御庭番のくノ一ちゃん ~華のお江戸で花より団子~

裏耕記

文字の大きさ
35 / 51
不動の荷車(全14話)

1.暗部

しおりを挟む
 江戸城の人気の少ない奥まった一部屋。
 江戸城で働く役人は、役務に追われ忙しい日々を過ごす。

 そんな中で割り振られた仕事もなく、時間の使い道に困った二人がいる。
 間部詮房まなべあきふさ新井白石あらいはくせきである。

 この二人は、先代将軍の徳川家継の側近として権勢を振るっていたのだが、代替わりして吉宗の時代になった事で冷遇されていた。

 元々、将軍の権威を笠に着て、やりたい放題したのもあり、誰も擁護してくれる者はいない。
 その結果、窓際に追いやられ、仕事も与えられず飼い殺しとなっている。

 人間というものは暇を持て余すと碌な事を考えない。
 今回も、まさにその典型的な人間が一人いた。

 手持ちの扇子をパチン、パチンとひっきりなしに開け閉めしている男と達観したように座る初老の男。

 イライラとした様子を隠さない男とは対照的にもう一人は落ち着き払っていて、このような場所に呼ばれたことが迷惑そうだ。

「白石翁、貴殿は今の状況をどう思われるか?」
「面白い状況ではないが、実証実験は済んだしの。そのうち、こちらから辞めてやるわい」

 奥まった場所にある、その部屋は陽の光が差し込まず、蝋燭の灯りのみ。
 燃える蝋燭は、薄暗い部屋の淀んだ空気を、さらに息苦しくする。

「そんな! 分家の吉宗に追いやられてもよろしいのですか!」
「儂はそもそも学者であるからな。自説の検証は家継様の御世で十分できた。さほど今の席に興味はないわ」

 この二人、立場は似ているが、生い立ちに違いがある。

 新井白石あらいはくせきは、父親が藩士だった身分を捨て、浪人身分となった。幼少の頃より書に興味を持ち、次第に儒学や朱子学を修めた。

 その見識の高さは有名であり、彼を招こうと考える藩は多く、引く手数多であった。

 そのうち当時、甲府藩主だった六代将軍の家宣が噂を聞きつけ、新井を甲府藩へと招いたのだった。

 彼は、自立した著名な朱子学者であった。
 つまり数多ある勧誘先の一つが徳川家だったというだけに過ぎない。

 対して間部詮房まなべあきふさは、新井と同じく当時、甲府藩主であった家宣に小姓こしょう(藩主の近臣)として雇われた。

 彼は、猿楽師という異色の経歴ながらも才覚を見込まれ出世、家宣の子である七代将軍の家継の将来を託された秘蔵っ子である。

 二人の生い立ちの違いから、先の将軍家継への忠誠心の差となり、分家筋から将軍職を継いだ徳川吉宗への嫌悪感の差にもなっていた。

「……お辞めになってどうされるのです?」
「儂は執筆活動でもするかな。家継様の御世で儂の学説を実験できたしの。あとは、その経験をまとめて大作を書いてやる。直に世間をあっと言わせてやるわ」

「そのような事……いつでも! いつでもできるではありませんか!」
「いずれ書き上げる政治書が世に広まれば、吉宗の鼻も明かせるだろうて。さすれば、儂の名も上がるし一石二鳥だわい」

 自分の言葉に感化されたのか激高し手にしていた扇子を畳に叩きつけた。
 ベキっと嫌な音がする。扇子の先が折れてしまっている。

 しかし、新井も間部はそれを気にする様子もなく、言葉を続ける。
 二人の態度からすると日頃から間部にはそう言う癖があるのかもしれない。

「悠長な! まだ将軍就任から間もない今が好機なのですぞ!」
「好機とな? 一体何を企んでおるのか」

 暖簾に腕押し。間部の檄を新井は受け流してしまう。

「今こそ吉宗を引きずり下ろすのです!」
「そのような事をせずとも、失政があれば勝手に引きずり落されるのが政治の世界よ」

 もう話は終わりだとばかりに席を立ち部屋から出て行った新井白石。
 部屋には間部詮房まなべあきふさのみ。
 取り残された彼は折れて手元に残った扇子を畳へ投げつける。

 それでも気が治らぬのか、新井白石が座していた場所に向かって恨み言を続ける。

「白石翁はそれでよいかもしれんが、このままでは引き下がるものか。巷には月光院様との不義などどいう根も葉もない噂を流されている。先の将軍で大恩ある家宣様の御子である家継様が私の子だと?!」

「噂をする方もする方だが、そのような噂を流すなど恥知らずにも程がある。私を貶めるだけならまだしも、家継様や家宣様を貶めるとは」

「このまま引き下がるものか。吉宗、許すまじ。お前が手段を問わぬというのなら、私も手段を問わぬ。せいぜい己の迂闊さを嘆くがいい」


 ※


「あの塗りつぶした一行。気になるぜ」
「どうしたんですかい? 旦那」

 そろそろ中秋の名月を意識しだす文月の終わり。
 まだまだ暑い江戸の街をスタスタと速足で歩く二人組。

 年嵩の男の方は片手を顎に当てながら、顔を顰めて歩いている。

「人身売買の件さ。番頭の手控帳に塗りつぶした一行があっただろ? わざわざ塗りつぶしたって事は隠したい事だってのはわかるが、何故あの行だけ隠さなきゃなんねえのかってこった」

「隠したい事……ですか」

 もう一人の若い方の男は半歩後ろを歩き、旦那と呼んだ男の相手をする。
 かなりの速足で歩いているというのに言葉がブレる事もない。

 その二人が歩けば、すれ違う町民が会釈をしていく。
 端的に話す若い男は、通りがかる町民からの挨拶に手を挙げて答える。

「ああ、それが分からなきゃ、真相に辿り着けねぇ」
「そうですね」

「番頭を捕まえたのは、世直しのためか、何か目的があったからか」
「でも旦那は、何か目的があったと睨んでらっしゃるのでしょう?」

 若い男は表情を変えず、推測を口にする。
 ついに聞き役の立場を辞め、自分の疑問を呈した。

 そうしたかったからではなく、年嵩の男の思考をサポートする目的だったようだ。
 現に再び言葉少なに答えるようになった。

「ああ、世直しなら気にする事はねぇ。だがなぁ、何か目的があってあいつらを告発したってぇのなら、あの塗りつぶした一行が意味を持ってくる」
「ええ」

「何か匂うな。……だがわからん」
「旦那にわからない事は私にもわかりませんね」

 あくまで黒子に徹しようとする若い男。それとも本当に分かっていないだけかもしれない。

「冗談にも程があるぜ。お前さんほどの切れ者なら何か気が付いてるんじゃあねぇのかい?」
「さてさて。私は手控帳の現物を見たわけじゃありませんから」

 切れ者と称された若い男。この男の言葉だけで判断するのは違ったようだ。
 年嵩の男は理解しているだろうとニヤリとする。

「そうかい。まったく、考えすぎて頭から煙が上がっちまうぜ。こうなりゃ、いつものアレを食いに行くかね。そうすりゃ錆びついたおつむも動き出すってもんさ」
「またですかい? 旦那の団子好きには敵いませんね。では、私は町廻りの続きをしておきましょう」

 そう言うと二人は別々の道を歩いていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...