二つの願い

釧路太郎

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 いつもより遅く起きてしまったのだけれど、旦那もまだ寝ているのでそれほど罪悪感は感じていなかった。息子は先に起きていたようだけれど、私達が寝ていたからか動かずに何かを数えているようだった。何を数えているか聞いてみたところ、ただ数字を知っているだけ数えていたらしい。
 旦那が起きたのはお昼を少し過ぎたあたりだったのだけれど、私と息子が一緒に作ったホットケーキを嬉しそうに食べていたのが印象的だった。こんな幸せな日常がいつまでも続くといいなと思っていたけれど、この家には良い悪いは判断できないけれど、得体のしれない何かがやってきているのだ。

 柏木さんから連絡がきたのはまだ太陽が高い位置にある時間帯だったのだけれど、草薙さんが東京にやってくるのは早くても夕方になりそうだとの事だった。私と息子が柏木さんを迎えに行く事になったのだけれど、柏木さんは昼食をとっていないらしく、三人で駅の近くにあるレストランに入る事にした。

 息子はクリームソーダを美味しそうに飲んでいて、私はいつものアイスカフェオレを飲んでいた。柏木さんはこの店自慢のクリームコロッケを食べていたのだけれど、表情を見ているだけでも満足してもらえたのがハッキリと分かった。

「凄いですね。東京のレベルが高いのか、このお店のクオリティが凄いのかわからないですけど、こんなに美味しいものがこのお値段で食べられるなんて信じられないですよ。地元でも結構食べてきた方だと思うんですけど、こんなに美味しかったこと無いですもん。お二人は食べなくてもいいんですか?」
「私達はさっきホットケーキを食べたんですよ。息子と一緒に作って食べたんですけど、旦那がたくさんおかわりしちゃって、今はきっと満腹感に襲われて眠っちゃってるんじゃないですかね」
「美味しいものをたくさん食べると眠くなっちゃいますもんね。私も食べすぎないように気を付けなくちゃですね。そうそう、草薙なんですけど、先ほど仕事が終わって真っすぐこちらに向かってくるそうです。その時にどんな状況になるのかわからないので、旦那さんも呼んで一度みんな集まってもらってもいいですか?」
「私は大丈夫なんで、旦那にも連絡しておきますね。集まる場所はどこがいいでしょうか?」
「ご自宅の位置の座標を頂いてもよろしいでしょうか?」
「えっと、それでは住所を送りますね」

 私は地図アプリを開いて自宅の住所を送ってみた。柏木さんは残していたミニトマトを食べると、私の送った住所を調べているようで、何かも一緒に探しているようだった。

「ここなんてどうでしょう?」

 柏木さんが見せてくれたパソコンには私達の家とその左下にある喫茶店にピンが打たれていた。そこには何度か行ったことがあったのだけれど、誰かといった事は一度も無かった。旦那も何度か行ったことはあるようだけれど、お互いを誘って一緒に行った事も無ければ、私は料理やデザートを楽しめる昼間に行く事が多く、旦那はお酒を楽しめる夜に行く事が多いみたいだった。
 もちろん、私が夜に行く事もあれば、旦那が昼間に行く事もあったと思う。お互いのお気に入りのメイドさんの出勤が揃えば一緒に行く事もあったのだろうけれど、私と旦那のお気に入りのメイドさんはお互いに仲が悪く、特別なイベントの日でもない限り出勤が重なる事はなかったのだ。
 旦那のお気に入りのメイドさんは背も低く可愛らしい愛されメイドなのだけれど、実はミスも少なく忙しい時でも的確に仕事を割り振れる出来る女タイプのメイドさんらしい。私はその場面を見たことが無いので何とも言えないけれど、私のお気に入りのメイドさんが何度も助けられたことがあると言っていたので、最初は良い人なのかと思っていたけれど、聞いた話によると、何かミスをした時は助けてくれるのだけれど、何度もミスが続くとネチネチといつまでも問い詰められてしまうらしい。
 私のお気に入りのメイドさんは背も高く演劇で男役をやっても務まるようなルックスに全振りをしたような人である。ルックスが良すぎるせいで女性ファンも多く、私もその中の一人である。ルックスが良くて小さい時からちやほやされて育ってきたせいなのか、一人では何も決めることが出来ずに、この店でも失敗が一番多いダメなメイドさんであった。それでも努力はしているようだけれど、そんな努力が報われるところを一度も見たことが無い。旦那の好きなメイドさんにいじめられていると言っていたけれど、旦那から聞いた話と合わせて考えてみると、失敗が多くて注意されているだけにも思えてしまう。そんなところと見た目のギャップがたまらなく可愛らしいのだ。

「そこは喫茶店って書いてありますけど、メイド喫茶ですよ」
「メイド喫茶だとみんなで話し合いをするのは厳しいかもしれないですね」
「でも、個室があるんで予約が入っていなければ大丈夫だと思いますよ」
「へえ、結構詳しいんですね」
「私も旦那も時々遊びに行ってますからね」
「じゃあ、お互いにお気に入りのメイドさんを紹介し合ったりするんですか?」
「あ、お互いのお気に入りは仲が悪いんでそう言うのは無いです。個室が空いているか電話で聞いてきますね」

 私はいったん席を離れて電話をかけに行ったのだけれど、今日も個室は空いているようだった。私が行った時にはいつも空いている個室なのだけれど、今まで誰か利用したことがあるのだろうか?
 疑問に思ってはみたものの、団体客と言っても二人組がほとんどなので、宴会の様な予約を入れる人も相当少ないように思える。実際は知らないけれど、客入りを見ていても今月は厳しそうだ。

 私は旦那にメイド喫茶で報告会をする事になったと連絡をしたと同時に、今日の出勤名簿を確認していた。残念なことに、私と旦那のお気に入りのメイドさんは両名ともお休みとなっていた。悲しいけれど嬉しくもあるといった不思議な気持ちになりながらも、チェキの一枚くらいは撮っておきたいなと思ったのは旦那も一緒だろう。

 東京で一番信頼出来る友人に息子を預けると、草薙さんを出迎えるために駅の待合室に集合することになった。
 旦那はいつものスーツ姿ではあるけれど、ワイシャツとネクタイではなく暖かそうなインナーを着ていた。私は普段とあまり変わらない格好でメイクも薄めにしておいた。

 三人でしばらく待っていると、何人かの人が改札から出てきて、その中の一人が私達に手を振りながら近づいてきた。その人は柏木さんの横に立つと私達に向かって一礼をして挨拶をしてくれたので、私と旦那もそれに続いてお互いに挨拶をした。

「旦那さんとは何度か電話でお話をしていますけれど、奥様とは初めてお会いしますよね。私が草薙式研究所の主任研究員の草薙葵です。旦那さんは私がお伝えしたことを実行してくれているみたいなので、今夜のうちに全て解決すると思いますよ。話は少し長くなると思いますので、予約されている店に移動しましょうか」

 私は旦那に全て任せていたので気付かなかったけれど、旦那がやり取りをしていた方は所長さんではなく主任研究員の葵さんだったらしい。葵さんは見た目は若く見えるのだけれど、柏木さんから聞いていた話では大学を出た年などを考慮しても、私よりはだいぶ上のようだ。それにしても、かなり見た目が若く見える。

 予約していたメイド喫茶に着くと、葵さんは混乱しているようだったけれど、私と旦那は普通に入店していて、柏木さんもその流れに乗って入店していた。一人取り残された葵さんはお酒を出す時間帯なので年齢確認をされていたのだけれど、私は初回からそのような確認はされていなかったし、柏木さんもされている様子はなかった。きっと今のタイミングで年齢確認が必須になったのだろう。

 私達が予約した個室の利用開始時間まであと一時間くらいあるのだけれど、せっかくなので予約を入れていた時間までは各々で楽しむことになった。
 私と旦那はそれぞれのお気に入りのメイドさんがいないので普段はそんなに仲良く話していないメイドさんと話してみたりもしたけれど、やはりいつものメイドさんの方が心が躍る事に気付かされた。旦那もその点は私と同じようで、楽しんではいるけれど心から楽しんでいるかと聞かれると、即答は出来ないような感じだった。
 葵さんは反応が面白いからなのか、次から次へとメイドさんがやってきては何かを耳打ちしていなくなっていた。何を話しているのか聞いてみたけれど、特に意味のある事は言っておらず、耳に息を吹きかけるのが目的らしい。確かに、油断してはからかわれてまた油断してからかわれている姿は愛らしくもあり神々しくもあった。

 そんな様子をたくさん愛でていると、予約していた個室の利用時間が近付いてきた。まだ少し時間までは早いけれど、最初のセット時間が終わったタイミングで利用させてもらうことが出来た。私も旦那もこの個室に入るのは今日が初めてで、中は想像していたのと違って畳敷きで和風だった。
 靴を脱いでそれぞれ好きな位置に座ったのだけれど、葵さんは会った時と違ってすっかり疲れてしまっているようで、言葉にも手の動きにも元気さが感じられなかった。

 疲れていても葵さんはしっかりとまとめるところはまとめているようで、これから夜になって朝になるまでに全てを終わらせる準備をしてきたと言っていた。

「あなた方ご夫婦の家に憑いているモノはそれほど強いものでなはいと思います。私が見せてもらった御札はそれほど強いものではなく、その程度の御札を破れないような物でしたら、私が旦那さんにお願いしたことを実行していただくだけでも効果があると思います。それとは別に、あなた方ご夫婦の味方になるような存在の姿もあるようなので、そちらの力をお借りして、あなた方ご夫婦に危害を加えるような存在が入ってこないように強力な結界を作る事にしましょう。それも旦那さんに下準備をお願いしてありますので、こちらも今晩中には片が付くと思いますよ」

 昨日もその前も旦那はいつも一人で何かをしていると思っていたけれど、葵さんからの支持で動いていたのかと思うと、頭が下がる思いです。いつもは仕事で各地を飛び回っていて大変だとは思っていたけれど、今回の事でも家の中を色々と良くしてくれていたみたいで、私にも何か手伝う事があればよかったのにと思った。
 そんな私の想いを感じ取ったのか、旦那は私の頭を撫でながら優しく微笑んでくれていた。

「君に黙って見えない場所で動いていたのは申し訳ないと思っていたんだけど、君と一緒に行動をするにも陽一を守る事が出来ないと思ったんだよね。それに、毎日ってわけじゃなかったし、仕事も無くゆっくり陽一と遊べたのは良かったと思うよ」
「あなたが何かしてくれているとは思っていたけれど、葵さんに言われて私達のために行動をしていてくれたんだね。本当に嬉しいわ」

 葵さんと柏木さんがいなければこの場でキスしてたかもしれないのだけれど、今日は思いっきり抱きしめることで感謝の気持ちを伝えることにしよう。

「さて、ここの予約はもう少し残っていますが、皆さん個室を出てカウンター席に戻りますか?」

 柏木さんがそう言うと、私と旦那はそのままカウンター席に戻る事にした。葵さんは何を思ったのか、時間いっぱいまで個室で休んでいくと言っていた。柏木さんもカウンター席に戻るようだけれど、葵さんはかたくなに戻ろうとはしなかった。それでも、メイドさんは個室にやってくるので、葵さんを待ち受ける運命は変わらなかったのだが。

 時間いっぱいまで楽しい時間を満喫していた私達が外に出た時には完全に陽が落ちていて、我が家に続く道には薄明るい街灯がいくつか灯っていた。普段ならもっと明るく灯っていると思うのだけれど、不思議と家に近付くにつれて明かりが弱くなっていて、家の前の街灯に至っては街灯の存在すら確認できないほどの闇に覆われていた。

「何かおかしくないですか?」
「ええ、こんな事ってありえないと思いますけど。いつもこんな感じじゃないですよね?」

 私もこんな状況は初めてなので何とも言えないけれど、これ以上家に近付くことが出来ないような不安な気持ちに押しつぶされそうになってしまっていた。ここに息子がいなくてよかったと思っていると、私の隣にいる旦那が不思議な事を言い出した。

「葵さんも柏木さんもどうしたんだろう。何か家から変なモノでも出てるのかな?」

 いくら霊感が無くて見えないからと言って、この状況で何も感じていないのはおかしいと思った。いつもなら誰か彼か歩いていたり、犬を散歩させている人がいるはずなのだけれど、メイド喫茶を出てうちの方へ向かう道に曲がった時から誰ともすれ違っていないのだ。普段はそれなりの交通量があるはずなのに、車ですら一台もすれ違うことは無かった。

「ねえ、君も何か感じているのかい?」
「ええ、あなたは本当に何も感じていないの?」
「うん、君達が何か演技をしているようには見えないんだけど、残念ながら僕には君達が見ているものがわからないんだ。君たちの反応を見ていると、今回ばかりは仲間外れで良かったと思うけどね」
「あの、旦那さんは本当に平気なんですか?」
「平気と言われましても、何も見えないからどうしたらいいのかわからないんですよね」

 葵さんは持っていたカバンから仏像のようなものを取り出すと、旦那に手渡していた。受け取った旦那はそれをどうしたらいいのか悩んでいたみたいだったが、葵さんにそれを家の中に置いてきてほしいと言われた。旦那はその言葉に従って仏像を持って家の中に入ると、少しだけだが嫌な空気がおさまっていたように思えてきた。

「旦那さんには本当に申し訳ないと思うんだけど、私達でも奥さんでもあの状態の家の中に入る事は出来ないと思ったのです。もしかしたら、旦那さんは霊的な力を受け付けない特別な人かもしれないので、可能性は低いですがそれにかけてみることにしました」
「それってどういう事なんですか?」
「確信はないですが、誰でもちょっと嫌だなと思う場所があると思うんですが、それって実は悪い霊の溜まり場だったりすることがあるんですよ。それは霊感が無くても本能的に感じ取って避けていたりするんですけど、見たところ旦那さんはそう言ったモノに気付くことなくやり過ごしているかもしれないんです。私でもそう言ったモノに多少は嫌悪感を抱くのですが、旦那さんは全くそれを厭わないようです」
「息子が旦那を見て『パパは大丈夫』って言ったことがあるんですけど、そういう意味なんでしょうか?」
「その時の息子さんと旦那さんの状況がどうだったのかわからないので何とも言えませんが、その可能性は十分にあると思います。ですが、そのようなモノに気付かなかったとしても、知らず知らずのうちに体や心を蝕まれている事もあると思いますし、この件が終わりましたら少しだけでも霊的な力を手に入れることをお勧めいたします。旦那さん次第とは思いますが、出来る事なら我々も協力を惜しみませんので」

 旦那が家の中に入ってからしばらく経っていると思っていたのだけれど、実際はそれほど時間が経っていないようだった。
 旦那が出てこないのは心配ではあるのだけれど、どうしてもこれ以上家に近付くことが出来ないでいた。頭では旦那に会いに行きたいと思っていたのだけれど、体がどうしてもいう事を聞かず、少しずつ後ろに下がっているような気さえしていた。

 そのままどれくらい時間が経ったのだろう。雲の隙間から月が見えだしてくると、家から出ている不気味な気配はおさまっていた。そのまま様子をうかがっていると、玄関から旦那がゆっくりと出てきた。
 旦那は私たちの姿を見ると、普段は冷静なのに少しだけ焦っているようで、私達のもとへと駆け寄ってきた

「君達じゃないとは思うんだけど、家に向かって何か叫んだりしていなかったかな?」

 旦那のその言葉に誰も頷くことは無かったし、この近くで誰かが叫んでいた事も無かった。旦那は私達が無言でいることに何かを感じ取ったのか、それ以上は何も聞いてこなかった。

 不気味な気配がおさまったので四人で家の中に入ってみたのだが、冷房を最強で一日中かけていたかのように全身を寒さが締め付けてきた。不思議な事に、ドアを開けているにもかかわらず、暖かい空気と冷たい空気が混ざり合うことなく、ただただ冷たい空気に体中が包まれていた。

 葵さんは靴を脱いで家の中に入ると、誰にも案内されていないのに迷う事も無く、客間へと入っていった。その後に続いた私達も客間へ入ると、葵さんの顔が真っ白になっていて、異常ともいえる量の汗をかいていた。
 葵さんはそのまま旦那の方を向くと、確かめるように質問をしていた。

「私が伝えた事は理解してましたか?」
「ええ、あなたが仰ったことは全て理解してましたよ」
「それでは、どうして配置が逆なのですか?」
「それはあなたが見ればわかるんじゃないですか?」
「わかるから聞いているんです。これじゃ、逆効果じゃないですか」
「そうですけど、それで問題でもあるんですか?」

 葵さんは両肩を震わせると、今にも旦那に殴りかかりそうな勢いで掴みかかっていた。それを見た私は間に入って止めようと思ったのだけれど、それを柏木さんに制止されてしまった。

「私はあなた達家族を守る方法を教えましたよね?」
「ええ、守る方法を教えてもらいましたよ」
「なんでそれを実行していないんですか?」
「あなたに応える義理は無いでしょう」
「そういう問題じゃないんですよ」
「では、何か問題でもあるというのですか?」
「問題しかないですよ。それに、ここにある守り神も電話で聞いていたのとも写真で見ていたのとも違うものじゃないですか」

 旦那と葵さんは何か言い争いをしているのだけれど、私にはそれがどうしてなのかわからなかった。旦那も葵さんも私達のために行動をしているはずなのに、それで揉めているのが理解できなかった。
 旦那と葵さんの言い合いはその後も続いていたのだけれど、旦那は葵さんから渡された仏像を手に持つと、その細い手足を一本ずつ確実に折っていった。手足を折り終わると胴体を半分に折って、最終的には頭を取ってその場に投げ捨ててしまった。

「この仏像って意外と効果があるんですね。半信半疑だったけれど、溜まっていた悪い気を全部吸収しちゃいましたもんね。でも、これをバラバラにしちゃったらどうなっちゃうんでしょうね」

 そう言っている旦那の不敵な笑みと、悔しそうに旦那を見つめている葵さんの顔は対照的で印象的だった。私の肩に手を置いていた柏木さんも笑顔だったのは意外だった。
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