桜の下で、君に恋した春

ひかゆづ

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走る姿と、言えない気持ち 5

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女子リレーの歓声は、まだグラウンドのあちこちに残っていた。

 

「東雲さん速っ!」

「やばい、あれアンカー確定じゃん」

 

クラスメイトたちの声が、風に混じって聞こえてくる。

 

その中心にいるのは、もちろん花音だった。

 

笑顔で誰かと話しながら、
でもどこか余裕のある立ち姿。

 

走り終えたばかりとは思えないほど、呼吸も乱れていない。

 

まるで――

 

最初から、こうなることが分かっていたみたいに。

 

 

すずは、少し離れた場所でそれを見ていた。

 

胸の奥が、じんわり重たい。

 

(やっぱり……すごい)

 

 

容姿端麗。

 

人気者。

 

そして運動もできる。

 

 

まるで、
全部揃っているみたいな人。

 

 

そんな花音を見ていると、
胸の奥が少しずつ縮こまっていく。

 

 

そのときだった。

 

 

ずきん。

 

 

腕に、鈍い痛みが走る。

 

 

「あ……」

 

 

さっき転んだときの傷だった。

 

 

たいした怪我じゃないと思っていた。

 

 

でも、よく見ると。

 

 

白い体操服の袖口のあたりに、
赤い色が滲んでいる。

 

 

血。

 

 

すずは、ぼんやりとそれを見つめた。

 

 

赤い点が、
じわりと広がっていく。

 

 

まるで、
さっきの胸の痛みと重なるみたいに。

 

 

(……こんなに、出てたんだ)

 

 

ぼうっと、傷口を見つめる。

 

 

そのとき。

 

 

「すず!?」

 

 

ひかりの声が飛んできた。

 

 

「え、ちょっと待って!」

 

 

夏希もすぐに駆け寄る。

 

 

「それ血出てるじゃん!」

 

 

二人がすずの腕を見る。

 

 

ひかりの顔が、すぐに心配そうに歪んだ。

 

 

「さっき転んだとき!?」

 

 

すずは慌てて首を振る。

 

 

「だ、大丈夫だよ」

 

 

「そんな大した怪我じゃ――」

 

 

「大した怪我だよ!」

 

 

ひかりが言う。

 

 

「保健室行こう!」

 

 

夏希も頷く。

 

 

「私たちついてく」

 

 

そのときだった。

 

 

「どうしたの?」

 

 

落ち着いた声が、すぐ後ろから聞こえた。

 

 

振り向くと、
そこには花音が立っていた。

 

 

ひかりが言う。

 

 

「すず転んで怪我してて!」

 

 

花音の視線が、
すずの腕へ落ちる。

 

 

赤く滲む血。

 

 

ほんの一瞬、
花音の表情が曇った。

 

 

「……結構出てるね」

 

 

そしてすぐに言う。

 

 

「保健室行こう」

 

 

ひかりが言う。

 

 

「私たちも行く!」

 

 

そのとき、花音が少し笑った。

 

 

「大丈夫」

 

 

柔らかい声で言う。

 

 

「副委員長だから」

 

 

「私が連れていくね」

 

 

ひかりと夏希は顔を見合わせる。

 

 

「……ほんと?」

 

 

「うん」

 

 

花音は頷いた。

 

 

「先生には私が説明する」

 

 

その言葉は、自然だった。

 

 

まるで、
最初からそうするつもりだったみたいに。

 

 

 

――でも。

 

 

花音の胸の奥には、
もう一つの理由があった。

 

 

(……やっぱり)

 

 

さっきから気になっていた。

 

 

一ノ瀬すず。

 

 

この子。

 

 

きっと――

 

 

(湊のこと、好きだよね)

 

 

女の勘。

 

 

確信に近い感覚。

 

 

だからこそ。

 

 

少しだけ、
二人で話してみたかった。

 

 

敵を知る。

 

 

そんな大げさなものじゃない。

 

 

でも――

 

 

(どんな子なんだろう)

 

 

そう思っていた。

 

 

 

すずは、
そんな花音の考えを知るはずもない。

 

 

ただ、
隣に立つ花音の存在に、
胸が落ち着かなかった。

 

 

(東雲さん……)

 

 

ついさっきまで、
グラウンドの中心にいた人。

 

 

眩しいくらいの存在。

 

 

そんな人が、
今、自分の隣にいる。

 

 

すずは小さく頭を下げた。

 

 

「……ありがとう」

 

 

花音は軽く笑った。

 

 

「うん」

 

 

そして体育教師のところへ行き、
状況を簡単に説明する。

 

 

「一ノ瀬さん転んで怪我したので、保健室連れていきます」

 

 

先生はすぐに頷いた。

 

 

「わかった」

 

 

「気をつけてな」

 

 

 

二人はグラウンドを離れた。

 

 

校舎へ続く道。

 

 

春の風が、
少しだけ汗ばんだ肌を撫でる。

 

 

二人の間には、
少しだけ沈黙が流れていた。

 

 

やがて保健室の前に着く。

 

 

花音がドアを開ける。

 

 

「失礼します」

 

 

けれど。

 

 

中には、誰もいなかった。

 

 

「……あれ?」

 

 

すずが小さく言う。

 

 

花音も周りを見る。

 

 

「先生いないね」

 

 

静かな保健室。

 

 

白いカーテン。

 

 

消毒液の匂い。

 

 

窓から、午後の光が差し込んでいる。

 

 

「絆創膏探すね」

 

 

花音は棚を開け始めた。

 

 

すずは椅子に座る。

 

 

腕の傷が、
少しじんじんする。

 

 

でもそれより――

 

 

花音の存在が、
近すぎた。

 

 

「……あった」

 

 

花音が小さく言う。

 

 

絆創膏を取り出して、
すずの前に来る。

 

 

「自分で貼るよ」

 

 

すずは慌てて言った。

 

 

でも。

 

 

花音は、
やさしく首を振った。

 

 

「動かないで」

 

 

「ちゃんと貼るから」

 

 

そう言って、
すずの腕をそっと取る。

 

 

その距離が、
急に近くなる。

 

 

ふわり、と。

 

 

シャンプーの匂いがした。

 

 

甘くて、
清潔で、
柔らかい香り。

 

 

すずの胸が、
どくんと跳ねる。

 

 

(……いい匂い)

 

 

思わず、
花音の横顔を見つめてしまう。

 

 

長い睫毛。

 

 

整った輪郭。

 

 

綺麗な指先が、
そっと絆創膏を貼る。

 

 

(女の私でも……)

 

 

胸の奥で思う。

 

 

(ときめくんだから)

 

 

(男子が惚れないわけないよね……)

 

 

沈黙が、
保健室に落ちる。

 

 

それが少し気まずくて、
すずは口を開いた。

 

 

「……東雲さん」

 

 

花音の手が、
一瞬止まる。

 

 

すずは言った。

 

 

「運動もできて……すごいね」

 

 

「みんなが惹かれるの、わかる」

 

 

その言葉に、

 

 

花音が、ゆっくり顔を上げた。

 

 

すずを見る。

 

 

その瞳は、
まっすぐだった。

 

 

自信がある人の瞳。

 

 

すずは続けてしまう。

 

 

つい。

 

 

心の声が、
そのまま口から出た。

 

 

「……東雲さん、人気だよね」

 

 

ほんの一瞬。

 

 

沈黙。

 

 

そして。

 

 

花音が、小さく笑った。

 

 

「うん」

 

 

否定しない。

 

 

でも。

 

 

嫌味は、
まったくなかった。

 

 

ただ、
それが当たり前のことみたいに。

 

 

花音は静かに言った。

 

 

「私、運動も出来ちゃうから」

 

 

少し肩をすくめる。

 

 

「みんな憧れるんだよね」

 

 

「だから今のところ、不自由はないかな」

 

 

そして。

 

 

少しだけ視線を遠くへ向けた。

 

 

「唯一悩みがあるとしたら」

 

 

「好きな人のこと」

 

 

その瞬間。

 

 

すずの瞳が、
わずかに揺れた。

 

 

ほんの一瞬。

 

 

でも。

 

 

花音は、それを見逃さない。

 

 

ゆっくり、
すずを見る。

 

 

そして、続けた。

 

 

「でも私」

 

 

静かな声。

 

 

「湊が人気で、他の女子から告白されたとしても」

 

 

少し笑う。

 

 

「この恋には絶対自信ある」

 

 

まっすぐな瞳。

 

 

迷いがない。

 

 

「だって私、魅力的だもん」

 

 

嫌味じゃない。

 

 

本当にそう思っている人の言葉。

 

 

そして――

 

 

花音の瞳の奥に、
もう一つの意味が浮かんでいた。

 

 

(知ってるよ)

 

 

(あなたが湊を好きなこと)

 

 

(それでも)

 

 

(勝つのは私)

 

 

その無言の宣言が、

 

 

すずの胸の奥に、
静かに突き刺さっていた。
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