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01 叙任式(リーゼル視点)
しおりを挟む皇宮で行われた、新人官吏叙任式。
狼獣人であるディートリヒ・シュヴァルツ・ヴォルフ皇帝が入場すると、辺りの空気は緊張で張り詰めた。
彼はもうすぐ二十五歳になる若い皇帝だ。身長は高いほうだが、肉食獣人に多い筋骨隆々な雄々しい体つきではない。至って健康的な標準体型。
髪は真っ黒だが、爽やかさを兼ね備えた髪型。瞳は黄金のように輝いているが、恐怖を与えるほどの釣り目でもなければ、刺されそうなほど鋭い目つきでもない。
それに加えてこの国の獣人は皆、普段は人の容姿をしている。皇帝も例外ではない。人の姿でいる限りは鋭い爪で引き裂かれたり、大きな口で噛みつかれる心配はない。
彼の容姿に狼らしい怖さは見当たらないが、叙任を待つ新人官吏たちは恐怖に震えていた。
それはディートリヒの容姿にではなく、内から発せられる『威圧感』によるもの。この国に住む全ての獣人を従わせるだけの、迫力を彼は持ち合わせていた。
ディートリヒが新人官吏たちの間を通って玉座へと向かう間にも、その気配に恐怖し、人の姿を保っていられない者たちが現れた。動物の耳が出てしまったり、尻尾が飛び出してしまったり。
耳はまだ良いが、大きな尻尾を持つ獣人は哀れだ。パンツの中に納まりきらずに、縫い目が避けて飛び出してしまうのだから。
(あっ、また。皆そんなに、皇帝陛下が怖いのかしら……?)
そのような中。新人官吏の列の後方で一人だけ、不思議そうにその光景を眺めている者がいた。
真新しい礼服に身を包んだ彼、もとい彼女は、双子の兄のふりをして男装している、リーゼル・シャーフ。
臆病な兄とは違い、リーゼルはもともと物怖じしない性格。
だからといって、何に対してもそうとは限らない。肉食獣人に追いかけられたらやはり怖いし、噛みつかれようものなら泣いてしまうかもしれない。
羊獣人であるリーゼルは、人並み、いや羊並みに恐怖心は備わっている。
ただ、少し。というか、かなり。感覚が鈍いところがあり、恐怖しても耳が出たり尻尾が出たりすることはあまりない。
そんな体質を持つリーゼルだが、今の状況は非常に不思議だ。皇帝はとても素敵な男性にしか見えないのに、なぜ皆は怖いのか。
もしかしたらこれは、男女の差によるものかもしれない。ここにいるほかの新人官吏は全員が男性で、女性は男装しているリーゼル一人だけだから。
もしこの場に他にも女性がいたならば、リーゼルと同じく「素敵」という感想を持ったかもしれない。
式が始まり皇帝の挨拶が終わると、ディートリヒは自ら、新人官吏一人一人に官吏のバッジを胸につけてやり、労いの言葉をかけてまわった。
「財務省は激務だが、頑張ってくれ。そなたの家門は領地が多いからきっと参考になるはずだ」
「ああああ有り難き幸せっ」
「そなたの家門は大きな商団を持っているから、外務省にした。伝手を広げ、これからも国の貿易に貢献してくれるか?」
「はいいい! よろっよろこんでっ……」
しかし皇帝の気遣いは、まったく相手に伝わっていない様子。
素敵な容姿に加えて、性格まで良さそうなのに。肉食獣人というだけで恐れられていることに、リーゼルはモヤモヤとした気持ちでいっぱいになる。
(私だけでも、恐れていないことをお見せしなければ)
それに、下手に恐れている姿を見せてしまえば、男装していると悟られてしまうかもしれない。
リーゼルは領地の運命を背負い、このような行為をしている。今はとにかく皇帝へ誠実に対応し、興味を持たれないようにしなければ。
そう意気込んでいるリーゼルの元へも、刻々と順番が近づいてくる。
皇帝が近づくにつれて、心臓が忙しなく動き始めた。
皆と同じように、圧倒的強者に対する畏怖だろうか。それとも男装して皇帝をあざむこうとしていることへの罪悪感か。
いや、それよりは好奇心に近いかもしれない。新しい何かが始まる予感がする。
(陛下がいらっしゃるわっ)
どうしようもなく高揚した気持ちをなんとか抑えながら、リーゼルは男性式の挨拶をおこなった。この一か月間で完璧に習得した作法だ。
「お初にお目にかかります。ティア帝国の黒き太陽、皇帝陛下にご挨拶申し上げ――」
しかしリーゼルは途中で言葉を詰まらせた。正確には、呼吸も止まりそうなほど驚いた。
なぜなら、目の前にいたはずの人の姿の皇帝が消え、代わりにリーゼルに向けて黒い影が落ちる。
なにごとかと見上げると、そこには大きな黒狼が出現していた。
辺りは一瞬にして、大混乱に陥った。
リーゼル以外のほぼ全員の新人官吏が、慌てふためき逃げまどい、中には動物の姿で走り去る者も現れた。その混乱を収めようとしている皇宮の者たちすら、恐怖で皇帝に近づけない有様。
そのような中でリーゼルだけは、その場から動くことなく目の前にいる狼を見つめていた。
幼馴染のカイがリスの姿で「リー、早く逃げよう」と、リーゼルの足にしがみついているが、リーゼルは一歩も動かない。
この場で唯一、落ち着いた姿を見せているリーゼル。
その堂々とした姿に、皇宮の者たちすら頼もしさを感じる。しかし当のリーゼルの心までは、そうはいかない。
(どっどうしよう……。男装に気づかれたのかしら……)
やましいことがあるだけに、誰よりも焦っていた。
この状況は、物怖じしない性格と鈍い性格が絶妙に作用して、人の姿を保っているだけ。できることなら今すぐにでも、羊の姿になって逃げ出したいくらいだ。
皇帝は、そんなリーゼルを試すかのように、大きな鼻を近づけてリーゼルの匂いを嗅ぎ始めた。リーゼルはますます硬直する。
(双子は匂いがほぼ同じだもの……。気づかれるはず……っ!)
それから皇帝が、ぺろりとリーゼルの頬を舐めた瞬間に、リーゼルは悟った。
自分は、この狼皇帝に食べられてしまうのだと。
比喩ではなく、物理的に、美味しく、まるっと――
(ああ……。お父様、お母様、リーンハルト。先立つ不孝をどうかお許しください。骨だけは、領地へ帰してもらえるかしら……)
領地での父の発言を思い出しながら、リーゼルは静かに意識が遠のいた。
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