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第6話 挑戦
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少し話しが遡るが、典子と結婚した当時僕は27歳でノースウエスト航空会社の運行部のクルースケジュール・スペシャリスタ・セクションというタイトルのいわば乗務員課に勤めていた。
仕事の内容は航空機の乗務員であるパイロットやキャビン アテンダント(客室乗務員)のフライト スケジュールを作ったり、彼らの乗務前後の面倒を見ることであった。
例えば仕事を終えた乗務員に飛行機から降り立った後ホテルに行くためのリムジーン タクシーを手配することや、出発便に予定通りの乗務員全員が揃うように手配をすることであった。
たまには酩酊しているパイロットを乗務させず他の便のパイロットと交代させたりと重要な責任も負っていた。
パイロットの酔っ払い事件は今日では大いに世間の注目を浴びるマスコミの社会問題であるが、当時はわりと寛容で酒気帯びぐらいではつーかーの見逃しであった。酩酊がひどいのでやむなく乗務を拒絶すると、ややもすれば乗務を降ろされたパイロットに逆に会社が訴えられて、米国の法廷に会社側の証人として我われが出廷することもあった。
航空会社の運行部は事務職では給与が最高のレベルであるが、特別な技術が身につくわけでもないので必ずしも将来性のある職業とも思えなかった。
そこで僕は結婚直後に航空会社では一番グレイドの高いライン・メインテナンスへ移ろうと決心した。上司の運行部長に移籍の希望を告げると、僕が去ることを残念な事だと言いながらも早速ライン・メインテナンスに連絡してくれた。
だけどそこには見習いで始められるシステムはなく、過去に飛行機整備の経験がなければならないという条件があることを告げられた。
僕はくいさがって、
「それでは、大学の夜間の工学部ででも二年間勉強し直してくれば採ってもらえるか?」
と願ったのに対し、運行部長とメインテナンス部長との間でしばらくやりとりがなされた後に、
「君はこの数年間ノースウエストで真面目に一生懸命がんばって来た、勤務評価も良い。私の推薦でメインテナンスのパンコウ部長がその条件で了承してくれた」
と妥協案が成立した。
夜間の工学部がどこの大学にあるか調べる前に、羽田空港の近くの伸洲に都立工業短大があることに気がついた。
前身は高専のなかでもトップレベルであった伸洲高等専門学校が工業短期大学に昇格していた。
時期よく入学試験が間近に迫っていたので再度の受験勉強に挑み、入試のハードルは結構高かったが運良く合格した。
勤務時間帯は直接の上司、小川課長に相談して、夜9時から朝7時までのナイトシフトを木金土日の4日連続勤務にしてもらうように頼んだ。
同僚の皆んながナイトシフトを嫌い、午前のデイシフトか午後のスイングシフトを希望するので、それは難なく受諾された。
他のシフトが8時間勤務であるのに対しナイトシフトは10時間であるので一週間分の労働時間四十時間を四晩でこなした。
これで全日制の工学部の授業についていけることになった。
学校での午前中の授業はもっぱら居眠りであったが、どうにか二年間を無事に過ごし卒業することができた。
途中、紆余曲折もあった。
当時盛んな大学紛争が短大にも飛び火して、僕がかって代々木派の拠点で
あった東京教育大(現筑波大)出身ということで大学との団体交渉に生徒会委員として引っ張り出され、教授蓮と団交して教授陣に睨まれた事もあった。
卒業を待って、念願が叶ってラインメカニックとなった。これもひとえに結婚したての妻、典子嬢の協力のたまものでもあった。
少年のようにはつらつとした希望で胸を焦がし、新たな仕事に猛烈に挑んだ。
その傍ら整備マニュアルを習得することに励む毎日であった。
三年経ったらFAA(アメリカ連邦航空局)のエアクラフト メカニック ライセンス(一等航空機整備士ライセンス)の受験資格を得るので、その時のために準備していた。
またも挑戦目標ができて身の引き締まるのを覚えたが、いつも何かに挑戦していなければ気が休まらない、この貧乏根性に自分自身いい加減疲れを感じるときもあった。
現状に満足しこのまま少しノンビリと行こうかと思う反面、それでは他人に遅れをとる、みんなに取り残されてしまうという強迫観念にも取りつかれていた。
