黒祓いがそれを知るまで

星井

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絆と傷と明日と眠り

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 その後の会議は部隊員の怪我人が何人か、真我の目撃情報のまとめや、第二部隊との連携などが報告され俺への関心は一瞬で消え去ったような錯覚に陥った。
 陛下の声と共に立ち上がり、部屋を後にする隊員達に続き、のろのろと俺も立ち上がる。斜め前に座っていた第二部隊隊長、つまりアーシュだが、不思議と目も合わない事に少しの違和を感じながらも引き上げる。
 城内の廊下を歩いていると、後方から来て肩を並べる隊員が呟くような低い声で言った。

「化け物と意思疎通できるなら、哀願すればいいんじゃないのか。頼み込めよ、あいつらに」
「……はぁ?」

 無視をしようとしたが畳みかけられるように言われた最後の言葉に、我慢できずに声を荒らげた俺に、そいつは少し驚いたような表情をして俺を見る。
 大人しそうに見えたのだろうか。一瞬まずいと思ったのか彼は少し目を逸らしたが、それでも次には俺を見た。

「それとも俺だけは食わないでくれって、言ってるのか?」

 もう我慢できないと振り上げた腕はあっさりとそいつの手で押さえられ、行き場のなくなった怒りは蹴りとなって咄嗟に繰り出された。
 脛に当たったらしいそれは弁慶の泣き所と言うだけあって、それなりに痛かったのだろう。小さく眉を寄せたそいつが憎々し気に俺に言う。

「弱いなら大人しくしとけよ。俺はお前みたいな奴に手を上げる気はないからな」
「……今度真我に会ったら奴らに頼んでおくよ。お前の事も食わないでくれってな」

 言って掴まれた腕を振り払えば、奴は一瞬固まって歩き出した俺に何も反応できずにいた。

「ナツ」

 そこへ少し呆れたような声音で呼ばれ、苛立ちながら振り返れば、アーシュが口元を緩めてこちらを見ていた。件の男は俺とアーシュを交互に見て分が悪いと判断したらしく、小さく鼻を鳴らして去っていく。
 見られていたのだろう。説明など不要だと言わんばかりの表情のアーシュに、俺もまた不機嫌丸出しで歩き出す。
 
「なんだよ、忙しいんじゃないのか」

 城内を出て駐屯地を目指し歩き始めればアーシュはちらりと俺を見下ろした。
 こうしてこの夜道を歩くのにデジャヴを感じれば、そう言えばあれきり話す事もなかったのだと思い至る。
 アーシュはその立場もあるし基本的に忙しい。
 だが、ここまで会わないのは珍しいかもしれない。

「……三日前部屋に行った」
「……ふうん」

 あれ、それってまずいんじゃ?
 と気付いた俺は、アーシュの視線から逃れるように足を速めた。それに気にした様子もなく、変わらず肩を並べるアーシュは静かな声音で続ける。

「言ったはずだが。エンリルとそうなるなと」
「……」
「……でも、お前はいつも、そうだったな」

 そう言う声のトーンがあからさまに低く硬くなっていた。
 消化しきれない想いは常にお互い様だ。俺らはそれきり口を噤んで歩を進める。
 俺はいつも自由に生きてきたが、それを一度だってアーシュに指摘されたことはない。
 そのアーシュが名前まで出して牽制したのはこれが初めてだった。先日釘を刺されたのもあるが、ここでどう出ればいいのか全然分からなくて不貞腐れたまま溜め息を吐きながら帰路を急ぐ。
 言いたい事があるのは彼だけではない。
 それでも結局、俺たちは何も変わらないままだ。

「……今日は、付き合ってもらうぞ」
「これから仕事じゃないのか。第二は夜勤多いだろう」
「奴等が出なければ上がりだ。そのまま行く」
「……そ、そう」
「なんだ」

 最近張り付いている彼の弟を思い浮かべ、思わずどもった俺に訝しげにアーシュが問う。曖昧な返答をしながら、目を泳がせた俺にアーシュが足を止めた。

「まさか、ずっと」
「何言ってんだそんなわけないだろ」
「まだ何も言ってない」

 冷めた口調で言われ、喉を詰まらせる俺にとどめのようにアーシュが口を開いた時だった。

「……なんだあれ」

 薄暗い夜道の住宅街。家から漏れる仄かな灯りを頼りに、目を細めてその動きを確認する。
 遠くで人影らしきものがすーっと移動しているのだ。だがその動きはどこか不自然で、そして何より速い。
 ぶわ、と両腕の鳥肌が立ったのはその時だ。一瞬であれが何であるのか理解した俺は、無意識に隣のアーシュに近寄り隊服の袖を掴んだ。立ち止まった俺の視線に、アーシュも気付いたのだろう。
 無言で人影の方へ向き袖を掴む俺の手を掴んで、そのまま握り締めてくる。
 下ろされた腕にすら反応も出来ずに、俺はその人影をじっと見つめていた。
 真っ黒の人影は、とある家の前で行ったり来たりし、そうしてヒタ、と動きを止めた。
 ……気付いた。
 ごくりと唾を飲み込むと、それはまるで俺の様子を理解しているかのように動きを再開させた。スーっと流れるように移動し、民家の中へ入っていく。

