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子供の行方(全17話)
3.それぞれの思惑
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鶴松が準備ができたと戻ってきたのは、すっかり日が暮れたころ。
移動するよう言われて、鶴松についていくと、入ってきた裏口から外へと出る。
そこから右に折れ、屋敷の東側に面して流れる水路の岸から船着き場へと降りると、一艘の猪牙舟(川舟)が舫われていた。
乗っているのは、櫓の前に腰を掛け、くたびれた様子の船頭一人。
不思議そうに舟を見ていると鶴松は優しい声色で舟に乗るよう促す。
「あそこは商売の場所だからね。子供たちには退屈だろう? だから遊びまわれる広いお屋敷を用意してあるのさ。そこは、ちょっと遠いからあの舟で行こう」
何気なく哲太の後ろに回り、手を背に回し、もう一方の手で舟を差す。
哲太からすれば、優しく促されているように思えるだろう。
だが、後ろから見れば、退路を塞いだ大人の狡さしか見えてこない。
「うん」
哲太は、鶴松の意向を理解していたのか、していなかったのか。
それはわからない。
哲太が猪牙舟に乗せられると、番頭は舫いを解き乗り込む。
船頭が手に持った竿を川底に差し込むと、彼らの乗った舟はスイっと江戸の街に張り巡らされた水路を進みだした。
暗い水の道を猪牙舟がスルスルと進む。舳先の行燈の光を頼りに、ゆっくりと。
船足がゆっくりな分、舟の揺れが少なく、心なしか哲太の強張りが取れてきた。
そう、ゆっくりと。音も立てずに。
いくらか進むと船頭は竿から櫓に切り替えた。それを機に番頭は懐から手拭いを出し、哲太に渡す。
いきなり渡された手拭いをまじまじ見ていると鶴松に目隠しをするよう促されたのだった。
「驚いたかい? でも必要な事なんだ。もし屋敷の場所を知られてしまうと親が押し寄せて連れ戻されてしまうからね。自分から帰る気になるまで親から守ってるんだよ。店主は家出してきた子供たちの意思を尊重したいとお考えだからね。秘密が漏れないように、みんなにも協力してもらってるんだ」
そう言われてしまえば、子供の哲太に拒否する言葉は出てこない。そもそも船に乗せられた状況では拒否することも出来ないであろうが。
言われた通り手拭いで目隠しをすると、何度となく舟が傾き、右に左にあちこちの水路に入りながら進んでいく。
傍から見れば、もっと近道があるのが分かるくらいに、あっちへ行きこっちへ行き。
きっと哲太には今どの方角に向かっているのかわからなくなっている事だろう。
少し経つと急に舟が揺れ始め、哲太は落ちてしまわないよう踏ん張り、手探りに船縁を探した。
ようやく見つけた船縁を爪を立てるほどに力一杯掴む。
視覚を奪われている状況で、いきなり船が揺れ始めれば、このような対応になるのは仕方のないことである。
船の揺れが落ち着き、先ほどのような穏やかな船旅が戻ってきた。
そのうち櫓を漕ぐ音すら消える。船頭は細やかなコントロールができる竿に切り替えたのだ。
それから、さらに丁寧に進み、細い水路を抜けると猪牙舟は岸に横付けされた。
随分と手の込んだ船旅はこれで終わりのようだ。
そこからは番頭に手を引かれながら石段を登り、子供の足で数十歩。
目隠しを取るように言われ、すぐに外す。
ついに辿り着いた。
そう、ここが哲太が待ち望んでいた楽園だ。
目隠しを取ると思わず周りを見渡してしまう。そこには、暗がりに慣れた目には眩いばかりに光を放つ別邸が見えた。
最初に訪れた屋敷は、表通りの商店も兼ねていたので、大きな店と蔵が立ち並び、使用人用の長屋や荷捌きの広場など、広いには広いが風情があるとは言えない。実用一辺倒の造りだった。
しかし、ここは御大尽様の隠居が余生を過ごすためと思えるほどに贅を凝らした造り。
庭は広く取られていて、池があり、季節によって色づきが変わる木々が植えられている。母屋はというと、平屋でゆったりとした造り。正面から見ただけでも、最初の屋敷よりも大きい事が分かる。
御大尽様というのはこういう家を持つのだろうという心証そのままの光景である。
それを見た哲太は、そこに目を奪われた様子はなく周囲を隈《くま》なく観察している。
普通、ここに来たがる子供であれば、はしゃぐか、駆け寄るかどちらかだろう。
哲太はそういう態度を取らなかった。それは年齢的に大人に近いからという訳ではなさそうだ。
そして、その様子を冷静に見ている鶴松。
どちらも腹に一物を抱えた男たちのように思える。
屋敷の中には、夜だというのに楽しそうにはしゃぐ子供の声が沢山聞こえる。
江戸時代の照明は油を使う行灯や蝋燭である。どちらも金がかかる。
庶民は、その費用を惜しみ暗くなれば早めに寝る。大人も子供も。
だからこそ、夜になっても煌々と明かりが漏れ子供の声が聞こえる、この別邸は異常と言っていいだろう。
ここを目指してきた家出少年たちは、この光景を見て落ち着いていれようか。
だというのに、何を思い悩んでいるのか哲太はその場に立ち尽くし足を踏み出さない。
やはり哲太は純粋に家出をした以外に目的を持っているように思えた。
移動するよう言われて、鶴松についていくと、入ってきた裏口から外へと出る。
そこから右に折れ、屋敷の東側に面して流れる水路の岸から船着き場へと降りると、一艘の猪牙舟(川舟)が舫われていた。
乗っているのは、櫓の前に腰を掛け、くたびれた様子の船頭一人。
不思議そうに舟を見ていると鶴松は優しい声色で舟に乗るよう促す。
「あそこは商売の場所だからね。子供たちには退屈だろう? だから遊びまわれる広いお屋敷を用意してあるのさ。そこは、ちょっと遠いからあの舟で行こう」
何気なく哲太の後ろに回り、手を背に回し、もう一方の手で舟を差す。
哲太からすれば、優しく促されているように思えるだろう。
だが、後ろから見れば、退路を塞いだ大人の狡さしか見えてこない。
「うん」
哲太は、鶴松の意向を理解していたのか、していなかったのか。
それはわからない。
哲太が猪牙舟に乗せられると、番頭は舫いを解き乗り込む。
船頭が手に持った竿を川底に差し込むと、彼らの乗った舟はスイっと江戸の街に張り巡らされた水路を進みだした。
暗い水の道を猪牙舟がスルスルと進む。舳先の行燈の光を頼りに、ゆっくりと。
船足がゆっくりな分、舟の揺れが少なく、心なしか哲太の強張りが取れてきた。
そう、ゆっくりと。音も立てずに。
いくらか進むと船頭は竿から櫓に切り替えた。それを機に番頭は懐から手拭いを出し、哲太に渡す。
いきなり渡された手拭いをまじまじ見ていると鶴松に目隠しをするよう促されたのだった。
「驚いたかい? でも必要な事なんだ。もし屋敷の場所を知られてしまうと親が押し寄せて連れ戻されてしまうからね。自分から帰る気になるまで親から守ってるんだよ。店主は家出してきた子供たちの意思を尊重したいとお考えだからね。秘密が漏れないように、みんなにも協力してもらってるんだ」
そう言われてしまえば、子供の哲太に拒否する言葉は出てこない。そもそも船に乗せられた状況では拒否することも出来ないであろうが。
言われた通り手拭いで目隠しをすると、何度となく舟が傾き、右に左にあちこちの水路に入りながら進んでいく。
傍から見れば、もっと近道があるのが分かるくらいに、あっちへ行きこっちへ行き。
きっと哲太には今どの方角に向かっているのかわからなくなっている事だろう。
少し経つと急に舟が揺れ始め、哲太は落ちてしまわないよう踏ん張り、手探りに船縁を探した。
ようやく見つけた船縁を爪を立てるほどに力一杯掴む。
視覚を奪われている状況で、いきなり船が揺れ始めれば、このような対応になるのは仕方のないことである。
船の揺れが落ち着き、先ほどのような穏やかな船旅が戻ってきた。
そのうち櫓を漕ぐ音すら消える。船頭は細やかなコントロールができる竿に切り替えたのだ。
それから、さらに丁寧に進み、細い水路を抜けると猪牙舟は岸に横付けされた。
随分と手の込んだ船旅はこれで終わりのようだ。
そこからは番頭に手を引かれながら石段を登り、子供の足で数十歩。
目隠しを取るように言われ、すぐに外す。
ついに辿り着いた。
そう、ここが哲太が待ち望んでいた楽園だ。
目隠しを取ると思わず周りを見渡してしまう。そこには、暗がりに慣れた目には眩いばかりに光を放つ別邸が見えた。
最初に訪れた屋敷は、表通りの商店も兼ねていたので、大きな店と蔵が立ち並び、使用人用の長屋や荷捌きの広場など、広いには広いが風情があるとは言えない。実用一辺倒の造りだった。
しかし、ここは御大尽様の隠居が余生を過ごすためと思えるほどに贅を凝らした造り。
庭は広く取られていて、池があり、季節によって色づきが変わる木々が植えられている。母屋はというと、平屋でゆったりとした造り。正面から見ただけでも、最初の屋敷よりも大きい事が分かる。
御大尽様というのはこういう家を持つのだろうという心証そのままの光景である。
それを見た哲太は、そこに目を奪われた様子はなく周囲を隈《くま》なく観察している。
普通、ここに来たがる子供であれば、はしゃぐか、駆け寄るかどちらかだろう。
哲太はそういう態度を取らなかった。それは年齢的に大人に近いからという訳ではなさそうだ。
そして、その様子を冷静に見ている鶴松。
どちらも腹に一物を抱えた男たちのように思える。
屋敷の中には、夜だというのに楽しそうにはしゃぐ子供の声が沢山聞こえる。
江戸時代の照明は油を使う行灯や蝋燭である。どちらも金がかかる。
庶民は、その費用を惜しみ暗くなれば早めに寝る。大人も子供も。
だからこそ、夜になっても煌々と明かりが漏れ子供の声が聞こえる、この別邸は異常と言っていいだろう。
ここを目指してきた家出少年たちは、この光景を見て落ち着いていれようか。
だというのに、何を思い悩んでいるのか哲太はその場に立ち尽くし足を踏み出さない。
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