しかもそれが新妻を幸せにする最良の方策だと信じ込み、疑問を感じなかった。
どこまで行っても、マイペースの自分だけしか存在しなかった。
ノースウエスト航空会社でのメカニック修行が二年を過ぎた頃、整備技術もまあまあ覚えて、マニュアルの学習も効をなし仕事への充足感が深まった。
はやくFAAライセンスの試験を受けたいな、と望んでいた僕に一計が浮かんだ。
ノースウエスト航空とパンアメリカン航空のハンガー(航空機駐機場)は羽田空港の北の一角に隣どうしに建っていた。
共にメインテナンス・セクションのオフイスと整備士の控え室はその大きなハンガー
内にあって、整備士どうしも顔見知りであった。
エンジン交換などの特殊な大型作業の場合、それに必要な工具が手持ちに無い時など、互いに貸し借りをする仲でもあった。
しかしほとんどの場合ノースウエストからパンアメリカンに借りに行くのが常
だった。
たまには日本航空へも借りに行ったものだったが、彼らの工具はつねに新品でピカいちのものばかりであった。
そこへ行くと我われノースウエストの持ってる工具は全て長年使いふるしたもので、リクエストしても会社は新しいものを買ってくれなかった。
それほどノースウエストは徹底したケチな会社経営をしていて、後年凄まじい発展を遂げたのである。
パンアメリカンは当時、世界一の航空会社を任じ、社員報酬、更生施設、オフイス備品、全てにおいて ”ベター ザン アザーズ(他のどこよりも良い)” と誇っていた。
しかしこの数年後にはパンアメリカン航空は破綻し、後年、日本航空も破綻した。
ノースウエスト航空もその後調子に乗って急な拡大戦略をとり、結果は土俵を去った。企業の運命もまた未来永劫なくして栄枯盛衰である。
仕事の合間をぬって兼ねての計画を実行しようと隣のパンアメリカン航空のハンガーに飛び込み、メインテナンスのオフイスで執務中のオヘイゲン部長を訪ねた.ベテラン整備士あがりの氏は職人気質を持ち合わせている反面、何ごとにもこだわらない大仰な性格で社員に人気があった。
ドアをノックして部屋へ入った僕に巨漢を揺らしながら握手の右手を差し伸べて、
「わがノースウエストの友人、何の御用かね」
「ミスター オーヘイゲン、訳あってあなたにお願いに来ました」
「聞こうじゃないか」
「実はパンナム(パンアメリカン)へ移りたいのです。ノースウエストで二年ほど働いていますが、FAAのメカニック ライセンスの試験を受けるのにあと一年待たなければなりません。もうマニュアルを暗記しているぐらいに勉強して受かる自信があるのです。そこでもしあなたが僕に三年の経験があると認めてFAAに推薦してくれれば、給料は初任給でスタートしても結構ですから採ってくれませんか」
「要は時間を節約したいのだな。早くライセンスを取って、高給でどっかのエアラインに転職したいのだろう?」
「いいえ、違います。パンナムでライセンスを取得しても他社に転職はしません。約束します」
彼は僕が差し出した履歴書を見ながら、
「フーム、この大学工学部での二年間の勉強を経験とオレが見なせば問題ない。良し、それで手を打とう。ノースウエスト側に何も問題がなければ君を採用だ」
両社の給与レベルはパンナムの方がまだ少し上であったが、初任給で再スタートすれば一万円も目減りする。
しかし、そんなことは僕にとってどうでもいいことだった。とにかく早く目的を達成することだけが僕の望みであった。
パンナムに移籍した数日後、仲のよいノースウエストの先輩同僚の榎田から電話がかかってきて、週末の休日に釣りに行こうというので、茅ヶ崎の彼のアパートに泊まりがけで行くことにした。
以前にも幾度か訪問したことがあるが、彼は新妻との二人暮らしである。
ワイフは彼が休暇の台湾旅行で知り合ったいう純情で気さくな台湾人女性であった。
彼のおおらかな性格にぴったりの相性の良いカップルであった。
彼女が作ってくれた台湾小料理を肴に釣り後の酒宴をビールでやっていると、榎田が怪伬そうに質問した。
「早田君、何でまた落ち目のパンナムなんかに移ったんや? ノースの仲間に誰か気にくわない奴でもいたのかい?」
「いや、そういう事ではなく、少し事情があったんだよ。FAAのライセンスを早くとりたいと思ってね、オヘイゲンに相談したら工学部機械課での勉強を経験に見なしてくれるというので、手をうったんだ。給料はだいぶ下がっちゃたけどね」
