18 / 51
子供の行方(全17話)
4.哲太、風呂に入る
しおりを挟む
哲太の逡巡は、案内してきた番頭にも感じられたようだ。
しかし、それを表に出すほど人生経験が少ないわけではない。ましてや若くして大店の番頭になったほどの男だ。
こんなところで子供に考えを悟られるような下手は打たない。
会った時から一貫して変わらない猫なで声で中へ入るよう促す。
「さあ、入った入った。ここは家出した少年少女たちの楽園さ。飯も菓子もあるぞ。布団はふかふか。風呂だってある。希望があれば手習いや算術も教えてやるからな」
無言で従う哲太。
その足取りは喜びに満ち溢れている訳でもなく、戸惑いを感じさせた。
自分に入り込む異物を拒否するかのように。
中に入ってみれば、そこは確かに楽園のような場所だった。
清潔な衣服。一人一組の分厚い布団。風呂には湯まで張っているそうだ。
さらには食っても食っても食いきれないほどの飯。頬が落ちてしまいそうに甘い菓子。それらが誰に構うことなく好きなだけ食えた。
浮浪児として生きてきた哲太にとって、想像をはるかに超える贅沢な暮らし。
それを何の見返りもなしに逗留させてくれるのだ。
「とりあえず湯にでも入っておいで。そんな恰好じゃ皆に嫌われちまうからね。風呂から出たら好きに過ごせばいいさ。おもちゃも沢山あるよ」
連れていかれた湯殿には、長屋の一部屋よりも広い空間に大人が三人も入れそうな湯舟が鎮座している。
よくある蒸し風呂ではなくて、しっかり湯に浸かれる豪華な風呂。城持ち大名の屋敷でも、これほどの湯殿を備えている所はないだろう。
哲太は生まれて此の方、風呂に入った事なんぞ無かった。浮浪児には、川で汗を流したりするのが関の山だ。
浮浪児が町の銭湯に行こうものなら、店主どころか利用客から摘み出される事だろう。
哲太は湯殿の入り口で裸になると手桶を手に取った。
その手桶に湯を掬うと湯殿の端っこにしゃがみ込むと掛け湯をする。
埃だらけで、くすんだ髪から茶色い湯がザバザバと流れ落ちる。張られた湯が幾分減ってしまうくらいまで掛け湯をすると、やっと透明の湯になった。
他にも似たような子が来たのだろう。手桶があった側には、しっかり汚れを落とせるヘチマのスポンジと米ぬかの入った巾着がある。
哲太はヘチマを取るとゴシゴシと身体を擦る。肌の色が変わるほど、ボロボロ垢が落ちていき、ヘチマの繊維の隙間を埋めていく。
次第に垢が出なくなってやめたのだが、それは垢が落ちきったのか、ヘチマがスポンジの用を成さなくなったからなのかわからない。
哲太は、それで満足したようだ。最後に二、三度掛け湯をして、湯船に浸かった。
うぅぅ。と声にならない声を出す。念入りに擦った肌には湯の熱さが染みるのだろう。
「まさかこんなところで生まれて初めての風呂に入るなんて。人生わかんねえもんだな」
風呂は哲太の緊張も解きほぐした様で独り言が多くなる。
「本当におみよはここに居続けるてんのか? こんな屋敷、俺なんて尻がむず痒くて堪んねえぜ。あんな贅沢なもん食ったら腹壊して死んじまうよ」
ませているとは言え、まだ子供。大いなる冒険の果てに辿り着いたこの場所。やっと一息つけると風呂に浸かれば油断もしよう。
「何とかしておみよを見つけ出さねえとな。さてさて、どうしたもんか」
それに彼は知らなかったのだ。風呂というのは湯を冷まさないよう、すぐ外に火の番がいる事を。
そして隠しておくべき思惑は既に相手に伝わってしまったという事を。
すっかり風呂の魅力に憑りつかれ、のぼせる程に浸かっていた湯船から出ると、リラックスした様子で脱衣所に戻る。
そこには、着てきた襤褸はなく、綺麗な袷と帯が置いてあった。
綺麗すぎる着物に戸惑いながらも着付ける哲太。
廊下に出てみれば、鶴松が待っており、案内を再開する。
「この先は、娯楽室だ。中にあるおもちゃは好きに使っていいし、茶を飲みながら駄弁っていても良い。中では孤立しないように、うちの店の使用人もいるから、何かあったら声をかけるんだよ」
こう締めくくった鶴松は、自分の役目は終わりとばかりに足早に去っていく。
説明では何でも自由にしていいと言っていたが、哲太が聞きこんできた噂では、少し違っていた。
噂では、使用人からも良く声をかけられて、色々と質問をされるそうだ。
どうして家出をしたのか、歳はいくつか、親は何の仕事をしているのか、兄弟は居るのか。話が上手で、ついつい身の上話してしまうんだと言っていた。
基本的にはいつまでも居て良いそうだが、大抵は数日逗留すると、使用人から一度帰るように促される。
その時には親にも連絡がされていて、逗留中に聞いた事情を説明してくれてたりと、帰ってからも問題が起きないように配慮までしてくれる。
一応、ここの存在は秘密と約束させられるが、このような夢のような話を黙っていられる訳もない。
そうして子供同士の噂話として、この楽園の事が、まことしやかに伝わっていくのだった。
しかし、それを表に出すほど人生経験が少ないわけではない。ましてや若くして大店の番頭になったほどの男だ。
こんなところで子供に考えを悟られるような下手は打たない。
会った時から一貫して変わらない猫なで声で中へ入るよう促す。
