上 下
41 / 41

雷に驚いた私たち

しおりを挟む
「結婚した?」

 開店と同時にやってきたヴェロニカさんが呟いた。
 
「なぜ」

 私の呟きに、ヴェロニカさんがここにいる私と外にいるステファンさんを交互に見る。ヴェロニカさんの瞳に移るのは、お揃いのパーカーもどきを着た私たち。

「それはもう付き合い始めたを通り越して結婚してるでしょ」

「してないですね」

「さすがに付き合い始めてはいるよね?」

「ないですね」

「なんで!!」

 そう言ったヴェロニカさんはちょっと怒っていた。私にも分からないので怒られてもどうしようもないのです。

「……それはそれとしてこれ可愛いね。居心地良さそうでいいねぇ」

 私に怒っていたと思ったら唐突にダイダイちゃんに話しかけ始めるヴェロニカさんの切り替えの早さたるや。

「前々からさっさと付き合っちゃえばいいのにと思ってたけどこれはもうさっさと結婚しろよって思っちゃうよねぇ」

 ダイダイちゃんに話しかけてると思ったけど、なんとなく……いや完全に目が私に向いている……!

「その辺は私一人じゃどうしようもないですしねぇ」

「……まぁそうだけど。しかし……着てくれたんだね」

 呆れたようなため息を小さく零したヴェロニカさんの視線が私から窓の外へと移る。そこにはもちろん私とお揃いのパーカーもどきを着てクッキーやスコーンを売っているステファンさんがいる。
 ちなみにステファンさんのポケットには確かサリーが入っている。

「嫌がってましたけど」

「嫌がってたんだ。っていうかあの尻尾」

「この顔で!? って言われましたね。尻尾も可愛いでしょ。あれ私が動かしてるんですよ、こっそり」

 そう、ステファンさんは魔法が苦手なので動かせなかったけれど、私は動かせる。ステファンさんの尻尾の先につけた風の魔石ビーズにほんの少しの魔力を込めればいいだけだから。
 そして窓の外で動く尻尾を、子猫たちが窓の内側から追いかけまわしている。とてもかわいい。

「なんでこっそり」

「怒られるかなと思って。やめて! って言われそう」

「確かに」

 私もヴェロニカさんもステファンさんの尻尾とじゃれまわる子猫たちを見ながらくすくすと笑っていた。

 忙しいランチタイムが終わったころ、外では雨が降り始めていた。
 午前中から雲行きは怪しかったから、降るだろうなとは思っていたけれど、思いのほか雨脚が強い。

「結構降ってるね」

 母猫たちが窓の外を眺めていたので、私も窓のほうへと近付く。
 ちなみにこの雨だからか現在お客さんは一人もいない。

『しばらく降り続きそうですねぇ』

 と、ボニーが呟く。

「他の地域は、もっと降っているって話だけど」

 窓辺で立ち尽くしながらぼんやりと雨を眺めていたところ、背後にステファンさんがやってきた。
 彼もまた立ち尽くしたまま空を見上げている。

「新聞にも書いてあったね。洪水とか土砂崩れとか……この時期ってこんなに降るもんだっけ?」

「ここまで降ることは滅多にないはずだけど。勇者御一行も足止めを食らってるらしいし」

「予定外だったんだろうね。心配だ」

 酷いところには王宮所属の魔術師が出動してるとかで人的被害はないそうだけど、自然災害は怖い。
 しかも今回は勇者御一行様方が足止めを食らっているという話も一緒に出ているから、これは自然災害ではなく魔物や魔族の仕業だという噂まで出回っている。

「天候をどうこう出来る魔物っているの?」

「俺の知っている限りでは……ほぼいないはずだけど」

「ほぼ?」

「竜なら、出来るかもしれない。竜は魔物とは少し違うけど」

「へぇ」

「でもこの国にいるのは火竜だし、水竜がいる国がわざわざ竜を使って攻撃を仕掛けてくるなんてことはないと思うし」

 こういう話をしていると、この人は本当にこの国の英雄として働いていた人なんだなぁと改めて思う。
 そしてそんなすごい人にふざけたパーカーもどきを着せて尻尾で猫を遊ばせているなんて、私は大罪人なんじゃなかろうかとも思う。やめないけど。かわいいから。
 そんなことを考えていた時だった。
 西の空が一際明るく光った。そしてしばらくすると轟音が鳴り響く。雷だ。

