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02章:憧れと決意、それから。
15:~敵意と応撃。~[前編]
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――フランよりも遥かに歩幅の大きい鈴丞でも、早いと感じる少年の歩調は、当然ここにいる誰よりも小柄なロゼッタにはかなりの速度であるだろう。
早々に案内役の彼女を追い越し、軽い足取りで先を行く少年の後を青年と少女は必死になって追いかけていた。
地面の土さえも目視できないような獣道であり、意図的に村を隠しているという霧が濃くなっているはずなのだが、フランの足取りがやがて確実なものとなり、歩くスピードは早まるばかり。心踊る心象が溢れ出さんと物語っているその細身の背中をちょこちょこと小走りで追うロゼッタ。鈴丞は、その後をやっとの思いで追いかけていた。
無秩序に生い茂る緑に足を取られ、ひっそりと息を顰めていた樹木の根本には何度も蹴躓いた。危うく顔から転倒しそうになるたびに足を止めてしまうから、、うっかり2人の姿を見失いかけることだって何度もあった。
鬱陶しいな。
溜まりに溜まったフラストレーションを吐き出すように「だああ!もう!」と怒声を上げてしまいたくなるくらいに、思い通りにならないことに対して苛つきを覚えた。長時間、足の自由を奪われ続けるのはかなりの負担が精神的にも身体的にも襲ってきていたのだから。
顔を顰め、苛立ちを隠せない鈴丞を気にかけたロゼッタは、時々彼に振り返り、おどおどとした様子で大袈裟に足を上げて前へと進む姿を視認した。
段々と距離ができていく彼に話しかけていいものなのか。
そう戸惑いながら、怯え震える小さな唇を開くが、バクバクと高鳴っている心音や、拒絶される妄想が邪魔をして、彼のために用意した言葉は、なかなか上手く出てこない。如何せん、彼女は自ら他者へ声を掛けるという経験など、ないに等しかったのだ。ロゼッタは、足元を注視して人に構う余裕などなさそうな彼に歩み寄ることを諦め、薄く開いていた口を結んで前へと向き直ると、本来人間が立ち入ることを禁じられている領域の探索を楽しんでいるフランの背中に視線を戻した。
――以上のような動作を延々と繰り返し続けているロゼッタは、次第に歩く速度を落としていく。気付かれぬようにしながらも、背後にいる彼に縋るような視線をこっそりと送っている彼女には、まだどこか迷いがあるようで。
漸く彼女の憂う表情に気が付いた青年は、「あ」と小さく声を漏らすと、眉間の皺を伸ばし、できる限り早足で少女の元へと歩み寄った。そして、その名を呼ぶと彼女は肩を竦めて強張らせたが、首が取れてしまいそうなほど勢いよく振り返ったその表情は、どこか浮き足立っているように見える。
黙ったまま隣を歩くのは居心地が悪いと思った鈴丞。緊張して固い動きをしているロゼッタに何度か質問を投げかけた。そうすると、最初は慣れない異性の声に戸惑い、固い声で「はい」か「いいえ」のどちらかしか返ってこなかったのだが、不機嫌をやめて柔らかい声色で言葉を紡ぐ、鈴丞の気遣い1つ1つに彼女の緊張は緩やかに解れていったのだ。鈴丞が厄介な獣道を上手く歩くコツを掴んだ頃にはぽつぽつと、それでも、ちゃんとした言葉で返事が返ってくるまでになっていた。
彼女がどうして人前に現れたのか。その理由は結局聞けずじまいだったが、せめて恐怖に支配されていた悪い時間を少しでも払拭し、今、この時間だけでもどうか安らぐ時に塗り替えて欲しいと願う、その思惑は成功したようであった。
「あ……っ、もうすぐ村の付近ですっ、もう大丈夫なので!」
「そうか?」
雲に包まれているかのような霧のヴェールに覆われ、あまりの視界不良に目を細めた頃、足を止めてぐるりと辺りを見回したロゼッタの鈴の転がるような声を切っ掛けに、ずんずんと先を行くフランを呼び止めて小さな少女を見下ろした。
「本当に大丈夫なのか?」
「はいっ、あの、あの……!ありがとうございました!」
「ああ、じゃあ気を付け――」
鈴丞とフランはここで引き返さなければならない。ほんのひと時だったが、貴重な時間を過ごさせてもらった。だから「気をつけて帰れよ」と、エルファーナの少女に明るく惜別の言葉を掛けるため、鈴丞は口を開いた。――が。
彼の言葉は中と半端なところで途切れてしまったのだ。
それは、ヒュンと鋭い音が、彼の捻くれた頬を掠めたから――
ツゥ、と音もなく、生暖かい感触が頬をくすぐる。そして、少しだけ遅れてやってくるずくずくと疼くような鈍い痛みは、案外鋭利な攻撃力を持つ紙で皮膚を切り裂いてしまった時の痛みに似ている。生暖かい液体が流れる感触を感じて、ふいに頬に触れてみると、ドロリとした鮮血が指に付着したのだ。ぬるりとした慣れない感触に思わずヒッと息を呑む。
不愉快なくらい頻繁に足を取られてしまうような、道とはいえない道でも、荒れ果てた樹木の枝は鈴丞の頭上にあり、不注意で顔に怪我をしたとは考えにくい。
――この身に一体何が起こったというのだ。
己の赤血を眺めてぞわりと肌を粟立たせた。
顔面を蒼白にして、反射的に音が飛んできた方向を振り返る。左斜め後ろ。確か――上方からやってきた。
ほんの僅かな情報を頼りに、鈴丞は攻撃を仕掛けてきたその正体を暴こうと視線を動かした。
すると、生い茂る健康的な色をした葉の隙間から天の光を受け、鈴丞の頭上できらりと何かが光ったではないか。
軟弱な頬肉を引き裂いた犯人は、彼の想像よりも遥かに至近距離で鈴丞のことを見据えていたのだ。ガラス製の人形の目玉のようにも見える菫色の瞳は、真っ直ぐ鈴丞に突き刺さっている。がさりと音を立てて接近してきたそれの鋭い眼光と目が合うと、次は当てると宣言されたような気分になった。
唐突に襲い掛かってくる恐怖に絶句し、青年の喉は掠れた喘鳴音を上げた。迫り来る命の危機に、早く逃げろ、と警告音ががなりたてる。それは、眠る度に鈴丞を苛むあの夢のようで、鮮明に残り続ける嫌な思い出が頭の中に流れ込んでくる。だが、今この状況に置いて、そんな記憶は二の次だ。
今の彼の恐怖心は、鋭い視線に奪われてしまっているのだから。
目が合ったと直感した直後、直ぐに飛び掛かってきたそれは、この森に侵入して最初に受けた少女の突進の比にもならない。鈴丞との距離を詰めると同時に、影は掲げられた手のひらにヒュンヒュンと音が立つ風を集めたかと思うと、暗器のように繰り出される。先刻、鈴丞の頬を裂いたものと同じ、風の能力であった。
「ちょ、ま……――」
目の前でゴウと吹き荒れ、迫り来る暴風を間一髪で回避すると、彼は小さく舌打ちをして鈴丞が体勢を整えるより先に、次の攻撃を仕掛けてきたのだ。
――静寂が包み込んでいた森をざわざわとどよめかせる突風。攻撃を躱す度に鋭利さを増し、刃となった穏やかな薫風は、彼らの服をはためかせ、髪を乱した。
まるで秋に荒れ狂う嵐のようだ。頬を伝う冷ややかな汗を袖で拭うと、地面に膝をついてよろめいた重心を整えながら、強風が原因で乾き、霞む瞳を凝らした。
怒りの竜巻を纏ったまま動きを止めた台風の目は、ボサボサの白いロングストレートヘアで顔を覆い隠し、その中心に鼻先だけをポツンと突出させている。
嵐のような出来事に唖然とする彼らの目の前に姿を現したのは、ロゼッタよりも小柄な老人であった。今の時点では、男性なのか女性なのか判断がつかない。曲がった腰を握り拳にした手の甲で叩きながら、あっけなく平伏した鈴丞を冷酷に見下ろす。怒り狂うそのオーラとは裏腹に、澄み切った色をした宝石が嵌め込まれているような無機質なアメジストはぎょろりとしている。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ああ……。フランは……?」
危険を顧みず、鈴丞の元へと駆け寄ってきたロゼッタに支えられ、忽然と消えたフランの姿を探す。自分だけ無事でも意味はない、と。
「ボクはここだよ」
不明瞭な視界の中、目を凝らして彼の姿を探していると、すぐにその場に似合わない呑気な声で居場所を知らせながら、ひょっこりと木の影から顔を覗かせるフラン。しかし、それは少しばかり動いたのがわかる程度で、その姿は霧のせいではっきりと目視出来ない。。結局声だけで確認するだけだった。
否、辺り一面に広がる霧は、鈴丞の中の言い訳にすぎなかった。フランの姿を目視出来ない理由は別にある。一瞬たりとも老人に向かって張り巡らされている神経の1本すら逸らすことが出来ないからだ。
迸る緊張に、だらだらと口内を満たす唾を飲み込む。彼の心音が爆音になるにつれ、乾燥していく口の中にはもうすでに飲み込む体液などなく、キリキリと張り詰めた緊張は、喉の痛みに変換されていくばかり。
どうにかしてこの状況を打破しないと――と、逃げ場を探し、視線を彷徨わせた時だ。
「え、あ――長老さま……!」
「へ?」
いつも真っ先に口を開くはずのフランよりも先に、声高に声を発したのは、ロゼッタであった。
焦燥を感じさせられるその震える早口に、思わず鈴丞の傍に立ち尽くしている彼女を見上げた。少女はぱくぱくと空気を食み、雪だるまのような彼に向かって何かを訴えようと「あ、あ……」と小さく音を漏らしていた。
長老さまと呼ばれた彼は、その声に耳を貸すことなく、ひたすらに鈴丞を睨め付けている。
「欲に塗れた下劣な人間め。我が同胞に手を出しおって」
「いや、俺たちは――」
「そ……そうです長老さま!この方たちは私を――」
「言い訳無用!!人間の道を外れた禁断の領域に足を踏み入れる人間が外道であることは、とうの昔から言い伝えられておるわ!!」
小さな体から発されているとは思えない大きな怒声は、ビリビリと心臓を震わせるほどに低い。ただただ霧の幕の中で木霊するしゃがれ声は、条件が出揃うだけで、直接脳内に響いているのではないかと錯覚させたのだ。否、我を忘れて同胞の言葉すら耳に届いていないのかもしれない。
上と下の瞼を寄せて目を細めると、長老は、振り翳した手元から生成される巨大な鎌鼬
を携え、体を伏せる鈴丞の首を切り落とそうと襲い掛かってきた。
――ここでやられるわけにもいかない。
鋭い刃が鈴丞を切り刻むよりも先に、抜かした腰を奮い立たせ、興味津々に一部始終を眺めていた少年を担ぎ上げて、命辛辛走り出す。
ふわりとした浮遊間に「お」と声を上げる少年は、首を捻って、後を追ってくる毛玉を眺めた。
早々に案内役の彼女を追い越し、軽い足取りで先を行く少年の後を青年と少女は必死になって追いかけていた。
地面の土さえも目視できないような獣道であり、意図的に村を隠しているという霧が濃くなっているはずなのだが、フランの足取りがやがて確実なものとなり、歩くスピードは早まるばかり。心踊る心象が溢れ出さんと物語っているその細身の背中をちょこちょこと小走りで追うロゼッタ。鈴丞は、その後をやっとの思いで追いかけていた。
無秩序に生い茂る緑に足を取られ、ひっそりと息を顰めていた樹木の根本には何度も蹴躓いた。危うく顔から転倒しそうになるたびに足を止めてしまうから、、うっかり2人の姿を見失いかけることだって何度もあった。
鬱陶しいな。
溜まりに溜まったフラストレーションを吐き出すように「だああ!もう!」と怒声を上げてしまいたくなるくらいに、思い通りにならないことに対して苛つきを覚えた。長時間、足の自由を奪われ続けるのはかなりの負担が精神的にも身体的にも襲ってきていたのだから。
顔を顰め、苛立ちを隠せない鈴丞を気にかけたロゼッタは、時々彼に振り返り、おどおどとした様子で大袈裟に足を上げて前へと進む姿を視認した。
段々と距離ができていく彼に話しかけていいものなのか。
そう戸惑いながら、怯え震える小さな唇を開くが、バクバクと高鳴っている心音や、拒絶される妄想が邪魔をして、彼のために用意した言葉は、なかなか上手く出てこない。如何せん、彼女は自ら他者へ声を掛けるという経験など、ないに等しかったのだ。ロゼッタは、足元を注視して人に構う余裕などなさそうな彼に歩み寄ることを諦め、薄く開いていた口を結んで前へと向き直ると、本来人間が立ち入ることを禁じられている領域の探索を楽しんでいるフランの背中に視線を戻した。
――以上のような動作を延々と繰り返し続けているロゼッタは、次第に歩く速度を落としていく。気付かれぬようにしながらも、背後にいる彼に縋るような視線をこっそりと送っている彼女には、まだどこか迷いがあるようで。
漸く彼女の憂う表情に気が付いた青年は、「あ」と小さく声を漏らすと、眉間の皺を伸ばし、できる限り早足で少女の元へと歩み寄った。そして、その名を呼ぶと彼女は肩を竦めて強張らせたが、首が取れてしまいそうなほど勢いよく振り返ったその表情は、どこか浮き足立っているように見える。
黙ったまま隣を歩くのは居心地が悪いと思った鈴丞。緊張して固い動きをしているロゼッタに何度か質問を投げかけた。そうすると、最初は慣れない異性の声に戸惑い、固い声で「はい」か「いいえ」のどちらかしか返ってこなかったのだが、不機嫌をやめて柔らかい声色で言葉を紡ぐ、鈴丞の気遣い1つ1つに彼女の緊張は緩やかに解れていったのだ。鈴丞が厄介な獣道を上手く歩くコツを掴んだ頃にはぽつぽつと、それでも、ちゃんとした言葉で返事が返ってくるまでになっていた。
彼女がどうして人前に現れたのか。その理由は結局聞けずじまいだったが、せめて恐怖に支配されていた悪い時間を少しでも払拭し、今、この時間だけでもどうか安らぐ時に塗り替えて欲しいと願う、その思惑は成功したようであった。
「あ……っ、もうすぐ村の付近ですっ、もう大丈夫なので!」
「そうか?」
雲に包まれているかのような霧のヴェールに覆われ、あまりの視界不良に目を細めた頃、足を止めてぐるりと辺りを見回したロゼッタの鈴の転がるような声を切っ掛けに、ずんずんと先を行くフランを呼び止めて小さな少女を見下ろした。
「本当に大丈夫なのか?」
「はいっ、あの、あの……!ありがとうございました!」
「ああ、じゃあ気を付け――」
鈴丞とフランはここで引き返さなければならない。ほんのひと時だったが、貴重な時間を過ごさせてもらった。だから「気をつけて帰れよ」と、エルファーナの少女に明るく惜別の言葉を掛けるため、鈴丞は口を開いた。――が。
彼の言葉は中と半端なところで途切れてしまったのだ。
それは、ヒュンと鋭い音が、彼の捻くれた頬を掠めたから――
ツゥ、と音もなく、生暖かい感触が頬をくすぐる。そして、少しだけ遅れてやってくるずくずくと疼くような鈍い痛みは、案外鋭利な攻撃力を持つ紙で皮膚を切り裂いてしまった時の痛みに似ている。生暖かい液体が流れる感触を感じて、ふいに頬に触れてみると、ドロリとした鮮血が指に付着したのだ。ぬるりとした慣れない感触に思わずヒッと息を呑む。
不愉快なくらい頻繁に足を取られてしまうような、道とはいえない道でも、荒れ果てた樹木の枝は鈴丞の頭上にあり、不注意で顔に怪我をしたとは考えにくい。
――この身に一体何が起こったというのだ。
己の赤血を眺めてぞわりと肌を粟立たせた。
顔面を蒼白にして、反射的に音が飛んできた方向を振り返る。左斜め後ろ。確か――上方からやってきた。
ほんの僅かな情報を頼りに、鈴丞は攻撃を仕掛けてきたその正体を暴こうと視線を動かした。
すると、生い茂る健康的な色をした葉の隙間から天の光を受け、鈴丞の頭上できらりと何かが光ったではないか。
軟弱な頬肉を引き裂いた犯人は、彼の想像よりも遥かに至近距離で鈴丞のことを見据えていたのだ。ガラス製の人形の目玉のようにも見える菫色の瞳は、真っ直ぐ鈴丞に突き刺さっている。がさりと音を立てて接近してきたそれの鋭い眼光と目が合うと、次は当てると宣言されたような気分になった。
唐突に襲い掛かってくる恐怖に絶句し、青年の喉は掠れた喘鳴音を上げた。迫り来る命の危機に、早く逃げろ、と警告音ががなりたてる。それは、眠る度に鈴丞を苛むあの夢のようで、鮮明に残り続ける嫌な思い出が頭の中に流れ込んでくる。だが、今この状況に置いて、そんな記憶は二の次だ。
今の彼の恐怖心は、鋭い視線に奪われてしまっているのだから。
目が合ったと直感した直後、直ぐに飛び掛かってきたそれは、この森に侵入して最初に受けた少女の突進の比にもならない。鈴丞との距離を詰めると同時に、影は掲げられた手のひらにヒュンヒュンと音が立つ風を集めたかと思うと、暗器のように繰り出される。先刻、鈴丞の頬を裂いたものと同じ、風の能力であった。
「ちょ、ま……――」
目の前でゴウと吹き荒れ、迫り来る暴風を間一髪で回避すると、彼は小さく舌打ちをして鈴丞が体勢を整えるより先に、次の攻撃を仕掛けてきたのだ。
――静寂が包み込んでいた森をざわざわとどよめかせる突風。攻撃を躱す度に鋭利さを増し、刃となった穏やかな薫風は、彼らの服をはためかせ、髪を乱した。
まるで秋に荒れ狂う嵐のようだ。頬を伝う冷ややかな汗を袖で拭うと、地面に膝をついてよろめいた重心を整えながら、強風が原因で乾き、霞む瞳を凝らした。
怒りの竜巻を纏ったまま動きを止めた台風の目は、ボサボサの白いロングストレートヘアで顔を覆い隠し、その中心に鼻先だけをポツンと突出させている。
嵐のような出来事に唖然とする彼らの目の前に姿を現したのは、ロゼッタよりも小柄な老人であった。今の時点では、男性なのか女性なのか判断がつかない。曲がった腰を握り拳にした手の甲で叩きながら、あっけなく平伏した鈴丞を冷酷に見下ろす。怒り狂うそのオーラとは裏腹に、澄み切った色をした宝石が嵌め込まれているような無機質なアメジストはぎょろりとしている。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ああ……。フランは……?」
危険を顧みず、鈴丞の元へと駆け寄ってきたロゼッタに支えられ、忽然と消えたフランの姿を探す。自分だけ無事でも意味はない、と。
「ボクはここだよ」
不明瞭な視界の中、目を凝らして彼の姿を探していると、すぐにその場に似合わない呑気な声で居場所を知らせながら、ひょっこりと木の影から顔を覗かせるフラン。しかし、それは少しばかり動いたのがわかる程度で、その姿は霧のせいではっきりと目視出来ない。。結局声だけで確認するだけだった。
否、辺り一面に広がる霧は、鈴丞の中の言い訳にすぎなかった。フランの姿を目視出来ない理由は別にある。一瞬たりとも老人に向かって張り巡らされている神経の1本すら逸らすことが出来ないからだ。
迸る緊張に、だらだらと口内を満たす唾を飲み込む。彼の心音が爆音になるにつれ、乾燥していく口の中にはもうすでに飲み込む体液などなく、キリキリと張り詰めた緊張は、喉の痛みに変換されていくばかり。
どうにかしてこの状況を打破しないと――と、逃げ場を探し、視線を彷徨わせた時だ。
「え、あ――長老さま……!」
「へ?」
いつも真っ先に口を開くはずのフランよりも先に、声高に声を発したのは、ロゼッタであった。
焦燥を感じさせられるその震える早口に、思わず鈴丞の傍に立ち尽くしている彼女を見上げた。少女はぱくぱくと空気を食み、雪だるまのような彼に向かって何かを訴えようと「あ、あ……」と小さく音を漏らしていた。
長老さまと呼ばれた彼は、その声に耳を貸すことなく、ひたすらに鈴丞を睨め付けている。
「欲に塗れた下劣な人間め。我が同胞に手を出しおって」
「いや、俺たちは――」
「そ……そうです長老さま!この方たちは私を――」
「言い訳無用!!人間の道を外れた禁断の領域に足を踏み入れる人間が外道であることは、とうの昔から言い伝えられておるわ!!」
小さな体から発されているとは思えない大きな怒声は、ビリビリと心臓を震わせるほどに低い。ただただ霧の幕の中で木霊するしゃがれ声は、条件が出揃うだけで、直接脳内に響いているのではないかと錯覚させたのだ。否、我を忘れて同胞の言葉すら耳に届いていないのかもしれない。
上と下の瞼を寄せて目を細めると、長老は、振り翳した手元から生成される巨大な鎌鼬
を携え、体を伏せる鈴丞の首を切り落とそうと襲い掛かってきた。
――ここでやられるわけにもいかない。
鋭い刃が鈴丞を切り刻むよりも先に、抜かした腰を奮い立たせ、興味津々に一部始終を眺めていた少年を担ぎ上げて、命辛辛走り出す。
ふわりとした浮遊間に「お」と声を上げる少年は、首を捻って、後を追ってくる毛玉を眺めた。
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