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第3部 欺いた青春篇

 第4章 反逆の時【2】

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 夏であっても、十八時頃になってくると日も暮れてくるもので、夕日はすっかり顔を伏せ、辺りには闇夜が訪れようとしていた。

 天地家前。クロスバイクを止め、神坂さんは家の前で待機してもらい、俺は先に屋内へと入っていた。

 さて、俺はこれから天地と、神坂さんをここにかくまってもらえられないか交渉をしなければならないのだが、その肝心の天地が出てこない。

「おーい天地……あれ?おーいっ!居ないのかぁ!」

 すがた形どころか、声や何かをしているような音すらも聞こえない。

 静寂に包まれている。

「おかしいな……玄関の戸も開いてたし、あいつの靴もあるし……居るはずなんだが」

 俺は靴を脱ぎ、廊下を歩いて先程まで天地と一緒に夏の課題をこなしていたリビングへと足を進める。そしてそこに、天地はいた。

 まるで何も無いように、何も聞こえて無いように、一人課題に勤しんでいる。

 コイツ……俺のことを無視してやがるな。

「おい天地、ちょっと話があるんだが」

「…………」

「おい!」

「どちら様ですか?」

「はっ?」

 それはまるで、初対面の人間を見据えるような、そんな眼差しだった。

「どちら様って……お前」

「お前?不法侵入者がデカい口叩くじゃない!」

 すると天地は、手に持っていたシャーペンを俺の方へ素早く投げつけてきやがったのだ。

 まるで、拳銃から射出された弾丸の如く、シャーペンは真っ直ぐ、俺の人中目掛けて飛んできた。

 俺は飛んでくるシャーペンを目で捉え、反射的に、本能的に、横っ飛びをした。

 その場にターゲットが消えたシャーペンは、その勢いを衰えさせることなく、その先にあった白壁に、まるでダーツの矢がダーツボードを射るように、ピンと真っ直ぐ突き刺さった。

「あ……あぶねぇ……」

 どっと、冷や汗が出てくる。

 おそらく俺が、中学の頃野球をしていなかったらかわせなかっただろう。飛んでくる球を見極めれる、ボール拾いの経験が役に立った。

 もしよけれずに、シャーペンが俺の人中に突き刺さっていたら……うう、想像しただけで鳥肌が立ちそうだ。

「ちっ……」

 天地は舌打ちをし、俺を睨む。

「ちっじゃねえよ!危ないだろうが!!」

「危ぶめたのだから、当たり前じゃない」

「こんなの当たり前じゃない!トンデモナイ事だっ!!」

 人の人中にシャーペンを突き差すような、そんな危険行為が当たり前なのは、日常的に人を殺すことを厭わない、そんなバトル・ロワイヤルの世界くらいだ。

 この国、平和だと言って浮かれてるこの国では、それは異常だ。

「なんでこんな事するんだ!というか、そもそもなんで何回も玄関から呼んだのに無視するんだよ!」

「去る者は追わずよ、いや、敗走の兵になど興味は無いといったところかしら?」

「敗走?去る者?どういうことだ?」

「岡崎君、合宿から逃げ出したじゃない。しかも神坂さんをこじつけに使うなんて、幻滅ものの醜態だわ」

「逃げ出す?こじつけ?お前何を……っ!お前まさかっ!」

 天地は圧倒的な勘違いをしていた。俺が逃げ出したのだと。

 合宿が、課題をこなすのが嫌になり、神坂さんからの連絡を脱走の理由付けにしたのだと、思い違いをしているようだった。

「天地違う!俺は別に、課題をやりたくないから出て行ったんじゃなくて、本当に神坂さんい呼ばれたんだよ!しかも、割と緊急事態でな」

「ふうん……ではその緊急事態とは一体何なのかしら?わたしとの勉強合宿を放棄してまで、神坂さんに会いに行ったその事態とは?彼女との時間を放ってまで行った、女友達の緊急事態とは?」

「…………お前もしかして、妬いてるのか?」

「早く答えないと、焼くわよ?」

「『やく』の字が違うだけで拷問っぽく聞こえるぞそれっ!」

 火炙り、所謂火刑というやつ。

 ヨーロッパでは魔女狩りの際に、日本でも江戸時代付け火を行った者に用いられたとかなんとか。

 いくら合宿から逃げ出したとて、あまりに過剰な罰だろ……まあ逃げ出してすらないけど俺の場合は。

「神坂さんが自分の家から追い出されたんだ……疑うようだったら、家の前に神坂さんを待たせてるから本人から直接訊くか?」

「家を……追い出された?イマイチよく分からないのだけど」

 俺は天地に、今神坂さんが瀕している危機について説明した。

 神坂さんの父親が記者に追いかけられ、彼女自身も追われていること、彼女がその両親とは養子の関係であること、そしてその関係が、今にも絶たれようとしていることを。

 天地は最初は疑っているような眼差しを俺に向けていたが、段々それは、鬼気迫るような、そんな眼差しへと変わっていた。

 それもそう、コイツも事実上、親子の縁を切られたことがあるやつだからな。その危機感は多分、俺よりも理解しているはずだ。

「……と、まあそういうことだ。天地、もしよかったらここに神坂さんを匿ってはくれないか?神坂さん、他に行く当てがないみたいなんだ」

「……ええ、いいわよ。状況が状況だし」

「ありがとう、恩に着るよ」

「礼にはおよばないわ、神坂さんはわたしの友達でもあるんだし、それに、彼氏の善行を踏みつぶすような、そんな下げマンじゃないわよわたしは」

「下げマンって……じゃあ神坂さんを呼んでくるよ」

「ええ」

 なんとか交渉を成立させた俺は、踵を返し、廊下を渡って玄関の扉を開き、外にいる神坂さんに中に入るよう促した。

「神坂さん、天地が大丈夫だって」

「えっ……う……うん、じゃあ」

 それでも逡巡しゅんじゅんするように、神坂さんはこちらに一歩二歩と、小刻みに歩いて来る。

 神坂さんの性格なら、躊躇うのも無理はないだろう。人に迷惑をかけまくっている俺や天地とは違って、そういうことに人一倍気を遣いそうな人だからな。

「あっ……天地さん!」

 神坂さんの視線を辿った先、俺の背後に天地が立っていた。

 いつの間に居たのか……。

「岡崎君から大方の話は聞いたわ、立ち話もなんだし、早く中に入りなさい」

「えっ!は……はい!じゃあ御邪魔します!」

 天地に言われ、神坂さんはさっきまで垂らしていた頭と背中を真っ直ぐに伸ばす。

 どうやらというより、やっぱり、神坂さんは天地に恐怖を抱いているようだ。

 その姿はまさに蛇に睨まれた蛙。天敵を目にし、何も抵抗できない小動物のように見えなくもない。

 やはり、ここに招待したのは間違いだっただろうかと、言いだしっぺながらそんな彼女の哀愁漂う姿を見て、自分の迂闊さを感じずにはいられなかった。
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