鍵の海で踊る兎

裏耕記

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第三章 夏の記憶

35th Mov. 君と一緒に

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 焼肉としゃぶしゃぶのランチを済ませた後は、町をブラブラして歩いた。楽器店を覗いてみたり、ペットショップで子犬や子猫を眺めたりしながら、のんびりした時間を過ごす。特に目的をもって歩いていたわけじゃないけど、伏見さんとの時間は殊の外楽しくて、時計の針はあっという間に三時を回っていた。

 時間的にはそろそろ終わりを気にする頃。
 しかし、まだ僕の目的は達成できていない。

 せっかく用意したプレゼントをバッグにしまったままでは帰れないのだから。このまま歩いていると、キッカケを作れなさそうなので、カフェに誘った。


 店内に入り、席が空いていることを確認してから、ドリンクを頼む。
 お互いの飲み物が揃ったら、目星をつけていた席に腰を下ろした。

「ふぃ~。もう三時過ぎてたんだ。結構歩いてたんだね!」
「そうだね。僕も気が付いたらこんな時間かって思ったよ。たくさん食べたからエネルギーが有り余ってたのかも」

「そうかも。私も調子乗って食べすぎちゃったから、ダイエットにちょうど良かったよ」
「やっぱりあれは食べ過ぎだったんだね。ビックリを通り越して、感心しちゃったよ」

「むぅ……、野田君。他に言うことは?」
「? 結構歩き回って喉が乾いたけど、ドリンク甘いやつで大丈夫なの?」

 伏見さんが頼んだのは、ホイップが乗ってチョコソースが掛かっている。見た目だけでも十分甘そうな飲み物。真夏で喉が渇いているなら、アイスコーヒーか炭酸系の清涼飲料水の方が喉を潤すのに向いていると思うんだけど……。

「今日の所は、お肉に免じて見逃してあげるのが武士の情けかな。もう少し気にしてくれても良いけど、野田君が中野君みたいになるのは、ちょっと違うし」
「僕が中野みたいになれたら人生楽しいだろうな」

「そお? 中野君も中野君で苦労しているんじゃないかな? それでも千代ちゃんみたいな美人さんを彼女に出来たのなら、人生楽しいで合ってるか」
「上手くいって良かったよ。夏休み前はどうなるかと思ってたし。それが上手くいってくれたおかげで、夏休みはみんなでサマーランドにも行けたしね」

「でも、あの曖昧な時期のおかげで、私たちが一緒に勉強することになったんだよ?」
「それもそうか。今年は恐ろしく宿題が順調に消化できたし、学校勉強の予習復習も進んだもんな」

「それはそうだけど、私と週2で会えて嬉しくないんですか~?」
「あっ、それはもちろんそうだね」

「あっ、って言った! 絶対そんなこと思ってなかったでしょ!」
「そんなことないって! いつも一緒に居るのが当たり前に感じていて、言われて気が付いたっていうか……」

「ほ~ん。野田君は私と一緒に居るのが当たり前なんだ? そうだよね~。私の誕生日に一番長い時間、一緒に居るのは野田君だもんね」
「それは……、そうなのか。ご両親もお仕事で夜遅いって話だもんね。僕とは半日くらい一緒に居るわけだし」

「私と一緒に居られて幸せじゃない? ……私は幸せだよ。私の誕生日に、私のために一生懸命になってくれる人と過ごせて」
「――――っ」

 僕は何も言えなかった。

 いつもと違う彼女。
 いや、時折見せていた表情。
 僕は分からないフリをしてした彼女の気持ち。

 何となくそうじゃないかって思って、一生懸命打ち消した考え。

 本当は気が付いていた。
 中野が神田さんを誘うって聞いたときに。
 中野と出かけている神田さんを想像しても心は動かず、僕だったら伏見さんが横にいるのかななんて考えてしまったのだから。

 そして、その中野の行動によって僕と伏見さんは一緒に勉強するようになって、多くの時間を共有した。

 明るい彼女には、想像も出来ないほどに苦しい人生を過ごしてきた。
 プロのピアノ演奏家になるべく、幼き頃からピアノ漬けの生活。
 幼稚園、小学生。その苦しい生活を重ねて中学生になる。13歳の彼女は、憧れであり、追い越す目標であった母親の足元にも及んでいないことに気が付いてしまう。

 人生の大半をかけて進んできた道が途絶えていた。
 彼女はそう言っていた。
 いつか花開くと思って苦しい道を耐えていたのに。
 遊びに出かけることも無く、テレビを見ることも無く。

 そうして進んできた道が途絶えている。
 何て残酷なんだろう。
 もしかすると、本当は道が続いているのかもしれない。
 あれほどの演奏が出来るのだから。

 でも、彼女はそう理解した。

 理解してしまったのに、辞められず、お母さんのピアノ教室の役に立てればとお披露目演奏に出続けていた。
 それがどれだけ葛藤を生んできたのだろうか。

 伏見さんは、そんな普通じゃない境遇と辛い過去を経験してきたのに、周囲には元気を振りまく明るい子だ。
 ふてくされないで、一生懸命前を向いてきたから得られた強さなんだと思う。

 僕にはそんな強さも経験も無い。


 僕がピアノを始めた理由は伏見さんで、僕が初めてピアノを演奏したときに聞いてくれたのも伏見さん。
 挑戦も大きな失敗も、何もなかった僕の人生。
 彼女に出会えたからこそ、色付いた僕の日常。

 僕が死ぬ間際に自分の人生を振り返ったら、きっと君に出会えたことが真っ先に浮かぶのだろうな。

 そして、これからも君と一緒に時を過ごせれば、僕の人生も色付いたものになるはずだ。僕だけでは得られない経験も、僕だけでは生まれない感情も。

 その全ては、君が居てくれるから。君の側に居られるから。

「僕はこれからも一緒に居たい。ずっと。君と」



『君と英雄ポロネーズ』 
第三章 夏の記憶 了
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