桜の下で、君に恋した春

ひかゆづ

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越えられない君 1

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図書室の空気は、静かだった。

 

司書の先生が戻ってくると、図書係の説明はすぐに始まった。

 

「図書係の人は、この辺に集まってくださいね。」

 

穏やかな声に呼ばれて、すずは少し緊張しながら椅子に腰かけた。

同じ係になった生徒が数人、机の周りに集まる。

 

窓から、春のやわらかな光が差し込んでいた。

校庭の向こうには、咲き始めたばかりの桜が淡く色づいている。

 

(図書係……)

 

胸の奥に、さっきまでの出来事がまだ残っていた。

 

廊下。

図書室の前。

そして——

 

(藤沢くん……)

 

「図書係の仕事は、そんなに難しくありませんよ。」

 

司書の先生の声に、すずははっと我に返る。

 

「主に三つです。本の貸し出しと返却の受付。それから返された本を棚に戻すこと。あとは昼休みや放課後の当番ですね。」

 

先生はカウンターの機械を指差しながら、ゆっくり説明していく。

 

周りの生徒たちはメモを取ったり、頷いたりしている。

 

すずも慌ててノートを開いた。

 

(ちゃんと聞かなきゃ……)

 

そう思うのに、ふとした瞬間に思い出してしまう。

 

——また明日。

 

図書室を出る前、湊がそう言った声。

 

静かな声だったのに、妙にはっきりと耳に残っている。

 

(……なんでだろう)

 

まだほとんど話していないのに。

 

それでも思い出すたび、胸の奥が少し落ち着かなくなる。

 

すずはペンを握り直した。

 

(集中しないと……)

 

司書の先生は棚の前へ歩きながら続ける。

 

「本はこの番号の順で並んでいます。もし場所が分からなくなったら、この表を見れば戻せますからね。」

 

本棚がずらりと並ぶ図書室は、相変わらず静かだった。

 

遠くでページをめくる音。

椅子が小さく動く音。

 

そんな中で、すずの胸だけが少し騒がしい。

 

(藤沢くん……)

 

ふと、先生の言葉を思い出す。

 

——教室にもいないし、廊下にもいないしでさ。
——どこ行ったんだろうって、ちょっと心配したぞ。

 

先生は、そう言っていた。

 

つまり——

 

(本当は……職員室に行くはずだったんだよね)

 

学級委員長の説明は、職員室。

 

それなのに湊は、図書室まで一緒についてきてくれた。

 

(……やっぱり……)

 

(私が一人だから……とか……?)

 

その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥がほんのり温かくなる。

 

同時に、恥ずかしくなってすずは小さく首を振った。

 

(そんなわけないよ……)

 

でも、完全には否定できなかった。

 

「はい、今日はここまでです。」

 

司書の先生の声で、説明は終わった。

 

「入学式の日なので、今日は簡単な説明だけにしておきますね。来週から当番が始まります。」

 

「ありがとうございました。」

 

生徒たちの声がそろう。

 

椅子が引かれ、小さなざわめきが図書室に戻った。

 

すずもゆっくり立ち上がる。

 

窓の外には、明るい青空が広がっていた。

 

(もう帰るんだ……)

 

入学式の日は、午前中で終わり。

 

長かったような、あっという間だったような。

どこか不思議な一日だった。

 

すずはカバンを肩にかけ、図書室を後にした。

 

 

校門を出ると、春の風がふわりと吹いた。

 

通学路には、同じ制服の生徒たちが歩いている。

 

「じゃあまた明日!」

「またねー!」

 

そんな声があちこちから聞こえる。

 

すずは一人で歩きながら、今日一日を思い返していた。

 

教室。

 

自己紹介。

 

中学から一緒だった、ひかり。

 

同じクラスになれて、少しほっとしたこと。

 

そして——

 

夏希。

 

明るくて、さっぱりした雰囲気の女の子。

 

初対面なのに気さくに話しかけてくれて、どこか頼れる感じがした。

 

(夏希ちゃん……なんだかお姉ちゃんみたいだったな)

 

自然と笑みが浮かぶ。

 

それから——

 

(藤沢くん……)

 

図書室の静かな空気。

 

「本、好きなの?」

 

あの声。

 

思い出しただけで、胸がどくんと鳴る。

 

(……なんで思い出すの)

 

自分でもよく分からない。

 

まだほとんど話していないのに。

 

それでも、ふとした瞬間に浮かんでしまう。

 

すずは小さく息を吐いた。

 

(明日も学校なんだよね……)

 

そう思うと、なんだか落ち着かない。

 

でも少しだけ——

 

楽しみな気もしていた。

 

 

家の玄関を開ける。

 

「ただいま……」

 

「おかえり!」

 

すぐに母の声が返ってきた。

 

キッチンから顔を出した母は、嬉しそうに笑う。

 

「どうだった? 高校初日!」

 

すずは靴を脱ぎながら、少し照れくさく笑った。

 

「え、あ……うん、普通……」

 

するとリビングから父の声が聞こえる。

 

「クラスどうだった?」

「知ってるやついたか?」

 

すずは少し嬉しそうに答えた。

 

「ひかりが同じクラスだった」

 

「中学のとき仲良かった子」

 

母はすぐに顔を明るくした。

 

「あら、よかったじゃない!」

 

「最初から知ってる子がいると安心よね。」

 

父も頷く。

 

「それは心強いな。」

 

すずも小さく頷いた。

 

「うん……ちょっと安心した」

 

母はさらに聞いた。

 

「他にも話した子いた?」

 

すずは少し思い出す。

 

「夏希ちゃんっていう子」

 

「すごく明るくて……」

 

「なんか、頼れる感じの子だった」

 

姉御肌、という言葉が頭に浮かぶ。

 

母は笑う。

 

「いい子そうね。」

 

父も言う。

 

「クラスまとめるタイプかもな。」

 

すずは小さく笑った。

 

そのとき母がふと聞いた。

 

「男の子は?」

 

「かっこいい子とかいた?」

 

すずは思わず顔を上げた。

 

「えっ」

 

声が少し裏返る。

 

頭の中に、湊の顔がはっきり浮かんでしまう。

 

(な、なんでそんなこと聞くの……!)

 

すずは慌てて首を振った。

 

「い、いないよ!」

 

思ったより強く言ってしまった。

 

父がくすっと笑う。

 

「そんなに否定しなくても。」

 

母も笑っている。

 

すずは急に落ち着かなくなった。

 

(顔赤くなってないよね……?)

 

(絶対バレる……)

 

すずはカバンをぎゅっと抱えた。

 

「わ、私、部屋行くね!」

 

そう言って、逃げるように階段を駆け上がった。

 

 

部屋のドアを閉める。

 

ふう、と息を吐いてベッドに座った。

 

静かだ。

 

家族の声も、ここまでは届かない。

 

すずは天井を見上げた。

 

(今日……)

 

ゆっくり思い出す。

 

ひかり。
夏希。
大翔。

 

そして——

 

湊。

 

図書室の静かな空気。

 

「また明日。」

 

あの言葉。

 

胸の奥が、少しだけくすぐったくなる。

 

(……なんでだろう)

 

まだ、ほとんど知らない人なのに。

 

それでも——

 

(優しい人だな)

 

そう思った。

 

図書室まで、ついてきてくれたこと。

 

あれはきっと、気遣いだったんだと思う。

 

すずは枕に顔をうずめた。

 

胸が、少しだけ落ち着かない。

 

でも嫌な感じじゃない。

 

(明日……)

 

また学校に行く。

 

また教室に入る。

 

ひかりとも話すだろう。

 

夏希とも、もっと話せるかもしれない。

 

そして——

 

(藤沢くんにも……会うんだよね)

 

そう思った瞬間、

 

すずの胸は、また少しだけ強く鳴った。
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