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猫に弄ばれた私たち

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「え、あの、え? 何? あ、ごめん。ごめん?」

 ついさっきまで渇いた笑いを零していたステファンさんが、なぜか母猫たちに謝っている。
 謝られている母猫たちは無言でステファンさんを見詰めている。
 ……なにやってるんだ?

「え? イリスさん、皆怒ってる?」

「うん? いいや、怒ってはいないみたいだけど」

「怒ってはいないみたい、だけど?」

「……いや、怒ってはいないみたいだよ。っていうか、無言だよ皆」

「む、無言……!」

 そもそもなぜ怒られてると思っているのかが謎だ。皆かわいい顔でステファンさんをじーっと見てるだけなのに。
 まぁ、無言でじーっと見られたらビビるか。ステファンさんのこと完全に目で追ってるもんな、三匹とも。

「いや、俺はその、偶然通りかかっただけで休みの日まで押しかけてきたわけではなくて?」

 ステファンさんの言い訳が始まった。
 休みの日に押しかけてきたとしても誰も怒らないと思うし、どっちかっていうと大半が喜んでいる。子猫たちは遊んでもらう気満々だもの。

「そういえばステファンさん、なんでここにいたの?」

「え、いや、いやいや本当に通りかかっただけで」

 ステファンさんはぶんぶんと首を横に振りながら私と猫たちに向けてそう言っている。何か悪いことでもしたかのように焦っている様がとても面白い。

「……あ、あと、そのさっきイリスさんとくっついていたのは演技であって別になんでもないから」

 今度は弁明を始めた。
 あれは私が勝手にやったことなのでステファンさんは微塵も悪くない。

「ステファンさんがあの場にいてくれて助かったよ。……アイツ全然帰ろうとしないから」

「……あの人は、なぜここに来られたんだろう」

「まぁ、それだけあの店が危ないってことかな?」

「俺だったら申し訳なくてイリスさんに姿を見せるなんて無理だけど」

 ケヴィンもそういう考えでいてほしかった。

「ステファンさんのこと『恋人』って言った時なんだか衝撃を受けたみたいな顔してたし、ちょっとした意趣返しは決まったんだけど」

「うん」

「『彼、私が他の男といるの嫌がるの』っておかしいよね。アイツとの連絡係にアランを使ってるってのに。アランだって男だわ」

「確かに」

 ケヴィンはそれにも気が付かない程度にはショックを受けていた、ということだろう。してやったり。

「ま、これでもうアイツもここに来ることはないでしょ。良かった良かった。あ、ステファンさんお茶飲む?」

「……衝撃を受けた理由が『あの可愛いイリスさんがこんな怖い顔のやつと!?』とかだったらどうしよう」

 怖い顔コンプレックスが強い。

「それはないでしょ。今まで浮いた話なんか一切なかった私に男がいたことに衝撃を受けたんだと思うよ。『あの女が金以外に興味を持った!?』的な」

 今は金以外にもちゃんと興味を持つものがある。猫とか、猫とか。あと猫とか。

「イリスさんに男が出来ないように阻害してた疑惑もあるって話をアランさんに聞いたような?」

「それはただの疑惑だしねぇ」

「あ、お茶いただき……あ、えっと帰ったほうがいい?」

 猫たちにお伺いを立てている。未だに無言でじーっと見られていたらしい。

『どうぞ』

『どうぞどうぞ』

『どうぞどうぞどうぞ』

「え? 今日初めて声を聞いた……!」

「どうぞって言ってるよ」

「ありがとう……!」

 怒られてなくて良かったねステファンさん。
 猫たちの無言の圧力に負けて立ちっぱなしだったステファンさんがそっとソファに荷物を置いた。
 するとアイとアオを筆頭に子猫たちが駆け寄っていく。おもちゃの気配を察知していたらしい。

「遊ぶか」

「んにゃーーーーーー」

「ぽるるにゃーん」

 またぽるぽる言ってる。
 じゃあステファンさんが子猫たちと遊んでくれてる間にお茶とお菓子と、猫たちのおやつも準備しよう。
 なんて考えているうちに、室内はあっという間に大運動会状態となったのだった。

 子猫たちが心行くまで遊んだかな、というタイミングでお茶の準備を整える。

「ステファンさんお茶ー。あと皆もおやつー」

 猫たちのお皿を定位置に並べると、皆一目散にやってきた。待ちに待ったおやつタイムだもんな。

「ふぅ……」

「新しいおもちゃ、皆気に入ってくれた?」

 お茶を片手にそう尋ねると、ステファンさんは苦笑を零す。

「やっぱり一番人気は紙袋だった」

「やっぱりかー」

 おもちゃでも遊んでくれるのだが、やっぱり袋と箱の人気は高い。

「ん? これ美味しい」

「ふわふわスコーンだよ。ハチミツかけるともっと美味しいよ」

「本当だ!」

 気に入ってくれたようで何より。
 スコーンを美味しそうに頬張るステファンさんを見ながら、ふと考える。
 今日、あの時あの場にステファンさんがいなければ、私はどうしていただろうかと。
 今日だけじゃない。ここに来たばかりの時もだ。ステファンさんがいなかったら私はどうなっていただろう。
 猫たちはいたけど、猫カフェは開かなかったかもしれない。
 ずっと一人ぼっちで、何をするかも思いつかずにただここで猫を眺めて過ごしていたかもしれない。
 ステファンさんがいなければ、私はもしかしたらルーチェに戻ろうとしたかもしれない。一人ぼっちで、やることがないくらいならまた雑貨のデザインをしていたほうがマシかも、なんて思って。
 しかし冷静に考えれば、今あの店に私が戻ったとしても、腫れもの扱いになるかもしれない。
 私が出て行ってから売り上げも悪化してるわけだし、私のせいだと思っている人もいるだろう。
 ケヴィンは助けてほしいって言ってたけど、実際あの店にはもう私の居場所なんてないんだろうな。

「イリスさん? ぼーっとしてるみたいだけど、どうかした?」

「ううん。ステファンさんがいてくれて良かったなって思ってた」

「ん? あ、さっき? いやぁ、うん偶然通りかかって良かった」

 やたら偶然を強調するけれども。

「さっきだけじゃないよ。ここに来た当初から。ステファンさんがいなかったら、私は寂しさでケヴィンに頼まれるまま出戻ってたかもしれない」

「えぇ」

「ステファンさんに出会ってカフェを開いたからこそこの地で知り合いも出来たわけだし」

「いや、でも皆もいるし」

 ステファンさんは猫たちへと視線を向ける。

「もちろん皆いるよ。でもステファンさんがいなかったらきっとカフェは開いてないし猫たちと一緒に引きこもってるだけだったんじゃないかな」

「な、なるほど」

「ありがとう、ステファンさん」

「こちらこそ……? え、え? また!?」

 また母猫たちがステファンさんを無言で見つめ続けている。あれは一体何を訴えているんだろう。
 無言なもんだから私にも全く分からない。

「俺もあの時イリスさんと出会えてよかったと思ってるし、あの時からずっとイリスさんの支援が出来て嬉しいと思ってる。それだけだよ。皆から皆のイリスさんを奪ったりしないから」

『奪うくらいの気概があってもいいのでは?』

 ボニーが言う。

『恋人のふりじゃなく恋人になってくださいって言ってしまえばいいのでは?』

 サリーが続く。
 あ、そういう意味での無言の圧力だったのね。

「いやいやいや」

 私が口を挟むと、三匹は小首を傾げながらこちらを向いた。なんとなく不満そうな顔をしてやがる。

『押しが弱い』

 モニカがステファンさんのほうを見て言い切った。

「お、俺、なんて言われてる?」

「ん? いや」

 なんと通訳するべきか、そう思っていたところでモニカが立ち上がった。

『子猫たちだけじゃなく私たちも遊びたいです』

 と言いながら。

「え?」

『二人とも食べ終えたのならソファへ行きましょう』

 ボニーも立ち上がった。

「いやまぁいいけど。あのステファンさん、母猫たちも遊びたいって」

「え? いいけど」

 ステファンさんの言葉を待つことなく三匹はすたすたとソファへ向かって歩いていく。

『イリスさんもですよ』

「あ、はい」

 私たちは猫たちの先導に従いソファへと腰を下ろす。

「ん? なんだなんだ? ちょ、え?」

「なに?」

 私の右手側に座ったステファンさんが何か言っていたので何気なく視線を向ければ、ステファンさんの太ももをぐいぐいと押すモニカの姿が見えた。
 どうやらステファンさんと私を密着させたいらしい。

『もう少しですモニカ』

 ボニーが私たちの正面に立って密着度を測っている。

『私もお手伝いします』

 サリーもステファンさんを押すことにしたらしい。

「いやいやいやそんなに詰めて座る必要はないっていうかあんまりくっつくと、ほら、遊べないっていうか」

『ごちゃごちゃうるさいですね』

 ボニーがそう言い放った。ステファンさんに聞こえてなくて良かった。

「ンー」

「ん? どうしたのダイダイちゃん」

 ダイダイちゃんが何か呟いたと思ったら、すとんと私の肩の上から膝の上に降りてきた。

『密着しましたね』

 というボニーの声がしたところで、ダイダイが私の太ももとステファンさんの太ももの境目に腰を下ろした。

「ダイダイ様、え、なんで!?」

『お利口ですね、ダイダイ』

「ンー」

 ダイダイは私の太ももに座り、ステファンさんの太ももに寄り掛かったところで落ち着いた。
 そしてしばらく見ているとうとうとし始めた。寝る気だ。

「なんで!?」

「寝るときは肩じゃなく膝で寝るから、いつもの行動ではあるんだけど」

「ダイダイ様、それ半分俺の太ももだけどいいの!? イリスさんじゃないよ!?」

「寝たね」

「……ということは、俺が離れたら」

「ダイダイが転がり落ちる」

「それは困る……あぁアイ、アオ、ダイダイ様が寝ちゃったから遊べな……お前たちも俺の膝の上で!?」

「寝る準備が始まったね」

 目いっぱい遊んでもらってお腹いっぱいおやつを食べた子猫たちはお昼寝の時間なのだ。

『子どもたちが寝るのなら遊べませんね。私たちもお昼寝をしましょう』

 ボニーはそう言ってステファンさんの向こう側で毛づくろいを始めたし、サリーとモニカは私の隣で猫団子を作る気でいる。

「あれ? 遊ぶのでは?」

「子猫たちが膝の上で寝るなら遊べないねって言ってる」

「え、いや、まぁそうだけど……え、じゃあ俺はイリスさんに密着させられただけ?」

「そういうことになるね。……嫌?」

「嫌!? いやいやそんなわけ、むしろありがた……いや、その、イリスさんこそ嫌では……」

「密着ごときが嫌だったら咄嗟にだったとしても恋人のふりなんかしてもらわないけどね」

「……え」

「さーーーてと、しばらく動けそうもないし、新メニュー会議でもしようか」

「え、あ、はい」

 私はさっとポケットからメモ帳とペンを取り出した。

「店外で売るクッキーの種類を増やしたいのよね」

「はいはい」

「最近また人も増えたもんね」

「うん。あ、さっきのふわふわスコーンは? あれ、すごく美味しかった」

「いいね。じゃあ第一候補はスコーン、と」

 それからしばらく食べ物の話が続いた。
 良かった、ポケットにメモ帳とペンを入れておいて。
 だって、これがなかったら、流れで告白していたかもしれないもの。




 
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