桜の下で、君に恋した春

ひかゆづ

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走る背中と、言えない気持ち 2

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ホームルームが終わった教室は、いつもより少しだけ騒がしかった。

椅子を引く音。

友達同士の笑い声。

それらが重なり合って、教室の空気をゆっくりと温めていく。

教室の中へ差し込む光はやわらかく、どこか眠たげだ。

けれど。

黒板の隅に残った文字を見れば、誰もが思い出す。

 

体育祭。

 

チョークで書かれたままの種目の名前。

リレー。
二人三脚。
綱引き。
借り物競争。
応援団。

 

まだ本番は先だ。

それでも、種目が決まっただけで、クラスの空気はほんの少し浮き足立っていた。

まるで、小さな祭りの準備が始まったみたいに。

 

「なあ」

 
大翔だった。

椅子を少し後ろに向け、肘を机に乗せながら話し始める。

 

「明日の体育さ」

 

「軽く練習するって先生言ってたよな」

 

夏希がペンをくるりと指で回しながら頷く。

 

「言ってたね」

 

「リレーの順番確認するって」

 

その言葉を聞いて、大翔は面白そうに笑った。

 

「藤沢アンカーじゃん」

 

「絶対速いだろ」

 

すずはノートを鞄にしまいながら、その会話を聞いていた。

大翔が続ける

 

「運動神経ずば抜けて良さそうだし」

 

夏希が肩をすくめる。

 

「足速いかはわからないけど」

 

「なんか凄そうだよね」

 

その言葉に、すずはふと顔を上げた。

 

視線を花音に向ける。
 

二人の周りでも、体育祭の話が続いているらしい。

花音が、くるりと体を湊の方へ向けた。

椅子が小さく軋む。

 

ふわりと髪が揺れる。

 

「ねえ、湊」

 

その声は、どこか柔らかくて甘い。

 

湊が顔を上げる。

 

「ん?」

 

花音は楽しそうに笑った。

 

「リレーのアンカー、どお?」

 

湊は少し困ったように笑う。

 

「まだ練習してないけどね」

 

花音は机に頬杖をつく。

 

その仕草は自然で、

でもどこか可愛らしく見える。

 

「湊足速いの知ってるから、」

 

少しだけ身を乗り出す。

 

「応援団、めいっぱい応援するから」

 

「頑張ってね」

 

その笑顔は、

教室の誰が見ても可愛いと思う笑顔だった。

 

湊は照れくさそうに笑う。

 

「プレッシャーかけないでよ」

 

花音はくすっと笑った。

 

「大丈夫」

 

ほんの少しだけ、距離を近づける。

 

声を少しだけ小さくして、

 

 

「湊ならできるよ」

 

 

その言い方は、

自然で、

さりげなくて、

でも――

 

少しだけ特別だった。

 

声は聞こえないがすずはその光景を、静かに見ていた。

 

胸の奥が、

ほんの少しだけざわつく。

いつもの様に楽しそうに話している姿に

すずはそっと視線を戻した。

 

そのとき。

 

教室の遠くから、ひかりの声が響いた。

 

「すずー!」

 

視線を向けると向こう側でひかりが大きく手を振っている。

 

「二人三脚!」

 

「絶対優勝だよね!」

 

夏希が笑う。

 

「ひかり転ぶでしょ」

 

「転ばない!」

 

大翔が笑う。

 

「三歩でコケるな」

 

「コケないってば!」

 

ひかりの声は教室の後ろまで届いた。

 

周りから小さな笑い声が起こる。

 

すずも思わず吹き出してしまった。

 

胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 

こういう時間。

 

こういう空気。

 

高校生活が、少しずつ形になっていく感じ。

 

大翔が振り向く。

 

「すず」

 

「明日ちゃんと走れよ」

 

「ひかり暴走するぞ」

 

すずは苦笑した。

 

「頑張る」

 

その答えに、夏希が笑う。

 

教室はまだ体育祭の話で盛り上がっていた。

 

その中で。

 

花音はもう一度、湊を見ていた。

 

そして。

 

ほんの一瞬だけ、

 

後ろを見る。

 

そこにいるのは――

 

すず。

 

花音はふっと微笑んだ。

 

その笑顔は、いつも通り。

 

でも。

 

瞳の奥では、

 

ライバル心が静かに燃えていた。

 