「さあ、入った入った。ここは家出した少年少女たちの楽園さ。飯も菓子もあるぞ。布団はふかふか。風呂だってある。希望があれば手習いや算術も教えてやるからな」
無言で従う哲太。
その足取りは喜びに満ち溢れている訳でもなく、戸惑いを感じさせた。
自分に入り込む異物を拒否するかのように。
中に入ってみれば、そこは確かに楽園のような場所だった。
清潔な衣服。一人一組の分厚い布団。風呂には湯まで張っているそうだ。
さらには食っても食っても食いきれないほどの飯。頬が落ちてしまいそうに甘い菓子。それらが誰に構うことなく好きなだけ食えた。
浮浪児として生きてきた哲太にとって、想像をはるかに超える贅沢な暮らし。
それを何の見返りもなしに逗留させてくれるのだ。
「とりあえず湯にでも入っておいで。そんな恰好じゃ皆に嫌われちまうからね。風呂から出たら好きに過ごせばいいさ。おもちゃも沢山あるよ」
連れていかれた湯殿には、長屋の一部屋よりも広い空間に大人が三人も入れそうな湯舟が鎮座している。
よくある蒸し風呂ではなくて、しっかり湯に浸かれる豪華な風呂。城持ち大名の屋敷でも、これほどの湯殿を備えている所はないだろう。
哲太は生まれて此の方、風呂に入った事なんぞ無かった。浮浪児には、川で汗を流したりするのが関の山だ。
浮浪児が町の銭湯に行こうものなら、店主どころか利用客から摘み出される事だろう。
哲太は湯殿の入り口で裸になると手桶を手に取った。
その手桶に湯を掬うと湯殿の端っこにしゃがみ込むと掛け湯をする。
埃だらけで、くすんだ髪から茶色い湯がザバザバと流れ落ちる。張られた湯が幾分減ってしまうくらいまで掛け湯をすると、やっと透明の湯になった。
他にも似たような子が来たのだろう。手桶があった側には、しっかり汚れを落とせるヘチマのスポンジと米ぬかの入った巾着がある。
哲太はヘチマを取るとゴシゴシと身体を擦る。肌の色が変わるほど、ボロボロ垢が落ちていき、ヘチマの繊維の隙間を埋めていく。
次第に垢が出なくなってやめたのだが、それは垢が落ちきったのか、ヘチマがスポンジの用を成さなくなったからなのかわからない。
哲太は、それで満足したようだ。最後に二、三度掛け湯をして、湯船に浸かった。
うぅぅ。と声にならない声を出す。念入りに擦った肌には湯の熱さが染みるのだろう。
「まさかこんなところで生まれて初めての風呂に入るなんて。人生わかんねえもんだな」
風呂は哲太の緊張も解きほぐした様で独り言が多くなる。
「本当におみよはここに居続けるてんのか? こんな屋敷、俺なんて尻がむず痒くて堪んねえぜ。あんな贅沢なもん食ったら腹壊して死んじまうよ」
ませているとは言え、まだ子供。大いなる冒険の果てに辿り着いたこの場所。やっと一息つけると風呂に浸かれば油断もしよう。
「何とかしておみよを見つけ出さねえとな。さてさて、どうしたもんか」
それに彼は知らなかったのだ。風呂というのは湯を冷まさないよう、すぐ外に火の番がいる事を。
そして隠しておくべき思惑は既に相手に伝わってしまったという事を。
すっかり風呂の魅力に憑りつかれ、のぼせる程に浸かっていた湯船から出ると、リラックスした様子で脱衣所に戻る。
そこには、着てきた襤褸はなく、綺麗な袷と帯が置いてあった。
綺麗すぎる着物に戸惑いながらも着付ける哲太。
廊下に出てみれば、鶴松が待っており、案内を再開する。
「この先は、娯楽室だ。中にあるおもちゃは好きに使っていいし、茶を飲みながら駄弁っていても良い。中では孤立しないように、うちの店の使用人もいるから、何かあったら声をかけるんだよ」
こう締めくくった鶴松は、自分の役目は終わりとばかりに足早に去っていく。
説明では何でも自由にしていいと言っていたが、哲太が聞きこんできた噂では、少し違っていた。
噂では、使用人からも良く声をかけられて、色々と質問をされるそうだ。
どうして家出をしたのか、歳はいくつか、親は何の仕事をしているのか、兄弟は居るのか。話が上手で、ついつい身の上話してしまうんだと言っていた。
基本的にはいつまでも居て良いそうだが、大抵は数日逗留すると、使用人から一度帰るように促される。
その時には親にも連絡がされていて、逗留中に聞いた事情を説明してくれてたりと、帰ってからも問題が起きないように配慮までしてくれる。
一応、ここの存在は秘密と約束させられるが、このような夢のような話を黙っていられる訳もない。
そうして子供同士の噂話として、この楽園の事が、まことしやかに伝わっていくのだった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
義姉妹百合恋愛
沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。
「再婚するから」
そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。
次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。
それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。
※他サイトにも掲載しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる