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10.王妃の心の傷
しおりを挟む「お待たせしました」
「あら、リリアナ、ようやく来たのね」
「はい、今日は騎士様のお怪我が多くて」
「そうなの? さ、はやくこちらにいらして」
初めてリリアナが王妃の寝室に入り、「スライムを置いておまえは帰れ」と言われて一か月。
ほんとにそんなことあったか? とリリアナ自身も思うくらい、王妃に好かれていた。
理由は簡単。
王妃がひとりで抱えてきた悩みをそれとな~くヒアリングし、解消してあげたからだ。
悩みはふたつあった。
ひとつは王子セオドラについて。王族ならすでに婚約者がいてもおかしくないのに、まだ決めかねている王子の将来が心配なんだそう。それについては、残念ながらリリアナにはどうすることもできない。
もうひとつは戦争について。
『わたくしは怖い。先の戦争では犠牲者がほとんどいなかったそうだけれど、それでも胸が痛いの。呪われた民にもなにもしてやれなかった。わたくし、また戦争が起きるんじゃないかって、気が気じゃないの』
王や息子たちの前では気丈にふるまう王妃も、ひとりの女性だ。
一筋の涙をこぼしながら弱音を吐く彼女を、リリアナは根気強く慰めた。
また、食事が思うように喉を通らないと言っていた王妃も、そんなリリアナに少しづつ心を開きはじめ、彼女が持ってくるお菓子を食べるようになった。
「今日のお菓子はなにかしら」
「王妃様、その前に少しお散歩しませんか? 温室のお花が、いま綺麗に咲いているそうですわ」
「ま、このわたくしにお菓子のおあずけをしようって言うの? しょうがないわ、行ってみましょう」
部屋から一歩も外へ出なくなっていた王妃は、リリアナに連れられて図書館や温室、中庭などに顔を出すようになっていた。
城に勤める人々はにこやかに笑う王妃を見て、最初は驚いていたが、今ではそんなに気にしていない。
ついでにスライム(の見た目をした精霊王)のライムも、王妃のはからいでプルプル歩いているが、それももう見慣れている。
「おや、リリアナ。と、母上」
「ま、母はついで?」
ふたりが温室へ行くと、そこには王子がいた。
「セオドラ、どうしてここに?」
「君が温室に向かっていると聞いて、会いに来たんだが――、母上と一緒だったか」
「先ほどから母を邪魔者扱いしていないかしら?」
「いや、母上、そんなことはないよ。元気になってよかった」
「ふふ、リリアナのおかげでね。悩みをすべて吹き飛ばしてくれたわ」
王妃は温室の椅子に座り、膝の上にライムをのせた。
ぷにぷにと触っている。
「王妃様、私、ひとつめの悩みはノータッチですよ?」
「やだわ、ローレルとおっしゃいと何度も言っているでしょう。それから、その悩みは解決できそうですもの、あなたのおかげで」
リリアナは、「戦が怖い」と泣く王妃に、「私がこの国にずっといます。それなら絶対、誰も、死んだり苦しんだりしません」と言って慰めた。実際に、リリアナは居心地のいいこの国に定住しようと思っていた。
しかし、王子の婚約者探しについてはなにも言ってない。
なので、王妃の含みのある物言いに首をかしげる。
「ローレル様、それはどういう――」
「ローレル様!」
リリアナの発言をしっかりと遮り、ひとりの少女が王妃に声をかけた。
その少女はリリアナと同じくらいの年齢に見え、赤い髪に赤い瞳と、非常に情熱的な容姿をしている。
彼女の後ろには、王妃に影で”取り巻き”と呼ばれている三人の少女たちが立っていた。
全員に共通して言えるのは、雰囲気や言葉遣い、それから着ているものが上品で、この国の高位貴族のご令嬢たちであるということだった。
「まあ、本当の邪魔者が来たわ」
王妃はリリアナにだけ聞こえるようにそう言った。
もちろん聞こえていない情熱的な見た目の女性は、王妃に向かって嬉々として口を開いた。
「ご機嫌うるわしゅう、ローレル様。本日は実にお茶会日和ですわ。もしよろしければ、わたくしどもと――」
「結構よ。それにわたくし、あなたにローレルとお呼びなさいとは言ってないと思うのですが」
「失礼いたしましたわ、王妃様。近頃お加減がよろしいとお聞きし、王城へ参上した次第でございますの。お元気になられて、わたくし嬉しいんですの」
王妃にお茶会の誘いを断られ、名前呼びの禁止もくらったというのに、ペラペラと話すのをやめない。
実際、彼女は王妃が元気になってきていることを心から喜んでいるように見える。
「セオドラ様、ごきげんよう。今日は――」
ようやく長い自分語りやらなんやらが終わったと思えば、次は王子をターゲットにしてしゃべり続けている。
「リリアナ、今日はもう部屋へ戻りましょう」
王妃のうんざりとした提案により、ふたりは王子を見捨てて王妃の寝室に戻った。
「今日もほんとに元気だわ、あの娘は」
「あの方は?」
リリアナが聞くと、王妃は説明した。
「彼女はね、この国の侯爵令嬢なの。たしか名前は、ホーリーだったかしら。あまり無下にもできないから、扱いに困るのよね。王太子妃の座を狙っている様子なのよ」
「それなら、王子様の婚約もご心配いらないのでは?」
「ま、あなたって欲がないのね」
リリアナは突然自分に矛先が向いたことに首をかしげた。
その様子を見た王妃はクスクスと笑い、「冗談よ、いまのところは」と謎の発言をした。
リリアナはさらに首をかしげることになった。
「それにね、エザラ――あ、国王のことよ? エザラの弟君が彼女を嫌っているから、婚姻は無理でしょうね」
王妃の話によると、セオドラのことを特別気に入っている王弟が、彼の婚姻にあれこれ口出ししてくるらしい。
「その方はいまどちらに?」
「さあ? 十年ほど前にご友人のひとりと国を出て以来、わたくしはどこにいらっしゃるのか知らないわ。エザラが弟君と文通しているのよ」
兄弟で手紙を送りあうとは、なんとも平和だ。
リリアナはのんきにそう思っていた。
「リリアナ、もしこの国の貴族令嬢にいじめられたら言うのよ? わたくしがとっちめて差し上げるわ」
「ローレル様、お顔が怖いですよ」
黒い髪に黒い瞳の悪役顔。ライムがリリアナと王妃は生き別れの親子なんじゃないかと疑うくらい、ふたりは似ていた。
もちろん血もつながってない他人だが。
「それで? 今日は誰に水をかけられたのかしら?」
「えっ?」
リリアナは驚く。
確かに今朝、騎士団の医務室に行こうとした際に貴族令嬢と思われる女性から水をかけられていた。
それにしてもなぜ、ローレル様が知ってるの?
そんなリリアナの疑問はすぐにかき消された。
「あのね、リリアナ。王妃を舐めたらだめよ。お気に入りの娘がいじめられていることなんて、すぐに伝わってくるんだから」
「はあ……。でも、水をかけられるのは慣れてますし……」
「ま! もしかして聖教国で? そう、大変だったのね」
国王や王子から散々リリアナの出自を聞いていたので、彼女が聖教国でいじめられていたということはよく知っている。
リリアナからすればいじめと言うほどのものではなかったが、はたから見れば完全に悪意溢れるいじめだ。
王妃はリリアナをまるで娘のように思っている。
実際には、王妃はセオドラの他にもふたりのお転婆なこどもがいるが、あのお転婆たちよりもリリアナのことをよっぽど可愛く思っていた。
「いい? 今度いじめられたら、わたくしがただではおかないわ。しっかり顔を見て覚えておくのよ!」
すっかり元気になった王妃を見て、リリアナは思った。
すこし元気になりすぎたのかもしれない、と。
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