体育祭はまだ先。

 

けれど。

 

その日へ向かう時間の中で、

 

青春の色が

 

ゆっくりと濃くなっていこうとしていた。




放課後。



写真部の活動時間。

春の夕方の光が、校庭をやわらかく照らしていた。

遠くでは運動部の掛け声が響く。

サッカー部のボールを蹴る音。
野球部の金属バットの乾いた音。
陸上部のスパイクが土を蹴る音。

それらが重なり合って、放課後の空気を満たしている。

 

「今日は動きのある写真を意識してみましょう」

 

森下先生の穏やかな声が聞こえた。

 

「体育祭も近づいてきていますからね」

 

「人の動きを撮る練習です」

 

写真部の生徒たちは、それぞれカメラを持って校庭へ散っていく。

 

すずもゆっくり歩き出した。

 

カメラを胸の前に持ちながら、校庭の端を歩く。

 

春の風が吹く。

 

桜の花びらが、ふわりと舞った。

 

カシャッ。

 

一枚。

 

カシャッ。

 

もう一枚。

 

シャッターを押しながら歩いていると、校庭の端にある弓道場が視界に入った。

 

すずは何気なく、その横の細い通路へ視線を向けた。

 

弓道場の裏へ続く、ほとんど人の通らない場所。

 

そこで。

 

二人の人影が見えた。

 

一人は――

 

湊。

 

もう一人は、知らない女子生徒だった。

 

同じ学年だろうか。

制服は同じだけれど、クラスメイトではない。

 

すずは思わず足を止めた。

 

二人は弓道場の裏の壁のそばに立っている。

 

人目につかない場所。

 

女子生徒は、どこか緊張した様子だった。

 

両手を胸の前で握っている。

 

何かを話している。

 

けれど。

 

ここからでは声は聞こえない。

 

ただ。

 

その空気だけは、はっきり伝わってきた。

 

女子生徒は何度も言葉を探すように口を開き、閉じている。

 

湊は静かに話を聞いていた。

 

夕方の光が二人の影を長く伸ばしている。

 

やがて。

 

女子生徒が、ぎゅっと手を握った。

 

それから、顔を上げる。

 

何かを言った。

 

すずには聞こえない。

 

けれど。

 

その瞬間。

 

胸の奥が、なぜか強く鳴った。

 

(……あ)

 

分かってしまった。

 

言葉は聞こえないのに。

 

でも、分かる。

 

あの表情。

 

あの緊張。

 

あの空気。

 

 

きっと――告白だ。

 

すずの胸が、ぎゅっと締めつけられる。

 

湊は少し驚いたような顔をした。

 

それから、困ったように小さく笑う。

 

ゆっくり何かを話す。

 

女子生徒は静かに頷いた。

 

ほんの少しだけ笑った。

 

でも、その笑顔はどこか寂しそうだった。

 

それから小さく頭を下げて、弓道場の裏から離れていった。

 

すずはその背中を見送る。

 

胸の奥が、ざわざわしている。

 

湊はその場に少しだけ立っていた。

 

それから、静かに空を見上げる。

 

夕方の光が、横顔を照らしていた。

 

すずはその姿を見ながら思う。

 

(そっか……)

 

(藤沢くんって)

 

 

やっぱり人気あるんだ。

 

当たり前かもしれない。

 

背が高くて。

 

落ち着いていて。

 

優しくて。

 

弓道をしている姿も綺麗で。

 

むしろ。

 

告白されない方がおかしい。

 

すずはカメラを胸の前でぎゅっと握った。

 

頭の中に浮かぶ言葉。

 

 

ライバル。

 

 

一人じゃない。

 

きっと。

 

もっといる。

 

そして。

 

すぐに浮かぶもう一人の姿。

 

花音。

 

 

誰が見てもお似合いな二人。

 

すずは小さく息を吐いた。

 

胸の奥が少し痛む。

 

(……簡単じゃないよね)

 

好きになるのは、簡単だった。

 

でも。

 

その先はきっと、簡単じゃない。

 

春の風が吹く。

 

桜の花びらが、静かに舞った。

 

すずはしばらくその場に立っていた。

 

カメラは胸の前。

 

シャッターを押すこともなく。

 

ただ、静かに。

 

立っていた。

 

体育祭の練習は、

 

明日から始まる。
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