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不動の荷車(全14話)

3.忍術指導

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「いたいた。哲太。こんにちは」
「おう、日向じゃねえか。どうした?」

 ここは神田多町にある稲荷神社。
 家出屋が絡んだ事件で知り合った浮浪児の哲太のねぐらだ。
 日向は、その事件で助け出したの様子を聞きに来たのだ。

「ちょっと松風を買いに来たついでに会いに来てみました。ちゃんの具合はどうですか?」
「ううん……わざわざ、ありがとな。でもまだ人と会うのが怖いみてえだ。本当なら真っ先に挨拶させなきゃならねえんだけどな。すまん」

 哲太は十四歳という事もあって、こういった対応ができるようだ。
 浮浪児と言う印象からは少し違って思える。

「良いんです。ちゃんも被害者なんですから」
「助かるよ……」

 被害者という言葉に俯いてしまう哲太。
 ジャリジャリと地面を足で撫でて無言になる。

 日向は少し変な間が出来たので雰囲気を変えるように話を変える。

「それにしても、ちゃんが真っ先に挨拶するべきなんて、哲太は常識人なんですね!」
「あったりまえだろ! 浮浪児なんて町の恩情で生かしてもらってるんだ。礼儀知らずでは生きていけねえんだよ」

「……浮浪児さんも大変なんですね」 

 少し照れ臭そうだ。
 褒められる事に慣れていない哲太は話を変えた。

「さん付けされる身分じゃねえよ。……そんな事よりさ! そうだ! 忍術教えてくれよ!」

「え~? 忍術ですか~? 良いですよ」
「俺が頼んでおいてアレだけど、簡単だな! 良いのかよ!」

 断るのかと思いきや、すんなりと承諾。
 言い出した哲太のツッコミが冴え渡る。

「まあ、減るもんじゃないですし。で、どんなのが良いですか?」
「浮浪児狩りの役人から逃げれるようなやつが良いな」

「うーん、じゃあ隠れ身の術ですかね」
「おっ、聞いたことあるぞ」

 江戸っ子は忍者話が大好きだ。
 真田十勇士など忍者が活躍する話は講談でも良く扱われる人気の演目である。

「講談なんかでも扱われますからね。仕組みも単純ですよ」
「そんなんで身を隠せんのか?」

「もっちろん! 意識を逸らして、風景に紛れるだけですから」
「町中でどうやって紛れるんだよ」

「じゃーん。これです」

 懐から取り出したるは、中々年代を感じさせる草臥くだびれた黒っぽい風呂敷。

「真っ黒じゃねえか。それにしても、ぼろっちい風呂敷だな。変なまだらがあるぞ」

「これって真っ黒じゃないんですよ。このまだらは、みたらし団子の染みですね」
「は? みたらしの染み? もしかして、それって忍びの秘伝だったりするのか?」

「まっさかぁ! お団子を持って帰るときに付いちゃったので、染めただけですよ」
「なんだよ! とんでもない秘密があるのかと思ったよ。でも黒って昼間は使えねえよな」

 実のところ、真っ黒じゃないところが忍びの秘伝でもあるのだが、その世界のことを知らぬ哲太には気が付きようもない。

「これは明るくても使えますよ。日が強ければ物陰に隠れて、これを被れば見えないものです。日が落ちれば言わずもがなですね」
「本当かぁ~?」

 風呂敷をヒラヒラとさせる日向。
 みたらしの染みがついた風呂敷が忍術と言われて、中々納得できない哲太は、ついつい疑ってしまう。

「じゃあ、試してみましょう! きっとこれの凄さを理解できるはずです」
「まぁ見てみるか」

 それではと勇んで移動する日向と対照的に面倒な事になったと後悔している様子の哲太。

 稲荷神社の境内から出ると、斜向かいに天水桶が鎮座しており、小さいながらも、クッキリとした影を作っていた。

 日向は、あそこが良さそうですと天水桶を見て呟く。
 少し離れて見ているように指示を出すと一人だけで天水桶の側に行く。

 足元の小石を拾って哲太の方へと振り返ると手を振って合図を出す。
 固唾を飲んで見守る哲太。その様子は、日向を見失うまいと真剣そのもの。

 三拍のほどの間。哲太の集中が強まったのを見計らい、日向は持っていた小石を哲太に向けて宙高く放り投げた。

 思わず、その石に意識を向けてしまった哲太は、日向の事を思い出し、視線を戻す。
 しかし彼女の姿は見えなかった。

 ただ、哲太はそこにいるはずと知っているので、じぃっと目を凝らす。
 何となく天水桶の影に何かあるようにも見えなくないが……。

 すると、そこへ、と歩み寄る犬。
 成犬になったばかりと思える黒い柴犬だ。随分痩せてしまっているが。

 その柴犬は天水桶に近づくと、影の辺りをうろうろしながら、スンスン嗅ぎ続けている。

「――ぷっ! おい日向! 犬に見つかったみたいだぞ。お前の隠れ身の術」

 すると影がひらりと捲れ上り、しゃがみこんでいた日向が姿を現す。
 柴犬は、めくれ上がった風呂敷に目が行っていて日向の事は気にしていないようだ。

「わんちゃん。邪魔しちゃダメです! ……ん? 風呂敷が気になるの?」

 隠れ身の術に使用していた風呂敷を右に左に振ると、柴犬の顔も右に左にと風呂敷を追いかける。
 なんとも愛らしい姿に日向は抱き着いてしまった。

「可愛いですね! あなたは。風呂敷の匂いを嗅ぎ続けるなんて、どうしたのです? もしかして、お団子好きなのかな?」

 柴犬を撫でながら、話しかける姿は絵になるのだが、忍術指導の話はどこへやら。
 もう興味は犬にしかないようだ。

「こいつ野良だな。近頃、見かけるようになったやつだ」

 忍術話が終わってしまった事を察したようで、離れていた哲太が近づいてきて説明する。
 彼曰く、最近見かけるようになった柴犬で野良犬らしい。
 
「お団子好きなの? 随分瘦せてしまってますね。お腹空いてるなら帰りに食べてきますか」
「わん!」

 少し草臥くたびれたしっぽがこれでもかとブンブン振られる。
 その動きは、日向の言葉を理解しているようにも見える。

「お返事できるの~! 賢い子ですね! 決めました! 一番美味しい団子を食べさせてあげます。ついてくるのです!」

 そういうが早いか、さっさと走り出す日向。
 その後をしっかりと付き添う黒い柴犬。

「あいつ、ここへ何しに来たか忘れてんじゃねえのか」

 置き去りにされた哲太は、文句を言わずにはいられなかった。
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