黒祓いがそれを知るまで

星井

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絆と傷と明日と眠り

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 この淀んだ空気と凍るように冷たい室内は身に覚えがあるものだ。大抵こんな感じの場にいるのはできれば出会いたくもない奴等で、肩が重くなるのを必死に気のせいだと思い込んでアーシュより先を歩く。
 先を行こうとする俺を止めようとした彼は、少し逡巡して結局納得したようだった。
 ギシ、と軋んだ階段の音に一瞬躊躇う。アーシュが静かに腰鞘の剣を引き抜いたのを見て意を決す。真っ暗な家は少しだけ埃っぽく、上から微かに生臭い匂いが漂っていた。

 二階の部屋は三つほどドアがあり、アーシュがそのドアを順に照らしていく。廊下には古びたチェストがあったが、その上には何もない。
 生活感のない、抜け殻の家だ。
 そのドアの一つが良く見たらほんの少しだけ開いていて、もうここで悲鳴を上げて帰りたくなった。ホラー映画でもある場面だが、こんなあからさまにおかしい場所へ自ら突き進むなんてどうかしている。
 俺が一人ならまず人影から無視して、全てのフラグをへし折って終了だ。

「勘弁してくれよ……」

 だけどこうなった以上、最後まで見届けなければならない。
 この隙間が空いているドアの向こうから鼻につく生臭い匂いがしているし、近付けば更に身体は重くなるし、気配まで感じる。つまり何かがあるのは確実で、しかもその何かは決して良いものではない。
 開きかけたドアを五本指で押して、扉を開ける。
 キーィ、と細く高い音がまるで悲鳴のようだった。
 一歩踏み出した俺の後ろに立つアーシュがすかさず懐中電灯を照らした。

「……っ」

 いち、に、さん、し、ご……。
 無意識に数えて心底ゾっとし首を振った。
 真っ黒い人影が部屋の片隅で円になるように佇んでいた。
 囁き声が聞こえる。低いような高いような、何人もの声が重なって何かを紡いでいる。だが言葉のはずのそれは、ブツブツと壊れたラジオのように途切れていて一体何を言っているのか理解できない。
 なのにこれは確実に何かを言っているのだと分かるのだ。

「ナツ」

 あ、と思った時には無音になった。
 アーシュの一声に反応したかのように背を向けていた人影たちが囁きを止めた。
 ずし、と今までにないくらいの重圧を感じ思わず一歩下がった俺の背がアーシュの身体に当たる。
 真っ黒い人影たちは這いつくばるように足を折った。手を広げ、獣のように身構え、そして一瞬のうちに一つの塊になった。漂う生臭い匂いが一気に濃くなり部屋を充満させる。
 今まで聞こえなかった息遣いがして、大きくなったその塊を見上げて頬を引き攣らせた。

「……進化系だったのね」

 間の抜けた発言が出たのは現実逃避だったのだろう。
 証拠に、目の前の真我が笑う。固まる俺とアーシュを見て、無いはずの目を細めて肩を揺らせている。

「……ニンゲン……大好キ……」

「アーシュ……!」

 足音すら立てず、そいつは大口を開けて懐中電灯を照らしたアーシュにめがけ、恐ろしいほどの速さで近寄った。
 細い手がにゅっと出てきて、咄嗟にアーシュを庇うように身体を出した俺に後ろから舌打ちが聞こえた。

「どけ!」

 剣を振りたかったのか怒声を上げたアーシュが俺の身体を押し退けて前に出ようとする。その腕を必死に掴んで、戦おうとするアーシュに叫ぶ。

「……アーシュ! 情報が必要だろう!」
「なにを……っ」

 真我は天井を逆さで這い、右へ左へ移動する。動きが昆虫のように機敏で、その大きさにも怯んでしまう。ボタボタと口から垂れる涎を見て身体が本能で避けたがって震えた。

「……可愛イナァ……大好キ……ソッチノモ……」

 笑っている。真我が、笑っている。
 ごくりと唾を飲み込んで、庇われるのに憤慨しているアーシュを抑え込んで、俺は天井のそいつを見上げる。
 真っ黒な巨体と四本の手足が、まるで蜘蛛のようだ。

「俺を知っているのか」

 ふふ、と真我が舌で口周りを舐めた。何重にも重なったかのような声を出すはずのそれは、笑う時だけ少女のような無邪気な声を出して身体を震わせていた。

「知ッテル、ダッテ……フフ……フ……オマエ……知ッテイルカ?」

 繰り返された言葉に眉を寄せて、再度口を開いた俺を後ろのアーシュがグイと引っ張った。不意をつかれアーシュが飛び出ていくのに反応すら出来ず、風のような速さで剣を振り上げる彼を呆然と見送った。
 真我は剣を避ける為に四つ足を動かし素早く床に降りた。その先をアーシュの切っ先が掠り真我が喉を鳴らす。