「ノースウエストでそれを頼めばよかったのに」
「パンコー部長に頼んでみたがダメだった」
「あいつは仕事はよく知ってるが、融通の利かない神経質な男だからな。それでライセンスを早く取って、どこかの航空会社に高級で移籍しようとでも思ってんの?」
「いや、仕事がまだ全然わからぬオレにはそれは無理だ。十年早いよ」
「俺ももう七年目になるがそろそろマニュアルの勉強してライセンスを取れたら、台湾へでも行ってノンビリ暮らそうかと思って、ワイフに提案したら 『イヤ、私は日本が好き、ここに住みたい』 と言うんだよね」
「ライセンスを取ってすぐ辞めた鎌田は、フラタイ(フライングタイガー社)でいい給料もらっているみたいだね?」
「そう、みんな今東京に入ってくる外航(外国航空会社)のメインテナンス マネイジャーを狙ってライセンスの勉強をしているよ」
「それがゆういつ我々の出世街道だからね」
このあと彼の奥さんも加わり、一通りの釣り談義などをして団欒はおひらきとなった。
一等航空機整備士ライセンスなるものは、普通、十年ほどの経験を積んだ飛行機のことなら何でも知ってるという整備の達人が取得するもので僕なんぞはまさによくあるライセンス マニアのたぐいであった。
しかしながら、まあいずれ取るべきものは早く取っておいて、仕事の方は後でゆっくり覚えればいいなどという本末転倒な思考方法が決して僕の人生を大成させることはなかった。
パンナムに入社して二ヶ月経ったころ準備万端となったのでライセンス試験に臨んだ。
虎ノ門のアメリカ領事館で朝から8時間三日間におよぶ試験は膨大な量でパイロットのテストと同じようなものだ。
仕事の責任性を考えればそれも当然であった。
たまたまよく勉強していた項目が出題され、僕は運良く一発で合格した。
オヘイゲン部長に報告に行くと、すでに領事から知らされていた彼は満面に笑みを浮かべ、おおように僕を抱擁して、
「スゴイお前、世界で最短の合格者だ!将来のパンナムのメインテナンスを背負っていってくれ」
と祝福、激励してくれた。
「ハイ、仕事はまだよく出来ないけど頑張ってまいります。ご協力ありがとうございました」
と謝意を述べた。
その日はウチへ帰り、大願成就の喜びと妻の協力の賜物だと彼女への感謝を告げた後、「これでハワイでもロスでも、ヨーロッパだって行って住めるぞ」
と、意気軒昂の気概で発言したら、
「私は日本から出たくはありません。あなたが行きたければ、お一人でどうぞ」
と、全く素っ気ない。
確かに彼女をアメリカやヨーロッパに連れて行っても、あまり感動することはなかった。
世の中には外国に関心のない人も結構いるものである。
思えばその頃から意見の食い違いが起きていたのだ。
それでも僕はこのライセンス取得の最大の動機は技術を身に付け外国へ移住することだった。
いずれ夫の僕がそれを実行する時には彼女も喜んでついて来ると、まるで一世紀前の固定概念をもって安易に考えていた。
結婚生活を送りながら、再度の大学への受験勉強、学校での授業、ライセンス取得のためのマニュアル学習、と毎年勉強に明け暮れてきた日々は少なからず僕の日常生活に乱調をきたし、思考回路にも変調をもたらしていたのだろう。
現在の生活の基盤をないがしろにして、ひたすら外国逃避への道を突き進むような僕は彼女にとって夫を超越した変人奇人の部類だったかもしれない。
妻の気変わりに気が付かぬということはすでに精神状態が安泰でない証左で、二年にも及ぶ昼夜逆さまの日常生活が思考回路に多分ショートを起こさせていたのだろう。
鈍感な僕に自覚はなかったが、さらに積み重ねて夫婦関係をこじらせるような行動を僕が取っていたに違いない。
しかもまた、ライセンス取得が成功した後、暇を持てあますようになった僕は、彼女の実家の一階にある空き店舗を借り受けて、当時関西ではやっていた絨毯スナックをぼくの発案で始めたのだ。
経済的に何も必要ないのに全く僕の気まぐれからであった。
関西の友人のところに遊びに行って、初めて目にした物珍しさに魅了されたのである。
妻の実家が経営するアパートの二階に夫婦して住み込み、一階の貸し店舗を改装して、営業を始めるのに数ヶ月かかった。
やっと出来上がり開店した絨毯スナックをしぶしぶ同意した彼女と従業員に任せ
て、僕は勤務に大半の時間を取られ店を手伝うことがあまり出来なかった。
店は赤門の近くだったので東大生に人気を博しそこそこに繁盛したが、彼女は水商売がこなせるタイプではなかった。
そういうところに離婚劇が降って湧いたのである。
仕事の内容は航空機の乗務員であるパイロットやキャビン アテンダント(客室乗務員)のフライト スケジュールを作ったり、彼らの乗務前後の面倒を見ることであった。
例えば仕事を終えた乗務員に飛行機から降り立った後ホテルに行くためのリムジーン タクシーを手配することや、出発便に予定通りの乗務員全員が揃うように手配をすることであった。
たまには酩酊しているパイロットを乗務させず他の便のパイロットと交代させたりと重要な責任も負っていた。
パイロットの酔っ払い事件は今日では大いに世間の注目を浴びるマスコミの社会問題であるが、当時はわりと寛容で酒気帯びぐらいではつーかーの見逃しであった。酩酊がひどいのでやむなく乗務を拒絶すると、ややもすれば乗務を降ろされたパイロットに逆に会社が訴えられて、米国の法廷に会社側の証人として我われが出廷することもあった。
航空会社の運行部は事務職では給与が最高のレベルであるが、特別な技術が身につくわけでもないので必ずしも将来性のある職業とも思えなかった。
そこで僕は結婚直後に航空会社では一番グレイドの高いライン・メインテナンスへ移ろうと決心した。上司の運行部長に移籍の希望を告げると、僕が去ることを残念な事だと言いながらも早速ライン・メインテナンスに連絡してくれた。
だけどそこには見習いで始められるシステムはなく、過去に飛行機整備の経験がなければならないという条件があることを告げられた。
僕はくいさがって、
「それでは、大学の夜間の工学部ででも二年間勉強し直してくれば採ってもらえるか?」
と願ったのに対し、運行部長とメインテナンス部長との間でしばらくやりとりがなされた後に、
「君はこの数年間ノースウエストで真面目に一生懸命がんばって来た、勤務評価も良い。私の推薦でメインテナンスのパンコウ部長がその条件で了承してくれた」
と妥協案が成立した。
夜間の工学部がどこの大学にあるか調べる前に、羽田空港の近くの伸洲に都立工業短大があることに気がついた。
前身は高専のなかでもトップレベルであった伸洲高等専門学校が工業短期大学に昇格していた。
時期よく入学試験が間近に迫っていたので再度の受験勉強に挑み、入試のハードルは結構高かったが運良く合格した。
勤務時間帯は直接の上司、小川課長に相談して、夜9時から朝7時までのナイトシフトを木金土日の4日連続勤務にしてもらうように頼んだ。
同僚の皆んながナイトシフトを嫌い、午前のデイシフトか午後のスイングシフトを希望するので、それは難なく受諾された。
他のシフトが8時間勤務であるのに対しナイトシフトは10時間であるので一週間分の労働時間四十時間を四晩でこなした。
これで全日制の工学部の授業についていけることになった。
学校での午前中の授業はもっぱら居眠りであったが、どうにか二年間を無事に過ごし卒業することができた。
途中、紆余曲折もあった。
当時盛んな大学紛争が短大にも飛び火して、僕がかって代々木派の拠点で
あった東京教育大(現筑波大)出身ということで大学との団体交渉に生徒会委員として引っ張り出され、教授蓮と団交して教授陣に睨まれた事もあった。
卒業を待って、念願が叶ってラインメカニックとなった。これもひとえに結婚したての妻、典子嬢の協力のたまものでもあった。
少年のようにはつらつとした希望で胸を焦がし、新たな仕事に猛烈に挑んだ。
その傍ら整備マニュアルを習得することに励む毎日であった。
三年経ったらFAA(アメリカ連邦航空局)のエアクラフト メカニック ライセンス(一等航空機整備士ライセンス)の受験資格を得るので、その時のために準備していた。
またも挑戦目標ができて身の引き締まるのを覚えたが、いつも何かに挑戦していなければ気が休まらない、この貧乏根性に自分自身いい加減疲れを感じるときもあった。
現状に満足しこのまま少しノンビリと行こうかと思う反面、それでは他人に遅れをとる、みんなに取り残されてしまうという強迫観念にも取りつかれていた。
しかもそれが新妻を幸せにする最良の方策だと信じ込み、疑問を感じなかった。
どこまで行っても、マイペースの自分だけしか存在しなかった。