「わぁ!」

「うわ!」

 あまりに大きな音だったから、ここにいた全員が驚いた。私もステファンさんも猫たちも皆。
 一番ビビったのはアオとアイで、二匹とも音と同時にびょーんと飛び上がった。そして一目散にステファンさんのところに走ってきて、足をよじ登り、お腹のポケットに潜り込んだ。忍者のような動きだった。
 アオとアイは遊んでもらうのも頼るのもステファンさんなんだなぁ。

「これは……まだ酷くなりそうだな」

 ステファンさんはポケットをぽんぽんと優しく叩きながら呟く。視線は相変わらず窓の外で固定されていた。

「ステファンさん、早いけどもう帰る?」

「え?」

「土砂降りの中帰るのは大変でしょ」

「まぁ大変ではあるけど」

 これ、とステファンさんが指したのはポケット。触ってみて、というのでそっと触ると、二匹はぷるぷると震えていた。雷がよほど怖かったのだろう。

『私も、少し怖いです』

 ぽつりと零したのはサリーだった。
 私のポケットに入る? なんて冗談っぽく言おうとサリーを見ると、母猫たち三匹ともがとても真剣な顔で空を見上げていたので私は何も言えなくなる。
 神の使いにだけ分かる何かがあるのだろうか?

「大丈夫よ、皆一緒だもん」

 立ち尽くすばかりだった私は、その場にしゃがんで母猫たちの頭をなでる。
 大丈夫大丈夫、皆一緒だから怖くないよ。

「とりあえず、今日の営業は終了しよう。私、外片付けてくる」

「え、俺が」

「今ステファンさんが外に行ったらその二匹が可哀想だよ」

 と、私はポケットを指しながら言った。
 アオとアイをステファンさんから引き離すのは可哀想だしポケットに入れたまま外に出るのは危険だ。
 幸いダイダイちゃんは下りるのが嫌なだけで雷を怖がっている素振りは見せていない。だから私が急いで片付けたほうがいい。

「ちょっと待っててねダイダイちゃん」

「にゃーん」

 不服そうな鳴き声である。
 しかし私は心を鬼にしてダイダイちゃんをソファに降ろし、パーカーを脱ぐ。

「よし、ちょっと片付けてくる!」

「気を付けて」

 ステファンさんの声を背中に受けながら、私は店の外に出る。
 中からは分からなかったけれど、風も強い。看板を片付けつつ、飛びそうな物も引っ込めておこう。
 飛びそうな物と飛んで来そうな物を確認するために建物の周りをぐるっと一回りして、私はまた店内に戻ってくる。

「うわぁお」

 シャワーでも浴びたんかってくらいびっっっしょびしょになったわ。

「イリスさん大丈……夫じゃない!」

「大丈夫大丈夫びしょびしょなだけで」

 ドアの開閉音を聞いたステファンさんが飛び出してくるなりギョッとしていた。そりゃそうだたった数分でこんなにもびしょびしょになっていたらビックリもするだろう。

「と、とととととりあえず布、何か布」

「キッチンのところにタオルがあるから取ってもらってもいい?」

「はい!」

 完全にあわあわしてしまっているステファンさんが、ばたばたとキッチンに入っていく。
 これはもう着替えたほうが早いな。

「どうぞ」

「ありがと」

 私はさっと顔を拭いた後、他を諦めて足元を拭き始める。足だけ拭いて脱衣所に駆け込むために。

「ちょっと着替えてくるね」

「は、はい!」

 挙動不審王再び状態である。
 そんなこんなで二階に上がり、適当な服に着替えて一階に戻ってきた。
 母猫たちは相変わらず窓の外を眺めていて、ステファンさんはそんな母猫たちの隣に佇んでいる。こっちを見ようともせずに。
 ドアの開閉音で駆け寄ってきた男が私の足音に気が付かないわけがないのだけれど。

「いやぁ、外すごかったよ。嵐だったわ」

 キッチンのタオルではどうしようもなかったので、バスタオルで頭を拭きながらそう声をかけると、ステファンさんが何かをぶつぶつと言っているのが聞こえてくる。

「やっぱり俺が行くべきだった……情けない……」

 懺悔かな。

「私が行くって言っただから気にしないでね」

 そう言ってステファンさんの顔を覗き込めば、彼は驚いたように目を丸くする。

「そんなに薄着で大丈夫!?」

「大丈夫だよ。風呂上りは大体いつもこんな感じだし」

「……ふっ……!」

「あとこれまた着るし。ダイダイちゃん待ってたもんねぇ」

「にゃーーーんん」

 相変わらずちょっと不満そうなダイダイちゃんの声を聞きながら、私はさっき脱いだパーカーもどきにもう一度袖を通す。ダイダイちゃんを抱き上げれば、察したダイダイちゃんがいつもの定位置に戻ってくる。かわいい。

「ダイダイちゃん濡れないように気を付けてね」

「ンー」

 気を付けるのはダイダイちゃんじゃなく私だけども。

「いやぁ、この雨尋常じゃないよ、やっぱり」

「う、うん」

 今身をもって体験したけれど、魔物のせいだと噂になっても納得がいくレベルの降りかただった。
 これ以上降り出したとして、この後は暗くなっていくわけだから、やっぱりステファンさんは今のうちに帰ったほうが安全かもしれない。
 子猫たちは私が引き受けて帰らせよう。店長として従業員を守らなければ。

「ねぇステファンさ」

 そう声をかけようとした瞬間、また空が光った。今度は光とほぼ同じくして轟音が鳴り響く。

「にゃおん」

「にゃあん」

 ステファンさんのポケットの中から大きな鳴き声がする。怖がっている時の鳴き声だ。
 これは……どうしたもんかな。ステファンさんも従業員だが猫たちも従業員だからな。猫たちの精神状態を守るためにはステファンさんを帰らせるわけにはいかない……。

「よしよし、大丈夫だ」

 思案する私の横で、ステファンさんはそう言いながらポケットをぽんぽんしている。
 ステファンさんがカンガルーのお母さんに見えてきた。本人には言わないけど。やめて! って言われそうだし。
 
「眩しっ」

 光ってから音がするまでの時間がどんどん短くなる。
 雷雲が近付いてきてるってことなんだろうけど、こうなったらますますステファンさんを今帰すのは危険な気がする。
 もういっそのことここに泊めてしまうか。そうすればステファンさんの身の危険もないし猫たちも安心出来るはず。
 危険があるとすれば私の貞操の危険か? でもステファンさんだしな……この人手を出してくる勇気とかなさそうだな……。
 と、確実に失礼なことを考えていると、地響きと共にドォォンという轟音どころの騒ぎではない音がなった。

「落ちたな」

「落ちたね」

 多分ものすごく近くに落ちた。雷が。

「どうしようステファンさん」

「えーっと……」

 ステファンさんも迷っているらしい。
 窓の外をじっと見て、明らかに困った顔をしている。帰りますとも泊まりますとも言えないだろうから。
 そんな時だった。

「イリスさーん!」

 裏口のほうから私を呼ぶ声がする。この声はアランだ。
 こんな雨の中!? と、ステファンさんと顔を見合わせながらも出迎えに行く。

「こんな雨の中よく来たね!?」

 私はキッチンに置いている新しいタオルを投げ渡しながら言う。アランがびっっっしょびしょだったから。

「すみません」

「大きいタオル持ってくるからそこで待ってて」

「本当にすみません」

 申し訳なさそうなアランの声を聞きながら二階に駆け上がり、タオルを手に取る。
 アランが来たってことは、アランも強制的にここに泊めればいいのでは? 二人となるとステファンさんも気を遣うかもしれないけど、アランがいればなんとか……。

「っていうかどうしてこんな土砂降りの中来ちゃったの? お腹空いたの? 猫吸いたいの?」

 タオルを手渡しながらアランに声をかけると、アランはばさばさと頭を拭きながらぼそぼそと喋り出す。

「お腹が空いているのも確かだし猫目当てに来たのも確かなんですが、ここだけなんですよ、土砂降りなの」

 アランの言葉に、私もステファンさんも目を丸くした。
 どうやらこんなに降っているのはこの辺だけらしい。ルーチェ周辺もアランの家のあたりも、土砂降りどころか雨も降っていなかったんだとか。

「どういうこと?」

 勇者たちのところと私たちのところだけで雨が降ってる……ってこと?
 この世界でゲリラ豪雨なんか、聞いたことないんだけど?




 
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。


処理中です...