桜の下で、君に恋した春

ひかゆづ

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走る姿と、言えない気持ち 6

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貼られたばかりの絆創膏の感触。

 

すずは、自分の腕をぼんやりと見つめていた。

 

けれど本当に見ているのは、そこではない。

 

胸の奥だった。

 

 

「だって私、魅力的だもん」

 

 

花音の言葉。

 

 

その一言は、
まるで静かな重りみたいに、

 

すずの心の奥へ
ゆっくり沈んでいった。

 

 

嫌味じゃない。

 

 

事実として言っているだけ。

 

 

それが、
余計に重かった。

 

 

すずは自然と視線を落とした。

 

 

床の白いタイルが、
ぼんやりと視界に映る。

 

 

胸の奥で、
何かがきゅっと縮む。

 

 

(……やっぱり)

 

 

分かっていたことだった。

 

 

花音は綺麗で。

 

明るくて。

 

人気者で。

 

そして運動もできる。

 

 

自信だって、ある。

 

 

そんな人が同じ人を好きなら、

 

 

きっと。

 

 

きっと——

 

 

すずは小さく呟いた。

 

 

「……すごいね」

 

 

その声は、
自分でも驚くくらい静かだった。

 

 

花音はすずを見ていた。

 

 

ほんの少し、目を細める。

 

 

そして、
ゆっくり口を開いた。

 

 

「でもね」

 

 

その声は、
さっきまでとは少し違っていた。

 

 

柔らかくて。

 

 

どこか、
優しい響きだった。

 

 

「もしさ」

 

 

花音は続ける。

 

 

「一ノ瀬さんに気になる人がいたとして」

 

 

少し間を置く。

 

 

その瞳は、
すずの奥を静かに見ていた。

 

 

「私みたいなライバルが現れたとしても」

 

 

すずの心臓が、
一瞬だけ強く鳴る。

 

 

花音は言った。

 

 

「そこは諦めないでね」

 

 

 

その言葉は、

 

 

すずの予想とは
まったく違う方向から落ちてきた。

 

 

「……え?」

 

 

思わず顔を上げる。

 

 

すずの目が、
大きく見開かれる。

 

 

花音は、
そんなすずを見ながら続けた。

 

 

「負けないで」

 

 

すずは、
信じられないものを見るように
花音を見つめた。

 

 

(どうして……?)

 

 

さっきまで、

 

 

「私は魅力的だから勝つ」

 

 

そう言っていた人が。

 

 

どうして、
そんな言葉を言うのか。

 

 

花音は、少し肩をすくめる。

 

 

「恋ってさ」

 

 

窓の方へ一瞬視線を向けて、
またすずへ戻した。

 

 

「自信が一番大事なんだよ?」

 

 

その言葉は、
とても自然だった。

 

 

まるで、
昔からそう思っていたみたいに。

 

 

「もちろん」

 

 

花音は少し笑う。

 

 

「さっきも言ったけど、私は自信ある」

 

 

その言葉に、
迷いはない。

 

 

でも。

 

 

そのあと、
花音はゆっくりと言葉を続けた。

 

 

「でもね?」

 

 

「決めるのは、私じゃない」

 

 

すずの瞳が、
静かに揺れる。

 

 

花音は言った。

 

 

「決めるのは、その好きな人だから」

 

 

保健室の空気が、
ふっと静かになる。

 

 

「だから」

 

 

花音は、
まっすぐすずを見た。

 

 

「それまではさ」

 

 

「自信持って」

 

 

「全力で恋に向かっていこ?」

 

 

その言葉は、

 

 

どこか
眩しいくらいまっすぐだった。

 

 

そして、
花音は少しだけ微笑む。

 

 

「一ノ瀬さんってさ」

 

 

「気遣いできるし」

 

 

「何にでも真っ直ぐ取り組んでるじゃん」

 

 

すずの胸が、
少しだけ震える。

 

 

花音は続けた。

 

 

「そういうのって、すごく素敵だと思うよ」

 

 

その言葉は——

 

 

本当に、
まっすぐだった。

 

 

ライバルだと知っていて。

 

 

それでも、
相手を認める言葉。

 

 

そんなことを言える人が、
この世にどれだけいるだろう。

 

 

すずは、
しばらく何も言えなかった。

 

 

胸の奥にあった
重たいものが、

 

 