「……ナツ」

 固唾を飲んで見守る俺にアーシュが静かに呼びかける。
 ぐ、と繋がれたままだった指を握られ俺は頬を引き攣らせて彼を見上げた。

「か、帰ろうぜ」
「何が見えた」
「何もない。見えなかった!」

 真っ黒な人影が光の加減でもなんでもなく、本当にただただ黒いものであることがどれだけ怖いか説明しようにも、見えない人間には伝わらないだろう。いくら小さい頃から見慣れている俺でも、迫間の者は常に恐怖心を煽る。
 今の奴がどんな意図で俺にその姿を見せたのか、想像するだけで足が竦んだ。

「……じゃあ、いいんだな」

 アーシュは少し思案して、これ以上聞き出せないと思ったのか切り替えて歩き出した。引っ張られるようにしてその方向に歩き出しながら、あーもう! と声を荒らげる。

「あそこの家……空き家か?」

 仕方なく指をさした先の民家をアーシュが目を細めて確認した。
 人気のない道で、砂利を踏む足音がだけが響く静かな夜だ。
 真我の特性上、この国の人々はあまり夜に出歩かない。
 風の音に紛れ微かに聞こえる虫の鳴き声と、男二人の足音がやけに大きく聞こえた。
 冷や汗をかきながら歩く俺とは裏腹に、アーシュはいつもの澄ました表情で先へ進む。たとえこいつが霊を見るようになったとしても、全く変わらないんじゃないかとさえ俺は思う。
 一方で、エンリィは俺と同じでビビりまくって速攻で逃げ出しそうだが。
 兄弟と言っても性格は似ているようでまったく似ていない。アーシュは物凄くマイペースで一見優しく見えるが、かなりのド鬼畜だと思うし、エンリィはヘタレで真っ直ぐで穢れていない男だ。
 それぞれの良い部分はそれなりに知っているつもりだが、一つだけ言えるのはどちらも俺には勿体ないと言う事だ。
 現にアーシュは俺の手を決して離さない。たとえ後ろから他の隊員が歩いていたとしても。
 彼はきっと気にもせず、何事もないような態度で有無を言わせないのだろう。

「ここか」

 くたびれた煉瓦つくりの家は明かりもついていなく、剥き出しの窓は真っ暗だった。
 庭先の雑草が伸び放題で、玄関横の壁は天井まで蔦が覆っている。見るからに誰もいないような風貌で俺とアーシュは眉を寄せた。

「空き家だな……。何を見た?」
「……なんか黒いの……」

 言えばアーシュは一瞬固まって、その様に俺も誤解を招く言い方だと気付いた。
 ここでの『黒い』は一つしか連想しない。そうしてハっとなり、真っ暗な窓を見上げる。

「……アーシュ、あれは多分迫間の者だったはずなんだ……。でも、妙だった」
「……確認するか」

 言い淀んだ俺にアーシュは躊躇いもなくそう言って、玄関前に佇んだ。ズボンのポケットから懐中電灯を取り出し、俺に寄越すのでアーシュの視線の先を照らしてやる。
 ドアノブは案の定施錠されており、一瞬思案したアーシュが庭先の窓辺へと近寄る。その後に続きながら視界を照らし、アーシュの動向を見守った。
 肘鉄で窓を割ったアーシュに若干引きながら、中の鍵を開ける彼にこの仕事に慣れていると言う事がどんなものであるか垣間見た気がする。
 真我討伐部隊は、命を懸けるだけじゃ務まらない。

「気をつけろ」

 内側の鍵を開け身を乗り出して中へ入るアーシュが、次に入る俺の腕を掴み身体を支えてくれる。まるで慣れてなく、もたつく俺を引っ張るように助けてくれる彼に、さすがに情けなくなりもうちょっと鍛えようと心中で決意した。
 ガタガタ言いながら部屋に入った俺に、アーシュはくるりと部屋の中を照らし、先へと進む。

「……なんだ」

 フ、と何かが横切った気がして身を強張らせる俺にアーシュもまた訝しげに眉を寄せた。気配を感じたのだ。階段を照らし、二階の物音に耳を澄ます。
 だがしんとした室内は確かに何かの気配があるはずなのに、物音一つ聞こえてこない。
 構わずに二階に上がろうとするアーシュの袖を引っ張り、押し止めた。
 は、と短く息をついた俺を見下ろすアーシュが何か言いたげな表情をするが、首を横に振った。

「……俺が先の方がいい」

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