ノースウエスト航空会社でのメカニック修行が二年を過ぎた頃、整備技術もまあまあ覚えて、マニュアルの学習も効をなし仕事への充足感が深まった。
はやくFAAライセンスの試験を受けたいな、と望んでいた僕に一計が浮かんだ。
ノースウエスト航空とパンアメリカン航空のハンガー(航空機駐機場)は羽田空港の北の一角に隣どうしに建っていた。
共にメインテナンス・セクションのオフイスと整備士の控え室はその大きなハンガー
内にあって、整備士どうしも顔見知りであった。
エンジン交換などの特殊な大型作業の場合、それに必要な工具が手持ちに無い時など、互いに貸し借りをする仲でもあった。
しかしほとんどの場合ノースウエストからパンアメリカンに借りに行くのが常
だった。
たまには日本航空へも借りに行ったものだったが、彼らの工具はつねに新品でピカいちのものばかりであった。
そこへ行くと我われノースウエストの持ってる工具は全て長年使いふるしたもので、リクエストしても会社は新しいものを買ってくれなかった。
それほどノースウエストは徹底したケチな会社経営をしていて、後年凄まじい発展を遂げたのである。
パンアメリカンは当時、世界一の航空会社を任じ、社員報酬、更生施設、オフイス備品、全てにおいて ”ベター ザン アザーズ(他のどこよりも良い)” と誇っていた。
しかしこの数年後にはパンアメリカン航空は破綻し、後年、日本航空も破綻した。
ノースウエスト航空もその後調子に乗って急な拡大戦略をとり、結果は土俵を去った。企業の運命もまた未来永劫なくして栄枯盛衰である。
仕事の合間をぬって兼ねての計画を実行しようと隣のパンアメリカン航空のハンガーに飛び込み、メインテナンスのオフイスで執務中のオヘイゲン部長を訪ねた.ベテラン整備士あがりの氏は職人気質を持ち合わせている反面、何ごとにもこだわらない大仰な性格で社員に人気があった。
ドアをノックして部屋へ入った僕に巨漢を揺らしながら握手の右手を差し伸べて、
「わがノースウエストの友人、何の御用かね」
「ミスター オーヘイゲン、訳あってあなたにお願いに来ました」
「聞こうじゃないか」
「実はパンナム(パンアメリカン)へ移りたいのです。ノースウエストで二年ほど働いていますが、FAAのメカニック ライセンスの試験を受けるのにあと一年待たなければなりません。もうマニュアルを暗記しているぐらいに勉強して受かる自信があるのです。そこでもしあなたが僕に三年の経験があると認めてFAAに推薦してくれれば、給料は初任給でスタートしても結構ですから採ってくれませんか」
「要は時間を節約したいのだな。早くライセンスを取って、高給でどっかのエアラインに転職したいのだろう?」
「いいえ、違います。パンナムでライセンスを取得しても他社に転職はしません。約束します」
彼は僕が差し出した履歴書を見ながら、
「フーム、この大学工学部での二年間の勉強を経験とオレが見なせば問題ない。良し、それで手を打とう。ノースウエスト側に何も問題がなければ君を採用だ」
両社の給与レベルはパンナムの方がまだ少し上であったが、初任給で再スタートすれば一万円も目減りする。
しかし、そんなことは僕にとってどうでもいいことだった。とにかく早く目的を達成することだけが僕の望みであった。
パンナムに移籍した数日後、仲のよいノースウエストの先輩同僚の榎田から電話がかかってきて、週末の休日に釣りに行こうというので、茅ヶ崎の彼のアパートに泊まりがけで行くことにした。
以前にも幾度か訪問したことがあるが、彼は新妻との二人暮らしである。
ワイフは彼が休暇の台湾旅行で知り合ったいう純情で気さくな台湾人女性であった。
彼のおおらかな性格にぴったりの相性の良いカップルであった。
彼女が作ってくれた台湾小料理を肴に釣り後の酒宴をビールでやっていると、榎田が怪伬そうに質問した。
「早田君、何でまた落ち目のパンナムなんかに移ったんや? ノースの仲間に誰か気にくわない奴でもいたのかい?」
「いや、そういう事ではなく、少し事情があったんだよ。FAAのライセンスを早くとりたいと思ってね、オヘイゲンに相談したら工学部機械課での勉強を経験に見なしてくれるというので、手をうったんだ。給料はだいぶ下がっちゃたけどね」
「ノースウエストでそれを頼めばよかったのに」
「パンコー部長に頼んでみたがダメだった」
「あいつは仕事はよく知ってるが、融通の利かない神経質な男だからな。それでライセンスを早く取って、どこかの航空会社に高級で移籍しようとでも思ってんの?」
「いや、仕事がまだ全然わからぬオレにはそれは無理だ。十年早いよ」
「俺ももう七年目になるがそろそろマニュアルの勉強してライセンスを取れたら、台湾へでも行ってノンビリ暮らそうかと思って、ワイフに提案したら 『イヤ、私は日本が好き、ここに住みたい』 と言うんだよね」
「ライセンスを取ってすぐ辞めた鎌田は、フラタイ(フライングタイガー社)でいい給料もらっているみたいだね?」
「そう、みんな今東京に入ってくる外航(外国航空会社)のメインテナンス マネイジャーを狙ってライセンスの勉強をしているよ」
「それがゆういつ我々の出世街道だからね」
このあと彼の奥さんも加わり、一通りの釣り談義などをして団欒はおひらきとなった。
一等航空機整備士ライセンスなるものは、普通、十年ほどの経験を積んだ飛行機のことなら何でも知ってるという整備の達人が取得するもので僕なんぞはまさによくあるライセンス マニアのたぐいであった。
しかしながら、まあいずれ取るべきものは早く取っておいて、仕事の方は後でゆっくり覚えればいいなどという本末転倒な思考方法が決して僕の人生を大成させることはなかった。
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虎ノ門のアメリカ領事館で朝から8時間三日間におよぶ試験は膨大な量でパイロットのテストと同じようなものだ。
仕事の責任性を考えればそれも当然であった。
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オヘイゲン部長に報告に行くと、すでに領事から知らされていた彼は満面に笑みを浮かべ、おおように僕を抱擁して、
「スゴイお前、世界で最短の合格者だ!将来のパンナムのメインテナンスを背負っていってくれ」
と祝福、激励してくれた。
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と謝意を述べた。
その日はウチへ帰り、大願成就の喜びと妻の協力の賜物だと彼女への感謝を告げた後、「これでハワイでもロスでも、ヨーロッパだって行って住めるぞ」
と、意気軒昂の気概で発言したら、
「私は日本から出たくはありません。あなたが行きたければ、お一人でどうぞ」
と、全く素っ気ない。
確かに彼女をアメリカやヨーロッパに連れて行っても、あまり感動することはなかった。
世の中には外国に関心のない人も結構いるものである。
思えばその頃から意見の食い違いが起きていたのだ。
それでも僕はこのライセンス取得の最大の動機は技術を身に付け外国へ移住することだった。
いずれ夫の僕がそれを実行する時には彼女も喜んでついて来ると、まるで一世紀前の固定概念をもって安易に考えていた。
結婚生活を送りながら、再度の大学への受験勉強、学校での授業、ライセンス取得のためのマニュアル学習、と毎年勉強に明け暮れてきた日々は少なからず僕の日常生活に乱調をきたし、思考回路にも変調をもたらしていたのだろう。
現在の生活の基盤をないがしろにして、ひたすら外国逃避への道を突き進むような僕は彼女にとって夫を超越した変人奇人の部類だったかもしれない。
妻の気変わりに気が付かぬということはすでに精神状態が安泰でない証左で、二年にも及ぶ昼夜逆さまの日常生活が思考回路に多分ショートを起こさせていたのだろう。
鈍感な僕に自覚はなかったが、さらに積み重ねて夫婦関係をこじらせるような行動を僕が取っていたに違いない。
しかもまた、ライセンス取得が成功した後、暇を持てあますようになった僕は、彼女の実家の一階にある空き店舗を借り受けて、当時関西ではやっていた絨毯スナックをぼくの発案で始めたのだ。
経済的に何も必要ないのに全く僕の気まぐれからであった。
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妻の実家が経営するアパートの二階に夫婦して住み込み、一階の貸し店舗を改装して、営業を始めるのに数ヶ月かかった。
やっと出来上がり開店した絨毯スナックをしぶしぶ同意した彼女と従業員に任せ
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