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第69話 手紙
エリック様、しつこい。
兜を脱いだ途端、ハンナにとって、フィリップ殿下はエリック様に変身した。
機嫌を取ったり、遠慮したりしなくていい人だ。
「あなたとなら結婚しても構わないわ。だけど、フィリップ殿下は困ります」
ハンナはついに言った。
「えっ? 何言ってんの。僕の名前はフィリップ・ヘンリー・エリック……」
まだミドルネームがあるのか。さすが王族。長いな。
ハンナは説明をさえぎった。
「あなたは好き。でも、王子妃はイヤ。それに……」
これから言うポイントも、大事だ。
「絶世の美男子なんて、周りからやっかまれて大変なので! 私が殿下にまとわりついて、身分違いの結婚になったって言われて、きっと酷い目にあうわ! もう、私、領地に引っ込みます!」
王都の社交界は権謀術数渦巻く魔界で、学園はそのミニ版だと聞いたことがある。
そこまでひどくはなかった。両親は心配していたけど、ハンナはアレクサンドラ殿下のおかげでいじめの標的にもならなかったし、リリアンやマチルダ、それにその婚約者たちのおかげで何かと守ってもらえた。
でも、隣国のエリザ嬢やジョゼフィン嬢も、参戦してきた今となっては、やっぱり無理かもという気がしてきたわ。
フィリップ殿下はなんだか目を丸くして、それから、涙ぐんだ。
「ハンナ。嬉しい。それこそ一番聞きたかった言葉だ。一緒に領地に引っ込もう」
領地は本題じゃないんだってば!
「結婚しようね、ハンナ」
「いや、だから、何を聞いてたんですか!」
手を絡めとられそうになって、ハンナは身をひるがえして抵抗しながら言い返した。
「あなたは王都で華やかに暮らした方がいいんです。その方が皆様のお役に立てます。私は地味だから領地の方がいいと思う」
「ああ、ハンナ、わかってないな。でも、まだ言えないんだ。今、言えるのは、ハンナが好きってことだけだよ」
ハンナは猛烈に疲れて自邸に戻った。
護衛騎士様の詰め所は、しょっちゅう誰かがドアを遠慮なく開けようとして、その都度、他の護衛騎士様に見つかって否応なくドアから引っぺがされるらしかった。
声を出さないことになってはいても、ガタンとか、ウオッ? とかガタガタガタッといった物音が聞こえる。
つまり、それは誰かが盗み聞きしていると言うことで……何だったら、のぞき見していると言うことで、ハンナは気が気ではなかった。
エリック様……ああ、フィリップ殿下か。どちらでもいいけど、しつこい。
一体、彼は何を考えているのか。
貴族令嬢に対するエリック様のふるまいは、騎士道とか、紳士のあるべき姿とか、礼儀作法とか、そう言ったものからかけ離れた、貴族代表の王家の一員にとしてあるまじき姿だった。令嬢から許されない限り、距離を詰めてはいけないんだってば!
怪しからん。全く。
だと言うのに、嬉しそうに触れられると、ものすごい吸引力があるのだ。ふらふらとついて行きそうになるではないか。ジョージなんか、見ただけで、逆方向に向かって走り去りたくなるのに。
疲れた。
翌朝、ハンナは両親に大事な話があるので、書斎まで来るように言われた。
「これから学園がありますのに」
今日はアレクサンドラ殿下の用事はない日だ。ハンナはしぶしぶ両親の後について、父の書斎のテーブルについた。
「学園も大事だけど、夕べ殿下から手紙が来てね」
ハンナは頬を染めた。手が早いな、殿下。あれからお手紙書いたのか。
「実は昨日、殿下から結婚を申し込まれまして……」
両親は目を丸くした。
「それで?」
「お断りしましたわ。不敬かもしれませんが、私のようなただの伯爵家の娘が王家へ輿入れだなんて、考えられません」
両親はちょっと意外な娘の言葉に黙った。ウチはただの伯爵家ではないんだけどな。それより、断ったのか。王家に向かって、遠慮会釈ないな。すごいな、ハンナ。さすがは我が娘だ?
頭の回転の速い伯爵だったが、立て直すのに少々時間がかかった。
「世間的に言うと、フィリップ殿下は第二王子殿下だが、王太子殿下にはお子様が大勢いるので現実的に王位を継ぐことは考えられない。ある程度、自由に結婚できると思われている。王妃様も、国王陛下も、この結婚に反対はしていない」
今度はハンナが驚く番だった。
「国王陛下のご意向なんて、どうしてお分かりになりますの?」
書斎のテーブルは大きくて立派なものだった。
ただ、父が重要な商談をする時使うものなので、立派だが、なんともビジネスライクな代物だった。
テーブルの上には、手紙の山が三つに分けられて並べられていた。一番右には数通の小さな手紙の山。真ん中にはなんだかとても立派な封書に入った手紙の山。左側は手紙の大山だった。いろいろな材質、形の手紙が雑多に積まれている。
父は一番小さな山に手を触れていった。
「これはハンナからの手紙」
見覚えがあった。
困った時、ハンナは手紙を書いた。ジョージの婚約白紙宣言は、別にジョージを好きではなかったけれど、やはりうれしくない。
まるで自分の価値を否定されたような気持ちだった。
どうして両親は返事を書いてくれなかったのだろう。
「私たち、これを読んですぐに王都に駆け付けようとしたの」
「だけどね、追いかけるように、フィリップ殿下から手紙が来たんだ」
いつも軽い調子で話す父が低音でしゃべっている。
「内容はハンナを妻に迎えたいと言うものだった。僕たちはびっくり仰天した」
ハンナもびっくりした。何してるの! 殿下。
「それはいつ頃の話ですか?」
「だいぶ前だよね。入学してすぐだった。そして、しばらく様子を見てくれと頼まれた。つまり、手を出すなと」
ハンナは意外過ぎて目を見張った。
「ハンナからの最初の手紙は、ジョージとの婚約について事情があるのかという問い合わせだったよね。聞かれている内容がどういうことなのか、よくわからなくて、返事を出すのが遅れたんだ。ジョージのことが気に入らなかったのかなあって、僕たちは考えていた。だって、ジョージはハンナの気に入るように一生懸命頑張ると僕たちの前では言ってたから」
「入学してすぐ、ジョージが私に学園内では会いたくないと、手紙で言ってきたのです。私のことを地味で目立たない娘なので、婚約者であることは心外だと言っていました。それで私は婚約をやめたかったのです。ただ、家の方に事情があれば、出来ないかもしれません。事情を聞いておきたかったのです」
ハンナにしては、ちょっとぶっきらぼうに言った。
父は驚いた顔をした。
「それで手紙を書いたのか」
ジョージの悪口を言いたいわけではなかったので、手紙では婚約の経緯だけを尋ね、事情を書かなかった。
「学園に入った最初からそんな調子だったの?」
ハンナにとっては、婚約前のジョージが両親に向かってそんなことを言っていたことの方が驚きだった。ハンナは唇をかんだ。
本当に、有利な方ばかりを嗅ぎ分け、そちら側に寝返る。野心家なだけだと言えばそうでしょうけど、こんな言い方はよくないと思うけれど、ジョージは品性が下劣だと思うわ 。
兜を脱いだ途端、ハンナにとって、フィリップ殿下はエリック様に変身した。
機嫌を取ったり、遠慮したりしなくていい人だ。
「あなたとなら結婚しても構わないわ。だけど、フィリップ殿下は困ります」
ハンナはついに言った。
「えっ? 何言ってんの。僕の名前はフィリップ・ヘンリー・エリック……」
まだミドルネームがあるのか。さすが王族。長いな。
ハンナは説明をさえぎった。
「あなたは好き。でも、王子妃はイヤ。それに……」
これから言うポイントも、大事だ。
「絶世の美男子なんて、周りからやっかまれて大変なので! 私が殿下にまとわりついて、身分違いの結婚になったって言われて、きっと酷い目にあうわ! もう、私、領地に引っ込みます!」
王都の社交界は権謀術数渦巻く魔界で、学園はそのミニ版だと聞いたことがある。
そこまでひどくはなかった。両親は心配していたけど、ハンナはアレクサンドラ殿下のおかげでいじめの標的にもならなかったし、リリアンやマチルダ、それにその婚約者たちのおかげで何かと守ってもらえた。
でも、隣国のエリザ嬢やジョゼフィン嬢も、参戦してきた今となっては、やっぱり無理かもという気がしてきたわ。
フィリップ殿下はなんだか目を丸くして、それから、涙ぐんだ。
「ハンナ。嬉しい。それこそ一番聞きたかった言葉だ。一緒に領地に引っ込もう」
領地は本題じゃないんだってば!
「結婚しようね、ハンナ」
「いや、だから、何を聞いてたんですか!」
手を絡めとられそうになって、ハンナは身をひるがえして抵抗しながら言い返した。
「あなたは王都で華やかに暮らした方がいいんです。その方が皆様のお役に立てます。私は地味だから領地の方がいいと思う」
「ああ、ハンナ、わかってないな。でも、まだ言えないんだ。今、言えるのは、ハンナが好きってことだけだよ」
ハンナは猛烈に疲れて自邸に戻った。
護衛騎士様の詰め所は、しょっちゅう誰かがドアを遠慮なく開けようとして、その都度、他の護衛騎士様に見つかって否応なくドアから引っぺがされるらしかった。
声を出さないことになってはいても、ガタンとか、ウオッ? とかガタガタガタッといった物音が聞こえる。
つまり、それは誰かが盗み聞きしていると言うことで……何だったら、のぞき見していると言うことで、ハンナは気が気ではなかった。
エリック様……ああ、フィリップ殿下か。どちらでもいいけど、しつこい。
一体、彼は何を考えているのか。
貴族令嬢に対するエリック様のふるまいは、騎士道とか、紳士のあるべき姿とか、礼儀作法とか、そう言ったものからかけ離れた、貴族代表の王家の一員にとしてあるまじき姿だった。令嬢から許されない限り、距離を詰めてはいけないんだってば!
怪しからん。全く。
だと言うのに、嬉しそうに触れられると、ものすごい吸引力があるのだ。ふらふらとついて行きそうになるではないか。ジョージなんか、見ただけで、逆方向に向かって走り去りたくなるのに。
疲れた。
翌朝、ハンナは両親に大事な話があるので、書斎まで来るように言われた。
「これから学園がありますのに」
今日はアレクサンドラ殿下の用事はない日だ。ハンナはしぶしぶ両親の後について、父の書斎のテーブルについた。
「学園も大事だけど、夕べ殿下から手紙が来てね」
ハンナは頬を染めた。手が早いな、殿下。あれからお手紙書いたのか。
「実は昨日、殿下から結婚を申し込まれまして……」
両親は目を丸くした。
「それで?」
「お断りしましたわ。不敬かもしれませんが、私のようなただの伯爵家の娘が王家へ輿入れだなんて、考えられません」
両親はちょっと意外な娘の言葉に黙った。ウチはただの伯爵家ではないんだけどな。それより、断ったのか。王家に向かって、遠慮会釈ないな。すごいな、ハンナ。さすがは我が娘だ?
頭の回転の速い伯爵だったが、立て直すのに少々時間がかかった。
「世間的に言うと、フィリップ殿下は第二王子殿下だが、王太子殿下にはお子様が大勢いるので現実的に王位を継ぐことは考えられない。ある程度、自由に結婚できると思われている。王妃様も、国王陛下も、この結婚に反対はしていない」
今度はハンナが驚く番だった。
「国王陛下のご意向なんて、どうしてお分かりになりますの?」
書斎のテーブルは大きくて立派なものだった。
ただ、父が重要な商談をする時使うものなので、立派だが、なんともビジネスライクな代物だった。
テーブルの上には、手紙の山が三つに分けられて並べられていた。一番右には数通の小さな手紙の山。真ん中にはなんだかとても立派な封書に入った手紙の山。左側は手紙の大山だった。いろいろな材質、形の手紙が雑多に積まれている。
父は一番小さな山に手を触れていった。
「これはハンナからの手紙」
見覚えがあった。
困った時、ハンナは手紙を書いた。ジョージの婚約白紙宣言は、別にジョージを好きではなかったけれど、やはりうれしくない。
まるで自分の価値を否定されたような気持ちだった。
どうして両親は返事を書いてくれなかったのだろう。
「私たち、これを読んですぐに王都に駆け付けようとしたの」
「だけどね、追いかけるように、フィリップ殿下から手紙が来たんだ」
いつも軽い調子で話す父が低音でしゃべっている。
「内容はハンナを妻に迎えたいと言うものだった。僕たちはびっくり仰天した」
ハンナもびっくりした。何してるの! 殿下。
「それはいつ頃の話ですか?」
「だいぶ前だよね。入学してすぐだった。そして、しばらく様子を見てくれと頼まれた。つまり、手を出すなと」
ハンナは意外過ぎて目を見張った。
「ハンナからの最初の手紙は、ジョージとの婚約について事情があるのかという問い合わせだったよね。聞かれている内容がどういうことなのか、よくわからなくて、返事を出すのが遅れたんだ。ジョージのことが気に入らなかったのかなあって、僕たちは考えていた。だって、ジョージはハンナの気に入るように一生懸命頑張ると僕たちの前では言ってたから」
「入学してすぐ、ジョージが私に学園内では会いたくないと、手紙で言ってきたのです。私のことを地味で目立たない娘なので、婚約者であることは心外だと言っていました。それで私は婚約をやめたかったのです。ただ、家の方に事情があれば、出来ないかもしれません。事情を聞いておきたかったのです」
ハンナにしては、ちょっとぶっきらぼうに言った。
父は驚いた顔をした。
「それで手紙を書いたのか」
ジョージの悪口を言いたいわけではなかったので、手紙では婚約の経緯だけを尋ね、事情を書かなかった。
「学園に入った最初からそんな調子だったの?」
ハンナにとっては、婚約前のジョージが両親に向かってそんなことを言っていたことの方が驚きだった。ハンナは唇をかんだ。
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