少しずつ
形を変えていく。

 

 

(……すごい人だ)

 

 

心の底から、
そう思った。

 

 

東雲花音。

 

 

やっぱり、
眩しいくらい凄い人だった。

 

 

すずは、
小さく息を吸う。

 

 

そして、
花音をまっすぐ見た。

 

 

「……もし」

 

 

言葉を選びながら言う。

 

 

「そうなったら」

 

 

ほんの少しだけ、
笑う。

 

 

「頑張る」

 

 

その顔は、
さっきまでより
少しだけ強かった。

 

 

少しだけ、
自信が戻ったような顔。

 

 

花音はそれを見て、
ふっと微笑んだ。

 

 

「うん」

 

 

その笑顔は、
どこまでも綺麗だった。



保健室の扉を開けると、廊下には午後のやわらかな光が差し込んでいた。
窓から入る風が、どこか運動場の土の匂いを運んでくる。

すずは腕に貼られたばかりの絆創膏をちらりと見下ろした。
転んだ拍子に擦りむいた腕。血は出たが、大した傷ではない。

痛みも、もうほとんど気にならない。

隣では、花音が歩幅を合わせるように歩いていた。

「本当に大丈夫? 一ノ瀬さん、さっきまでは血でてたけど」

「うん、大丈夫。絆創膏も貼ってもらったし」

すずは軽く腕を振ってみせる。
その様子に、花音は少しだけ安心したように息をついた。

思い返せば、ほんの少し前の出来事だ。

体育祭の練習で行った二人三脚。
ペアはひかりと夏希。

最初は順調だったのに、途中でひかりがバランスを崩した。
身体が大きく傾き、そのまま前に倒れそうになった瞬間――

すずは咄嗟に、ひかりを支えるように身体を寄せた。

その結果、勢いよく地面に倒れたのはすずの方だった。

腕を擦りむき、少し血が滲んだ。

けれど。

「ごめんね、すず……!」

慌てて謝るひかりの顔を見たとき、
すずは心の中で密かに思わず笑ってしまったのだ。

大げさなくらい心配そうな顔をしているから。

――そんなに気にしなくてもいいのに。

すずにとっては、本当に大したことではなかった。

むしろ、ひかりが無事だったことの方がよほど大事だった。

廊下を歩きながら、すずはふと思い出す。

さっき保健室で交わした会話。

「ありがとう、東雲さん」

お礼を告げる。

それに、少しだけ自然に言葉を返せたこと。

以前なら、こんな風に並んで教室へ戻ることなんてなかった気がする。

不思議だ。

ほんの少しだけ――
距離が近づいた気がした。

そんなことを思っているうちに、教室の前へと辿り着く。

ガラリ、と扉を開けると――

中には、体育祭の準備を終えたクラスメイトたちが次々と戻ってきていた。
机を動かす音や、誰かの笑い声が教室に満ちている。

「すず!」

真っ先に声を上げたのは、ひかりだった。

その隣には夏希と大翔もいる。

三人とも、すずの姿を見るなり一斉に駆け寄ってきた。

「大丈夫!? 怪我!」

「結構血出てたぞ!」

「痛くない!?」

一気に心配の言葉を浴びせられて、すずは少しだけ目を丸くする。

それから、くすっと小さく笑った。

「大丈夫だよ」

腕を軽く持ち上げ、絆創膏を見せる。

「ほら。これくらい」

三人は顔を見合わせ、ほっとしたように肩の力を抜いた。

「ほんと無理すんなよ?」

大翔がそう言うと、すずは頷く。

「うん。ありがとう」

その様子を、少し離れた席から見ている人物がいた。

湊だ。

さりげなく視線だけを向ける。

腕の絆創膏。

周りに囲まれて笑っているすず。

――大丈夫そう、かな。

胸の奥で、わずかに張り詰めていたものが緩む。

本人が「大丈夫」と言うのなら、きっと本当にそうなのだろう。

湊は視線を外し、何事もなかったように前を向いた。

けれど。

誰にも気づかれないほど小さく、
胸の奥で安堵の息をつくのだった。

こうして。

体育祭へ向けた日々は、
少しずつ、けれど確実に進んでいく。

笑い声と、期待と、
それぞれの胸に秘めた想いを抱えながら――

季節は、体育祭の本番へと
静かに近づいていった。
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