕事頑張ってね!」

 ヴェロニカさんはとても名残惜しそうに帰っていったのだった。

「さてと、そろそろ学生さんたちがやってくる時間だし甘いものの準備でもしようかな」

「あ、あの、イリスさん」

「んー?」

「いつも、ありがとう」

「ん? あぁ、どういたしまして」

 さっきヴェロニカさんに言われてたやつか。

「贈り物、何がいい?」

「あはは、贈り物なんていりませんよ」

 ヴェロニカさんが何を思ってあんなことを言ったのかは分からないけれど、私は別に従業員から贈り物をもらおうだなんて思っていない。
 いつも通り一緒に働いてくれれば、それでいい。

 そんな会話をした日の閉店後のこと。
 魔女のアイナが訪ねてきてくれた。今日は勇者はいないらしく、一人だけだった。

「イリス、これこれ!」

 そう言ってアイナが出したのは綺麗なペンダントだった。
 先日の鉱馬の額の宝石をペンダントに加工してくれたのだ。仕事が早い。

「綺麗!」

「ほら、私が付けてあげるわ」

 と言ってくれたので、私は遠慮なく付けてもらうことにした。

「どう? 似合う?」

「とっても似合うわ! これでいつでも遊びに来れるわね」

「そうねぇ」

 なんて、二人でひとしきり盛り上がる。
 今日も夕飯を食べていくのかと思ったのだが、勇者を置いてきたので早く戻らなければならないらしい。
 なので残念だが今日はペンダントを受け取るだけだった。

「じゃあまたね!」

 と言って帰っていくアイナを見送って店内に戻ると、なんとなく悲し気なステファンさんと目が合った。

「……魔女からの贈り物は受け取るのか」

「贈り物って言うか元々は私の物で加工を頼んだだけだからね?」

「ふぅん……」

 いやめちゃくちゃ悲しそうじゃん。
 ステファンさんからも何か貰ったほうが良かったのかな……!?




 
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