「……ニンゲン……無駄……ドイツモ……無駄……」

 その動きは目も留まらぬ速さだった。
 気が付いた時にはアーシュの剣が向こうに転がっている。彼が剣を振り上げるよりも先に真我が手で振り払ったのだ。そのまま五本指でアーシュの腕を掴み、人形のように引きずられる彼に血の気が引く。

「っやめろ!」

 叫び真我の元へ走り寄る。ぎりぎりと引きちぎらんばかりの力でアーシュの腕を持っていた手が、動きを止めて俺を見る。
 何も考えず、俺は目の前のぬめりを帯びた真我の鼻先辺りに触れた。
 てのひらに冷やりとした感触を覚えるが、尖った太い毛は想像以上に柔らかかった。
 鳥肌が立った。
 恐怖でもなんでもなく、ようやく理解出来たような、そんな感覚だった。
 生きていた。
 こいつは、生きているのだ。

「……ナツ……俺……怖イ言ッタ……」
「……なに」
「アノ男……食エバ……俺……死ナナカッタ……」

 力の抜けた真我の手からアーシュが素早く身を引く。それを後ろで感じながら震える指で目の前の真我を見つめる。

「……お前……」

 走馬灯のように呼び起こされた記憶にそんなはずはないと首を振りながら、それでもどこかで確信していた。
 真我に触れているてのひらが震えて、それを真我がじっと見て言うのだ。

「……寂シイ……会イタカッタ……ナツ」
「……っ!」

 俺をその名で呼んだ真我はただひとつだけだ。
 中庭の片隅で震えていた小さなそいつを、忘れた事など一度もない。怯えてばかりいたあいつをこの世界に来たばかりで必死に世界を飲み込み、息をしていた自分と重ねていたのだ。
 今思えば、望まれていない存在同士慰め合っていたかのような毎日だった。子どもみたいな声で俺を待つあいつは、いつだって真っ直ぐで素直で、そして怖がっていた。
 そうだ。
 ただ純粋に怖がっていただけだった。
 世界を、生を、
 見えるものすべてを。


「ナツ!!」

 怒鳴るようなアーシュの声に、ハっと肩を揺らせ触れた真我の正面から手を離す。
 同時に横に飛びのいた真我がフフフ、と笑い声を上げている。
 眉を寄せて部屋を逃げ惑う真我を追いながら、剣を持ち戦うアーシュに焦りで鼓動が早まる。
 くそ、と舌打ちしながら真我の気を逸らす為にあれこれ考えてもアーシュは汗を浮かべながら真我の手から避け、その真我はどこか余裕ありげにあちこちへ這いながら攻撃を繰り出している。
 時間の問題なのは明白だった。

「……お前らはどうやって生まれる!」
「……見タダロウ……アノママジャ……ナニモ……」
「何も……?」
「チッ、無駄に速いな……っ」

 苛立つアーシュは、一人で仕留めようと全力で剣を振っている。
 性格的に俺の事も放っておけず、万が一攻撃されでもしたらと何度も振り返るのでその動きは決して良くはない。
 アーシュを死なせるわけにはいかない。怪我だってさせたくない。そう思うのは俺だけではなくて彼も同じで、俺を庇うのだ。

「怨念が具現化したのがお前らなのか……? 何故人を食う!」

 叫んで問えば、ガタガタと壁を這い天井を移動していたそれが口を閉じて咀嚼するようにまた開いた。
 声は、俺だけにしか届かない。

「可愛イ……憎イ……羨マシイ……俺ハ……」

 風を切って捕らえようとするその腕をアーシュが切るために剣を振り下ろす。

「……嗚呼……可愛カッタノニナ……」
「……なんだって?」
「知ッテルゾ……オ前ラ……王族ヲ……」

 空を切った攻撃に真我が大口を開けて笑う。佇む俺とアーシュに、余裕の動きでグルグルと頭を振って背後の窓辺に近付いた。

「……美味カッタゾ……オ前ノ……」


 アーシュを見つめ涎を垂らしたそいつが楽しくてたまらないと言うような声を上げ、身体を震わせていた。怒りや悲しみではなく、それは確かに愉悦して震えているのだ。
 幾重にも重なる不協和音のような声に呆然として、真我が今にも出て行きそうなのに気付いたアーシュが走り寄る。
 その先に続く言葉を想像して背筋が強張った。
 こいつは、間違いなく知っている。知っていて、憎しみを募らせる人々を煽るように喰らいつくすのだ。
 共有とはこのことを指していたのだろうか。かつて俺の名を呼んでいたあの真我の記憶も持っているのか。それとも……。

「逃がすかっ!」

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